第24話 始動

「楽しいお風呂でしたね?」


 ほくほく顔で、聖女らしい白のローブに着替えたスフィーリアが言う。

 僕は大変いたたまれない気持ちで、また修道服を着た。


「……まぁ、楽しくはあったと、思うよ」

「気持ち良くなかったですか?」

「……よ、良かったよ?」


 にこぉー、と良い笑顔のスフィーリア。聖女のイメージが崩壊するなぁ……。もっと清楚で清純な存在だと思っていたけれど、普通に性に興味津々の女の子って感じだ。

 ちなみに、僕たちは交わったわけではない。ほんの少しだけ、触れられてしまったというか。

 途中でキーファがやってきて、「いつまで風呂に入ってるんですか? ご飯とっくにできてるんですけど!」と呆れ顔でとめに入ってくれなければ、最後まで致していたかもしれない。

 キーファ、グッジョブ。なのかどうかは、判断しかねる。


「キーファが待ってますし、わたしは先に行きます。アヤメ様はごゆっくりどうぞー」


 スフィーリアが鼻歌交じりに脱衣所を去る。

 その背中を見送ったら、その場に座り込んでしまった。


「あー……何やってんだろ。簡単に理性なくしすぎ……」


 スフィーリアは幸せそうだし、僕もスフィーリアを好ましく思っているし、より仲良くなるのは悪いことじゃない。急展開過ぎて頭がついていかないだけ。

 深く溜息を吐き、しばし思考を停止。

 二分程で気持ちを落ち着けて、僕も脱衣所を後にする。

 食堂に行くと、既に準備は整っている。いつもお世話になってばかりで申し訳ないから、僕も食事の準備くらい手伝いたいかも。


「アヤメ様。ちなみにですが、キーファも子供の作り方くらい知っているので、キーファの前で変な遠慮はいりませんよ?」

「食事前に何を言い出すのかな!?」


 僕が食堂に来た途端、スフィーリアがそんなことを言うものだから、僕は相変わらず度肝抜かれてしまう。


「キーファももう十一です。性教育はきちんとしていますのでご安心ください。ということを言いたいのです」

「それは……まぁ……大事なことかもしれないけれども……」


 ちらっとキーファの顔をうかがう。若干気恥ずかしそうに目を逸らしているので、この手の話に年相応に羞恥心があるらしい。


「スフィーリア様はあけすけ過ぎます。多少の貞淑さはあっていいと思いますよ」

「わたしは十分貞淑ですよ?」

「あたしとスフィーリア様では、貞淑の意味が違うようですね。まぁ、もういいです。とにかく朝食にしましょう」


 三人で食卓を囲むのだが……いつもは対面に座るスフィーリアが、僕の隣に来る。距離も近い。


「この距離感は、どうなのだろう」

「あ、遠すぎますか? いっそ肩でも組みます?

「それは近すぎ! 食べにくいし!」

「そのときは、お互いに食べさせ合うというのはどうでしょう?」

「いやいやいや」

「……そういうの、あたしがいなくなってからにしてくれません? 見せつけられるのはウザいです」


 キーファにたしなめられて、スフィーリアがしぶしぶ距離を取る。

 食事を進めながら、二人に言う。


「……えっと、とりあえずキャラデザはしたから、二人に絵を教えるっていうのもできる。

 ただ、期間もあまりないから、礼拝堂の壁画をどうするかをメインに考えていこうと思う。正直、あのサイズの絵を描いたことなんてなくて、かなり苦戦はすると思う。アイディアを出したら二人にも意見をもらいたい」

「ええ、わかりました。楽しみにしています」

「あたしも協力は惜しみませんよ」


 スフィーリアとキーファが力強く頷いてくれる。


「うん。ありがとう。あと、スフィーリア、こっちの世界の絵の具とか画材を確認させてほしい」

「わかりました。ちなみに、絵の具はわたしが作成するものなので、一般に売られているものではありません。魔法で色々と融通が効くので、アヤメ様の希望に併せて、かなり扱いやすいものにできますよ」

「それは良かった。いきなりフレスコ画を描けとか言われたら困っちゃうところだった」

「フレスコ画とはなんでしょう?」

「僕も詳しくは知らないけど、確か、砂と石灰を混ぜて水で練ったものを壁に塗って、その上に水で溶いた顔料絵の具を塗っていく技法なんだ。

 壁画とかではよく使われるんだけど、色落ちがしにくくて長持ちするみたい。ただ、水が乾く前にささっと描いていかないといけないらしくて、僕の技量だと上手くできないと思う」

「へぇ、そんな技法があるんですね。アヤメ様は博識です」

「博識って程じゃないよ。知識は、興味のある分野に偏ってる」


 勉強とかも本当は苦手なのだけれど、高校生で習う数学なんかはこっちの世界で言うとかなり高度な学問。比較的簡単な暗算をするだけでも教養があると見なされるから、スフィーリアの評価は程々に受け止めている。


「アヤメ様のこと、もっとちゃんと知りたいですね。ゆっくりお話もしたいですが……今はまず、壁画の完成を優先です」

「うん。そうしよう。まぁ、ご飯を食べながらとか、隙間時間には色々と話すよ」


 食事を終えたら、僕とスフィーリアの二人で礼拝堂へ。なお、キーファは後片づけや諸々の雑務をしてくれている。幼いながらも働き者で、非常にありがたい存在だ。僕とスフィーリアをなるべく二人にしてやろうという気遣いまでできるのだから、本当に出来過ぎた女の子である。


「それにしても、本当にでっかい壁だなぁ……」


 横十メートル、縦五メートル程の壁。

 この壁一面に絵を描くなんて、何をどうやればいいのだろうか。

 ただ埋めるだけならもちろん簡単だ。でも、このサイズ感で見栄えがするようにして、さらには礼拝堂の壁画として意味のあるものにすることは、僕にはまるで想像がつかない。

 なお、とりあえず描くべきは入り口から向かって正面の壁だが、側面も可能なら描くことになっている。


「普段はあまり大きい絵は描かないのでしたっけ?」

「うん……。大きい絵は描かないし、自分の身長を超える大きさの絵に挑戦するなんて初めてだ」

「それは、楽しみですね」


 スフィーリアが隣でふふと綺麗に笑う。


「楽しみ……? 僕は不安の方が強いよ」

「そうですか? 今までやったことないことに挑戦するって、楽しくありません? 上手くいくか、失敗するかもわからない。完成した姿の予想もできない。そういう状況、わたしはわくわくしちゃいますけど?」

「ポジティブというか、心臓が強いというか……」

「『未来はわからないから面白い』と、時の女神ラディリスは言ったそうです」

「へぇ……。まぁ、僕の世界でもよく言われることかな」

「ただ、わたしは、これには前提条件が必要だと思うのですよ」

「うん? どんな?」

「どんな未来が待ち受けようと立ち向かうだけの、強さと精神力があることです」

「……ああ、そうかも」

「強さも精神力もない人にとって、不透明な未来はただ恐ろしいものです。未来はわからないから面白いなどと言っていられません」

「……うん」

「アヤメ様には、既に強さはあると思います。長年積み重ねてきた絵を描く力は、立派な強さです」

「……うん」

「ただ、わたしとしては不思議なことに、どこか精神力が足りないようです。それだけの力がありながら、自信が欠けています」

「うん……そうだね」


 僕は地球育ちだから、神絵師と呼ばれる僕であっても、世界的にはまだまだちょっと絵が上手い程度だということを痛烈に実感してしまう。確たる自信なんて持てるはずもない。

 一方で、スフィーリアは地球の神絵師たちの実力を知らないから、僕が特別に優れた絵師に見える。


「きっと、アヤメ様は生まれ育った環境によって、その微妙な自信のなさを育んでしまったのでしょう」

「……スフィーリアは本当に率直にものを言うね」

「ええ。だから、これも率直に申し上げます。アヤメ様は、わたしからすれば実に優れた絵師です。もっと自信を持ってくださって良いと思います」

「……ありがとう」

「そうは言っても、やっぱりアヤメ様は、許されていてもなお女性の裸を見ることさえためらう臆病者なので、簡単に気持ちは切り替わらないと思います」

「率直だなぁ……」

「だったら、わたしがアヤメ様の勇気になります」

「……勇気に?」

「はい。わたしにはアヤメ様のように絵を描く力はありません。でも、無駄に自信はある方です。わたしが背中を支えますから、アヤメ様はとにかく絵を描いてください。

 大丈夫です。なんとかなりますよ。わたしたち、二人なら」

「……なんとかなる、その根拠は?」

「聖女の勘です!」


 自信満々に、スフィーリアは全く根拠のないことを言う。

 その清々しすぎる笑顔を見ていると、不安になっているのが随分と馬鹿馬鹿しくなってしまう。


「そっか。根拠がそれじゃ、反論のしようもない」

「そうですね。諦めて、わたしに背中を押されてください」

「……わかった。とにかくやってみるよ」

「はい!」


 余計な不安は忘れて、今は絵を描くことを楽しもう。

 このサイズ感で絵を描くなんて、きっと一生に一度あるかどうかの大仕事。

 しかも、描くのが宗教画だなんて、日本にいたら絶対に携わることはなかった。

 未来が不透明なことも、スフィーリアが支えてくれるなら、そう怖くもないかな……。

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