エピソード2

 小晴は、他の女の子3人と遊んでいた。優希はあれ以来、「うん」とだけは言えるようになったけど、まだ抵抗があるのか、遊んでいるときに近づいてはこない。今は、それよりお兄さんと、「おはよう」を言う練習中だ。ゆうきくん、頑張ってるな、と小晴は思う。こはるのときはどうだったっけ。小晴は、少し思い出してみることにした。

 お兄さんの車に乗って、ここまでやってきたこと。始めはお兄ちゃんで1年生の航大くんに会いたくて、毎日泣いていたこと。そのたびにお兄さんが一緒に遊んでくれたこと。そんなことを思い出した。でも、自分が初めて声を出したときのことは思い出せない。ちょっと聞いてみたいな。お兄さんに。でもちょっと緊張する。聞きたくない気もする。どうしようかな。

 迷った末に、小晴が来たときのことを知っている、風菜と碧に聞いてみることにした。

「ふうちゃん、あおいちゃん、聞きたいことがあるんだけど。」

「なあに?」

「こはるが来たときって、どうだった?」

「えーっと、今のあいとくんみたいな感じだったよ。ね?ふうちゃん。」

「うん。ずっとえーんえーんって泣いてたよ。」

「うーん。」

そこで会話は終わってしまった。やっぱり、お兄さんに聞いてみた方がいいのかもな。小晴は思った。何しろ、幼稚園児同士なのだ。簡単なことしか覚えていないし、簡単な話しかできない。

 そこで、やっぱりお兄さんに聞きに行くことにした。でも、うまく聞くことができない。緊張しちゃってるのかな?小晴は内心どきどきだ。それを本人は分かっていないけど。お兄さんの前に立っても、あのね、しか聞けない。

「どうしたの?」

「あのねえ…」

それを見かねてお兄さんが話しだした。

「こはるちゃんが来たときも、僕の後ろをついてきて、ずっと何か言いたそうにしてたなあ。」

「えっ?」

「そうだよ。僕も最初だったから、どうしていいか分からなかったけどね。」

ようやく分かった。そうだった。

 小晴は困っていた。お兄さんが大好きで、大好きだよって、言わないで表現するのは難しい。気持ちが伝わらないことは、伝えたいって思わないと起こらない。それを年少にして部分的に理解してしまった。文字も書けない、声も出せない。どうしたらいいか迷って、行動にしたのが後ろをついていくことだった。お兄さんがどこに行っても、ついていく。いつになったら遊んでくれるかな、と思いながら。かまってほしくて、泣いたり固まったりもした。

 思いを巡らせたところで、ようやく声を出したときのことを聞いてみる。

「お兄さん、こはるが…初めて…」

なかなか言葉が紡げない。

「初めて?」

「うん。初めて、初めて…」

そこでお兄さんが反応した。

「おお、分かったぞ。これが聞きたいんだな。」

「こはるちゃん、初めて声が出たときのこと、覚えてないの?」

「うん。」

やっと分かってくれた。お兄さん、すごいな。

「そうか、まあ、いきなりだったもんね。いきなり僕に、お兄さんって言ってくれたんだよ。緊張してて覚えてないのかな。」

夜に一人で起きて、僕の部屋に来たんだよ。それで眠れないのって聞いたらうなずいて、難しい顔で近づいてきて、なんだろうなと思ったら、お兄さんって言ってくれたんだ。それがお兄さんの説明だった。そういえば、眠れなかったのは覚えている。そうだったのか。小晴は自分でも、頑張ったな、と思った。覚えていないのは、やっぱり緊張していたせいだろう。

「今はお兄さん、って、簡単に言えるよ。」

「そうだね。心の扉が、あのとき、開いたんだろうね。」

「でも、こはるにもまだ、できないこともあるよ。」

小晴は、さっきお兄さんに、聞きたいことが聞けなかったことを思い出していた。

「そうだよ。誰でも、できないことは絶対あるんだよ。だから、助け合いができる。そうやって、友達や家族ができてるんだよ。」

優希のことも、お兄さんは例えに使った。

「ゆうきくんだって、この前から、おはようの練習してるけど、声を出せるようになってから、そのおはようが言えなくて悩んでる。できなかったことができたとしても、その次にまた、できないことが出てくるんだ。難しかったかな。」

小晴にはまだ、難しかった。でも、分かろうとはしていた。

「ううん。分かるよ。」

少し強がって言ってみたのに、お兄さんからの反応はこうだった。

「よかった。分かろうとしてくれてたんだね。」 

 小晴たちは時々、お兄さんは自分たちの心が読めるんではないかと思うことがある。子供には大人のことが分からない。お兄さんが特別なだけかな。みんな、そう思っている。


 人は、脳を100パーセント使っているらしい。欠けているところがあれば、その分だけ伸びているところもあるということだ。悪いところもあり、いいところも必ずある。完璧な人間などいないのだ。だから仲間ができる。この話のお兄さんのように、人の欠けているところだけに目を向けるのではなく、伸びているところ、得意なことにも目を向けてほしい。世界中が、お兄さんや、その周りの子供たちのような人でいっぱいになりますように。

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