二の十四 そして再びの旅路へ

 六道が再び旅立ったのは、村に戻ってからひと月ほどしてからだった。


 無事に家まで帰ることはできたものの、チャトの明るさは失われてしまっていた。常に何かに追われているかのように怯え、ガンビスも六道も外出しそうになると泣きそうになってすがりついてくるのだ。結局その時残っていた方が外出を諦め、抱きしめたり頭を撫でてやったりすると、頑是ない子供のような顔で横になり、そのまま寝てしまう。


 夜も、チャトの強い希望で彼女を六道とガンビスが左右から挟む形で寝ることになった。夫を亡くしたばかりの人妻と年頃の娘が風来坊の男と同じ部屋で寝るなど、普通に考えれば大問題だ。しかし、押し切られる形で横になったその晩、寝言で「……父ちゃん」と呟くのを聞いてからは、何も言えなくなってしまった。


 二人の蓄えを切り崩しながら生活していたある日、寝室の絨毯に座って脚を伸ばしながら、ガンビスがぽつりと一人言のように呟いた。

「チャトが落ち着いたらさ、あたしは昔の生業に戻るよ。この子も一緒にね」

 隣で背を向けつつ胡座をかいた六道は、ガンビスを見なかった。窓から西陽が差し込み、絨毯に窓枠の影を映している。


「徒党を組んで、廃墟や遺跡で一攫千金のお宝探しか。収入が不安定なのはどうかと思うが、家に一人残してもおけねえもんな」

 六道は低い声で物憂げに答えた。ガンビスが昼寝中のチャトの髪を撫でる、かすかな音がしている。

「あんたがドワーフだったらねえ。娘も懐いてるし、あたしより強いしさ」

「……やめてくれ。あんたはいい女だが、人間は人間。ドワーフはドワーフ。もしもの話をしたって仕方ねえ」

「わかってるよ。そんなのさ」


 投げやり気味な声がして、ガンビスの平手に背中を叩かれた。六道は抵抗せず仰向けに転がる。起き上がる気配がないのを察したか、ガンビスが馬乗りにまたがってくる。ドワーフの女に特有の“丸さ”がない細身の顔が、六道の顔の真上に来た。


 つやのある朱い唇が、ゆっくりと落ちてくる。彼女の腕が、六道の脇に回された。六道も、両腕で彼女の背を抱き寄せる。

 心の隙間を埋めようとする女と、己の無力さを噛みしめる男と。むなしさを抱えた二人の鼓動が重なり、絡み合う熱い吐息と唇が触れ合う刹那――


「母ちゃん」

 チャトの声がした。ガンビスは慌てて娘の隣まで飛び退き、六道はなぜかとっさに正座をしていた。

「怖い夢見た」

 ぺたりと絨毯に座りこみ、チャトはガンビスの袖を引っ張る。はいはい、と微笑んで、ガンビスは再びチャトを寝かしつけた。


 そうして二人がつきっきりでいるうちに、チャトの心は少しずつ回復を見せ、一ヶ月が経った頃には以前の快活さを取り戻していた。

 よく笑い、冗談も飛び出す。何より一人で行動ができるようになった。六道もガンビスも、あれは一時的なものだったのだと胸をなで下ろしていた。


 ある朝、ナンと羊肉の燻製にアカザのおひたしという朝食を終えた六道は、胡座をかいたまま食後の水を味わいつつぽつりと漏らした。

「もう、俺がいなくても大丈夫かもな」


 ちょうど洗い物から戻ってきたチャトが、それを聞きとがめて詰め寄ってくる。

「え、何それ!? おじさん行っちゃうの!?」

 肩を掴まれ体を前後に揺すられ、六道は吐かないよう片手で口を押さえた。もう片手でチャトを押しのける。


「名残は惜しいが、お前の様子も戻ったみてえだしよ。いくらあてのない旅ったって、いつまでも居座る訳にゃいかねえだろ」

 そりゃそうだけどさ、とチャトは唇を尖らせた。

「おじさんあの時言ったじゃない。俺が隣にいてやるって」


 ――もしかしてあれか。マンツィにとどめを刺した時か。串客かんきゃく穴の効果が切れるのが、なぜか早すぎて、それで……。

 六道の目が点になり、口が固まった。違う、そうじゃない。そういう意味で言ったんじゃない。否定しなければと思うのだが舌は回らず、急いで水を口に含んだ。


 その様子をどう解釈したのか。チャトが何かに気付いたように、あ、と声を出した。口がにやりと半月状に開かれ、目に悪戯いたずらな光がともる。

「ははぁん。さてはおじさん、あたいに惚れたね?」

 あまりにも明後日の方向から来た言葉に、六道は思わず口中の水を噴き出した。いったいどこをどうすればそうなるのか。


「でもだめだぞ? 種族が違うと子供できないんだから。ドワーフはドワーフ、人間は人間。ね?」

 チャトは人差し指を立て、勝ち誇ったような顔で片目をつぶってみせる。言葉の意味は解らなくもないが、とにかくすごい自信だ。


 間の悪いことに、ガンビスも続けて部屋に入ってきた。チャトの声が聞こえていたのだろう、目に見えそうなほどの怒りの気が六道を突き刺す。

「そうかいそうかい、あたしよりチャトの方が好みってことかい。そりゃ男は若い娘の方がいいんだろうけどさ、あたしとそう変わらない齢だと思うと腹立つどころじゃないね」


 六道は額と首筋から冷や汗を流しつつ、小刻みに首を振った。

 言ってない。誰もそこまで言ってない。つうか俺人間だっての。種族違うっての。

 おそらく、言葉は出たのだろう。そんな気がした。


 とはいえ言葉が出たから何だというのか。ガンビスは大股に近づき、上から六道を掴もうとする。六道は身を捻り辛うじてかわすと、立ち上がりつつ間合いを取った。再び伸びてくるガンビスの両手を払い、素早く右肘内側の安楽穴を突く。彼女が両膝と両手を床につけるのを見て、深々と息を吐いた。


「……とまあ、そういうことだからよ。これ以上いたら、未練になっちまう」

 隠しきれない寂しさをにじませながらも六道が優しく笑うと、チャトも寂しさを我慢しているのが見え見えの笑顔を見せた。

「ずっといてくれるつもりでいたけど、そうだよね。おじさんまだ旅の途中だもんね」


 よっこらせと立ち上がったガンビスが、平手で娘の尻を叩いた。可愛い悲鳴を上げたチャトが振り返り、何すんの! と叫ぶ。

「急に言われたからって、別れに辛気くさい顔するんじゃないよ。笑って送り出してやれって、お父ちゃんがよく言ってたろ?」


 母親に言われ、チャトの顔がほころんだ。振り向いて六道を見上げる。

「今はさよならだけどさ、絶対、いつかまた会おうね。その時は、あたいは結婚して子供がいるかもしれないけど」

 後半は冗談めかした物言いで、チャトはにひっと笑う。そこにはもう寂しさはなく、以前にはなかった力強さがあった。



 ひと月あまり前に下った山道を、今また下っていく。六道はふと足を止め、振り返った。

 道は曲がりくねっており、森の木々にも遮られ、村はとうに見えなくなっている。


 ――スーリ入りの前に、繋がりをもらっちまったな。

 六道は目を細め、見えない村を見た。

 これから再び赴くスーリ九ヶ国は、商人どころか農民でさえ欲張りで、嘘偽りのまかり通っている土地だ。しかも師匠もいなければ、信頼できる仲間たちもいない。


 ――そんなところに居場所を移して悪党どもを斬ろうってんだ、心が荒むのは承知の上さ。だが、あの親子との繋がりを忘れなければ、俺はまだ人でいられるかもしれん。

 初夏の陽に照らされ、風に吹かれた木々が葉擦れの音を立てる中、六道は麓の村へと歩を進める。その口元には、誰も気付かないであろうほどにかすかな笑みが浮かんでいた。

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