褌担ぎの房吉

夢乃みつる

第1話 怪童現る

 馬加村まくわりむらの漁師善蔵の六男で僅か八歳の房吉は、漁から戻った船の綱を独りで曳いて濱に上げるという力持ちであった。

 身の丈四尺九寸(一四七センチ)程で目方は十六貫(六十キロ)というから少年とは思えぬ体躯である。

その立派な体に似つかわぬ幼い顔がチョコンと備わっている辺り、実に奇怪であった。


 近くの酒屋や大工の資材運びなど、力仕事をしばしば頼まれた。

子供とは言え大人並みの仕事を熟したのだから当然駄賃を貰えたが、その僅かな代価も母親のもえが貰い、房吉には一銭も与えなかった。

 確かに子供としては巨漢の為、一人前以上の大飯食らいで、その食欲たるや家族の中でも飛びぬけて居たのである。

 亭主らの稼ぎだけではやり繰りは付かず、

土木作業などあれば房吉を現場で働かせたのである。

房吉も承知したもので、嫌がらずに働いた。



 船橋宿の佐倉道との分岐する所に、船橋神明(意冨比神社おおひじんじゃ)があり、秋の大例祭で奉納相撲が行われた。

喧嘩相撲とも言われるぐらい荒っぽい神事であった。

 房吉は神輿を担ぐことには興味を示さず、

近在の村々から力自慢らが集まる奉納相撲に興味を示して、荒くれ共に混じって参加した。

これは母もえの差し金でもあった。

 力があるとは言え、未だほんの童子である。荒くれ共は例え子供と雖も容赦はしないだろう。

大怪我を負うのが落ちであった。

 境内に設えた土俵の周りにはこの神事(奉納相撲)に参加するつわものらが思い思いに座り込んで待って居た。

侍も居れば、赤銅色に日焼けした漁師も居た。勝ち抜けたなら褒美は米俵一俵が貰えるとあって、逸る気持ちを抑えきれず待って居た。


「小僧危ないから向こうへ行ってろ」

 大柄な少年を訝しげに見ながら追っ払おうとする男を尻目に、

「おいらも出るんだよ」

 とあっけらかんとしていた。

「そんなガキゃ打っちゃっとけよ、どうせ青馴染み(青あざ)作ってべそ搔くが落ちだっぺよ」

 と、その隣の若いしが嘲笑った。

房吉はその若いし六助との対戦となった。

 船大工というだけあって力瘤がムキムキしていた。

「六助、ガキに勝っても自慢にならんぞ」

「にしゃ(お前)負けたれ」

「房、怪我しねえ内にカカァと帰れよ」

 ヤジが多くて行司の軍配が返らない。

已む無く年寄りの伝五郎が立ち上がって場を静めた。

 房吉は行司の声に従って先に両拳を付いて待った。

六助はにやにやしながらゆっくりと両手を着いた途端体が宙に浮いて土俵から消えていた。土俵を囲んでいる出場者らの多くは何が起こったのか分からなかった。

 行司も一瞬唖然として房吉の勝ちを告げることを忘れさせる程一瞬の出来事であった。

さて土俵から消えた六助だが、見物人らの頭上を越えて桜の木の下に突っ伏すように倒れていた。気絶していたのである。

 場内は騒然となった。

そりゃそうだろう。

図体はでかいとはいえどう見ても幼な顔の童子である。

それが一瞬のうちに大人を突き飛ばした、否掬い飛ばしたのである。

 南側詰まり真横から観ていた見物人の証言では、六助の両手が土俵に着くと同時にその体は宙に浮いて桜の大木まで飛ばされていたというのだ。

決まり手は掬い投げとされた。

 房吉は勝ち名乗りを受けると、勝者溜まりに座って取り組みを見ていた。

胡坐をかいて腕組みして取り組みを見ている姿は堂に入ったもので、始めて相撲を取る少年とはとても思えなかった。

 房吉は出番を待つ間、出場者の様子を見たり、相撲の技を見ていたのであった。

胡坐に腕組は横の方に居た若いしの姿を真似したものであった。

 その澄ました姿に多くの見物人が見惚れていた。


 勝ち残った者同士の取り組みともなると、力相撲が繰り広げられた。

 今度の対戦相手は元江戸相撲で三場所程二段目の力士であったという鹿三郎で目方こそ二十五貫目だが、身の丈は六尺程あった。

房吉は四尺九寸(一四七センチ)の目方が十六貫(六十キロ)だからどう見ても勝ち目はなかった。

「ちゃっけえの、もうやめとけよ」

 と鹿三郎の付き添いらしい者が声をかけると、房吉はその男に向って、

「こんくれーあんとねえよ(このくらいは何ともない)」

と答えたのである。

 周りの者には大いに受けたが、相手の鹿三郎は顔を真っ赤にして怒りだした。

「ガキのくせして偉そうな口を叩きやがって」

 鹿三郎は六助のように一気に持って行かれないように房吉から離れて仕切る。

それを見て見物人が野次る。

「この出れ助」

「このおじくそー(臆病者)」

「引っ込め褌担ふんどしかつぎ」

 ヤジられて正気を失った鹿三郎は、力任せに房吉に覆い被さって潰しに掛かったが、房吉は右上手を取って左手も回しを掴むと鹿三郎の体を右肩越しに担いで後ろに送り落したのである。

「ぎゃぁ」

 顔からもろに突き固められた土俵に落とされたのだから堪らない。のた打ち回った挙句のびてしまった。

それにしても何という怪力であろうか…。

巨漢とは言え未だ数えの九歳というのだから魂消て当たり前である。

 房吉は順調に勝ち残っていた。

後二番勝てば勝者となるところで主催者に呼ばれたのである。

 陣幕に覆われた主催者控えに行くと、船橋神明社の禰宜と奉納相撲年寄り伝五郎が床几に腰かけて待って居た。

その横には招かれて江戸から来たと言う力士が二人同席していた。

一人は役力士らしく二本差しであったが、今一人は付き人のようであった。

 伝五郎はにっこり笑うと、房吉に胡坐をかいて座るよう指示した。

「にしゃまこと九歳か」

「あぁ嘘っぱちなもんか」

「誰に教わったんだ」

 力士が訊くと、房吉は只首を横に振るだけだった。

誰にも教わったことはないという。

 突き押しにしろ、担ぎ上げにしろ素人が簡単にできる技ではなかった。

まして元相撲取りとの対戦では先ず上手を浅く取ったのである。左下手を取ると同時にその手一本で体を浮かしたのだ。

右手は腰横に滑らして止め、己の体制が崩れぬように支えていた。そして肩越しに落したのである。

 本職の力士とてこんな技は使ったものを見たことが無い。

其れを九歳の童子が元力士相手に使ったのである。

 太刀川という役力士は房吉の吊り出しにも注目したのである。

相手は素人相撲の小結で六尺二寸の大男であった。

房吉とは一尺三寸程の差がありながら、組み合った途端相手を引き寄せると、腹に載せてそのまま吊り出したのである。

「その方実に相撲をしたことが無いというのだな」

「あぁ嘘でねえ」

「分かった。房吉お前はここまでだ」

「おら未だ負けてねえっぺよ。あの俵を手に入れるんだ」

 房吉は米俵を手に入れる為止める訳には行かないと承知しなかった。

「ならこうしよう。わしが房吉に一俵やろう、それなら良いだろう。但しお前は関取と一緒に江戸に行くのだ、良いな」

 房吉は伝五郎の言葉に素直に従った。

既に母もねも了解済みと聞いたからであった。

 房吉が元力士と向かい合った折、もねは汐枯れた声で声援を送って居たので怪童の母親と知れて相撲部屋への入門を勧めたものだった。

 もねは食い扶持減らしと即座に話に乗った。

夫善蔵の承諾など必要なかった。

何事ももねの主導のもとに成り立って居たのである。早い話がかかあ天下という奴…。

この時支度金として太刀川おおたがわから五両を貰っていたが、この事は房吉や亭主の善蔵に明かすことなく懐に仕舞い込んでしまった。

 別れ際もねは房吉を陰に呼んで言って聞かせるのだった。

強欲でしみったれの母親ではあったが、我が子への愛情はそれなりにあり、気遣いは忘れなかった。

「親方や兄弟子の言うことを良く聞いて決して逆らってはいけないよ。それからうんと稽古して強くなるんだよ」

 そう言うと、娘の多根の手を引いて、上総道を下って行った。

房吉はこうして親元を離れるのだが、淋しいとか悲しいとかの特別な感慨はなかった。

出会ったばかりの知らない大人について、話には聞いたことのある江戸という知らない土地に行くことへの不安もなかったのである。


 翌日太刀川一行は佐倉道から行徳街道を江戸に向かった。

街道とはいうが然程広くはなく、以前からあったという古道は大方は田畑の中を抜けて行く狭い道であった。

権現様が鷹狩りに行く際通った道などが正に其れであった。

 日枝神社の鎮守の森が二丁ほど先に見える辺りに来た時、数人の浪人が道幅一杯に広がって歩いて来た。

 避ける空地もないので、幕下格行司の寛太が進み出て、道を塞がないように注意すると、

「武士に対して無礼な奴」

 と寛太を蹴とばしたのである。

「ご浪人さん無礼なのは其方ではないか」

 太刀川が前に出て浪人どもを睨みつけた。

「なんだお前ら角力か。褌担ぎが侍の真似して二本差しとは笑わせるぜ」

 男は左手を鞘に手をかける。

浪人は五人。太刀川一行は力士三人と房吉を含めて付き人が四人の七名であった。

 切り合いになったら面倒なことになるので、太刀川は何とか収めようとしたその時、葛籠つづらを背負った房吉が声をかけて前に出たのである。

「おじさん褌担ぎはおらだが、これうんてー(重たい)もんで其処どいてくんない?」

「何だとこのがきゃ侍にたてつく気か…」

「おじさんたちは浪人だから侍とは言わないよー」

『仕えるひとが居ないからさぶらわない』という子供の理屈に頭にきた浪人たちは、怒りを露にして房吉を取り囲もうとばらけた瞬間、脱兎の如く動いた房吉に気圧され、背負い葛籠の角々に打たれるように畑の中に飛ばされたのである。

「おのれ小僧、良くもやり居ったな」

 熱り立つ一人の痩せ浪人が切りかかって来たのだ。

誰もが房吉危うしと思ったが、左手で素早く打ち下ろす手首を摑むと、その右手は首根っこを摑んで持ち上げると同時に放り投げた。

浪人は起き上がろうともがいていた浪人の上に落ちると二人とも伸びてしまった。

後の三人はその怪力に恐れをなしたらしく、二人を置いて逃げて行った。

 驚いたのは浪人ばかりではなかった。

兄弟子の二人と行司の寛太に小者の二人までもが吃驚びっくりしたのである。

 太刀川は改めて掘り出しものの怪童を見ていた。

こいつなら直大関になると見込んでいたのだ。


 勧進相撲はもとより大名お抱えの力士同士の親善相撲も盛んになりつつあった。

本来は相撲部屋所属であったが、それだけでは食って行けないのが現状で、それ故多くの力士は大名のお抱え力士となったのである。

 この太刀川は加州公(加賀前田家)のお抱え力士で、本郷上屋敷内にある家臣が住む御貸小屋の一部に住まわされて居た。

他の力士達は力士長屋屋に住んでいた。

加賀前田家ではこの時全体で四十名程の力士を抱えていた。

 当主は八代重熙しげひろである。

代々相撲の興隆の為江戸屋敷だけではなく、国許に於いても相撲の振興を図っていた。

家臣の中には相撲好きが居て、必然的に相撲取りのまとめ役として相撲頭取の役職に着いたものだった。


 行徳から船に乗って日本橋に着くと、太刀川は房吉の為に日本橋通を少し覗かせて見せた。

「凄いや…」

 田舎育ちの房吉は口を開けたまま、江戸の賑わいを夢のように観ていた。

「行くぞ」

 太刀川は房吉の喜びようにほくそ笑んで、

「房吉あれを見ろ」

 と御城の上遥か彼方に見える山を示す。

「富士のお山だ」

 馬加の海より望む霊峰富士とは趣の違う構図であった。

正に絶景と言えた。

 房吉は兄弟子たちに促されるように昌平橋に向かった。

神田川に掛かるこの橋を渡り、明神下を湯島方面へと折れると、右に平将門を祀る神田明神があり、其の先左に湯島天神があった。

一行はその中山道を進んで行き、追分の少し

手前の屋敷に着いた。

「此処が加州公のお屋敷だ」

 上屋敷は築地塀に囲われて可なり先まで続いていた。

黒色の大御門が表門で、客ならば此処から入るところだが横目に見て通り過ぎる。

其の先にも門があるがこれは領主や奥方等の住居の御門とされ、此処から出入りすることはなかった。

 家臣達の住まいは御殿の外側にあり、通用門から仕事場に出入りした。

邸外への出入りは南門や東門があるが、公務以外で使うことは滅多になかった。

 さて太刀川一行だが、日光御成道と中山道が分岐する追分の側にも門があった。

これを追分御門と言って、江戸定府の中級下級の家臣の屋敷や御貸小屋があり、厩や鷹匠小屋に相撲小屋があった。

 上級職の住まいは定府家臣の屋敷を含め東と南側にあったが、力士たちの住まいは育徳園の北側にあった為追分御門が最も近かったのである。

相撲関係者も専用の御貸小屋を与えられて其処に住んでいた。


 太刀川らは追分御門から藩邸内に入ると、塀沿いに戻る形で南に向かい、定府家臣の屋敷横を幾つか通り過ぎて漸く相撲小屋に辿り着いた。

「此処が我ら相撲衆に与えられた御貸小屋だ」

 横長の建物が幾つもあった。

丁度町家で見る裏店(長屋)のような構造で幾部屋に仕切られていた。

 其の一棟に入ると手前に稽古場があり、十人程の力士がぶつかり稽古をしていた。

太刀川らの姿を見ると稽古を止めて一同に挨拶した。

「構わんから続けろ。お前は此処で見てろ」

「ヘイ」

 房吉は太刀川の後ろに立って、力士たちの稽古を黙って観ていた。

暫く見ていると小者が頭取が視察にみえると告げた。

 中郷源四郎という未だ三十路前の青年頭取であった。

國許では自らも午前試合に出場する程相撲が好きでなかなかの技の巧者であった。

独身である事と江戸詰を望んだことで、相撲頭取(二百五十石)に任命されたのである。だが他の役も兼ねての拝命であった。

 御前試合の常連であった割にはその体形は稍細身と言えないこともない。


 源四郎が座敷に上がり込むと、

「ご挨拶に伺うつもりでしたが…」

「構わぬよ、ところで成果はあったか」

「はい、あれなる者にございます」

 太刀川は後ろ向きに立って熱心に稽古を見ている若者を差し示した。

「もう少し上背があったらいいな」  

「心配ないかと思いますが」

 太刀川はそう言うと房吉を呼んだ。

お辞儀をして面と向かった房吉を見て、源四郎は驚きの声を上げた。

「幾つだ」

「九つだよ」

 源四郎が驚いたのも無理はなかった。

上背は物足りないものの体格は幕下に匹敵する程十分に備わっているのだが、顔をみれば童子そのものであったからだ。

「太刀川、誰かと取らせてみろ」

 源四郎は揶揄い半分でそんなことを言ったのだが、

「未だ基本も出来て居りませんし、第一技を知りません。奉納相撲で勝てたのは相手も素人だったからです」

「下の者で構わぬから本職の厳しさを見せてやれ」

「はっ、ではそのように致します」

 太刀川は若手に木綿のまわしを持って来させたが、締められないと言うので、幕下の駒市に手伝わせることにした。

駒市は二つ折りにした先端を房吉の股間に潜らせて顎で挟むように言って後ろ立てまわしの部分を八つ折にして腰の位置辺りで押えさせると、

「房そのままの位置で右に回れ」

 と指示した。

二回りしたら前垂れを下ろして金的を締め付けないように前袋を調整するのだが、聞いてる房吉には然程気にならないらしく、言われるままに回しを締めていった。最後尾の部分は八つ折で後ろ回しを絞めて結べば出来上がりで、前垂れは折り込まずに垂らしたままであった。


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