Foreclosure

――Marcus――

 T.A.S.負け犬の本部内にあるバーで、マーカスはひとり、酒をあおっていた。隊員も酒を飲むことがあり、そうと聞いて売店で酒を売ってるものだと思っていたが、まさかこんなものまで用意しているとは想像だにしなかった。きっと、市民だか国だかから巻き上げたカネで贅沢してるんだろう。


 どう考えても信用できない。ひとつには、村に押し掛け、騒ぎを起こし、自分を殺そうとした相手であること。そして理由はもうひとつ。


「……プハ」


 ため息と共に村人たちの顔――特に、引き金を引こうとする度に安全装置を切り忘れているラッセルの間抜け面――が思い浮かぶ。


 なぜ、彼らに武装させようとしているのか。あの時はあのニコとかいう女に丸め込まれたが、やはりどう考えてもおかしい。民間と肩書きに付こうがT.A.S.は軍だ。火薬銃に慣れていなくとも、移動の基本姿勢やナイフでの近接戦闘など、教えられることはあるはずだ。しかし、あくまでも銃の撃ち方しか教えていない。それならば、教える時間がないからで少しは納得できるが、問題は村人こっち側にある。


 素人に銃を持たせて背後に置けば、背中から撃たれるに決まってる。それを戦闘のプロが分からねぇ訳がないだろ。


「……クソ」


 難問を前にマーカスは、また一口。不死身の軍曹という名に相応しく、酒にめっぽう強いため、まるで茶でも飲むように喉へ流し込んでいた。それで酒瓶の半分飲んだが、まるで酔う気配がない。


 酔いてぇって思ったのは、隊で俺以外がみんな死んじまったとき以来か。その前は、妻が死んだという一報が戦場に届いたとき。その前は――。


「久しいツラの、珍しい表情だな、マーカス」


 思ってもない声に、深かった眉間のシワが一気に広がり、襲撃でもされたかのように跳ねて立ち、その姿を見た。


「……ゴズ大佐」


「まさか、引退した後まで争いに巻き込まれるとは、本当に運のないヤツだ」


「好きで巻き込まれたんじゃあねぇんですがね」


 大佐はまるで、行きつけのバーで友人の隣に座るように、ひとつ横の席に座った。


「なんだってここに? まさかと思いますが……」


「ここの参謀だ」


「……へぇ。じゃあ、わざわざここに入ったんですかい」


 返事の代わりに、酒の瓶がカウンターへゴトリと置かれる。


 嚥火えんか。その強さから飲む者が少なく、滅多に売られていない一本だ。


「お前のことだ。そろそろ、この一杯が恋しくなってきたろう」


「へっ。分かってますねぇ」


「こちらも同じだ。いままでにないほど、始末すべきゴタゴタが多くてな」


 言いながら顔を見てきたと思えば、大佐は空いているグラスを取りながら何故か不適に口角を上げる。マーカスは酒瓶を受け取り、怪訝な顔で酒を注ぐ。


「なんですかい。まるで毒でも盛ったみてぇに」


「いやな、余りにも、娘がお前そっくりでな」


「え、話したんですか。アイツと」


 そのキョトンとした表情さえそっくりで、大佐は思わず笑い出してしまった。


「話したとも。生意気なクソガキ……初めて会った頃の、お前の生き写しだ。子どもの、しかも女だったから、不思議とお前に結び付かんかった」


「……アイツは兵士じゃあない。大目に見てやってくださいよ」


「どっこい、だ。根性があるところまでお前にそっくりだぞ。食い付きが良すぎて、お前の娘と知らず殴りかけた」


「まぁ、大佐にならゲンコツの一発、いれてもらった方がよかったかも知れません」


「ふっ。まぁ、そうだったかもなぁ」


 二人はクツクツと笑いあう。マーカスが氷をアイスペール――小さなバケツに入れて持ってきたとき、大佐が「そういえば」と顎をこする。


「お前の娘、なにかワケの分からん、ガジェットのどうこうでテロリストどもの何かを検証しているらしい」


「ああ、アイツはとにかくあのオモチャが好きでね。差し支えねぇならいじらせてやってください。あれで、ちゃんと元通り戻すどころか修理までできるんです」


「ただオモチャをいじくりまわす、乳臭いガキの遊びとも言いきれん。なんでも、ここへ来る途中でガジェットを弄くり回して、ウチの隊員をひとり救命したそうだ」


「……リィラが? 本当ですかい?」


「耳を疑うのも分かる。他にも、ガジェットを止められるガジェットだかを突き止めたり、敵が使用した新型爆弾――というより、新型の助触媒だったか――を突き止める切っ掛けを作ったりしているらしい。部下の報告でなければ、嘘話と一蹴したところだ」


「へぇ……」


 いつもガジェットを弄ってばかりで、ちょっとしたものでも買って与えれば喜び、過疎な村では子どもの流行りも分からぬと放っておいたら、リィラはいつしか田畑用のガジェットを修理できるようになった。そんなガジェットオタクっぷりは理解できないものの、何かと助けられていた。だがそれが、まさか天才と呼べるほどに精通しているとは思いもよらなかった。


 軍にいた頃のマーカスは実物主義で、火薬の銃とナイフを好み、ガジェットを嫌っていた。しかし平和の中で、なにより楽をするためであれば――見下しはするものの――拒絶はしなかった。どうやら大佐もそれと同じく、ガジェットをワケの分からないものとしている大人だ。使えはするが、鬼たちにとっては血に相当するPpで動く機械を、心からは受け入れられない同類だった。


 ふたつのグラスに大きな立方の氷が落ちて浮いたのを合図に、ふたりは酒を持ち上げた。


「乾杯」


「乾杯」


 グラスを打ち合い、ようやく嚥火を一口。久しぶりなせいで多くを口に含み、それからその辛さを思い出して驚き、グイと喉に通して焼けるような感覚が身体の奥へ落ちていく中で吐息を絞り出す。


「くぁ~……。やっぱりコイツだぁ……」


「お前が帰還するたび、この一杯で酔い潰れたものだな」


「しょうがねぇでしょう。出るたびに、何かを喪って帰ってくるハメになんですから」


 大佐は遠くの、正規軍の現役時代を見据えながら頷いた。


「本当に不思議だった……。最初はお前の実力不足を疑ったものだが、ただのミスにしてはどうにもおかしい。都合が良すぎる……というより、悪すぎだったな。それで二回目、三回目と見ていて、やっと分かった。お前は、恐ろしいほど運が悪い」


「不死身の軍曹なんざ呼ばれてましたが、結局は……、六十点しか取れねぇってだけだったんでさ。死ぬことそれ以下はねぇが、無傷で帰ることそれ以上もなかった」


「言えている。『不死身の軍曹』改め、『絶対に六十点の軍曹』か……。クックック。そりゃあいい」


 大佐はわざとらしく笑い、それからマーカスの反応を伺い、軍人という人生が染み付いたそれとは、かけ離れた穏やかな目をした。


「並大抵の兵士ならばな、その六十点に・・・・耐えられないのだ。結局、仲間は戦場での拠り所でな。それをひとり喪うだけで音をあげる者が大抵だ。その中でお前は戦闘疲労シェル・ショックにも心的外傷後PTストレス障害にもならず帰還し、寝て起きればまた出発した。お前を一番恐れていたのは敵ではなく、ウチのドクターだって知っていたか?」


「おかげさまですよ。任務から帰る先に友がいると思えば、長い任期でも耐えられたんです」


「そうか。まさかお前から友と呼ばれるとはな。戦友というものをやっと理解したか」


「ええ。やっぱり、おかげさまで。そういや、初めてゴズ大佐に酒誘われたのは軍曹になってから四回目、か。道理で」


「ふっ。嚥火コイツに慣れるのに、ずいぶん時間がかかったわ」


 また一口。ずいぶんと気分がよくなり、二人の顔の、深いシワもいつの間にか折り目くらいには浅くなっていた。


 ……持つべきものは友、か。くせぇ台詞だが、まぁ、間違いじゃねえな。


「それで、娘が心配で見に来たのか」


「ん? 違いますぜ。なんでも今やりあってるテロの前哨帯が俺らを狙わねぇようにだとかで」


「なに?」


 大佐の妙な反応に、マーカスも綻ぶ口許をすっと結んだ。


「どうしたんですか?」


「いや、まぁ、確かに道理ではあるかもしれんが、少し、心配しすぎというかな」


「そこまでするか、ってことですね」


「そうだな。恐らくは所長が指示を出したのだろうが、よりによってあの人でなしがそんな心配をするとは、どうにも引っ掛かる」


「所長ってのは、あの乳のデカい生娘ですか。俺も、アイツの言動がどうにも引っ掛かってるんです」


 大佐は無言でマーカスを見る。その視線が、『どんな無茶苦茶なことでもニコなら言うだろう』と言っていた。


「避難してきた俺たちに、銃を持たせたんです」


「……形式上は守るため、と言えるだろうが、そうではないな」


 そう断言し、また一口。ゴズもまた、あのニコの言動に引っ掛かっているらしい。それだけでマーカスは、百人力だった。


「何を企んでいやがんだ、あの小娘……」


「マーカス。引っ掛かるだろうが、少し泳がせておけ。無茶苦茶なことをするが、所詮は女だ。できることなどせいぜい決まっている」


「ウチのガキも女ですよ。それが人を救えるくらいオモチャに詳しくなっている。なんつうか、いつだって、例外ってヤツがある、ってんですかね」


 強い酒だというのにもう一杯を飲みきり、マーカスは氷をひとつ増やし、酒を注いでその角を丸くした。


「女は弱いし、だから俺たちが守らなくちゃいけねぇ。そうだって分かってんですが、そればっかりを信じてると、そのうち足元をすくわれますよ」


「相変わらず、目上に遠慮なく指図するじゃないか」


 大佐の方は酒を足して残っていた氷で冷やしておき、後から追加でブロックを投入した。


「……まぁ、油断せずに見張っておこう」


 男ふたりはまた、酒をあおいだ。


「そういえば、ひとつ頼みがあってな」


 ゴズが言うと、マーカスは思わず身体を向けた。


「大佐が頼みごと? 世界の終わりですかい」


「滅亡はまだ先だ。それより、隊員の避難民の方で問題があってな。お前の娘ほどの子がいるんだが、パニック発作だか、ストレス障害だかを起こしてしまったらしい」


「そりゃ、カウンセラーの出番でしょう。俺の出る幕はない」


「そのカウンセラーがお手上げなんだそうだ。完全に何も話さず、何も反応しないだかで、飯も食わず飲み物も飲まず――誰だって美味いと思えるPpすら口にしてない。それでどんどん衰弱しているらしい」


「そりゃ、いくら避難生活だからって、なんだって……」


「しかも、誰が親だか分からんのだ。聞くに、あのニコの命令で孤児院から連れてきたらしいが……」


 また、あの生娘か。とマーカスはため息を漏らしそうになる。大佐がいるならまだマシだろうが、アーミーはアイツの陰謀まみれじゃないのか。


「それで、厄介な娘を育てたお前にも見てもらおうかと思ったんだが、どうやらあてが外れたか」


「大外れですよ。元の生活に返しちゃどうです?」


「やはり、そうだな。それがいい」


 ふたりのグラスが同時に空いた。氷はまだ健在だが、次の一杯を注ぐ手は伸びなかった。



――Nico――

 リィラの授業は途中で終わった。順調に進んでいたものの、途中から顔を染め始め、カイと目が合うたびに赤肌がピンク色に染まっていき、最後には何か整合性の取れないことを吠えながら売店へ行ってしまった。


 その表情がオークラーのたまに見せるものと同じで、あれは照れ隠しだったのだなと至るや否や、彼女を盗み見て下腹部に熱が宿るニコだった。


 そうして観測室は、ニコ、カイ、オークラーの三人となった。カイとオークラーが目配せをし、何かと思えば最悪に暗いニュースを届けるのは今しかないということらしく、件の爆破テロを報告された。


 だがニコは、対して驚かなかった。


「――――ということなんです」


「なるほどねぇ。かの三十二が全滅。いざいなくなると寂しいものだ」


 世間話のように言うと、カイは何とも言えない目をし、オークラーはその目に火を灯す。


「寂しいものだ。それが、部下を喪って言うことですか」


「言うことだ。世間の綺麗事に準じていなくて申し訳ないが、悪ガキが事故で死ねば親はホッとするものだよ」


「……言って良いことと悪いことの見分けもつかなくなったか」


「失敬だな。数々の法定ライングレーな、いや、犯罪ブラックな強行捜査をするアウトローどもで、脱走したカイ君を追うとき真っ先に発砲し、一般人に被害を及ぼしたのもまた、三十二だった。いい気味だとまでは言わんが、損失とも言わん」


 まぁまぁとカイが割って入る。オークラーのキツい視線もそれでだいぶ柔らかくなった。彼女との会話にはまだ、彼が必要だな。


「それよりも、例の爆弾がもう殺しに使われたか。思ったよりも展開が早いな」


「どういう意味っすか?」


「隊長はもう気付いているだろうが、初めの大爆発は正規軍の指示によるものではない。『自分たちの兵器がバレてしまう余計な一手』であり、我々へ向いた戦争の一手というより、世間へ向けた『正義の革命者としての声明』だ。本気で決着を望んでいるのなら、もっと自然に罠を張り、キミを一般人ごと吹っ飛ばせばよかったのだからな」


 あの爆破では、事前に住民が避難するよう誘導されていた。クロウディアが陽動に使ったのも確かだが、前哨帯の意思表明として起こった事件であることもまた、間違いない。


 やれやれ全く。足がつくことを恐れて出来合いのテロリストなんて使うからだ。


 オークラーは『やれやれ』と言わんばかりにため息をついた。


「すまんな、カイ。あくまでも確定していないことで、無用に混乱させたくなくてな」


「いっすよ。考えるの任せちゃってますし……。で、いまどんな感じなんすか?」


「爆発だけしておいて全く声明を出していない。まだ推測だが、奴らはT.A.S.か国……あるいは『どちらとも』と交渉する気だろう。自分たちの組織から要求や声明を出さず、国の方から接触するのを待っている。相手が下から来るようにコントロールして、要求を通りやすくしているのだろうな」


「は~。ヤバそうっすね……」


「ああ。だがそれが、慌てて急に行動を始めた。モリモトに口封じすべき何かがあったことは確かだろうが、私の予想では――」


 オークラーがこっちを、半目で見てきた。


「――そこのバカがバカをやったせいで、それが早まった」


「なにおう? 国がテロに屈する前にこっちが首根っこを掴んだだけだもんね。ナラク国うちだけじゃなくて連合諸国よその暴露ネタをたらふく持ってるってアピールしとけば、イヤでもこっちに屈する」


 言い合いながらも、頭では違うことを考えていた。どうしてクロウディアは、まだ前哨帯のバカげた思想に付き合っているのだろう、と。


 正規軍が動き始めたことは彼女も分かっており、ならば正規軍が与えた大義名分ガワであるテロリストなどもう用済みのはずだ。それでも始末しないのは利用価値があるからか、もしくは――――ファイマンのせいか。


 彼はあくまでも正規軍によるφ計画の中心であり、クロウディアは彼へのポーズとして、まだ正規軍と敵対していないと示すしかなかった。もしそうならば、ファイマンはいまだに正規軍の配下としての忠誠を持っていることになる。


 カイのデートひとつで銃を捨てるほど都合よくはならん……か。どんなにファイマンが嫌がったところで、クロウディアが何かしらの手で彼を戦場へ押し出すだろう。


「効果的だからといって、それで被害を出すことも厭わないならばテロリストと同類ですよ」


「だろうね。だが、事件の解決が難しくなるかどうか以前に、戦争である以上は敗北する場合がある。病に自然の摂理を持ち出して自分だけ死ぬならまだしも、その思想に他人を巻き込んで被害を出す点では、キミもわたしも同類ではないか」


「…………」


「悪いが、絶対的な正義だなんて前時代的なものを信頼しちゃあいない。正義とは『世間体』と『わたしの気分』だ。それでさえ、命に誓って守らなくてはならぬものではない。違うかね」


 彼女はキッと目を鋭くし反論しようとしたが、カイを見るなり急にしおらしくなり、その出かかった言葉の拳をおろした。


 そういえば、カイを追う中でリィラの父を殺しかけたのだったな。決まった正義を持てば、反例に悩むことになる。古典力学が通用しない世界と直面した学者のようにだ。


「……相容れんな」


「そうかね。それは申し訳ない」


 オークラーは言い返さず部屋を出ていった。カイは少し追いかけ、入り口でオークラーを見送り、『いいのだろうか』と顔で言いながら戻ってきた。


「さてカイ君。事情を知っているキミから、何か気づいた点や言っていなかった点はあるかね?」


「あります。モリモトさんを逃がしました」


「なんだと?」


 カイは少し物怖じしたようだが、すぐに顔を引き締めた。


「モリモトさんを見殺しにしたくなかったんで、ボトルを渡して逃げてもらいました。出てくところは見てませんが、たぶん脱出できたと思います」


「キミってのは本当に……おぞましいな。まるで本物のヒーローだ」


「けっこう、満更じゃないっすね」


「ヒーローは誉め言葉じゃあない。それよりキミ。逃がす瞬間に裏切りの気配を感じ取らなかったから追わなかったのだろうが、その先はどうなのだね。あの場では大丈夫でも、後で心変わりするなんていくらでもあるのだぞ」


「大丈夫です。もし本当にそうなっても、勝てるんで」


「やれやれ。そのバカさが無ければねぇ……」


 カイは苦笑いで流す。その曖昧さが、あとで自分の首を絞めることになるだろう。


「あの、ニコさん」


「なんだね」


「たぶんっすけど、モリモトさんを狙ったのって正規軍なんすよ」


「ほう。その根拠は?」


「え、いや……」


 カイは『当然わかっていると思っていたのに』とでも言わんがばかりに虚を突かれ、「えーっと」と手を回す。


「ほら、ニコさんを始末させようとしたんだし、爆発のあと、警察の人の中に、モリモトさんがやられたかどうか気にしてる人がいて……」


「なるほど。まぁ、確かにそう考えるのが妥当だね。他の勢力は今のところ、舞台には立っちゃいないようだし」


「それでなんすけど、いまの状況を教えてくれませんか。三つ巴ってのは分かったんすけど、どの陣営がどうなってるのか、いまいち……」


「ふむ」


 ニコは思考を巡らす。説明するためではなく、自動的に頭が働いてしまった。


 まずはカイが来る直前の初期状態。最終兵器ジェイクを所有するT.A.S.と、最終兵器ファイマンを所有する正規軍の二軍勢によって〝最終兵器計画競合〟の小競り合いが起こり、何としてもφ計画を採用してχ計画を潰したい正規軍が行動に出た。テロリスト前哨帯を乗っとる形で組織の頭脳ブレインとしてのクロウディアと革命の英雄ヒーローとしてのファイマンを置き、失敗すれば前哨帯のトチ狂った犯行として、成功すれば『テロリストT.A.S.』を成敗した裏方のヒーローとして表彰でもするつもりだったのだろう。


 そしてカイが来た頃には、クロウディアが――恐らくは――わたしとの暮らしを取り戻すために前哨帯とファイマンを掌握、私物化して暴走。正規軍がそれに気付いたのは、駅で堂々と一般人を撃ち殺すパフォーマンスをしたときだろう。クロウディアを止めるべく彼女の動機がわたしであることを突き止め、始末するためにモリモト含む三十二部隊の三名を寄越したが失敗。この時点で敵勢力は、正規軍と前哨帯に分裂したと見ていいだろう。


 一方で前哨帯の戦力の要となるファイマンは、カイとの戦いを最後に兵器としては鳴りを潜め、ミィとして再び接触。いまだに兵器ファイマンの気配がしないことから、彼はカイとの戦いを避け始めていることは明確だ。


 これにより、『カイを保有しながら防御姿勢を取り続けているT.A.S.』と、『切り捨てる予定の飼い犬に手を噛まれた正規軍』と、『最強の兵器が銃を下ろしかけている前哨帯』の三つ巴に陥ったのだ。見事なほど全勢力が不安定だ。


 そして現状の謎は、『誰がモリモトを始末しようとしたのか』だった。カイは正規軍の犯行だと睨んでいるが、それには引っ掛かる点がある。カイがこの世界に来て、T.A.S.へとやって来る道中で、警察は〝大規模なテロ行為が行われたのに〟動かなかったのだ。正規軍が警察へそこまで介入できていて、たかだか取り調べを恐れたのは何故だろうか。それに、世間や公的な記録として厄介なものが残ることを恐れたのであれば、爆破テロという〝もっと厄介な痕跡〟を残す手段に出るだろうか。かといって、クロウディア側にその動機があるとも思い難い。


 ともあれ、前哨帯はクロウディアに操られ、その目的はわたしだ。正規軍はχ計画を潰す他に暴走したクロウディアの始末にも追われることとなり、T.A.S.はそれらのための行動に犯罪として対処している。これが、いまの状況だ。


 カイに全てを教えてもいいのだろうか。兵士が余計な情報を知りすぎると邪推からパニックを引き起こしかねない。それに――。


 目前の間抜け面を眺める。どのような感情であれ、ニコにしてみれば顔を引き締めただけの間抜けだ。


 ――実際に彼は感情に駆られ、モリモトを逃がすという勝手な行動に出た。どんなに人として好きだろうと、その技能スキルまでをも手放しで認めるわけにはいかない。


「すまんが、秘密だ」


「えーっ! なんすかそれ」


「人は多すぎる選択肢を目前にするとパフォーマンスが下がる。知っていたかね? 問題の全体を俯瞰するということは、大量の問題を抱えるということでもある。要するに気が散るのだ」


「でも……」


「考える仕事なら任せたまえ。わたしの問題を解決しようと、わたしを信じて動いてくれるキミを騙すような真似はしない。少なくとも、悪意ではね」


 頭ひとつ大きいカイに身体を寄せ、彼の首をフックにして輪にした腕を引っかけた。からかうだけで彼は幼さ・・を匂わせてしまうから、つい面白くなってしまう。


「ねぇ、ほら。キミの目でわたしの心を覗いてごらん。ウソだと思うならね?」


「い、いや……ウソじゃない感じするんでもう、ちょっと……オークラーさんに見られたらまずいっすよ」


「んも~。わたしで興奮してるところ見せたまえよ」


「いや……、いや一回離れてもらって……」


 とはいえ、幼すぎるのも考えものだ。この点はジェイクとは大違いだな。


「しょーがないな。さてキミ、帰ったばかりで疲れているだろう。わたしたちも休憩しに行こうか」


「いっすね。上でオークラーさんに謝っといてくださいね」


「なんだい急にぃ」


「さっきのフツーに最低だったんで……」


 カイと話しながら向かい、ふたりでエレベーターを待つ。


 その到着と同時に、「あ」とカイが声をあげた。


「そうだ。報告とかじゃないんすけど、ちょっとやらかしたことあって」


「どうせ、食べ物を落としたとかだろう?」


「んまぁ、そのレベルなんすけど。ニコさんとのデートから戻ってきたときに、避難民の子と会ったんすよ。部屋から抜け出して冒険してたみたいで」


 クレイの息子だろう。いかにもガキという感じのガキだった。


「ふぅん。それで?」


「なんか、怖がらせちゃったみたいなんすよ。ジェイクさんって強面じゃないっすか」


「そのジェイクさんの口からその台詞が出ると混乱するな。キミがそう気にするべきことじゃないぞ? ガキなんてみんなそうだからな」


 エレベーターに乗り、上のボタンとドアを閉めるボタンをポンポンと押した。


「いやぁでも、後で言っておいてくれません? 怖くないよって」


「はいはい。分かった分かった。気が向いたら行くよ」


「あざっす! レイン・・・ちゃんって子っす」


 その瞬間に、ニコがピッタリと止まった。


 動きも、思考も。


 ――――レイン?


 レインは――――あの、レインか。


「ニコさん?」


 呼ばれて初めて、上の階に着いていたのだと自覚し、動き出した思考が、雪崩のように押し寄せた。


「キミ……キミは会ったのか! あの子に!」


「え……」


「なぜもっと早く言わなかった! 何てことをしてくれたのだッ! キミはいったい――」


 何をしたのか分かっているのか。続くはずの叫び声が、自分自身の思考に遮られた。


 その状況を招いたのは他でもない、わたしではないか。そうなるかもしれないと分かっていたはずなのに、そうしてしまったのは自分じゃないか。


 これだから人の感情は、罪悪感は何も生まぬのだ。


「――――ジェイクさんの子っすか」


 心を読まれたかと思って、また頭が真っ白になった。だがそうではない。この状況になれば誰だって分かる。


「な、なんで黙ってたんすかそんなこと!」


「どうせキミのことだ。聞いた時点で会いに行くだろう!」


「それは……」


 カイへ背を向けて走り出す。言い淀む彼を待てぬほどに、居ても立っても居られなかった。


「ニコさん……!」


「キミは来るな! 父の姿をした『何か』と出会って、キミは耐えられるのか」


 一歩踏み出したままで止まった彼を置き、避難所へ向かうのだった。

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