噛み合わぬ牙たち

――Kai――

 ボトルを満タンにしてもらってそっけなく礼を言うリィラに、気の抜ける「行ってらっしゃーい」で見送ったカイだったが、ニコ博士とオークラー隊長のただらぬ雰囲気に嫌な予感がしていた。


 博士がニコニコとカイの隣に立つ。


「ねぇねぇカイくぅん。あの強盗さ、余裕だったよね?」


「え、まぁ、余裕っちゃ余裕? すけど?」


 すると隊長が眉を潜めたまま、カイを挟んだニコの反対側に立つ。


「だからといって、例えばあの前哨帯たちと正面から戦えるか」


 そう言われてカイが思い出すのは、駅でのこと。なんの躊躇いもなく人質を撃ち殺した男のことだった。彼は巻き添えで死んだが、あのレベルで信条を盲信する者がもっともっといるならばと考えると、ぞっとしてしまう。


「……それは……。ってか、なんの話をしてたんすか」


「お前の実戦投入だ。これから向かう任務の解決に当てさせると、そこの『安楽椅子兵士』が言って聞かない」


「なにおう? 現場に立ったことがなくても、世間的に我々に風が吹いていることは自明ではないか。火種になれるのは、そこのカイ君しかいまいよ」


「なんか例え多くないっすか? 結局なんで任務に出るんすか」


「シンプルさ。キミには、スーパーヒーローになってもらう。それで、国民を味方にしておくのだ。政治家は、国民の味方になる」


「スーパーヒーロー。へぇ~。じゃあいい気がしますけど」


 呑気な物言いに、オークラーが呆れ顔をした。


「カイ。道具が使えたとて、戦闘に関しては素人なんだろう。そんな状態で戦えば、いずれ無理が出るぞ」


「そうかね? わたしにしてみれば、実戦というこの上ない訓練を力という保証の元で行える絶好の機会だと思うがね」


 ニコがそう言うと、オークラーがカイの腕を掴んで寄せた。


「とにかく、キチンと訓練を積ませる。まずは基本だ」


 オークラーがそう言うと、ニコがカイの腕を抱き寄せる。


「普通の兵士とは決定的に異なる動きをする兵器である、ならば基本行動もまた異なる。きちんとした訓練とは実戦投入ではないかね」


 麗しい美人であるオークラーと、愛らしい美人であるニコに奪い合いをされるというシチュエーションは嬉しいものの、その内容の重さに、カイは微妙な顔で愛想笑いをした。


 もっと、平和的な話題で取り合いされたかった……。


「あの、オークラーさん。あの映像見たと思うんすけど、ニュースのやつ。余裕だったっすよ?」


「たまたまかもしれん。賭けに失敗すれば次はないぞ」


「それは分かるんすけど、なんつーか、普通の人にも勝てなきゃ、ファイマンに勝てるわけなくないっすか?」


 オークラーはうつ向き、深く息を吸って、吐きながら顔をあげる。その微妙な表情は、説得されたというよりは諦念であった。


「だったら、私を連れていけ」


「来てくれるんすか」


「お前が行くと言って聞かんからだ。いいか、そこの素人にコッソリ行こうと言われても、ちゃんと私に言うんだぞ」


「よっしゃ。ありがとうございますっ」


 ニコは「決まったね」とは言うものの、なぜかカイの腕をぎゅっと抱き締めた。


「ねぇ、隊長」


「なんですか」


 舌なめずりになぞられて、ニコの柔らかそうな唇が波を打つ。


「わたしがこんなことしてるのに、なーんにもなしかい?」


「…………ふんっ」


 絵に描いたようにプイと振り返り、オークラーは歩いていってしまった。


「んもう。ダメだよカイ君。わたしに燃えてるように反応してくれなきゃ」


「いや、いきなり言われても……」


「だめぇ? セクシーじゃなかったかなぁ」


「……いや、まぁ……」


 カイはまた、微妙な顔をした。


 オークラーがその作戦の会議に向かったが、ニコはカイと話があると引き留める。


「さぁカイ君。新しい任務に伴って新しいガジェットをふたつ教えよう」


「マジっすか? どんなの?」


 食い付きっぷりに自分でビックリしてしまったが、やっぱりこのときにはワクワクしてしまう。


 もしかしたらこれこそが、選択肢が増えるってことだからなのだろうか。


「ひとつは、そこまで実感の伴うガジェットじゃない。まぁ、胸に聞いてごらん?」


 ニコが自分の胸へぎゅっと腕を押し込めて、谷間の奥に手を当てた。カイはチラとだけ見て、どうにか視線をニコの顔にフォーカスし続けながら、自分の胸に手を当てる。


 すると胸が冷え、すぐに全身、特に体表が暑くなった。心臓病を疑うほどで、カイは別の意味で肝を冷やした。


「な、なんすかこれ」


「クーラーガジェットさ。ガジェットって言うのはどうしても損失熱、つまり排熱と切っては切れない関係にある。いままで夢中で気付いてなかったと思うが、連続で使用するだけで結構熱くなるのだよ」


「そうでしたっけ」


「クーラーを切って、そうだな、フラッシュバンを一気に三個ばかり作ってごらん? 間違っても衝撃を与えるなよ」


 言われた通りクーラーを切って、フラッシュバンを三つ生成して並べた。それから右腕を指でなぞってみた。確かに、熱い。更にもう何発か作るとなると火傷するかもしれない。


「その他に、これから教える視覚系のガジェットとバッファとを同時に使うのも、かなり頭に熱を持つ。その対策として先にこっちさ」


「おー。じゃあ、そっちのガジェットは……」


「左こめかみだよ。ちゃんと手のひらごとかざしてごらん」


 言われた通りにする。すると目の前の景色が真っ青に統一され、ニコが真っ赤なシルエットとなった。その向こうの壁にも同じ赤い人のシルエットたちと、張り巡らされた電気配線のようなPp流路が見える。その風景は温度を可視化するサーモグラフィカメラの映像によく似ていた。


「それはプロトリィ・スコープ。Ppを持つものがピックアップされるので暗いところ明るすぎるところでも可視性が高くなり、さらに相手がどのような武装を……」


「ちょ……ちょっと待ってもらって……」


 カイは声をあげ、目をそらす。ニコの上着は膝元まであるが、それで隠された部分のボディラインどころか、胸回りや腰回りの輪郭までくっきりと見えてしまった。角度次第では、非常にまずいことになる。


「アハハ。ふぅ〜ん? やらしんだ。どうだい、こんな角度は」

 挑発するように横を向いて、ゆらゆらと胸を振って見せる。付けっぱなしだったら、危なかった。


「もう切ってるんで」


「ふーん、そうかい。まいいや。とにかく、それが便利でね、壁の裏にいても見えるのだ。ほら」


 彼女が近場の部屋に移り、壁の裏に隠れた。スコープを起動してみると、さっきよりぼやっとした輪郭の赤いシルエットがあった。


「おー……」


「……ね、キミ。またやらしいこと考えてるだろ」


「か、考えてないっすよ」


「自信なくすなぁ。ともあれ、これで視界が悪かろうが対応できる。一体多数の戦闘では特に役に立つだろう」


「いいっすね」


「あ、それと、いいかい? バッファと併用するときはクーラーを忘れないように。すぐに暑さでやられることはないが、気付いてからクーラーを起動すると、体温差でちょいと体調を崩すハメになる」


「うーっす」


 ニコが影から出てきて「さて」と時計を見た。


「準備はいいかね? 表のトラックに向かい、任務の詳細は隊長に聞きたまえ」


「オークラーさんっすよね? うす。じゃ、行ってきまーすっ」


「行ってらっしゃい。わたしはまたちょいと、イタズラしてくるよ」


 去り際、また不穏なことを言った。前のイタズラが、人間パチンコをビルに向かって撃つことだった。今度はいったい何をやらかす気だろうか。


 不安のまま、施設の前へ。ちょうど出発の時だったらしく、いつか追われたり乗ったりしたホバーの前でオークラーが待っていた。


「よし、説明は車内でする。出発だ」


「おっけっす」


 乗り込むと、「よっ」と気さくに挨拶するクレイと、よそ者から盛り上がりを隠す他の部隊員が迎えた。


「あれ、ロックさんとかは?」


「ロックとマッドは、なんでもリィラの調査に付き合うというので、初めてファイマンと会った所へ向かった」


「え、大丈夫っすかね……」


 言いながらカイは自分もリィラの思いを考えず突っ走ることを思い出す。その思考を読み取ったかのように、オークラーが下まぶたを押し上げる。


「それはお前がいつも、リィラにさせてる心配だ。だがいつだって、信じてほしいと思うんだろう? 彼女も、そして私の部下も同じように信頼して任せ、ちゃんと任務に集中しろ」


「……っすね。うっす!」


 オークラーの物言いは、とにかくカイに染みた。現世で彼女が上司になったりしたら、間違っても自殺などしなかっただろうなと、IFの想像に花を咲かす。


「さて作戦だが、クレイ」


「はいはい。それじゃカイ君、はい、どうぞ」


 手渡されたのは、二つの半筒を蝶番繋ぎにした、なにやらスペシャルな腕巻き型ガジェットだった。見ようによってはパカッと嵌め込むタイプの血圧計のようだ。それを右の前腕に被せるように置き、下側からパタンと閉めて金具をパチンと閉めた。


 そうしてオークラーに習い上側に横向きで付いた棒を引っ張ると、太く平たい繊維で編まれたスクリーンが顔を出し、引っ張り出した角度のままガッチリと固まって、即座にマップが映し出された。引き出したペーパースクリーンがそのままタブレットになったのだ。横からクレイがタッチすると、オークラーのマップの情報が共有された。


「今回の任務は立てこもりの制圧だ。人質がないことは確認済み。マシンガンやショットガンによる武装と、グレネードまで用意しているらしい。周囲が開けているせいで近付こうにも遮蔽がないというので、我々の出番だ」


「それって、待ってちゃダメなんすか?」


「ふむ。戦争での籠城なら資源が枯れるまで待つのもいいかもしれんが、この場合は資源が危なくなった時点でどんなバカなことをやってくるか分からん。犯人も、野次馬もな」


「あ~……。それで、人数は?」


「三人だ。全員が銃を装備。Pp式のマシンガンとショットガン、そして火薬式ライフルだ。各方角を不定期に見張っているので、下手に近付けん」


「なるほど。で、おれって……」


「速やかに内部へ入りこみ、三人一気に制圧する……ということを上は期待しているが、さすがに無謀だ。私たちがいつも通り部隊として進行するので、後方から着いてきて、戦闘開始と同時に陽動として動き回ってくれ。無理に攻撃しようとせず、気を引くだけでいいからな」


「なるほど……。おっけっす」


 自分一人でも十分な気がするが、チームプレイを頑張ってみようと頷く。他でもないオークラーになら、カイはなんの抵抗もなく素直になれた。


「……ラッキーっすね、おれ」


「なにがだ?」


「いや、オークラーさんが上司……的なアレで、大佐みたいな怖い人じゃないっすし……」


「よせよせ。任務に向かってるのに気抜けさせるつもりか」


 彼女に肩を小突かれ、カイは照れ笑いで身を引いた。


 クレイは「分かるぜ」と頷いていたが、同乗していた十八部隊員の一人はため息をついた。


「オークラーさぁん、いいんです? これがあの、ファイマンとかいうバケモンと戦うわけでしょう。もっと前線出した方が……」


「ジュン。段階を考えろ。最初に学ぶ、隊員としての基本はなんだ」


「そりゃ……生き残るための基本ですけど、そんなゆっくりやんなくても」


「先を急いでカイを失えば、我々はおしまいだ。まずは生き残る。戦いの技能はその次に来る」


「…………」


 彼の沈黙と同じ意味で、カイも沈黙した。最強として頼られているというより、たった一本の命綱のような扱いだ。実際そうであるが故に、カイは押し黙るしかなかった。


 なかなか腹落ちしないジュンに、クレイがまた気さくに笑いかけた。


「こんな優しいヤツ今までいなかったから不安なんだろ? でもさ、カイはすげぇんだぜ? そのバケモンと二回戦って一回目は生き残ったし、二回目は互角っぽく戦ってた。ってことは、次あたり勝っちゃうんじゃない?」


 クレイの期待の目と隊員の怪訝な目が同時に向いてきて、カイは一拍おいてからやっと反応した。


「えっと、ちゃんとおれ、強くなるんで。大丈夫っすよ」


「……俺だってお前みたいにPpが無限で色々装備したら、お前より強くなれるってのに」


「それはそうかもしれないっすけど、……まぁ? ほら、家畜にしかできないっすよ、この身体で頑張るの」


 相手どころか、クレイやオークラーまでもが物凄い顔をしていた。自虐的な冗談で笑わせようとも、なにかちょっとクレバーに言い返してやろうとも思っていたが、結果的にズレた反応になってしまった。


「……す、すんません」


「いや、まぁ……。悪かったな」


 気まで遣わせてしまった。向かいの車でカイは内心、もう反省会を始めていた。


「よし、もうじきだ。いいかカイ。まずは基本からだぞ」


「は、はい」


 やや緊張しつつも、停車したホバーから降りる。大通りの少し遠くで、角を曲がった先を見つめる群衆と報道らしきカメラがごった返していた。


「いいんすかあれ。あの先が立てこもりってことは、撃たれるんじゃ」


「ここからじゃ見えにくいが、広い範囲を守るための薄型シールドが張ってあるから安心しろ。適当な銃器ではまず弾は通らん」


 野次馬を守るための余計な出費だったが、それを良いことにさらに野次馬が安全圏にたかっていた。


「へぇ~……。いいっすね。よかった」


「いいんだか悪いんだか。あの燃費の悪いシールドの維持費を警察が出すかウチが出すかでいつも揉めてるんだ」


 人々の目を掻い潜って路地へ入り、カイとオークラーとクレイの四十七部隊員と四人の十八部隊員の総勢七人の隊列が現場へ向かう。カイはきっちりと隊の一番後ろから着いていっていた。


 そうして着いたのが、件のビルを中心に野次馬の方角を十二時として、二時から三時の方角にある路地の出入り口だった。ビル側面の階段口までが最短である。別の十八隊員が双眼鏡のような物を出してビルを見るので、カイもプロトリィ・スコープを起動してみると、青というより紫の視界となり、建物の二階に三人の影が見てとれた。三人とも銃を持ってウロついているようだ。二人の手元には銃器のPpボトルが見えるものの、一人は何も持っていないように見えた。Ppを用いない火薬式の銃は、Ppを可視化するプロトスコープでは見えないのだろう。


 クレイと十八の一人が、シールドを構えられるように銃を身体の前に下げ、右腕でホールドした。


「変わらず三人です。人質などはありません」


「よし。では……」


 このまま行く気だろうが、カイには犯人たちの引っ掛かった。


「ちょっといいっすか?」


「む? どうした」


「あの三人、あっちの方にいた野次馬が気になってるみたいっすよ。もう少し裏手から言った方が安全じゃないっすか?」


 カイが言うと、オークラーが隊員から手持ち式スコープを受け取り、その様子を観察した。それから頷き、スコープを隊員に返しながらカイを見た。


ボディ寄生のPpスコープを装備してたか。それにしても相変わらず、人の観察が上手いな」


「へへ。まぁ、その……」


 その上手さのせいで、最初に観察していた隊員の少し恨めしげな視線さえも敏感に感じてしまっていて、都合よく鈍感になれないかな、なんて思っていた。


「よし、裏手から壁裏を伝って裏口へ向かう。メイ、作戦通りにここで張れ」


「はいよ」


 十八隊員の一人が表のホバーに釣られて入ってこようとする野次馬の対応に表へ戻っていく。


「残りは行くぞ」


 そうしてまた進行。次には五時の方角にある路地の出入り口に立つ。裏側の二階、さっき居たところとは真逆の位置に大窓があったが、野次馬に気を取られその絶好の見張り台が疎かになっていた。


 それを認めたあたりで、なんとも言い難い不安が湧いてきてしまった。どういう不安なのかを理解できた途端に、近い人間であるとも解ってしまったような、そんな感覚だ。


「よし、行こう」


 六人で姿勢を低くしながらの忍び足で走り、ビルのすぐ下に至る。それから裏口の扉が開くことを確認し、オークラーがハンドサインを出す。すると十八のジュンと一人が表口に向かっていった。


 ハンドサイン? やべぇ分かんねぇ。と思っていると、クレイがトンと肩をつついてきた。


(あれは分からなくていい。戦闘までは後ろから着いてくればいいからな)


(うっす)


 ちゃんとフォローを入れてくれた。四十七にはお世話になりっぱなしで、やはり最強の自覚などできなかった。


 メインフロア組が表で待機状態になるまでの少しを待ち、四人で裏口から入る。階段室を上がって二階へ、その入り口の前。その一つ一つの動作が、断頭台へのステップのように思えた。これでいいのか。そんなことさえ頭をよぎる。強盗を退治したときも、三十二の裏切り者と対峙したときも、こんなに緊張はしなかった。それなのに今回は、ファイマンと対峙したときのような気の重さというか、当然に勝てるという自信への陰りというかが混ざっていた。


 相手を観察するほど情報が集まり、悪人から、同じ人間へと変わっていく。


 思い出して右腕のフラッシュバンのマークをオークラーへ見せる。彼女が頷いたのでフラッシュバンを生成し、左手に持っておく。更にプロトリィスコープとバッファとマッスルを起動し、思い出してクーラーも起動した。準備は万端だ。


 オークラーが扉のノブをゆっくり下ろす。カイは五倍に引き伸ばされたその動作をじっと待ち、やっと開くなり入口の付近にアンカーブレードを撃ち込んで飛び込んだ。一フロアぶち抜きのオフィス部屋の非常口で、その対面が廊下のようだ。二人はハッキリとした赤い輪郭で示され、一人はぼやっとした輪郭で示された。室内に二人、廊下に一人だ。


 一気に部屋の中央に飛び込み、二人がものすごい勢いで入って来た何かの正体を見ようと振り返ったとき、天井にフラッシュバンを投げ当てた。カイの視覚では何も起こらなかったが、二人は怯んだ。どうやらプロトリィスコープは光の強さによらず周囲を見られるので、フラッシュバンを無効化できるらしい。そうしてロープを引いて入口へ戻りシールドを展開して盾になる。恐らくは完璧な陽動だろう。


 二人がマシンガンとショットガンをこっちへ撃って来ていたが、まるで当たる気配がない。スローモーションのせいか中々オークラーたちが応戦せず、振り返ると、ようやっと彼女たちが顔を覗かせたところだった。また正面を向く。廊下にいたもう一人は、壁のボタンを押す動作をしている。エレベーターで逃げる気だろうか。ならば十八部隊に任せればいい。


 そこまで考えてようやっと隣にクレイが出て、カイと同じくシールドを構えて遮蔽の幅を増やし、オークラーと十八の一人がその後ろへ位置。輝く弾が背後から飛び出し、真っすぐにマシンガン持ちの方へ吸い寄せられ、赤いシルエットから赤い飛沫が上がってゆっくりと倒れていった。それでやっと、味方との時間の知覚の差を思い出した。カイが入室してからこの位置に至るまで、体感で十秒。しかしその十秒は、五倍に引き伸ばされてのことだ。


 つまり、扉が空いてから突入して戻るまで――――二秒。常人が見て冷静に判断できる速度ではない。


 あまりにも、リズムに差がありすぎる。このままじっとしていいのか。仕留めきった方が早いんじゃないのか。色々と頭をよぎるが、カイはとにかく防御に集中した。長すぎる銃撃戦の四手目で、また敵から赤い飛沫が舞う。やっとの決着だ。


 カイがスコープとバッファを切ると、オークラーとクレイがサッと前方に出て、警戒しつつ手際よく容疑者の沈黙を確認。もう一人を警戒して廊下へ向く。


「もう一人はちょうどエレベーターに乗ったっす」


「む。そうか。あいつらに任せよう。――クレイ。拘束だ」


「了解」


 ふと、倒れた二人が目に入った。まだ生きていて、苦しげな、浅い呼吸を繰り返して、その痛みをそのまま感じてしまいそうだった。


 オークラーとクレイが撃たれて息の浅い容疑者を無理に後ろ手に拘束するので、カイは思わず止めに入りそうになったが、二人が虫の呼吸の容疑者へボトルからPpを飲ませた。すると深い呼吸を取り戻し、観念したかのように項垂れた。


 ニコのときしかり、何度見てもすごい光景だ。撃たれたのをPpを飲むだけで回復できるなんて。まるでゲームの、やけに速効性のある傷薬のようだ。


「ったくリズム狂うぜ。こっちが訓練通り動こうとしてる頃には敵が目を回してら。強すぎる仲間ってのも考えもんだな」


 十八の隊員が後頭部を掻きながら半笑いで言う。文句と称賛が混ざり、嫌な気持ちはしなかったし、やはり向こうからしてもリズムの違いに違和感があったようだと分かって、自分だけじゃないとひとつ安心できた。


「まぁそこは? 一緒に慣れてきましょうよぉ」


「うるせぇよ。そいつら、とっとと連れて――」


 ドンッ。地面の大きなパルス揺れと、足元からの音だった。


「――グレネードか!」


 オークラーが銃を持ち直す。しかしカイはそれよりも行動が早かった。バッファとスコープを起動し、足元を確認。一人倒れているのと、一人が遮蔽物に隠れているのと、一人が撃ちながら外へ走っていくのが見えた。


 カイは勢いよく窓を飛び出し、ビルの表へ。アンカーブレードを発射してロープを巻き、凄まじい勢いで着地すると、そこがちょうど男が走る先であった。


「ちぃっ!?」


 アンカーブレードをリセットしたところでマシンガンがこっちへ向く。咄嗟に避けて迫ろうと思ったが、すんでのところでシールドを構え、マシンガンの弾を受け止めた。


 背後には、野次馬たちがいる。大型シールドがあっても、避けた先のビルへ撃たれれば巻き添えが出るかもしれない。カイは弾丸の瀧を溯上し、一気に距離を詰め、相手の脚にブレードを撃ち込んで刺した。その瞬間、銃口が思い切りブレた。反動で回転が加速する。


 明後日の方向へ銃身が向いていくのを、右手で鷲掴みにして止めた。その弾丸がシールドの端で姦しい音を鳴らし続け、そして、止まった。


 慎重に、しかしマッスルで強化された豪腕でマシンガンを奪い、足元に捨て、怪我した足でまだ戦おうとする彼の額へ、掌底。


 その一撃で、彼はあっさりと倒れ、悶絶した。カイはまた、バッファとスコープを切って見下ろす。


「なんでこんなことしたんすか」


「テメェ、カイか……クソ。もっとやれたのに……」


「もっとやれた? どういうことっすか」


「へへへ。やっぱり分かってねえんだな。ヒーローってやつはさ」


 彼はふらつきながら立ち上がる。しかし、その手はブラブラと下げたままだ。戦う意思などないのだろう。


「俺たちが、もう食ってけないなんて、想像できなかったろ? 自分たちは豪華なメシ食って、ゴルフをお楽しみだったんだろ」


「そんなこと……おれは違います」


「食えてるヤツはいいよなぁ。なにも気にしないんでいいんだ。こうやって、ムカつくとこ襲撃してカネ奪って、失敗してもムショでなら食ってけるからって、考えたことないんだもんなぁ!」


「…………っ!」


 この国の貧困層がどれだけ酷い有り様なのか、それが実像を結んだ気がした。だが、何をすればいいのかなんてさっぱり分からなかった。


 自分にあるのは――――無限のカネだ。


「分かるか? 犯罪は今はよ、やり得なんだよ」


「…………」


「……ハッ。マジで考えたことなかったみてぇだな。ま、期待なんてしちゃない。これから俺みたいなのがどんどん湧いてくるぜ。テメェがいちいち傷付くのが楽しみだな」


 カイはたまらず彼のボトルを満たしたい気分になったが、やっと追い付いてきた十八の隊員――ジュンに閉口した。彼が歯を食い縛りながらも拘束を始めた。


 その表情を見るなり、一階を張っていたもう一人がいつまでたっても来ないことが、どうしようもなく怖くなった。


「あの……」


「どうした」


「もう一人の人って……」


「怪我はしたがどうにか無事だ。まぁ……なんだ。よく止めてくれた」


 無事だと分かって安心するどころか、恐怖がどんどん膨れ上がって、少なくともまともに歩き出せないほどには足がすくんでしまっていた。


 任せようと判断したことで味方が死にかけた。着地するところが悪かったせいで関係の無い民衆へ弾が飛んでくところだった。自分の攻撃のせいで、どこかの部屋に住む人が巻き添えで死ぬところだった。それらの事実が、一気に、重く、のし掛かってくる。


「カイじゃないか!?」


「え……」


 振り向くと、民衆の歓声が沸いた。それどころか警察の隙間を掻い潜ってテレビクルーがやって来る。


「カイさんですよね!? シールドが張ってあるのに守ろうとする姿勢素晴らしかったです! 世間ではヒーローとして名を馳せ始めたようですが、ご自身ではどのように受け止めているのでしょうか!?」


 そのやたらイキイキした発声で、いつだったか他人の不正で喜びの怒号を挙げていた残念な大人の一角だと分かり、カイは気分の悪さも相まって、とにかく逃げること以外に選択肢が思い浮かばなかった。


「いや、えっと、あの、入ってきちゃダメっすよ? 危ないかもなので。あと向こうで仲間が傷付いてるんで、じゃっ!」


 早々に切り上げ、文字通り逃走した。それから一階のメインフロアに飛び込むなり、グレネードを受けた男がボロボロの姿のまま楽な姿勢で休んで看護されている元に駆け伏せた。オークラーとクレイが犯人ふたりを歩かせているあたり、ちょうど下に降りてきたところだったのだろう。


「うおっ! なんだよ。アイツはどうした」


「だ、大丈夫っす。あの、ちゃんとやっつけて拘束してもらったんで」


「よ~し。よく捕まえたな。あのクソ野郎を逃がしてたら容赦しなかったぜ?」


「えっと、ボトル持ってるっすか」


「ああ、あるが……」


 奪うように取り、一気に満タンにしてやり、返す。


「どうぞ」


「おおっ。気が利くじゃないか」


 彼は気分よさげにボトルをあおり、グビグビと飲み干し、すっくと立ち上がった。


「……くぁ~っ。こりゃいい。連れてきて大正解だったな」


「もう大丈夫っすか?」


「そりゃそうだ。初めてだぜ、こんな気兼ねなくガブ飲みできたのは」


 彼が身体を捻って、怪我していたところをポンと叩くのを見て、今度は泣きそうになってきてしまった。


「なんだよ今度は。泣いてんのか?」


「ないっすけど」


「え、泣いてんの?」


 看護していた方――一緒に突入した隊員――まで加勢した。


「ウソぉカイ君マジ?」


 なぜかクレイまで参加してきた。オークラーが犯人を十八の二人へ突き出す。


「やかましいぞお前ら。元気になったのなら車に乗せろ。私はカイと話がある」


「はいはい……。そら行くぞマヌケ」


「マヌケって言う方がマヌケだ」


 犯人と幼稚な言い合いをしながら、オークラーだけを残してみんな出ていった。


 カイは真剣な眼差しの彼女に、また緊張した。


 しばらくの沈黙。バッファを使っているときとは比べ物にならないほど長く感じたその一瞬の後に、ため息がひとつあった。


「アイツの言うことが正しいと認めるのは業腹だが、やはり、戦いのスタイルが違いすぎるかもしれんな」


「……っすね。なんていうか、おれ、もっと合わせないとっていうか……」


「勘違いするな。お前は強い。ただ、私たちの方がお前の判断に追いつかない――――噛み合っていないだけなんだ」


 カイはなんとも言えない顔で「そうっすよね」と頷いた。オークラーたちが弱いと決して認めたくないが、やはり相手が反応しきれないほど速攻で仕留めてしまった方がよかったかもしれないと、足元にグレネードのピンが落ちているのを見ながら思っていた。


「差があり過ぎると、お互いにとって足枷になる。次からは同じ任務でも別行動にするべきだな。それともうひとつ。やはり、一人で戦わせるには危うすぎる。飛び出していった先で、民衆を背後にしていたな」


「そ、それは……」


「瞬時に多くを見て判断できるが故に、一つのことに集中しすぎて次にどうなるかまでは中々至らんのだろう? 犯罪との闘いは、敵との決闘ではない。単純に相手より有利な立ち回りをすればよいというものではない。その点、私たちは常に不利なんだ。それを意識しろ」


「はい……」


「よし。十分に分かったみたいだな」


 しょげるカイの肩を叩いて、オークラーは優しげに微笑んだ。


「さぁ、帰ろうか。ところで、休んでリラックスするときには、いつも何をしてるんだ?」


 その一つとて責めることの無いと訴える瞳にカイは、本格的に泣きそうなのを堪えていた。

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