残されたリィラの退屈

――Kai――

 基地に帰り、まず気になったのは視線だった。まだ話したことのない隊員なんかが、遠巻きにカイを見ている。そこには不安か、不満かの色が見てとれた。なにかが妙だった。


「……ニコさん」


「ん?」


「なんか変じゃないっすか? みんな見てくるっていうか」


 彼女は静かに周りを見渡す。しかし首を捻った。


「うーん。そうかね? いつも通りじゃないかな」


 聞いてから気付いたが、ニコという変人はいつだって注目されているのだろう。


 聞く相手をまちがったなぁ……。


「な、なぁ、ちょっといいか」


 さりげなく歩いてきていた隊員が、急に話しかけてくる。


「なんすか?」


「……お前、さ。死んでこっちに来たんだろ? 異世界から」


「そうっすけど」


「その……どう死んだんだ?」


「え……」


 どう答えるかに迷った。トラックに飛び込んでの自殺だと言えば良いまでだが、いざ聞かれると、即答はできなかった。


 言い淀んだその僅かな隙に、ニコが間に割り込んでくる。


「その聞き方、気になるねぇ」


「い、いや……」


「大方、根も葉もない噂を聞いたんだろう? 誰だいそんなことを言うのは」


「…………」


 隊員同士で目を合わせ、苦笑いを返すだけだった。


「おやぁ。記憶喪失かな~?」


「あ、あはは……」


 逃げていく二人を、カイとニコが怪訝な目で見送った。


「なんすかね、今の」


「恐らくだが、キミがロク自殺したと広まっている」


「え……」


「いいか、キミ。認めるんじゃあないぞ。事実と違ってもだ」


「でも、それは……」


 罪を隠しているようだ。いや、実際に隠している。


 同意できないのは、ニコの指示を責めているからではない。隠したいと少しでも思って、言い淀んださっきの自分が、そして、異世界転生したとみんなに話すときに、実は自殺したことを言えなかった自分が見えて嫌だったからだ。


 リィラの家で泣いたことがふとよぎった。言うべき罪のはずなのに、どうして言えないのだろう。リィラには言えたのに。


 あるいは、リィラだから言えたのだろうか。


「……どうしてっすか」


「隊員の士気を考えているまでさ。我らが最終兵器が自殺者で、キミは安心できるかい?」


「それは。……できません」


「隠すのには抵抗があるだろうがね、事実だから必ず良い結果をもたらすとは限らないものさ。ウソを吐けとまでは言わないが、事実を認めるんじゃない。分かったね」


 やはり、すぐに同意などできなかった。


 自殺という間違いを悔やみ、もう間違わないと誓ったのに、過去の過ちを堂々と隠していいのだろうか。


 そうとも思うが、それなのに堂々と自殺しましたとも言えない自分が、また嫌になった。


「…………どうして広まったんすかね」


 口をついて出るのは、誤魔化しだった。


「そのことは誰に話したのだい」


「それは……リィラにだけっすけど」


「ならどこからは決まってるだろう」


「い、いや、もしかしたらマーカスさんが聞いてたかもですし……」


「親子なら、誤差みたいなものだ。とりあえず行って、どう広まったか調べよう。状況が分かれば手の打ち方が変わってくるからね」


 ふたりして何となく歩き出す。まずはオークラーの所へ行くことにした。ニコの私室の隣に着いて、ニコが扉をノックする。しかし出なかった。


「お留守っすかね」


「ふむ。ならば、隊員の方の訓練所か……ん?」


 噂をすれば影。ちょうどオークラーが戻ってきたところだった。それがカイの姿を認めた途端、少し苦々しい表情になった。


「……た、ただいまっす。どうしたんすか?」


「カイ。その、リィラを知らないか」


「え? いや、おれたちも探してて……」


「そうか……」


 オークラーは頷く。カイはただ、不安にして言葉の続きを待っていた。


「どういうことかね、隊長」


「……いや、なんというか、な……」


「ふむ。敬語を忘れるとは相当だね」


 ニコが言うと、オークラーはハッとして睨み付けた。この突き放しているのは、ニコが臆病さ故に彼女をもてあそんだからと知りカイは、不謹慎だが一つの謎が解けた感じがしていた。


「は、博士には関係の無いことです」


「なら客観的評価を下せるということでもある。どうかね。まずはわたしが聞こう」


「それは……」


 オークラーはカイをチラと見て、観念するかのように頷いた。


 その視線が痛く、カイはすでに泣きそうだった。


「……分かりました」


「うん。じゃあカイ君。少しばかり待っててくれたまえ」


「…………うす」


 弱々しい返事をすると、ニコとオークラーは部屋へと入っていった。


 廊下に残され、不安に潰されそうになっている。カイはたまらずウロウロと移動し始め、このフロアを一周しようと歩き始めた。


 右へ左へぶれる体重を制御するのに忙しくしていると、小さな影を見つけてドキりとした。


 しかし、すぐにリィラではないと分かる。彼女よりもっと小さい子どもなのだ。きっと、避難民の子だろう。


 ニコさんに避難民のフロアに入るの禁止されたけど……。フロアには入ってないからよし。その程度のノリで話し掛けた。


「おーい。どうしたの?」


 少女は文字通りビクと跳ね、バッとカイを見た。こっそり抜け出していたようだ。


「あ……」


「きみは避難民の子? 探検してたの? まぁじっとしてたら暇だよなぁ」


「…………え……」


 声を漏らしただけで、それ以上は何も言わなかった。見つかったのがよほどショックだったのか、唖然としているようだ。


「でもさ、おれからお願いなんだけど、戻ってくれないか? 外は危ないし、きっと、お父さんお母さん心配してるよ。って、どっちかは隊員さんか。まぁどっち道、親のとこ?」


「え、え……? ……でも……」


 彼女は取り乱しさえしなかったが、かなり混乱した様子だった。秘密の冒険というものだったんだろう。


「いやぁそりゃ、大人もさ、不安になるんだぜ? 意外だけど。おれも、まぁ一応大人じゃん? いや、見た目よりは子どもだけどさ……」


 カイはしゃがんで、少女に微笑みかけた。


「だから、お父さんお母さんのとこに帰ってあげて? 帰り方、分かる?」


「…………」


 彼女は完全に固まってしまった。少し心配になるカイだったが、この戦争の中じゃしょうがないか、と頬を掻いた。


 リィラのときもだったけど、こういうときに上手いこと言えたらな~……。


「…………わたし……」


「ん?」


「わたし……レインだよ……?」


「おっ。そうなんだ。おれはカイ。よろしくぅっ」


 握手してみようと手を伸ばすが、彼女はまるで恐ろしいものでも見たかのように、避難民のフロアへ逃げていってしまった。


 カイは頭を掻き、立ち上がる。


 なんだろう。ただ怖かったにしては様子が変だった。もしかしたら、前哨帯に送られてきたスパイだったり……。いやいや、さすがにそれはないだろ。でも、じゃあ……。


 近くのトイレに入って、鏡で自分の顔を見た。それで、一応は納得した。


 ……ジェイクさんけっこういかついもんなぁ。前世まえより自分の見た目、気を付けないとか……。


 カイは余計に凹んだまま、廊下を歩き出す。戻ってみると、ちょうどニコとオークラーが話終えたらしく、廊下でカイを待っていた。


「あ、すんません……。ちょっと、落ち着かないってか……」


「それもそうだろうな。すまない、カイ」


 さっきまでの曖昧さはなく、オークラーは何か、決心したように落ち着いていた。


「なんで謝るんすか」


「実はな、噂が広まったのは他でもなく、私のせいなんだ」


「えっ」


 カイは周りを見て、オークラーを見つめた。


「ど、どういうことっすか……」


 オークラーもまた、周りを一瞥した。


「それはな――――」



――Lila――

 地下三階の、カイの訓練場でリィラはひとり、機材を弄っていた。


 訓練のためのデータは広く、敵の体格や格闘の強さの他に持っている装備などを指定でき、行動に関しても人間臭く動いてくれる。なんとT.A.S.の隊員と戦うこともできるようだった。


 一方で地形データも、どこが戦場になるか分からないと、マッチョのガジェット屋のような狭い部屋から、街の一角という広い空間までほとんど全てが再現できる。それを見つけたとき、拡張現実でこの広い平面に、駅のような縦にも構造がある区域での戦いをどう表現するのだろうと思っていた。


 例えば駅の構内だと、吹き抜けの二階に敵がいるのに自分は登れないということが起こりうる。だがそれは勘違いで、なんと投影して生成した地形に触れることができるのだ。二階建てを作れば、二階に行くことができる。


 いったいどんな手を使ってそんなことを実現したのかとマニュアルの機材セットを改めれば、そこにあったのは天才の閃きによる一発解決ではなく、疑似物質ソリッドと演算のひたすら地道で、ひたすら堅実な巨大システムで、リィラは天を仰ぐ気持ちだった。


 誰かが一%の閃きが無ければ九十九%の努力は無駄であると言っていたが、そうと知っていれば到底手を出せない代物だ。少しだけ、ニコを見直した。


 リィラはそのステージリストを開き、試しに再現したのは――。


「おぉ~……」


 彼女は感嘆の声をあげながら、管制室から出た。人はないが、出店やら、乗り物やらとが道なりに並んでいる。呼び出したのは遊園地のデータだった。


 リィラにはがら・・ではなく、まず自分から行きたいとは言わないし、行こうともしないところだ。ふとデータリストに見つけて、まぁ誰もいないならと再現してみたのだが、なんというかソワソワとしてしまう。


 それは日常が非日常に変わるときの、期待とも不安ともつかぬ興奮と、焦燥のような、哀愁のような、あるいは全てを手にしたようなときめきが混じった少女の胸中だった。


 誰かいるはずの場所に、自分だけがいる。リィラは止まったままのメリーゴーランドに入ってみて、この世界の馬的な生物を模した隙間をウロウロしたり、密になった搭乗席に立って、床に落ちないよう席から席に移ったりしてみた。


 普段はガジェットばかりで運動的な遊びをせず、普段は大人ばかりで子どもみたいにはしゃがないリィラだが、このレベルの悪さになってやっと、建設的とは駆け離れた遊びができた。


 裏を返せば、このぐらいのことでもないと、ガジェットより面白い娯楽にはならないのだが。


「……んしょ」


 ピョンと降り、彼女は制御盤を見に行った。そうしてメリーゴーランドを操作する……のではなく、制御盤の解体を試みた。台座の下側側面の六角ボルトを見つけ、管制室からモンキーレンチを取ってきて、蓋を外そうとする。


 だがネジは回らなかった。流石にそこまで細かな所はデータ取りしてないらしい。


「えー。はぁ……」


 リィラは失望にため息を漏らしながらも、制御盤を弄ってみる。すると、メリーゴーランドが発進し、予想外の挙動にビクリと驚いてしまった。制御盤の中身はできてなくとも、操作自体はできるらしい。


 くるくる回る馬的生物を見てリィラは、意味もなく辺りの視線を気にして、それから馬のような何かに乗ってみた。


 景色がグングンと進み、円の接線を境にして境界の内は動かず、境界の外の物体たちが加速して迫っては最高速ですれ違って減速して離れるスイングバイの景色に、リィラは面白いというより感心してしまった。


 もしかして、サイクロイドってこういうこと? へぇ~……。すっげ~……。


 感心したもののそれ以上のことはなく、すぐ飽きて降りた。次にはジェットコースターを見たが、あれ一つにかかる安全のための設計の数々を想い、所詮はシミュレーションでしかないこの空間においては危険娯楽装置の安全が保証されないと、リィラは眺めるだけにとどめた。


 あとは、なんかあるかな……。キョロキョロと見回し、出店の射的屋を見つけた。カウンターに置いてある玩具の銃と的と景品から、遊園地知識がほぼゼロのリィラにもどういう店かは分かった。一等賞か何かの大きなぬいぐるみが、奥の端に設置されていた。


 ルール無用とリィラはカウンターを飛び越えて中に入り、そのぬいぐるみを下ろす。本当に巨大で、体積だけならリィラよりも大きいぬいぐるみだ。殴るみたいな格好でお腹に拳をねじ込むと、思ったより柔らかく、拳が飲み込まれた。


「すっご……」


 なぜそんなところに拘って作り込んでいるのか分からないが、どうやら本物のぬいぐるみ並みに柔らかいらしい。彼女はそれを持って、ベンチに持っていって置いた。


 そうして、座椅子のように下敷きにして、ぬいぐるみに抱かれた。


「うわ、やわ……」


 今までにないような心地に、声が漏れた。柔らかくて、暖かい。癖になりそうだ。リィラは一旦立ち、またも周囲のありもしない視線を気にして、上から潰すように、きゅっと、抱き付いてみた。


 オークラーに抱き締められたときのような、暑苦しさと息苦しさの中で、数呼吸。


 顔をあげて、ぷはっと声をあげながら呼吸を取り戻すと、オークラー本人がエレベーターのところからリィラの方を見ているのが見えた。


 慌ててぬいぐるみをブン投げ捨て、リィラはあたかもベンチで佇んでいたかのように過ごすが、オークラーが来るまでに染まった顔と挙動不審な呼吸と目線を戻すことはできなかった。


「暇か、リィラ」


「ま、まーね。だってあのヘンタイ博士さ、ガジェットの開発するって言ってたのに全然しねえしさ」


「そうだな。奴との約束は信用するんじゃないぞ」


 オークラーにしては冷たい発言だ。きっと、なにか見下げるようなことでもあったのだろうなと、リィラは勝手に腑に落ちた。


 オークラーが左隣に座ってくると、それを知らせるUIユーザーインターフェースのようにベンチの板が沈む感触が伝わってきた。


「それで、シミュレーションを動かしてたのか」


「まぁね」


「たしかに、こんな状況じゃロクに出歩けなどしないからな。文字通りの長期戦で、疲れも出てくるだろう」


「ホント。ガジェット屋とか、行きたいけどさ~。あーあ。金が使い放題なカイがいるのにさー」


「コラ。悪用だぞ」


 カイとニコがまさか内戦の最中でショッピングデートしたとも、目を付けられてT.A.S.の三十二部隊と仲間割れしているとは夢にも思わないふたりが、動きっぱなしのメリーゴーランドを眺めた。


 もしそうと知れば、リィラもオークラーも、カイやニコに蹴りの一発を入れることだろう。


「……アイツはさ」


「ん?」


「カイはさ、辛くないのかなって思って」


「あぁ。そうだな」


 リィラはベンチに座ったまま尻を前に滑らせ、脚をピンと、放り出すように広げた。ぐぐっと首を曲げ、顎を自分の胸に乗せながらしゃべる。


「アイツばっかり、戦ってさ。さっきだって殺されかけて、なのにすぐヘンタイ博士に連れてかれて、じゃん。疲れないのかな」


「きっと、疲れるだろう。どうにか隙間時間を作ってやれるように、私たちも頑張らないとな」


「ん」


 オークラーの言葉に、リィラは短く返事をするだけだった。


「なにか、不満か?」


「え?」


「いや、すまん。今のは言い方が悪かったな。その……お節介かもしれんが、私に解決できそうな不満はあるかと思ってな」


「それは……」


 あるような気もするが、分からない。不満なときに不満だと思えど、そうでないときにそれを思い出すとなると、言語化が捗らず、不満なんてなかったかのように錯覚さえする。


 そうとは知らないリィラは、不満の残滓がわだかまりになっている自覚だけを胸にして、ただ言った。


「……ねぇよ」


「そうか。なら、見つけないか」


 オークラーの言葉にリィラは、顎をあげて隣の彼女を見上げた。ベンチに膝をこちらへ向けるよう斜めに座って、右腕を背もたれの上に、右の頬を右手の甲に乗せて、頬杖をしていた。


 リィラはその美しさか、その格好のよさか、いつか「おかあさん」と言ってしまったからか、気恥ずかしくて目をそらし、また前を向いた。


「見つけるって、なにすんの」


「例えば、欲しいものはあるか?」


「ガジェット。まだ見つけてないの」


「そんなものあるのか?」


 ガジェットならなんでも知っているだろう。そんな含みのある言い方だった。


「そりゃあるよ。まぁ知ってる子……ガジェットだって、本物の回路とかは見てみないとだしさ」


「そうか。実物主義の親にして、実践主義の娘、だな」


「誉めてんのそれ?」


「もちろんだ。誉めているに決まっているだろう?」


「だって、ジジイといっしょ扱いじゃん」


 言うと、オークラーは笑った。


「もしかして、知らんのか? まぁ、平和になったら、軍にいた当時の話をしようとはしないか」


「どういうこと?」


「在籍中のあだ名は『不死身のマーカス軍曹』。戦争部隊のヒーローだったんだ。どんなひどい現場に出ようと、自分以外が全滅してしまってさえ、必ず成果を持って帰って来るんだそうだ」


「マジ? あのジジイが?」


 リィラが知っているのは、家でカウチに座ってだらけて・・・・いるか、下手くそな農作業に勤しんでいるかの男だ。それが、そんな伝説を持っているなんて少しも知らなかった。


「私さえ、経歴を見ていて驚いたよ。名前までは知らなかったが、不死身の軍曹がいた噂は聞いていたからな。まさか、あんな形で出会ってしまうなんて思わなかった」


「あー。殺そうとしたもんね」


 特に悪気なく言い、それからとんでもないことを言ったと気付いた。なんで親なのに他人事みたいだったのか自分でも分からなかった。そっとオークラーを見ると、塞ぎ込むみたいに彼女は、目を伏せてしまっていた。


 クソ。なんなんだよ。もう。そうリィラはうんざりとした。オークラーの仲間に対する優しさと、任務で相対する者への冷たさの間には、あまりにも距離があった。親を殺しかけた相手にここまで油断していたのは、その解離のせいで真に同じ人だと思えていなかったからだろうか。


「……なんでさ。殺そうとしたの」


「殺すのは目的ではない。あのとき、少し傷つけてカイの居場所を話してくれたら、隊員に治療を任せて追う算段になってたのだ」


「最初っからそうするつもりだったの? ウソだろ」


「普段だったら解決の手段を、安全で平和なものから、片っ端から試していくことにしているし、なにより拷問はしないと決まっていた。……だが、世界を壊せる最終兵器が意思をもって逃げ出したとなって、慌てたんだ。世界を取るか、犠牲を取るか、その二択を常に突き付けられている感覚だった」


「そんなことないだろ。だって、カイだよ?」


「……そうだな」


 オークラーは天を仰ぎ、シミュレーションの、壁に映される低解像度の空を眺め、自嘲した。


「二択なんてものは錯覚でしかなかった。部隊を連れる隊長という立場でありながら、全くもって私がバカだった」


 沈んだベンチ板がふわりと浮く。オークラーはリィラの前に立ち、跪いて、リィラよりも低くからまっすぐに見上げた。


「すまなかった」


「…………ん」


 卑怯だが、誠実だ。矛盾するような二つだが、確実に、なるべく平和に解決しようとしてきた積み重ねの結果がこれなのだろう。それは、ガジェット技術のようでもあった。


「……メップフレーバーさ」


「ん?」


「悪いと思うなら、買ってよ。売店に売ってる」


 オークラーは微笑んで立ち上がった。


「もちろんだ。さぁ行こうか」


「ん」


「やはり、メップが好きだったか」


「うっさい」


 リィラも立ち、一緒に遊園地を歩いてエレベーターに向かう。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま歩くリィラと、彼女の歩く早さを気にしながら歩くオークラーの姿は、はたから見れば親子然としていた。


 リィラは管制室で手早くシミュレーションを切り、元々の水槽みたいな空洞に戻してからエレベーターに向かい、二人で乗って、上を押す。


 そうして動き始めたエレベーターは重力に慣性を滑らかに重ね合わせ、フワッと停まり――僅かばかり急落下して、ガクンと止まった。リィラたちは姿勢を崩し、天井の上から響くガァンという反響を聞いた。


「な、なんだ?」


「止まったっぽいね。まぁ、大丈夫」


 原因は分からないが、エレベーターの故障だろう。乗っていた感覚からして、着く直前で止まってしまったようだ。


「そうなのか。だが、少し落ちたようだが……」


「落ちて止まったら合格だよ。安全装置が動いたってことだから」


「ほぉ。流石だな」


 事故の最中だというのに二人は、恐ろしいほど冷静だった。ひとりは知識のために。ひとりは、信頼のために。


 閉じ込められたふたりだが、特に話題らしい話題もなく、無為に過ごしている。すると、突然に。


「あ」


 カラオケの後で歌いたい曲を思い出すように、言い合いの後でうまい言い回しを思い付くように、話題が終わってから何を言うべきだったのか思い出して声をあげた。


「どうした?」


「いや、さ。まぁ、アタシの不満とかじゃないんだけどさ……」


 そこまで言ってから、彼女はどう言おうか迷い始めた。カイのことと言おうと思ったが、あのことを、言ってもいいものだろうか。どんなに追い詰められたりしても心が折れなかったカイが、唯一、涙ながらに語ったあのことを。


 だが何か答えがあるならば、欲しい。だからリィラは、名前を出さないで言葉を続けた。


「ジサツは……やっぱ、悪いこと?」


「なに?」


 オークラーは思わず、リィラの顔をじっと見つめた。


「いや、だからアタシじゃないんだけどさ。その……どうなのかなって、思ってさ」


「……当然、悪いことだ」


「どうしてさ」


「死ねば悲しむ者が出る。私たちならば、例えばカイだ。もしもアイツがそうしたら、どうだ」


「…………」


 まさにカイの事で、リィラは答えられなかった。


「悲しいし、なにより、許せなくならないか」


「でも、だったら、そうしないようにすればさ……」


「それが、できんのだ」


「なんでだよ。暗い感じとか分かるだろ」


「いいや。分からなかった」


「分からなかったって……」


 まさか、経験しているのか。その思いを読んだかのように、オークラーは頷いた。


「四七の、ふたりだ」


「ふたり? そうなの?」


「ああ。心中だった。一緒に……だ」


「いっしょに? いっしょに死ぬの? なんでそんなことすんだよ」


 オークラーはそれには答えず、ただ、その過去を思い出していた。


「試合部隊といってな、私たちの大半は、国を守ろうと血の流れない戦争で戦った軍人で、戦いに負けてしまった者たちなんだ。勝てば英雄だが、負ければ迫害。迫害されれば……当然、病む者も出る」


「…………」


 マーカスの言葉を思い出す。T.A.S.アーミーは、むかし負け犬と呼ばれていたことを。


「もちろん、入隊の前に精神鑑定があるから、病んだ状態では滅多に来ない。だが、一度病むとそれが癖になってしまうらしくてな。助けた相手に負け犬なんて呼ばれて責められ続けて、発症してしまった」


「発症……って」


「精神的な病……というやつだ。これが怖くてな。本人はいつも通りに振る舞うものだから、私は気付いてやれなかったんだ。まさか二人も発症していたとも、その二人が、お互いに闇に引きずり込み合っていたとも」


「………………」


 言葉にならなかった。オークラーは病的な隊員想いと言われていたが、そんなことになってたのか。よく耐えられたものだ。そこまで思い至って、逆だと気付いた。


 そんなことがあったから、か。


「……直そ」


 リィラエレベーターの天井を見つめて言うと、オークラーは自嘲気味に笑った。


「すまないな。重い話だったか」


「でも、分かったよ。ジサツってマジでクソだって」


「……そうだな。それで、修理だが大丈夫か? 道具はないが……」


 リィラは腰の後ろから、大型のサバイバルナイフを抜いて見せた。


 それは、土壇場のガジェット大改造でクレイの命を救ったナイフだった。


「待っててもヒマだしさ、コイツでできそうな修理かくらいは、見ていいでしょ?」


「……そうか。頼もしいな」


 オークラーに担ぎ上げてもらい、天井のハッチを開ける。普通は外から鍵が掛かっているものだが、そんなこともなくパタリと開いた。


 這い出て見ると、思った通り、質量情報付加式のエレベーターだった。


「エレベーターにはいつか種類あってさ。多いのはモーター式と、付加式なんだよね。で、あの止まり方は付加式」


「ほう。止まり方で分かるのか」


「ん。エレベーターは、吊り下げ? 重りって重り着いてんだけど、モーター式はカゴと同じくらい重いんだよ。だからアタシたちの重さで落ちるときはゆったりで、安全装置はゆっくりブレーキするようにできてる」


 リィラはカゴの上部に引っ付いていた制御盤に寄る。その蓋の硬い金具へナイフのギザギザとした、背面のセレーションを引っ掛けてレバーのように開け、蓋の中を眺めた。パワーはオンだが、付加装置のランプがイエロー:エラーであった。


「でも付加式は、重りの重さを操作するんだけどさ、重くするしかできないから元々が軽いんだよ。一気に落ちるから、元の高さによってはブレーキが間に合わない。だから、ちょっと落ちたら回転子が飛び出して上の滑車の内側に食い込んで止めんの」


「相変わらず、すごい知識量だ。それで、直せそうか?」


「ん~」


 周囲を見る。エラーを吐いたということは、制御盤から付加装置に至るまでか、付加装置自体に異常が出たかだ。制御盤から延びる線を引き、マイボトルの吸引素子サクショナーの部分を当てると、Ppを吸い出せた。


 ということは、供給が止まって下の装置が枯れた訳じゃない、と。じゃあ装置本体だから……無理か。


「どうだ?」


「無理っぽい。でも、扉が目の前にあんだよね」


 リィラは少し高い位置にある扉へナイフを伸ばし、隙間にナイフを入れ、テコで動かしてみる。するとあっさりと開いた。


「開いた。上から出られるよ」


「コラ」


 叱りの言葉と共に、オークラーがハッチから飛び出し、身軽に出てきてみせた。


「危ないことをするな」


「えー。いいじゃんか危なくねえし」


「よく見ろ」


 言われてみると、エレベーターのカゴと外へ出る扉がある壁との間に、落ちられるか否かくらいの隙間があり、かなり深い底へと続いていた。


 ようやく高さを理解し、リィラは足がすくみ始めてしまった。


「ここは任せろ」


 オークラーが扉の前に立ち、両手であっさりと全開にし、リィラを抱き上げる。


「ちょちょちょ……」


「先に登れ。大丈夫だ。下から押す」


「ちゃんと支えろよ! ちゃんと支えて!」


 リィラは半ばしがみつくようにフロアの床へ手を伸ばし、また這い上がる。確かな地面に、やっと一安心できた。


「よし……むっ」


 オークラーの驚いた声にどうしたかと思って見れば、彼女がスライドして上がってくるところで、こちら側へピョンと飛び移ってきた。


 そうしてカゴが上がりきり、チンと止まり、カゴの扉が開いた。


「動いたな」


「え~……」


 怖い思いし損じゃん……。とリィラは文字通り天を仰いだ。


「やれやれ。こういうことがあるなら、階段の方がいいんだが……」


「それはそれでさ、めっちゃ長いじゃんか」


 リィラは起き上がり、気だるげに立った。


「行こ」


「ああ」


 それから売店へ行って、アイスを買って貰って、ラウンジで一緒に食べた。そのあとリィラは整備室へ、オークラーは隊員の訓練へと向かった。


 カイが自殺したという噂を耳にし、広がっているのに気付いたのは、一通り整備室を堪能した後だった。


 それも、偶然聞いてしまったというより、そこかしこで聞こえてきて、リィラが通りかかると、急に黙る、という具合だった。


「……クソ」


 どうして広まったか、そんなことは一目瞭然だった。


 オークラーだ。信用したのに、いきなり裏切りやがった。なんでだよ。どいつもコイツもカイを悪いみたいに言いやがって。


 だが反対に、オークラーのせいじゃないと思いたい気持ちもあった。マーカスがリィラを売ろうとしたという裏切りを裏切ってT.A.S.に喧嘩を売ったように、なにか、理由があってほしいと。


 そうでないのが怖くて、オークラーを見つけても飛び出して行けず、遠目に見ているとカイたちが戻ってきていた。


「……リィラから、自殺はいけないことかって、聞かれたのだ」


「えっ!? なんで? っすか?」


 カイが驚いている。それもそうだ。アタシから漏れたってすぐ分かるのだから。


 ふざけんな。普通に喋ってんじゃん。


「理由は分からなかった。だが、お前のことか……あるいは、リィラ自身のことかと思ってな」


「いや、それはおれっすよ。自殺したの」


 カイもあっさりと言ったので、リィラは唖然としてしまった。ニコに「キミってやつはぁ」と思い切り頭を叩かれ、カイは「すんません」と誤魔化し笑いした。


「そうだったのか。じゃあ、リィラは……」


「おれのこと、心配してくれたんすかねぇ。かわいい妹だぜ……」


 思わぬ羞恥に、なぜか会話にいないリィラが顔を染めるハメになった。


 やめろバカ、そのノリで話すの。


「カイ。ひとつ、答えてくれ」


「なんすか」


「追い詰められたら、また、するか」


「しないっす。絶対に」


 カイは淀みもなく、きっぱりと言い切った。


「あれは間違いでした。今度は、間違いません」


「そうか……ならいい。悪いことをしたと、ちゃんと自覚できているならな。なら……早とちり、だったな」


「っと、いうと?」


「私の目だけでは、そういう闇を捉えきれんと思ってな。クレイに相談したのだ」


「クレイさんに?」


「そうしたら、今度はクレイから信用している隊員に伝わったんだろうな。そこかまた信用している者へ、だんだん遠い者へと、一気に広まった」


「じゃあ、オークラーさん元気無さそうだったのって……」


「私が、最初の火種になってしまったからだ」


 言うなりカイは、自分の胸を押さえながら壁に手をつき、酒を一気飲みでもしたかのような笑みを浮かべた。


「よ……、よかったぁ~~~……」


「よ、よかったのか?」


「いやだって、さっきオークラーさん来たとき、おれみて何かイヤな顔したから、ウワサ聞いておれのこと嫌いになっちゃってたらどうしよって……」


「あぁ……。もちろんそれは違う。過去の過ちを知っても、リィラのために立ち向かうお前の今の姿を知ってるんだ。見下げるような真似をすることはない」


「マジっすかぁ……?」


 カイは目をキラキラさせていた。


 ……気にしてなさすぎじゃね……?


 そう思うリィラに追い討ちをかけるように、カイが両手を広げた。


「とりあえずリィラ見つけたら、ぎゅってします。たぶん嫌がられるけど、心配ありがとハグしないと」


 ぎゅってするってなんだよ…………。リィラは角から顔を覗かせたまま、さっきとは別の理由で飛び出せなくなってしまったのだった。

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