16★たとえ無限じゃなくても
「すごいねナトリさん!! あの数の鳥、ひとりでお世話してるの?」
「あ、うん。そうだけど。……え?」
いきなり口火を切ったわたしに、ナトリさんはポカンとしている。
怒りの熱が一気に冷めてしまったせいで、右足と左手を前に出した状態でスリーブ。
「カァ」「カァアァ」「カァァ」
「あっ。止まり木に」
ぴんと伸ばした腕にカラスが一列にとまり、コーラスを奏でる。
十五羽もいるから、パートもソプラノ・アルト・バスと徹底。
わたしにとっては全部おんなじに聞こえてしまうのだけど、それはまた別の話だ。
「すごいシャンとしとるなカラス、じゃねぇ! いきなりなんだよ花谷」
自分でボケて自分でツッコむやっちゃん。
「敵にすごいったって、なんの意味もねえだろうがよ」
カラス退治をしたり、空を飛んだりして、かなりこわいもの耐性がついたみたい。
そういえば、もう「ガキ」とは呼ばれなくなったな。
わたしのことを、仲間だと思ってくれてるのかな?
だとしたら、これ以上嬉しいことはないよね。
「ちがうよやっちゃん。『すき』はじゅうぶん意味のある言葉だよ。少なくても、わたしにとっては、人生を変えてくれる言葉だよ」
「はあ?」
たった二文字、されど二文字。
それだけで人々の感情をガラッと変えてしまうんだ。
「『すき』や『すごい』は、ちゃんと言葉にしなきゃ」
こわかった想像も、いまでは楽しくて楽しくて仕方がない。
『自分でも、なにかができる気がする』から。
居場所はちゃんとあるって、教えてもらったから。
「ナトリさんは、ひとりでここに来たんだよ。ナイトメアに協力してるとか、ひふみんがきらいだとか、そんなことは関係ない。色々な不安を抱えて、それでも『一緒にやってくれ』じゃなくて、ひとりで立ちむかったんだよ! それはすごいことだよ!」
ナトリさんは優しい。
大きらいと叫ぶ前に、大すきだと伝えたり、ごめんと泣けたりできる。
ぐちゃぐちゃになった頭で、だれかのことをしっかりと考えられる。
わたしは自分のことで精いっぱいだったのに。
「そ、それは、ナイトメアの人が、ひとりでやれって……」
「じゃあ、こいつにならまかせてもいいってことでしょ? すごいことだよ!」
「……なんで夢彩ちゃんは、そんなに僕をかばうの?」
わたしは走って相手の目の前まで行き。
そして、視線を床に落としかけた掃除屋さんの両手に、そっと自分の指にからめる。
「ナトリさんのファン第一号になりたいんだよね、わたし!」
「……なんで、なんで夢彩ちゃんは」
かぶりを振るナトリさん。
「自分がすきになったものを、最後まですきでいたい。それだけだよ」
「そんな、そんな」
「きらいになって欲しいの?」
「ちがう……ちがうけど、でも」
夢と希望に囲まれたソムニアで生活して四週間あまり。
わたしは、たくさんのことを教えてもらった。
『飛べるかどうかは飛んでみないとわからない』ということ。
ひふみんと視線が合う。
泣き疲れて、ちょっと恥ずかしそうに目元をぬぐってる。
『何回失敗してもいい』ということ。
路地の先に、もう人だかりはない。
ショーが終わって、お客さんが家に帰ったのだろう。
片づけをしているシュドさんの後ろ姿は、若干くたびれたようにも感じられる。
『自分はいくらでもだませる』ということ。
やっちゃんは、「なんだよ」としぶい表情。
恐怖におじけずに戦ったオロチを、すなおに尊敬するよ。
そして。
天才ドクターの千華ちゃんに言われた、とっても大事な言葉。
「『すき』は、最高のおくすりなんだってさ!」
□■□
カラス事件があった日の深夜。
夢幻屋の寝室の布団の中で、わたしはひざを抱えてうずくまっていた。
「はぁ、はぁ……」
腕からどんどんツタが生えてきて、自分のスペースだけジャングル状態。
わたしはとっくに草まみれ。
ツタは壁をはい、窓をおおい、いたるところになわばりをつくってる。
「う、うぅ……」
楽しいことを考えようとしても頭が回らない。
こんなはずじゃなかった。
ソムニアに来たからには珍しいものをたくさん食べて、おしゃれな場所にもたくさん行って、楽しい気持ちのまま温かい布団で眠りたかった。
一日を満喫したかったのに。
なんでこうなるんだろう。
「花谷ちゃん、大丈夫ですか?」
千華ちゃんが隣のお布団から起き上がる。
「そっち行きましょうか。わ、けっこう増えましたねぇ。おくすり追加しましょうか?」
正直、もうどんな反応も聞きたくなかった。
こわい。助けて。
「すみません。あたしがなにもできないばっかりに」
「やめてよ千華ちゃん。千華ちゃんはなにも悪くないよ。悪いのは……」
悪いのは、わたしだ。
なにをしてもうまくいかないし、なにをしても人を困らせる。
自分のすきなことすら自信をもって発表できないし、バカだし、暗いし、弱いし。
そういえばママ、どうしてるかな。
ごめんね。バカなんて言って。
「……くすり、いらない」
「そうですか? でも、こころを落ち着かせないと、それずっと続きますよ?」
千華ちゃんは、フレーズごとに間をあけて喋ってる。
お医者さんなだけあって、どんな場面でも冷静だ。
すごいなあ。みんなすごいなあ。
「じゃあ、どうすれば……」
「そうですねえ。あ、ちょっと待っててください」
千華ちゃんは寝床から飛び降りると、部屋の外に出て行く。
あれ? とわたしが疑問を感じた数秒後、あるものを持って帰ってきた。
部屋の豆球に照らされたそれは、使い終わったコピー用紙の裏だった。
それだけじゃなく、クレヨンやえんぴつ、消しゴムなどの画材まで。
「倉庫にありました。よければ使ってください。こんなことになっといてアレですけど」
「はあ。そ、そうだね」
絵を描ける気分じゃない。むしろ、状態がさらに悪化しそう。
でも。
「あのっ。押しつけがましいかもしれないですけど、あたし、あなたの絵にめちゃくちゃ興味があってっ」
「わたしの絵を?」
「はい! あたし絵が下手なので、教えてもらいたいなぁなんて。無理ですよね……」
キラキラした目で見つめられたら、わたしもやる気になってしまって。
この人ならって、ちょっぴり期待しちゃったのだ。
「いいよ。描く」
「いやいや、いやならいやだって……え?」
「描くから、クレヨンちょうだい?」
「え、ええはい」
赤色のクレヨンを受け取ると、わたしはすぐに部屋のテーブルに向かい、手を動かす。
少し遅れて千華ちゃんも横に来て、おっかなびっくりえんぴつを走らせた。
蛍光灯のあかりをたよりに、しばらく二人で、黙々と作業をする。
やっぱり、前より筆が乗らない。
芯が紙にひっかかるし、バランスはおかしいし、線もガタガタ。
完成したゾウの絵は、えらく鼻が短かった。
足はキリンなみに細いし、からだつきはチーターみたいにやせてて。
全然上手く描けなくて、不安ばかりがつのった。
「あはは。これ、ゾウじゃないや」
書き直そうかな、と消しゴムをつかもうとしたその時。
「嘘! これでダメとか、きびしすぎません?」
「え?」
「めっちゃくちゃ上手いし、タッチも細かいです! すごい!」
千華ちゃんが身を乗り出して、わたしの紙に顔を近づけた。
虫眼鏡で観察するときみたいに、ぐぐぐっと目を細めて念入りに鑑賞してる。
「すごいですね花谷ちゃん! こんなに上手なんだ! あたしこれすきです。額に入れてかざったら、きれいだろうなあ。実験室の壁に貼りたいなぁ」
――あたしこれすきです。
きれい? これ、きれいなの?
上手? ほんとうに?
わたしは、その言葉をのみこめなくて、何回も瞬きをする。
「わたしので、いいの? バケモノって呼ばれたんだよ?」
「花谷ちゃん。あたしはこの絵がすきですよ! 自分にはこんな絵、描けません。自信をもっていいです」
「ホ、ホントに、ホントに平気?」
「ホントのホントです! 大丈夫。めちゃくちゃ上手いですよ」
千華ちゃんは、自分の目の前に置かれた紙をわたしに差し出した。
描かれているのは、たくさんのハートだ。
「あたしなんか、こんなのしか描けませんし。それに、わかるんです。あなたの気持ち。自分もすきなものを否定されたことがあったから」
「……千華ちゃんも?」
「ええ。死神は昔からいたんです。ヨーロッパにも、日本にも。ソムニアに来た時期も、みんなよりずっとあとでした。だけど、『こわい』とか『まがまがしい』とか、かけられるのは決まって悪口で」
声のトーンがぐっと下がる。
ナース服のすそをギュッとつかみながら、彼女は語る。
「死神が現れた場所では人が死ぬ。魂を抜き取る。ガイコツの姿をしている。悪いイメージでとらえられることが多くて、生きにくかったんです」
「………千華ちゃん」
「死神が、だれかを助けたいと思うのは、悪いことだって……。だれも味方になってくれなかった。でも、八雲だけは、『友だちになろう』『一緒にがんばろう』って、夢幻屋をすすめてくれて」
そこで千華ちゃんは、息を吸いこんだ。
「最近気づいたんです。あたしはただ、友だちが欲しかった。だれかに『すき』と言われたかっただけなんだ。すきって、一番効くおくすりなんじゃないかなぁ」
□■□
わたしはこのソムニアがすきだ。
通りを歩くと、どこからか甘い香りがする。顔を上にむけると風船が飛んでいる。
学校の敷地に遊園地だってある。
住民は、おしゃれで個性的で、色んな人がいて。
だから泣くのは、とってももったいない。
景色をながめてみてよ。
こんなに楽しい場所ほかにないよ。こんなにワクワクすること、めったにないよ。
でも、上をむこうなんて簡単にはいかない。
上をむくにもかなりのエネルギーを使うからね。
なんでもできる人はいない。
だれだって限界がある。さらに先へ進もうと思ったら努力が必要だ。
それでも。たとえ無限じゃなくても。
わたしは、わたしたちは、なにかができる、なにかになれると信じてるんだ。
そうやってみんな、生きてきたんだ。
「ナトリさんは能力があるよ! わたしに、すごいと思わせてくれたもん。大丈夫だよ、きっと大丈夫! すきだから! わたしはナトリさんが大すきだから!」
――夢彩ちゃん。今からひどいお願いをするけど、聞いてくれる?
――三つ目のお願いだ。これは、だれにも話しちゃダメだよ。
――ヒフミくんなんて、もってのほか。あの子、涙もろいからね。
――最後。ほんとうに最後。最後のお願いは。
――最後を思いっきり楽しむこと、だ。
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