三日月が似合う神明社-恋と御縁の浪漫物語・足利編-

南瀬匡躬

沙織との恋は瓢箪から駒

 浅草駅の対面、川辺にある建物は桟橋直結、シーバスの待合所になっている。シーバスは文字通り、河川や運河を走る水上バスだ。その船着場の待合所はちょっとしたお土産物も買えるような公共空間となっている。


 僕はその場所のベンチに腰を下ろしガイドブックに目を通す。

 ふと、顔を上げると僕の隣には、青白い顔をした女性が涙を流している。午前中から一体どうした? 具合でも悪いんだろうか?

 手には東武電車のキップが握られている。すぐ横は東武鉄道の浅草駅だ。ここから北関東全域に東武鉄道は路線網を持っている。選べる旅先は選り取り見取りだ。彼女もこれからどこかに行くのだろうか?

 お節介かも知れないが、田舎育ちの僕は見てられず、その具合の悪そうなお隣さんに声をかける。

「具合でも悪いですか?」

 彼女はミニスカートに栗毛色の肩先辺りの長さの髪。今風の若い女の子だった。

 女性は顔を上げると、僕の顔を見てハッとした表情になる。

鮭野さけのさん」

 僕も顔を見て、「石鯛いしだいさん?」と訊ねる。

 彼女は僕が働くCD店がテナントで入る『アルテミス・ショッピングモール』の受付嬢だ。今風に言えば、インフォメーション・サービスの女性である。綺麗な横顔に見とれること数回、立場上あまりじろじろと見るわけにもいかないが、つい目で追ってしまうこともたまにある、そんな美しい人だ。

 ただ普段は帽子を斜めに被り、首元にスカーフを巻いているので髪の長さや色を意識したことがなかった。職場外で会うとこんなヘアスタイルなのか、といつもながら女性の変身ぶりには驚かされる。

「鮭野さん、今日はどうしたんですか?」

 相変わらず青白い顔だが、少し持ち直したようで僕が笑いかけると力なさげに笑い返す。

 休日のラフな僕の服装は決しておしゃれではない。フード付きのフリースに綿パン。動きやすさ重視のどうでも良い格好だ。彼女の目にはどう映っているのやら。

「今日は休日で趣味の『酒屋角打さかやかくうち』を回っているんです」

「呑兵衛さんですね」と笑う彼女。

「『角打かくうち』を知っている時点であなたもお仲間では?」と問い返すと、彼女は、

「ウチ、実家が造り酒屋で、酒蔵角打ちがあるんですよ」と平然と返す。

「ええっ! 酒蔵の角打ちですか」

 思わず僕はダイヤモンドの鉱脈でも発見したかのような嬉しさ爆発で反応してしまった。元気のない彼女が少しだけクスッと笑うのが見えた。

 通常の角打ちは商店街などの酒屋さんが店の一角を開放して、乾き物や缶詰類のつまみを揃えてその場で立ち飲みを許可しているものだ。造り酒屋のそれは、樽出しの生酒や原酒を飲ませてくれる『角打ち』好きにとっては限りなく聖地に近い場所だ。

 それはそうと気分の悪そうな石鯛さんの様子を窺うのが声かけの目的である。

「なんか、気分が悪そうなんですけど」

 僕の言葉に、「いえ、そうでなくて、待ちあわせの人が来なかったんです」と小声でうつむき加減に教えてくれた。

「すっぽかされた、ってことですか?」

「ええ」

 おおかたデートの約束でもしたのに、急用が出来たのだろう。この年頃にはありがちな光景だ。

「今日がうちの親への顔見せの日だったんです」

 僕はドングリ眼になって、首を傾げた。

「親?」

「ウチは交際に厳しい家でやっと父が首を縦に振ってくれて、家に連れて行けると思っていたのに、さっきその彼がメール一本送ってきて、『めんどくさいから別れる』と言われました。都会の人にとっては、保守的で面倒な家に感じたのかも知れません。でももう親には今日の午後に彼を連れて行く、って言ってあるのにどうして良いか分からず、待ちあわせ場所のここでじっと座っていました」

 しかめっ面の僕は腕組みをしながら状況を整理している。彼女が実家への矜持を保つ術がないと言うことは理解できる。ご実家が気難しいご家庭だというのも分かった。何といっても問題はその次だ。

「もしあなたがご実家に彼氏を連れて行かなければ、どうなりますか?」

 そう言うと彼女はワナワナと震えて、「考えたくありません。厳格な父のことです。十中八九、私を勘当すると言いかねません。田舎の家なので……」と意気消沈して俯いた。

「なるほど……」

 場所こそ違うが田舎育ちの僕にはそのことは痛いほど分かる。

「ごめんなさい。無関係のあなたを巻き込む気はないんです。男の人の外見だけに騙された私が悪いんです」と涙を浮かべている。

「ご両親は彼氏のこと、プロフィール的なモノはどの程度ご存じなんですか?」

「いえ、何も知らないんです。名前も言ってません」と彼女。

 その言葉を聞いた僕は『イケる!』と閃きを感じた。


 まるで僕は今世紀最大の妙案が浮かんだような気分でいる。あとで思い返せばしょうもないレベルのことだろうが、この時には素晴らしい発見に思えた。

 徐に立ち上がると僕は目の前のお土産物屋で東京名物のバナナ形のお菓子を買う。そして彼女の手を取ると通りを渡り、浅草駅に向かう。

「そのキップ、二人分あるんでしょう?」

「はい」

「じゃあ僕が彼氏のフリをして会います。あとで『とんでもない男だったから振ってやった』とでも言うことにして、この場の窮地、凌ぎましょう」

「ええ?」

「どうせ旅の恥はかき捨てだ。悪者を買って出ますよ」

 改札を通りぬけ、ホームに横たわる両毛りょうもう地区に向かう特急電車に飛び乗った。

「いいんですか?」と彼女。

「でも今日はまだ悪い人ではない設定なので、ご実家の角打ちで味見酒を飲んでも良いですか?」と笑う僕。

「勿論です」

 そして「あと、向こうの駅前に既製品のスーツを売っているような店はありますか?」と訊ねると、

「沢山あります。足利はそこそこの規模の街ですから」と言う彼女。見れば震えが止まらないようだ。僕たちはまるで小学生や中学生が秘密の探検をする気分でこの一世一代の大芝居に臨むことにした。


 特急列車から降りて、高架の足利市駅に着くなり、彼女は町中まちなかの貸衣装に用事があるとのことでそちらに向かうことにした。その店は旧市街方面と言うことだ。駅の横を流れる渡良瀬川わたらせがわという大きな河川をバスで渡って、私鉄の駅からJR駅に移動する。ほんの十分ほどだ。どうやらもともとのこの町の中心地は旧市街であるこちらのようである。

 僕はすでに小旅行気分だ。駅や通りの通行人の話し言葉も、方言が色濃くなっている。

 駅前の観光地図から神明社、足利伊勢宮というお伊勢さんが徒歩ですぐそことの情報を得た。


「へえ、この神社はアマテラスさまに加えて、弟神のツキヨミさまがおいでになるのか」

 縁起と案内板を見ながら納得したように僕は頷く。鳥居の前で一礼をすると境内に足を踏み入れた。


 バスの窓から見えた彼女のご実家はなまこ壁で作られた塀が囲いになった大きなお屋敷だった。街道沿いに面した部分だけが改築されて、モダンな和風の建物になっている。塀の向こう側は、昔ながらの大きな大谷石の蔵造り、むろと呼ばれる甘酒の香りが漂う発酵室を備えた造醸場となっていた。

『石鯛酒造前』というバス停で降りる。自分の家の屋号がバス停になっている。これはバス路線の開通当時からランドマークとして使われた店名をバス停の名前に使った類いのものだった。旧家の証しだ。

 貸衣装で和装に着替えた沙織は、しとやかにバスのステップを降りる。

 その酒蔵の入口には大神おおみわのものか、松尾まつおのものなのかは分からないが、おきまりの杉玉が吊ってあった。形良い整った今夜の三日月を背景に、その杉玉は僕を歓迎しているようにも思えた。


「まあ、遠いところいらっしゃい」

 住居はその奥、出迎えてくれたのは彼女のお母さんだ。造り酒屋の女将らしく和服でのお出迎えである。彼女が訪問着とは言え、和装に着替えてきた理由が分かった。玄関をくぐり、上がり端の踏石ふみいしに靴を揃える。古い家屋らしく、昔の設備が残っている。祖父母と一緒にいた期間が長い僕は、当時得た知識を思い出し、抜かりのないように、畳のヘリを跨ぎ、襖敷居ふすましきいを除けて歩く。一番奥の部屋に酒蔵の半纏はんてんにネクタイ姿で待っている男性がいた。

 僕はすかさず手土産のバナナ菓子を紙袋から取り出して手渡す。

「つまらないモノですが、どうぞ。お口に合えばよろしいのですが……」と言って差し出した。

「おう、今日の三日月みたいなお菓子だね。ありがとう」

 そう言って沙織の父親は両手でお菓子を拝むように持ち上げると、腰の近くに置いた。

「なんだ、もっとチャラチャラした男がくるのかと思っていたのに、意外に常識は弁えているのですね」と彼女の父は第一声で評価を下した。どうやら玄関先で靴を脱いでから自分のところに来るまでの僕の所作をずっと目で追っていたようだ。


 食卓にはすでに鮎の塩焼きが平皿に載って、茶碗蒸し、香の物などと一緒に丁寧に並べられている。

 挨拶もひとしきり済んだところで、彼女と二人、父親の向かいに座ると、僕は出された座布団を敷かずに脇に寄せた。そこも彼女の父親は見逃さなかった。そして正座する。

「改めましてこんにちは。本日はお招きありがとうございます。沙織さんとお付き合いをさせて頂いている鮭野津真巳さけのつまみと申します。彼女と同じショッピングセンターのテナントで楽器・CDショップの店長をしております」

 まずは失礼のない自己紹介である。名を名乗るのは必須だ。

「なんだ、あんた店長さんなのか。もっと若造が来ると思ったのに。じゃあ娘とは少し年の差があるね」

 彼女の父親の言葉に「ひとまわりほど」と僕は恥ずかしそうに返した。

 するとそれを察したのか、彼女の父は「照れることはない。私も妻とはひとまわり以上離れている。昔は皆そんなもんだ。まあ、足を崩して下さい」と言う。

 彼女の方をチラリと見ると、彼女の顔は、さっきまでの沈んだ顔とはうって変わり穏やかに父親に微笑んでいる。どうやら彼女にとっての代役は今のところ成功しているようだ。

「で、まずはありきたりに趣味とか聞いておくよ」と言って、彼女の父は「休日は何をされていますか? 仕事とか言うのは無しだよ」と続けて訊ねてきた。

 少し僕は躊躇ったが、嘘を言ってバレるのは良くないと思い、

「正直に申しますと……」、この枕詞に彼女の父は眉間にしわを寄せる。


「角打ち巡りと御朱印集めです」

 そう言うと彼女の父の表情は花が開くように嬉しそうに緩む。

「そうか。なになに、鮭野さんは角打ち好きか。それは良い」と話に乗っかった。やはり造り酒屋の主人、酒の話は嬉しいモノなのだろうか?


 そして僕の方はと言えば、生まれて初めて『角打ち巡り』の趣味で褒められたので、こちらとしても気分は良い。

「じゃあ食事をしてからでも良いので、ちょっとあとで一緒にウチの角打ちを見せるから来てくれ」

「良いんですか? 営業時間外に」と言うと、

「ウチの家族になる人だ。良いに決まっているだろう。沙織が逃しても、オレが逃がさないぞ。こんな優良物件の娘婿」と笑う。

『家族になる人?』

 結構気の早い人なのだろうか。僕はジョークの類いと思ってここは通り過ぎた。

 それから食事の時にも談笑は続き、彼女と僕の心配は杞憂に終わることになった。もちろん食後には、販売スペースの一角に設けられた角打ちで、樽酒やもろみ酒をしこたまご馳走になり、彼女の彼氏役のギャラ相当以上の対価を頂いて帰ってきたのは言うまでもない。


 週明けのショッピングモール。僕が店長をするCD店はそれ程大きくはない。楽器なども陳列しているので、電子ピアノやシンセサイザーが売り場の大半を占めている。

 受付嬢の制服、白いジャケットとスカートで斜めの帽子にスカーフを首に巻いた沙織が、ゆっくりと僕のいるテナントブースの方に歩いてきた。相変わらずエレガントだ。そしてレジカウンターにいた僕に話しかける。

「この間はありがとうございました」

 沙織は深々とお辞儀をしてきた。

「いやいやこちらこそ大変ご馳走になりました」と笑う。

 きっと今後のシナリオの打ち合わせであろう。

 彼女は辺りを気にするように振る舞ってから、「ちょっと良いですか?」と物陰に僕を呼んだ。

「はい」とCDをケースに入れる作業を中断した僕は、カウンターを出て沙織の元に走る。

 内緒話のように耳元に手を当て沙織は、

「あの、あれからうちの父が鮭野さんを凄く気に入ってしまって、来週も連れて来なさい、って聞かないんです。ご迷惑なのは重々承知しているのですが、私がお休み合わせるので、もう一度ご同行願えませんか?」と顔を赤らめてお辞儀をした。

「良いですよ」と簡単に返事する僕に、

「本当ですか?」と笑顔の沙織。言ってみるもんだ、くらいには思えたのかも知れない。僕自身、こういうことには、さほど頓着のない性格だ。

「酒蔵の美味しいお酒飲めるのならお伴しますよ」と返す僕。

 沙織は更に続けて、

「それともう一つお願いがあって、ご迷惑でなければこのまま、交際のフリを、本当の交際にしていただけないでしょうか?」と驚くような用件を願い出てきた。

 僕は暫く何の相談か分からずにいたが、これが愛の告白に相当することを認識すると耳元が熱くなるのを覚えた。こんな気持ち何年ぶりだろう。

「僕で良いんですか?」と人差し指で自分を指す僕。

「もう私、あの場での判断力を見て、すっかり鮭野さんがお気に入りになってしまって……」と沙織が言ったところで、通りかかった女性店員が「ええっ!」驚いてファイルを落とす。

 沙織は思わず言葉を止めた。


 いらぬ噂を阻止するべく僕は、

「ご要件の趣旨は分かりました、場所のことでの決定ならOKです。その件に関しましては閉店後に吟味して、改めて善処する予定です。あの場の判断に気に入っていただけたのでしたら、喜んで申し受けるつもりでございます。では後ほど」と惚け顔で返す。

「よろしくお願いします」とお辞儀をすると、嬉しそうな顔で沙織は持ち場に戻っていった。


 ファイルを落とした女性店員は「店長、今の……」と言いかけて、

「ああ、テナント店舗の案内地図の設置に関する場所取りの提案でね、その話が長引いていたんです」と取り繕う。僕は惚けていながらも、弾むようにインフォメーション・カウンターに戻っていく沙織の姿を見ながら微笑む。

「そうなんですかあ? そういう雰囲気には見えなかったけどなあ。店長意外とモテるからなあ」と僕の腕を肘で突くジト目のスタッフに、

「僕がモテる?」と懐疑的な顔を見せる。これは本心である。

「知らないんですか? 結構店長のファン、多いんですよ。隣の花屋のすずきさんとかも店長のこと格好良いって言ってたし……」

 僕は軽く肩をすくめて、

「僕は女性にもてたことなどないので、きっとそれは社交辞令か冷やかしの類いだと思います。さあ、仕事しましょう」と笑う。


 僕は再びカウンターに戻ると、足下に置いた自分の鞄から眼鏡を出そうとした。すると眼鏡と一緒に御朱印帳がポトリと鞄の外にこぼれた。そしてちょうど『足利伊勢宮』と達筆で書かれた書と朱印の押されたページがはらりと開いた。

 人助けが転じて、『瓢箪から駒』となる。鮭野津真巳、三十五歳。そして今年の長期休暇はお伊勢参りに行こうと心に決めた瞬間だった。

                             了


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る