第7話 幕間 少女たちの力とは何か

 そこは地底の奥深くに眠る深淵のような空間だった。

 空虚で、仄暗く、冷たく、静か。華やかさや温かみは徹底して存在せず、生者の世界とは隔離された死そのものが漂う異常な様相を呈していた。

 一見すれば地下墓地や古城、そのように表現したほうが正しいとも思えるが、にも関わらず深淵と思わせるには訳があった。

 

 ここには真っ当な命ある者は存在しない。よって生者の国では断じてなく、ある種の悲しみに満ちた営みが行われているのは間違いない。

 ただし、それが常人のものとは趣をまったく異にするという事実があるから、ここは深淵なのだ。


 亡霊は異形である。

 真っ当に日の下で生きる者には、その姿と怨念は奇怪で正体不明な異次元めいた仕様に見える。

 だが、彼らにとっては至極真っ当な形で、自らの信念と執着に基づいて行き場に適した美しくも無駄のないカタチなのだ。


 ゆえに――今ここでかわされるやり取りは亡霊の営み。


 異形たちには相応しい、異界と日常ということになる。


 暗黒の中、燭台に灯った光が深淵を微かに和らげた。しかしその光は冷光で、光はをまったく感じさせない。

 深く仄暗い虚空の中で燃える炎は、ただ真っ黒な虚空に吸い込まれる吸い込まれる星々同然であった。

 揺らめく灯りがそこに居る者たちを浮き彫りにしたことも、あるいは当人たちにとってもどうでもいいことなのかもしれない。


 姿など見なくともはなしは出来る。いやそもそも、ここには存在しないとでもいうかのように。

 彼女らは燭台を前に真向い合っていながらも、お互いの姿をまるで見てはいなかった。

 命を必要としないゆえに体は持たず、代わりに怒りと憎しみと悲しみの意思のみで闇に生きる、亡霊さながらに……。


「クリア、アナタ今回の事をどう思っているのかしら?」


 常どおり親しげな、だが同時に罵るかのような嘲笑の気配を滲ませて、そう問いかけたのはイザナミ・カレン。

 燭台の火に照らされながらも、その顔貌には相変わらず邪悪が渦巻いている。

 癖の強い蒼の髪に生じた明暗は、まるで魂の炎であるように死の煌めきを輝かせていた。


「正直なところを述べて欲しいところね。細かいアナタのことだから色んな事を考えているのは分かるけど、それで自己完結されちゃあ堪らないわ。

そうねえ。点数で答えるというのはどう? アナタ的に今回の状況は何点ぐらいなの?

 百点満点中よ。同志の満足度っていうのを、カレンとしても知っておきたいわ。ねえ、クリア。アナタは何点だと思う?」

「30点」

 返答したその声は、この場に相応しく空虚で透き通っていた。仮に、表情変えられぬ人形が話してたとしても、すこし何かしらの感情めいたものがあっただろう。

 そのまま人形よりも人形めいて、クリア・フォース・エイリーナは短く続ける。


「つまり落第点ギリギリ。失望はしてはいないけど、こんなものでは使い物にならない」

「厳しいわねぇ」


 策略家を自称する死神にとって、それは耳に居たい評価だったのかもしれない。おどけたように口元へ手を当てて、口を三日月に歪めて笑っている。

 クリアはそんなカレンを完璧に無視したまま、やはり端的に問い返した。


「アナタはどうなのです?」

「60点――まあ甘く見ても70点。

つまりカレンとしては、ギリギリ及第点ということ。って言っても、不安要素はいくつもあるけど。

 でもまあ、こんな状況――奇跡ではなくて。

 クリア、失敗なれし過ぎてみあやまっているのではないかしら?」


 そう口元を歪んだまま楽しそうに言うカレンの言葉には、満面の悪意が込められていた。

 ここが生まれて数千年。これほどまで目的にあった条件はなく、現時点でおいてはありえない程の条件が揃っている。

 だからこそ、この点数。そうひにくめいて答えたカレンへ、初めてクリアが意識を飛ばし視線が向いた。


「条件は所詮条件。現状に置いてそいう期待じみたものでしかないですし、中身が詰まっていない以上意味がない。

 第一試練(バプティスマ)を超えたと言っても、あの有様では次は。このまま進めば近い将来、誰一人として残らないですわ」


 だからこそこの場を設けた。クリアは言外にそう言っている。

 彼女ら――個々の感情はともかく、現時点において同盟し同じ最終目的を目指す者同士、またとないチャンスと事態を見ているのであれば、その蕾をいい方向へ育てるべきでしょう、と。


彼女らにとって良いと思えるような方向に。それが余人にとってはどういうものになるかは別として。


 クリアが続けて口を開いた。


「フレデリカについては問題ないですわ。今は痛手を売って荒れてるけれども、時が来れば役目は有無も言わさず果たすでしょう。あの子はそう言う物ですから。

 少なくとも、彼女の役目はかなり後になりますし。その頃には頭も熱も冷めているでしょう。

 ただまあ、問題はレアですわね」

「あの子(バカ)はちょっと手がつけられないからねえ。まあ、手の施しようのない奴についていちいち考えるのは時間の無駄じゃない。そもそも当の本人さえ、自分が何をしているのかすらも分かっちゃいないんだから」

「貴女でも、あの狂愛は苦手なんですのね。死神さん」

「理解ができないということを、そういう風に表現できるならそいうことね。あれには人を殺すということに理解がないし、人間としてどうかしてるわよ。似た者どうしとよく言われがちだけど、まったくアレはカレンと違うものよ。

何ていうのかしらねえ、ワタシの性分を貴女達の基準に合わせた場合」

「天邪鬼――つまりは厄介者でいるだけで害悪を生む道化。ただの狂っているだけのレアとに非なるものです。でも安心してください。そんな者、あの子にとっては取るに足らないし例外なく愛してくれますわよ」

「あまりアレには関わりたくないのだけど。最もあの子がカレンの事をどうこうしようなんて想う訳の無いのだけど」

「あら、それはあの子が貴女の事を気にも止めないと」

「少し違うわ。気にも止めないのではなく、止める価値もないのでしょう。アナタ達と違ってカレンは肉体を持たないし。それ以前に恋歌を唄う恋敵でもない。

 単なる立場の違い。あの子にとって、カレンは道端に落ちているゴミクズとなんら変わらないということよ」

「けれども貴女はここにいる。そいう意味ではワタクシ達となんら変りもない」

「あまり一緒にされたくはないのだけどね」


 それは心からの感想なのか、悪意じみた笑顔すら消して嫌そうな態度で嘆息した。レアやフレデリカという狂った者たちをまとめていたクリアの言葉には、同類特有の説得力があったのかもしれない。

 しかし、すぐにいつもの嘲笑的な小悪魔じみた気配を纏って、話を続ける。



「カレンは公平かつ道楽じみているのよ。この高貴な思考活動を、ただ愛に狂っているだけの化け物と同じに見られたくはないわよ」


 その言葉に自嘲を含んだ笑みが無表情だったクリアから一瞬だけこぼれた。


「つまりはアナタはこういうことです? おなじ狂乱者でも、信念、かける想いが断固として違うと」

「ええ。みれば分かるでしょう」

「例えば死神らしく死に対して?」

「それと、試練にもよ」


 燭台の炎が一際揺れる。クリアの顔をなめあげるように明滅する輝きは、今の会話で爛れ溢れたカレンの悪意が湯油となっているかのようだった。

 邪悪さをただよわせ、一層その場を儀式めいた雰囲気が互いの間で笑い含み流れていく。三日月型に曲がるカレンの口元が悪悪しさを思わせる。それは不快でいやらしいものだった。


 クリアはなにも言わない。

 ただ、道端に落ちてくる小石を眺めているかのように無視して気にも止めない。

 カレンの双眼が、抑えきれぬ愉悦によってねっとりと息を潜めた。


「クリア、アナタは死んでいる。この場にいわせながら名実ともに心が空(無い)。それとも、この場合は諦めているとでも言った方がいいからしら。まあ、どうもいいことだけどね。

 アナタの言うところの天邪鬼であるカレンは、アナタのように真っ当な人間のことがなによりも好ましいのよ。それこそ、死神が冥福に導くべき最上の魂でしょ」

「つまり、アナタはワタクシが哀れだと?」

「哀れでなにが悪いというの。ここにいる奴の中で、哀れではない者は誰一人いやしない。アナタ達も、道具である彼女達も。みんな等しく導いてあげるべき魂よ。

 それに、こんな終った世界で必死になって足掻いているというのは、とても素晴らしいことだと思うのだけどね。そういう人間臭い生にすがる様はあまりにも見ていて爽快だし、とまあそんなわけでえ」


 脱線した話の趣旨をそろそろ元に戻そう。カレンはそう肩をすくめて続く言葉を口にした。


「今後、ことを順調に進めるにはカレンの存在が必要不可欠というのでしょう。

 引いた道具はとっておきだけども、どのみち彼女ら、今のままじゃあ第二試練(クリスマ)は超えられない。カレン達と違ってアレは洒落の通じない訳だしねえ」

「………………」


 クリアは答えない。それがどういう答えなのかききいているのかすら読めず、ただ一瞥を返すと彼女は冷めた無謀で、少し間を置いて口を開いた。


「アナタの言う奇跡が早々に壊れてしまわないように、原石は磨いていく必要があるということです。

 物語というのはカレン、いきなり主役が困難を前にする訳ではなく、前に必ずしも成長する過程というものが必要ですことですよ」

「それはあの勇者のため」

「ええ、そうです。素敵だとは思いませんか?」

「まさか」


 煉獄の劫火ですら凍るような低く冷たい声。ここにきて、カレンは愉悦の嘲笑から初めて冷めたものを感情に滲ませた。

 それは呆れ――のようでありなら、もっと根深く狂った何か。

 一瞬だけ外間に見せた冷徹さは、しかし次の瞬間には消えていて、カレンの笑みには、小悪魔じみた奇怪さ以外、いかなるものも浮かんでいない。


「あまりカレンを失望させないで欲しいわねえ。

 勇者の価値とは、到底かなわぬものを前にしてどう考えるかよ。勝てる勝てないの話ではない。逃げても負けても大衆の期待を背にして第一線に走る。総てを救おうと一心不乱に進む、その無謬の輝きこそがワタシ達を救う」


 そこで二人の視線がぶつかり、言い知れぬ重圧が周囲を覆った。今、カレンが言いは吐いたセリフは、ある種クリアに対してのみ、一線を超えるものだったものかもしれない。


「一つ聞かせて下さい、伊弉冉カレン。それは貴女の本音なのですか?

 貴女は心からそう思って言っているですか?」

「……ええ」


 それは、即答とは言いかねる間を挟んでいた、この死神にとって急所をついた問いだったからそうなのか、あるいはクリアの意図を読もうとしたのかは定ではない。

 変わらずにやついている天邪鬼から、その点を察することはできない。

 だが少なくともクリアは、それになにか落胆したようで一つ瞳を閉じてため息を漏らした。

 クリアのあからさまに豹変した態度に、カレンも眉間にシワを寄せてこの場の空気をいっそう重々しく苦しいものに煮詰まっていく。

 そんな中、一間を置いて煮えたぎった空気にカレンはため息をつき、頷く代わりに席を立って片手を上げて手のひらを振って歩き出す。


「何処へ、カレン?」

「愚問ね。死神は死神らしく死期を告げにいくのよ。家令(アナタ)は(アナタ)らしく役目を果たしなさいな。哀れなお姫様のようにね。

 カレンもまた、アナタが哀れな限り手を貸してあげるわ」

「そう、それはまた心強い。ありがたいですわね」


 似合わない引き気味な言葉など取り合わず、そのままカレンは闇の奥へと消えて行く。

 残されたクリアは何とも悲しそうな表情をして闇を見つめた。


「まったく、哀れなのはどちらでしょうね。

 ああ、それはやはり……」


 クリアの瞳から涙がこぼれる。

 そして同時に燭台に火が消える。真に深淵となった空間は、ただねっとりとした邪悪さをのこして静寂に返っていった。

 ここに亡霊はもういない。無限に広がる闇。ならばそれは虚無の宇宙と言っても差し支えなかった。



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