第5話 試練の開幕

「なにが起こったの……⁉」


 歪んだ異空の空の下。赤く染まった空を見上げ、動揺するミカエは驚愕の眼差しで眼前に広がる巨大な血月(月食)した月を眺めていた。

 地響きが起き、あらゆる物が倒れ一瞬で廃墟同然に散らかった教会の中は危険と判断し外に出てみれば、広がったのはありえない現実。

 街を包む守護(マリア)が消えている。世界は赤く染まってる。なにが起こったのか、ミカエはなにも分からなかった。

 ただ何か良くないことが起こったのだという。不幸な断定しかできていない。

 しかし、今が危機的状況。驚いて呆然と突っ立てる訳にはいかない。

 それだけ分かればミカエが判断を下すには他に必要はなく。


「みんな地下に逃げてっ、絶対に出て来ては駄目ですよ」


 そうやって、共に外へ避難した子供たちを教会の地下へ誘導するのに秒もかからず、最後の子を誘導して、ミカエはそこで待っててと声をかけると戸を静かに閉じた。


 辺りを確認して他に逃げ遅れた子はいないかと注意深く見渡して、教会の敷地内には誰も居ない事を確認すると外へ出る。

良かった、まだ大丈夫だと安堵して。

 そこでふと思い出す。


「そうだ、リアとローザは……。ロプトルは?」


 リアはどうせいつも通り街の壁だろう。そして、ローザはついさっき自分がリアを迎えに行くように頼んだ。

ロプトルは今日の悪戯の罰として街のお店へ届けモノを取りにいかせている。

 三人のいない者の事を思いだして、それぞれどこに居るのか冷静に判断する。

 そうして、最初は驚きはしたが今は至って冷静に。なにごともないように。


「早く助けに行かないと」


 ミカエは知っている。

 守護(マリア)が消えればなにが起きるか。外に居る者が何かという事はもちろん。奴らがいかに危険な存在かということも。

 そして、ここから先、自分は見たくないモノを見なければいけないという事も。


 なにも別に一度前に体験したとか、以前にもそういうことがあったとか、そう言うことではない。ただ、単純に予測できる。アレらが街に侵入すればどんな悲惨な事が起きるかなど。

 人を食べる異形、一般人では到底抵抗することなどできず。通常の武器ではもちろん、物理的なダメージは言うまでもなく彼らに傷などつけることはできない。ゆえに想像は彼女の理解を超えることは無く今もこうして。

 教会の敷地の外、一歩踏み足を運んで通りの先を見れば、途端に臓物が飛び散った。見えたのは腸か胃か腸か。はたまた心臓、肝臓、脾臓、胆のうか、人の胴体という胴体をまるでプレゼントをもらった子供のように破り裂いて、人型の黒炎は人を食べていた。

 そんな目を覆いたくなるような強烈な光景を前に、ミカエは少しも臆していなければ驚いてはいない自身に、まだ自分は大丈夫と確信もって。

 という、彼女自身気かないほど、実のところはこの時ミカエは生涯で最も緊張を孕んでおり、あまりの事態にその感覚すら麻痺するほど平常心でいられる訳ない業況であった。

 そんな事実はいざ知らず、ごくごく普通に。至極当たり前のことのように。人型の黒炎――ギョニールへの対応もいつも通り(・・・・・)に。

 瞬間。ミカエが右手を横に振りかざすと、彼女の体(・)から生えた2本の鎖が鞭のようにしなり、目の前で人を貪る黒炎の異形はその鎖の先についた刃で苦刺しにされギョニールを散らして消失した。


 例外なく悪を捕え刺す鎖。彼女の両腕から分かれるように最大で10本まで同時に出せる鎖は、彼女の意志にそって自由自在に起動する。これこそが聖職者であるミカエの聖器(ロザリオ)に他ならない。

 ギョニールを払った鎖をしならせて左手を横に振ると、更に複数現れたの鎖と共に建物の壁にまとめて突き刺さり、体をワイヤーが巻き上げるかの如く体を引き上げて鎖を壁から離すとその勢いで街を飛び上がった。


 街は既に災禍によって炎と怨嗟が上がっている。

 守護(マリア)が消えたことによって外から入ってくる者だけではない、恐らくは既に街の中にすら自然発生したギョニールの影は人々を襲っている。

 そんな地獄と化した街を縦横無尽に飛翔しミカエは三人の行方を探す。


 そうして――。

 視界の端に写る巻き上がる粉塵と天から落ちる無数の長い杭。それらを目撃したミカエは鎖を民家に突き刺して、大きく方向転換してその発生地へと急速に向かう。


 大きく鎖に引かれて中に飛んで、空中から見上げた現場は混乱と混沌に満ちていた。

 まず目に入ったのは杭の上に立つ4人。それぞれ見たことのないドレスに身を包み、優雅で煌びやかであり、同時に近づいてはいけないという直感が彼女を襲った。


 理屈ではない、本能的に第六感がダメだダメだと危険信号を告げて、目には見えない魔的な圧迫感が空中から飛来するミカエを近づくごとに圧迫して押しつぶすようにする。

 ゆえに一度は引こうとも考えたが、そこにいるリアとローザ二人の姿をとらえミカエは覚悟を決めて突っ込んだのだった。

 

 そうして、空中から到達する直前響いた空音は銃声で。そこに居たローザの体は吹き飛んだ。

 それを見た瞬間、自分をとどめていた何かが切れた感覚と、ギリッと歯を食いしばり更に中から落ちる体は無意識に鎖を通して加速し雷撃の如く被雷した。


「リア!!」


 疾風雷神。宙からの超加速の着地によって吹き荒れた風圧と、地をえぐる着地の衝撃による粉塵でリアの体は吹き飛ぶが、飛ぶリアの体を捕まえたミカエの鎖によって致命的なダメージは防がれて安全な瓦礫の影へと送られた。

 

 その場所であればギニョールに気づかれることは無い。そう確信して舞い散った土煙が晴れると姿を目視することができた、杭の上に立つ4人を見上げてへと対自する。


 その中で、赤いドレスの壊れた童女がミカエが笑う。

「あ~あ。吹き飛ばしちゃうなんて可愛そうに」


 と何の変哲もないただの嫌味。同情など微塵も感じていない、むしろあざ笑って不敵に笑う彼女が言うが、それだけでミカエの心臓を握りつぶしてしまいそうなほどの重圧がかかる。

 ここでのミカエは、まるで四方八方から狩猟者に槍を突きつけられたブタ同然であるような、目の前に立つ彼女らが喋れば肌は痺れ、腕を振れば死を直感する。

 そんな、まるで生きている感触もしない息苦しさを、ここまで緊張感にかけていたミカエに突きつける。神の御前はこんな感じか。神に仕える身を得手が割られているミカエだが、礼賛するような思いは軽く通り越して破滅と言う終わりを初めて実体験した。

 とはいえ、大切な友達が襲われたことが事実でありそこをかてにミカエは自分という精神を保って言葉を返す。


「問題ありません」


 致命的な衝撃波を和らげた、この状況でお前たちの前に立っていることが一番駄目だと。

 そう言わんばかりに、睨み返す。


「問いますが。貴方方は?」


 その問に全員が笑みをこぼす。その光景は口元が引いて耳元まで裂けているような悪夢的な光景をミカエに錯覚させる。

 なんだ彼女らは。

 そんな悪夢を切り裂くかのように一人、この中で最も狂気と悪を滲みだしているような魔的な、狂人を思わせる黒髪とドレスの少女は、真赤な血だまりのような瞳を潜ませて言う。


「はぁっ……キサマは我(ワタクシ)と同類ねぇ。アハハハハッ」


 気持ちが悪い。訳が分からない。笑う彼女を不快に思わずにいられない。


「もう一度問います……貴方たちは……」


 恐る恐る問うミカエに4人は再び顔を笑って見せる。


「レア。少し遊んであげなさい」

「はぁっ……」


 ミカエの問など取るに足らず。答えず、エプロンドレスを来た少女は冷淡に言うと、レアと呼ばれた先ほどからニタニタと笑みの止まらない、漆黒のドレスに黒髪の狂人は、祝福の喜びかと言わんばかりの声を漏らし、杭から飛び降りて。


 瞬間、彼女の背から生えた鎖が四方からミカエを襲った。

 その数6本。3本ずつ左右から逃げ場を奪うように襲う鎖はミカエを容赦なく串刺しにしようと迫り来る。


「このっ」


 それを5本ずつ両手を広げて鎖を弾き、お互い絡み合って引き合い合う。

 優雅にかつ着地音など一切出さず着地するレア。

 広い道の真ん中で、二人は互いに鎖で繋がれた状態で引きあう状態となる。

 

「くっ」


 ギチギチと悲鳴を上げる鎖。お互いに鎖にかける力はこの時実にマンモスの一頭分を優に超えており、その力は圧倒的にレアの方が強く、ミカエの靴は煙を上げ引き寄せられていく。


 その光景を楽しむかのようにレアは悪意に満ちた笑顔をニタニタと上げて。


「あはっ、そんなに離れたいなら、離れさせて上げるわァっ!!」

「このっ」


 叫びと共にミカエを引く鎖の強さは先ほどの倍以上に強まり、滑る形から一気にミカエの足は地面を抉りながら合意に引き寄せられる。そこから先は秒読みだった。


 引いて捉えるのではなく、あまりの引かれる強さに繋ぎとめていたミカエの鎖は制御不可能になり、レアに主導権を奪われる形で引き込んだ鎖ごと振り飛ばす形でミカエの体自体を鎖ごと投げ飛ばしたのだった。


「はぁっ……、昇天の領域まで踏み込んでいると思えば、不完全な復活の領域。なぁにそれ。キサマは勇者ではななくて?」


 吹き飛ばされ、民家をいくつか突き破ぶるミカエに聞こえているか定かではないが、赤く血に塗れた月を背景に歪んだ笑みはまさしく悪魔のそれと言っていい。

 憎悪と期待、そして微量の嘲笑は正しく悪の塊であり同時にミカエには寸分たりとも勝ち目がない絶望を意味していた。

 

 それでもなお、突き抜けた民家の先から鎖が螺旋を描きながらレアへと襲い掛かり、耳元まで口を引くかのような卑猥な笑みと共に同じく鎖で弾き返す。


「生憎と、そう言った方は別に居ますので」


 っと、穴の先から現れたミカエは返した。

 ダメージがない訳ではない。今もミカエは額から血を垂れ流しており、幾分か鎖をクッションに致命的ダメージからは守ったが、それでも受けた攻撃は必死。常人であればあれで投げ飛ばされた時点で重圧によりザクロのように潰れていたのは明白で、それでもなお耐え切れたのは、ミカエ本人ですら知りえない特性があったこそに他ならない。

 そして理由とするならばもう一つ。

 

 許せない。友達に酷い事をしたこの方たちを。

 その上、このまま野放しにすれば街は崩壊するという、のどにつっかえたような、事実がこの時ミカエを限界ギリギリで突き動かしていた。


 とは言え、限界は限界だ。

 いくら鎖を自由自在に操れ、ギョニールを屠れる能力を持っていても。

 目の前に立つ4人は圧倒的かつ破滅的。勝利できる道などありえない。

 ゆえに、結果は見えており。それに落胆したのかエプロンドレスの少女は静かに言うのだった。


「レア、もういいでしょう。それは勇者ではありません。それに、今回もハズレ(・・・)だったということです」

「ハズレねぇ」

「ご主人様の残滓を確認できただけでも収穫はあるでしょう」

「バカみたい。ならあっちで寝てるのはどうするのよ?」

「あれこそなり損ないです。お嬢様の慈悲をうけながら、あの体たらくでは価値などないですわ」

「あらぁ。それはどうかしらねぇ」


 ミカエにはもう興味がない。といった様子で何かよく分からないことを喋り始める彼女達に、ミカエは理解に苦しみ紛れもない疎外感を味わって、ギリっと歯を食いしばることしかできなかった。

 それは悔しくて、紛れもない。勝ち目のないという事実を知っての反応だったのは間違はない。

 そんな恐怖と自己嫌悪に満ちた総てを吹き飛ばすかのように事態は唐突に起きた。


 砕けた瓦礫の影から、飛び出す影が。


 それを見てあるものはやっぱりだと確信を持ち。

「ほらね」

 ある者は愉悦と期待に満ちた笑みをこぼす

「あらぁ」

 そしてまたあるモノはこのすべてを嘲り。

「バカみたい」

 

 突如起きた裂かんばかりの轟音。

 エプロンドレスのこの場を仕切っていた少女へ、圧倒的な奇襲によって放たれた斬撃。それを、赤いドレスを着たこの中で最も小さく、レアの次に悪意に満ちた笑みをこぼす童女が大斧を振り止めていた。


 そしてその奇襲をしたのは。

 紛れもない、リムであった。


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