第3話 外壁と日常の崩壊

 夕暮れから暗闇に染まる空。ただ真っ黒な雲が空一面を覆ってその先は一寸先も透かすことは見えなかった。箱庭のように小さく生きづらさすら感じさせる情景だが、不思議なことに、その熱い雲の中で唯一黄金に輝く巨大な満月のみはくっきりと見ることができた。

 まるで、わたしが居る場所は小さなおもちゃ箱で、月がある場所こそが外の世界のように。

高く広い空を見ているハズなのに、わたしの心境は狭苦しい世界におしとどめられたような思いを感じて息苦しさすら感じた。

そんなわたしに、邪風荒れる風はこの世のありとあらゆる呪いが隙間なく詰まっているかのように押し付けるように押し付けてくる。

 街の外を見つめるわたしは、不要な存在と世界全体に否定されているかのようにして、押し出そうとしてるような。

 見るな見るなと、世界にわたしはここに来るたびに否定され続けている気がした。

 それに抗いながら、世界の外(真実)を見渡す。

 子供が一日走れば一周できてしまうほどのちっぽけなこの街を囲う、高さ数十メートルの高いレンガの外壁。その上で世界に蠢く病みを見ていた。

 病み、そう病みだ。

 黒く街の世界に蔓延る病。

 この世界は病んでいる。

 街の外壁を挟んでその外側、その先は赤く荒れ晴れた魔の荒野が無限に広がっている。

 それは四方八方例外なく、街という水滴を、何もない場所にポツリと水滴を垂らすように、街以外は総て赤く荒れた荒野が地平線の向こうまで広がっている。


 そして、病むという理由にはもう一つ。


「今日は多いな」


 荒野に蔓延る闇の炎。

 人型をした人ならざるモノ。ギニョール。

 あれらは総てわたし達の脅威。世界に蔓延っていてまるで絵本に出てくるゾンビのように無限に湧いて出てくる正体不明な怪物。ぽつぽつと真っ黒な炎を上げて蠢く人型の異形。

 全身を燃やして影を揺らし、憎悪にうめき嘆き苦しむかのようにして、まともな者ならば見れば恐怖を覚えない訳の無い存在。

 街以外に無限に蔓延っており、街の外に足を踏み出せばわたし達へ襲い掛かってくる脅威で、その理由も原理も分からない。

 ただ、人を襲う。例外なく。ただ害虫がゴミを貪るように。

 繁殖は無限。街以外の場に置いて彼らは湧いて出て来て世界に群がる。

 そうして、ただ食らうのだ。街から出たわたし達をエサに群がるアリの如く。

 アレがなんなのか分からない。ただ、今日の絵本に合わせて言うのならば神様の振りまく不幸の具現化。

 わたし達の楽園に住み着く呪いに他ならない。


 とは言え、それらは決して街には踏み入ることはない。

 線引きされているのだ。

奴らとわたし達が住む世界を取り分けるようにして、わたし達の住む街は壊れた惑星の中で、コロニーと化している。

 それは生命の守護、大地の守り。神様の加護。街を外壁ごと覆う巨大な緑のドームをわたし達は大地の守り(マリア)と呼んでいる。

 そのマリアの内側、最も呪われた赤い荒野に近い場所に一人立つわたしだが。


 表情は険しく緊張を孕み、毎晩来て見ていても嫌悪する。

 眼前に広がる異常はそこらの忌み地とは訳が違う。既知だからとかそういうことでなれることなど到底不可能なのがここなのだ。

 場所が場所、冗談ではない。

 

 本当であればこんな場所には通いたくなければ、関わりたくもない。

 けれども、ついーー足を運んでしまう。

 怖いのだ。

 このマリアが消えてしまわないかと。消えて、あの瘴気の炎を纏う異形がわたし達や街を犯さないかと。

 そんなこと、心配する必要もない事を知っている。どんな事があっても、マリアは決して消えない。それは生まれてこのかた頭に刻まれ最初から知っていた当たり前であり、わたしを含め誰一人そんな世迷言を本当に起きるなどは誰も思わない。

 というより、思えない。それがこの世界のルールなのだから。

 であれば、心配する私はある種、世界のルールを超えた存在とも言えるのだろうか。

 まさか、そんなことで自分が特別だとか、凄いなどと思ったことはないし、むしろ知らなければよかったとさえ思える。

 では何故わたしはこんな取るに足らないようなことを心配し、恐怖しているかと言うと、わたしは知っているからであった。

 ただ知っている。前例を。このマリアが、消えるという異常を。

 

「はあ……大丈夫」


 過去の恐怖を思い出し、震える体を抱きしめて。今は大丈夫――そう自分に暗示をかけて安心させる為に呟やいた。

 こんな思いを毎晩のようにしていても、休みなく通う自分は愚かなのだと、自重を含むわたしの右肩に不意に手を置かれてとある人に励まされた。


「大丈夫よ」


 そう、勇ましさの混じる声のトーンで駆けたのは姉。気づけばおねえちゃんが、外壁の上から異形を見下ろす私の隣に並び立っていた。

 わたしと同じ長い銀髪を風になびかせて。凛として勇ましく美しさを帯びた、守ってくれるという安心感を感じさせるお姉ちゃんは、外の異形を一瞥すると、わたしへ優しい瞳を向けてくれた。

 あっちを見るなと言わんばかりに強引にわたしの体を自分の方へと傾けさせて、そんなおねえちゃんの胸に私は顔から埋もれた。

 おねえちゃん。おねえちゃん――リムおねえちゃん。


「今日はどこいってたの?」


 朝寝坊してから一度も会っていない姉に、子猫のように甘える私は頭を撫でてもらいながら問う。


「ん? ああ今日はミカエに頼まれて一日買い出しをしてたのよ」

「買い出し? なにを?」

「子供たちの教材用の紙と鉛筆。あとはシートとかね」

「シート?」

「ええ。今度みんなでピクニックすることを計画しているみたいよ」

「そのために地面に敷くシートね。って、言い出したのはリアだと訊いたのだけど? 違ったかしら」

「ほえ?」


 言ったような、言ってないような?


「前に大はしゃぎでしたいって言っていたとミカエが言ってたのよ」

「ん~。じゃあ言ったかも知れない」

「まったくもう。アナタいつもその場の思い付きで言うのだから。だらしないわよ」

「むー。ごめんなさい」

「別に怒ってないわよ。わたしもピクニックを楽しみにしているから。アナタの思い付きはいつも楽しい事だし」

「ホントー?」

「でも、だからってはしゃぎすぎてはダメよ」

「はぁい」

 

 釘を刺されたわたしは自嘲気味に返事をするとおねえちゃんの胸を離れた。わたしが離れると、クルッと半回転をする。そうして体半身と顔をこちらに向けて。


「さっ、帰りましょう。遅くなってはミカエが怒るわよ。あの子を怒らせると怖いのだから。今日だって何故だかロプトルが正座させられていたのだし」

「あはは……」


 ロプちゃんの場合はあれは自業自得なので、フォローのしようがないのだけど……。というか正座だけですんだのか。良かったねロプちゃん。


「どうしたの? 帰るわよ」

「あっ、うん………え?」


 先に歩を進めていたお姉ちゃんがこちらを再び振り返って駆け寄ろうとしたその時だ。


「キャア!?」


 世界が唸り、地響きが鳴動する。揺れてるのは天かそれとも地か。それともわたしか。大轟音と共に生じた揺れは、なにが揺れているのか判断がつかない程に視界は揺れてブレて、その衝撃に耐え切れず破壊をもたらす。

 万象、天すら揺れて振り落とさんとするほどの大地震は、わたしの目の前の物を歪ませて痛ませる。そうして、それに悲鳴を上げた物からひび割れが伝播して倒壊し始める。


 揺れる。崩れる。壊れる。

 揺れ動く大災害はわたしの足元にまで脅威を伸ばして、いけないダメだ。

 思わず膝をついていたわたしの足元の街壁は亀裂を生じて崩壊を始め。逃げないと、そう思う余地もなく崩れる足場と共に無抵抗のまま落下する。

 その瞬間。


「っ……」


 ダメだ、そう思ってとっさに目を伏せたわたしだったが。不思議な事に揺れ動く世界の中、落下はしていなかった。それどころか、世界は静止して。


「ふえ……」


 瞑っていた瞳を開ければ、地震は収まっておりそれと引き換えに崩れただのレンガの山となった外壁と傷んだ街が目に止まる。街の至るところでは煙や火が出ており二次災害を起こしているのが見て分かる。

 遠巻きだが悲鳴のような音も風に乗って聞こえ、大騒ぎになっているのは一目瞭然。一瞬にして静かだった街に大きな傷跡が刻まれていた。

 そうして自分の状態を省みえれば、ぷらんと崩れた外壁に干される形で止まっていた。

 しかもやけに息苦しい。


「おねえちゃん」


 見上げれば、おねえちゃんが自分の襟首を掴み受け止めてくれていたのであった。


「まったく、世話の焼ける子ねっ」


 勢いよく引き上げられ、グッと首はしまったが、おかげで落ちて大けがをせずに済んだ。

 上に引き上げられたわたしだが、せき込みながら手と膝をつく姿を見ておねえちゃんは真剣な眼差しで大丈夫と声をかけてくれ大丈夫と応答した。


 呼吸を整え落ち着いたわたしは、立ち上がり周りを見渡し呆然とする。


「なに、これ……」


 赤い。ただひたすらに赤い。

 街は砕け火が上がっているからなんて、扱く簡単な理由なんかじゃない。

 夜の街を発光させるかのように、赤く照らされて血塗られたように反射していて。


「つき?」


 不意に見上げた空には先ほどまであった黒雲はなく、代わりに天を覆い隠す程の巨大な月が停滞していた。その月は今にも落下してきそうな程近く、手を伸ばせば触れそうなそんな錯覚を感じさせ、見ていれば距離という概念を捻じ曲げられそうだ。

その上、真赤に光を放って大地全体を赤く染め上げていた。まるで世界の終焉と言わんばかりに、不安と不快感を感じさせる血だまりへと天も大地も皆々総て、遍くこの世の果てまで。不快な血色へと照らし染めていた。


 なにこれ。


 世界の終焉を思わせるそれを見て。わたしは驚愕の震えと共に膝から力がぬけて腰く。

 もう終わりだ。もうダメだ。イヤでもなんで。

 混ざり、ねじ周ってぐちゃぐちゃになる思考。わたしはここに居て、でもどうしてここに居て、こんな事。

 過去(現実)と混同し混じる思考は混乱をきたし、わたしという人格すら歪みそうになっていく。

 わたしは誰……。

 今起きている現象。それがあらゆる記憶をつぎはぎだらけに狂わせて、過去も夢かも分からず混ざり矛盾して私を発狂寸前まで狂わせる。

その時。


「大丈夫よ」


 今日二回目のあの勇ましくも凛とした声が私の耳元に優しくかけられる。


 その声にわたしは戻ってこれた。


「おねえちゃん……」

「大丈夫よ。リアはリアよ」

「うん……」


 抱きしめられたわたしは震えながら問う。


「おねえちゃん。マリアは……」

「うん」


 姉の返答に見たものは紛れもない事実だった。

 

 それは、大地の守り(守護)マリアが消え、絶望が始まったという事実だった。

 

 ゆえに起きる事象は言うまでもなく。

 街の周りに蔓延る人型をした人ならざる黒炎は街へと介入する。

 ユラユラと踏み出し、触れるものを腐らせ汚物に変えるように、悲しみと不安の病み嘆くを思わせてズルズルとゆっくり、ゆっくりと押すその様はまごうことなき餓える亡者。

 

 逃げなければここも危ない。最も外に近い場所に位置する外壁であるここは今にでも包囲されそうな状況で、早くしなければ食べられてしまう。


 逃げなきゃ。でも……何処に。

 マリアが消え、こうなってしまえば何処にも逃げ場はない。

 ただ奴らに食われ蹂躙されてのみだ。唯一、助かる方法があるとすれば。


「リア。逃げて」

「おねえちゃん?」


 わたしを放したおねえちゃんが、真剣な眼差しで言うと突き放すかのように後ろを向く。

 

「これはお姉ちゃんの役目でしょう?」

「でも!」

「でもじゃないわ。早く教会に行って皆を守りなさい。全部は食い止められない、だからせめて大切な人たちだけでも」

「そんな、おねえちゃんも大切だよっ!!」

「大丈夫よ。守る事が、私たち(勇者)の役目だもの」


 そう、紛れもなく唯一助かる方法があるとすれば、この世界の役目が勇者であるおねえちゃんが、この事態に立ち向かうことだけだろう。

 

 だからといって、ここに置いてかれるなんてこと……。

 できない。だって、おねえちゃんがいないとわたしは何もできないし、例えわたしが行ったところでどうなると言うのか。

 わたしが、わたしなんかが皆のところへ行っても。ギニョールに抵抗するすべを持っていないわたしなんか言っても意味なんかはない。

 とろい私は逃げるのに、足手纏いになるだけでしかない。

 昔のように。昔……。


「おねえちゃん。イヤだよおねえちゃんっ」


 だが、おねえちゃんは訊かず既に去っている。


「おねえちゃん、置いて行かないでよ……」


 言葉はもう届かない。

 取り残されたわたしはただ茫然と立ち尽くす。

 置いてかれた絶望に思考が真っ白になりながらおねえちゃんと、呟いて。


「お姉ちゃん」


 そう、おねえちゃん。


「リアお姉ちゃん」


「―――えっ」


 そこで気がつく。

 

「リアお姉ちゃんっ」

 

 訊き慣れない、知っている声に視線を向けると、そこにはわたしの袖を引いて必死に呼んでいるローザちゃんの姿があった。

 いつの間に……。

 

普段物静かなローザちゃんが叫ぶという異常な行動が起きているという時点で、彼女が酷く焦っているというのは伺える。

 走ってここまで来たのか、いつ来たのか分からないが、彼女は潤んだ瞳をして、立ち尽くす私を必死に揺すっていた。


「ローザちゃん」

「早く逃げよ……」


 応答したわたしに紡がれる言葉は弱々しく、泣きそうで震えながら必死に訴えかけているのが分かる。

 そんなローザちゃんを見ていて、自分が今まで何をしていたのか、何を考えていたのか、スッと吹き飛んでしまうほどに、彼女は弱々しくわたしに頼って来ているのは明白。

 このままでは、ここでわたしもこの子も共倒れだ。 そんなの、ソンナの嫌だ……。

 ああ――だから。


「お姉ちゃん」

「うん」


 お姉ちゃんだから。

 お姉ちゃんに妹は守ってもらわないといけなくて。

 でも、今(・)はわたしがお姉ちゃんだから、今度はわたしの番なんだなって。妹になり続ける前とは違うと。あんなことは繰り返したくないと。わたしはローザちゃんの小さな手を握った。


「逃げよ」


 そう言ってローザちゃんの手を引き走り出した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る