第6話 『大聖女』エルセ・リース 3


 いくら考えてみたところで、理由なんてさっぱり分からない。どうかしているとしか思えなかった。


 せっかく生まれ変わったというのに、面倒ごとが多すぎると深い溜め息を吐く。


「ええとほら、噂とかってねじ曲がって伝わることが多いじゃない? それに、私は大した聖女じゃ──」

「そんなことは絶対にありません! 先ほどのティアナ様のお姿は、本当に本当に素敵でした!」

「あ、ありがとう……?」


 力説され、苦笑いを返すことしかできない。


(でも、ティアナは気持ちだけは立派な聖女だったわ)


 魔力なんて無いに等しかったのに、なけなしの魔力を必死にハンカチの刺繍に込め、魔除けのお守りとして魔物の多い地域の子ども達に贈っていたことを思い出す。


 それ以外にも自分にできることはしようと、朝から晩まで働かされた後も、遅くまで努力をしていたのだ。


 絶対にいつか、これまで私を虐げてきた人間達にやり返してみせると固く心に誓い、両手を握りしめる。


 ──それから帝国に着くまで、マリエルだけでなく騎士達にも持て囃され、私はむず痒い気持ちになりながら過ごしたのだった。



 ◇◇◇



 その後は何のトラブルもなく、無事にリーヴィス帝国へ到着することができた。


(私を殺すのを失敗したと知ったシルヴィアが、また何かしてこないといいけど……)


 混乱を招かないよう、聖女である私がいつやって来るのか民には知らされていないらしい。移動の馬車も普通の貴族が使用するもののまま、王城へと辿り着いた。


(あの頃と全く変わっていないのね。なんだかとても遠い昔のように感じる)


 大聖女だった頃、私は王城で暮らしていた。


 実家のような安心感を覚えながら、マリエルや騎士達と裏口から王城の中へと入り、長い廊下を進んでいく。


「あの方が、聖女ティアナ様……!」

「まあ、なんてお美しいのかしら」


 すれ違う人々からは、そんな囁き声が聞こえてくる。


 シルヴィアや聖女達に散々虐められていたティアナは自己評価が低いけれど、実際はかなりの美人なのだ。


 輝く長い菫色の髪とローズピンクの瞳が、整った顔を引き立てている。


(前世は赤髪だったし、こういう色に憧れてたのよね)


 そんなことを考えているうちに辿り着いたのは、見覚えのある執務室だった。歴代の皇帝が使う部屋だ。


「今から皇帝陛下にお会いしていただきます」

「ええ」


 マリエルはドアをノックし、「聖女ティアナ様をファロン王国からお連れしました」と声を掛ける。すると少しの後に「入れ」という男性の声が聞こえてきた。


「失礼いたします」


 そうしてマリエルと共に部屋の中に入り、すぐに頭を下げた私は、はたと気づく。


(あれ、今の皇帝って誰だったっけ? 私が皇妃として連れて来られたのなら、あのタヌキ親父は死んだのね)


 十七年前の当時、皇帝はかなり高齢だったため、死んでいてもおかしくない。


 それはもう最低な人間で、私は大嫌いだった。女好きで見境がなく、大聖女である私にまで手を出そうとしていたのだから。


 皇子は三人いたけれど、誰が皇位に就いたのだろう。


「どうか顔を上げてください」


 静まり返った室内に、心地の良い声が響く。


 そうしてゆっくりと顔を上げると、透き通るようなアイスブルーの瞳と視線が絡んだ。


(う、うわあ……なんて綺麗なの……!)


 あまりにも美しいその容姿に驚く私に、男性は小さく微笑む。少し長めの黒曜石の髪が、さらりと揺れた。


「初めまして、聖女ティアナ様。我が国へ来てくださったこと、心より感謝いたします」


 柔らかな笑みを浮かべる様子や態度を見る限り、前皇帝とは違い、傲慢な人間ではないようだった。


 私が返事をする前に、彼は続ける。


「フェリクス・リーヴィスと申します」

「……フェリクス?」

「はい」


 うっかり見惚れてしまった私は、一瞬で我に返る。


(う、嘘でしょう!? これがあの、小さくて泣き虫だったフェリクスだっていうの?)


 驚きで息を呑む私を見て、フェリクスと名乗った皇帝は「聖女様?」と眉を顰めた。


 私は驚きと戸惑いを隠せないまま、片手で口元を覆う。


(まさかフェリクスが、皇帝になっていたなんて……)


 フェリクスは私が大聖女だった頃、たった十歳の第三皇子であり──私の弟子だった。

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