第6話・陽陽
部屋に戻った氷霞は、小さな木の
『あの
「部屋。荷物を取ってくるって」
『たった三日なのに?』
言われてみればたしかにそうだ。
「ま、女の子だから、必要な荷物があるんでしょうよ。着替えとか」
『そういうもんかねぇ』
瑚白は床を這い、栗鼠の様子を見る。なんとなく舌の動きが早い。
「……食べたら丸焼きにするからね」
『タベナイヨ、ハハハ』
氷霞は
『髪伸びたな』
「……そうね」
氷霞は幼少期から髪を伸ばしている。
歩揺を棚にしまうと、鈴鈴の寝床の用意を始めた。寝台は氷霞の分ひとつしかないし、たった三日だ。わざわざ用意することもないだろう。
「ただいま戻りました、娘娘!」
しばらくして、荷造りを終えた鈴鈴が戻ってきた。
「小鈴の寝床はここでいいかしら? 嫌なら私の寝台を使うといいわ」
「め、滅相もございません! 私は床で大丈夫です!」
「そう? それと、この子名前は?」
「え、名前……ですか」
鈴鈴の目が泳ぐ。どうやら、考えていなかったらしい。
「どうせ世話をするなら、つけてあげた方がいいわ。その方が、命尽きたときもすんなりと楽土に渡れるはずだから」
「なるほど……」
鈴鈴は顎に人差し指を付けて宙を見上げた。
「では、
氷霞は小さく微笑む。
「じゃあ、世話はあなたに頼むわよ。私は奥にいるから、なにかあったら呼んでくれる?」
「はい、
その夜、氷霞が長椅子で木片を削っていると、
「……氷霞。これは、どういうことだ?」
春蕾は鈴鈴を見て眉を寄せた。鈴鈴はといえば、間近で見る皇帝にぎょっとして、小さくなっている。こんなに近くで皇帝を目にするのは初めてだったのだろう。
「三日間の間、私の侍女になってもらうことになった下女です」
「……なぜ、三日なのだ?」
「
「陽陽?」
「栗鼠です。庭で見つけたこの子が、私に助けを求めてきたので」
すると、海里が一歩前に出た。
「勝手なことをされては困る。侍女を入れるならこちらで……」
「かまわない。どうせ三日だ」
「しかし陛下」
「となるとこれから三日間、そなたらは二人で寝るのか。私を差し置いて」
「そうですね。私は夜伽をしないので特に問題はないかと」
(つまり、さっさと帰れ)
春蕾が小さく笑う。
「頑なだな」
しかし、春蕾も春蕾で空気を読む気はないらしい。
「陛下ももうお帰りになった方がよろしいかと」
「そういえば、
「えっ!! よろしいのですか」
「なっ!」
鈴鈴はきらきらと瞳を輝かせて食いついた。
「海里」
「かしこまりました。では小鈴、こちらへ」
「はい!」
「ちょ、小鈴」
(ああぁ……私の虫除けが……)
鈴鈴は、ちゃっかり陽陽が眠る木籠を手に抱えて出ていった。
心底がっくりしていると、春蕾がちらりと氷霞を見た。
「……やはり、あの子を入れた理由は私除けだったか」
春蕾にじろりと責めるような目を向けられるが、氷霞は素知らぬ顔をした。
「陛下も食べにいかれてはいかがです?」
氷霞は長椅子から寝台に移動すると、その上で座ったまま回れ右をして背中を向ける。すると、後ろからくすりと笑い声が聞こえた。
「私はそなたと話している方がよい。明日はそなたにも菓子を持ってこよう」
「いりません」
ふと空気が揺れたかと思えば、春蕾が寝台に座った。氷霞が驚いていると、春蕾はそのままころりと寝転がった。
「ちょっ……!?」
「手を出さないとは言ったが、一緒に寝ないとは言ってない」
「こ、困ります!」
氷霞は顔を紅く染めて寝台から降りた。しかし、浮きかけた腰は春蕾の手によって阻まれる。
春蕾の手が、氷霞の細い手首を掴んでいた。ハッとする。氷霞は思わず春蕾の手を払い除けた。
ぱちんと小さな音がして、直後気まずい沈黙が落ちた。
(……やっちゃった)
思いっきり春蕾を拒んでしまった。氷霞は顔面を蒼白にしながら、ちらりと春蕾を見た。
「……申し訳ありません」
宙に浮き、彷徨うように静止していた春蕾の手がもとあるところに収まっていくのを、氷霞はじっと見つめていた。
「……そなたは、どうしてそう頑ななのだ?」
「なんのことですか」
「毒蛇の姫と言われて気味悪がられてきたことが、そなたをそんな臆病にしたのか」
「……陛下こそ、なぜ私のような女を妃にするのです。私よりも美しい女も、賢い女もこの後宮にはたくさんいるでしょうに」
「そなたのように、私を拒んだ妃は初めてだったが?」
(くっ……返しづらい)
「朱芳は私の大切な家臣のひとりだ。これからも良い関係を築きたい」
その瞬間少しだけ開きかけた心が、軋んだ音を立てて閉じていく感じがした。
(そうか。結局私は、道具か)
ほんの少しでも、罪悪感を感じたのが馬鹿みたいだ。
「……そうですか。そのお言葉が聞けて安心しました」
自分でも驚くほど、冷ややかな声だった。
「私は
春蕾の目が泳ぐ。
「……すまない。そういうつもりで言ったわけではなかったのだが」
「……いえ」
俯くと、視界が滲んだ。
「氷霞……顔を見せて」
いたたまれなくなって、氷霞はすっと立ち上がる。そのまま部屋を出ようと歩き出すと、背中に春蕾の悲しげな声が向けられた。
「待ってくれ、氷霞……」
反射的に足が止まりかけたが、すぐに我に返る。
春蕾は肩を落とし、部屋を出ていく氷霞を見送った。
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