03 前哨戦

 当時、朱元璋は、宋の韓林児かんりんじだった。

 朱元璋としては、韓林児の臣下であれば、元からの攻撃はである宋に向かうという意図があった。

 ところが。

「張士誠が韓林児を攻めている?」

 張士誠も、朱元璋と陳友諒の争いの隙をいて、韓林児の勢力を呑みにかかった。

「出る」

 朱元璋はである韓林児の救出を決意する。

「愚かな」

 劉基は止めた。

 陳友諒が兵を集めている。

「たかが小僧韓林児のために、留守にするとは何事か」

 朱元璋から「わが子房張良」と敬われた劉基ならではの諫言である。

 だが朱元璋はそれを振り切り、韓林児救出に向かった。



「こうなった以上、陳友諒は必ずや攻めてくるに相違ない」

 劉基は陳友諒の攻撃の道筋を予測した。

「まずは長江を下って鄱陽湖に出る。すると南昌」

 南昌は鄱陽湖の南端のさらに奥。

 ここなら、朱元璋が軍を返したとしても、至るまでに日数がかかる。

 劉基は南昌の守将の名を思い出す。

しゅぶんせい鄧愈とうゆだと!?」

 唸った。

 朱文正は朱元璋の甥である。貧農の出で家族と死に別れた朱元璋にとって一族は宝であり、その宝を南昌に置いているということは。

「決して見捨てないということか。それに鄧愈」

 こんな話がある。

 鄧愈は元軍から攻められた時、援軍が来るまで持ちこたえ、その援軍と挟み撃ちにして元軍を打ち破った。さらに元軍を追撃し、拠点を三つも奪い取ったという。

「実績というだけではない。そういう運もある男」

 他にも鄧愈の武勇談は尽きない。だが、そういう男がいるというだけで、兵は勇気づけられる。

「つまり、計算づく。恐るべき主を持ったものだ」

 おそらく、陳友諒の間諜がいることを警戒してか。

 それは打ち合わせなどしていない、本物の動き、本物の言葉であり、芝居などではない。

 これらを、全て考えた上で実行するという、朱元璋は大した玉である。

「であれば、この劉基がすべきことは」

 劉基は康茂才を呼んだ。

 そして何事かを指示すると、諸将の前に「朱元璋よ、この大事なときに」と罵った。



 南昌。

 陳友諒の大艦隊の登場に驚倒する南昌の者たちだったが、鄧愈が「籠城を」と進言すると、朱文正はそれを容れ、南昌は防衛の構えを取った。

 朱文正は、ここは用兵巧者いくさじょうずの鄧愈に全て委ねるのが得策と判じた。

「鄧将軍、ぜひ、全軍の指揮を」

「お任せを」

 鄧愈も心得たもので、指示を下しながらも、重要事項については、必ず朱文正に事前の許可を得ていた。

「陳友諒艦隊、迫ります」

「よし、おれが出る」

 鄧愈は拱手きょうしゅして朱文正に出撃の許可を求めた。

 朱文正は鷹揚に頷いた。

火竜槍かりゅうそう用意」

 宋金戦争当時に火槍なる火薬の兵器が導入されたと言われる。やがてそれは蒙古襲来という洗礼を経て、火竜槍という火砲が開発されていた。

「撃て」

 轟音と共に、火箭が走る。

 さしもの巨艦も焼けてはたまらずと、回頭していく。

「やったか」

 前線視察に来た朱文正が鄧愈に問うと「いえ」と答えられた。

「まずは小手調べでしょう。油断は禁物」

「そうか」

 やはりここは朱元璋に来てもらわねばと、朱文正は思った。

 そして、それまで鄧愈を含めた将兵を支えるのが、己の役割であると強く思った。

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