005『頼むから、勝手に洗脳しないでくれ』

「早速デスが、ご主人に擬人格ペルソナを植え付けた組織を潰しに行きましょう! 世界征服の前の肩慣らしにぴったしデス!」


 すくっと立ち上がったアルシエルが嬉々として言った。瞳孔ガン開きの淀んだ瞳とのコントラストで相変わらず不気味だ。


 一難去ってまた一難とはまさにこのこと。頭が痛い。

 それにしても、殺されないためとはいえ、とんでもない設定に乗っかってしまったものだ。


 僕はこれから組織とやらとの戦いをでっち上げつつ、世界征服などという馬鹿げた野望を真面目に目指さなくてはならないのだ。改めて考えてみると、頭がおかしくなりそうだった。


 まずは、組織とやらをどうするかが問題だ。言うまでもないことだろうが、擬人格ペルソナを僕の体に植え付けた組織なんてものは存在しない。とっさに口から出たでまかせだ。


 存在しない組織とどうやって戦う? 一休さんの逸話かよ。頭の悪いギャグにもほどがあるだろ。


 だが、こうなった以上、仕方がない。今はお茶を濁してどうにか乗り切るしかない。


「……当然だな。この俺にふざけたことをしてくれたのだから、相応のお礼はしてやらなくては」

「デスね!」

「だが、まだその時ではない。今は雌伏の時だ」

「なぜデス?」

「……なぜかって? それは、だな……奴らと戦うための駒が足りないからだ」

「駒? そんなもの不要デス! ご主人のもとにアルシエルがある今、敵なんて居ないデス! 鎧袖一触ちょちょいのちょいデス!」


 アルシエルはシュシュッ、シュシュッと口にしながら空中に猫パンチ。女の子らしい内股でちょっと鈍臭そうな感じがちょっと可愛い。


「…………」


 いやいや、気をしっかり持て! 相手はゾンビだぞ! ただでさえ中二病という人生の汚点を持っているのに、さらに死体フェチなんて持ってしまったらもう終わりだ!


 僕はアルシエルを視界から消すために背中を向けると、ギュッと目を瞑ってひっひっふー。どうにかこうにか心を落ち着かせる。


 まったく、なんて恐ろしい精神攻撃しやがるんだ。せっかく窮地を脱したというのに、今度は違う意味で人として死ぬところだった。


「……聞け、アルシエル。蟻の穴から堤も崩れるということわざもある。事実、俺は油断から奴らに遅れを取り、擬人格ペルソナを埋め込まれてしまった。この事実をなかったことには出来ない。それとも、俺に同じ轍を踏むような愚か者になれとでも?」


 ちらっと様子をうかがうと、アルシエルは頬を膨らませていた。せっかくやる気になったところでのお預けに不満があるようだ。


 てか、そのちょっと可愛い仕草やめろって。頼むから不気味なままでいてくれ。


「まぁ、それにだな。どうせ世界征服をする上で駒を揃えることは必須になる。遅かれ早かれ駒を揃える必要があるのなら、駒を揃えてからお礼に行ったほうが合理的というものだろう?」

「デスが、ご主人――」

「目的を見誤るな、アルシエル。俺たちが成すべきは世界征服であって、組織を潰すことではない。あくまでも組織への報復は世界征服の合間に行うちょっとしたお楽しみでなくてはならない。感情に流されず何を優先すべきなのかを合理的に判断しろ」

「……うー……分かりましたデス。ご主人がそこまで言うのであれば、アルシエルは従うのデス」

「ああ、そうしてくれ」


 危ねぇ……早速、存在しない敵と戦うはめになるところだった。

 けど、これも結局は一時しのぎにしかならない。どうすればいいのか、近いうちに考えておかないとな。頭の痛い話ばかりだな……まったく。


「では、組織潰しは後に回して駒集めするデス! 手始めにこの街の人間を丸ごと洗脳デス!」

「ま、待てっ! その、だな……ただの一般人を洗脳しても、組織相手には役にはたたない。俺が欲するは特別な力を持った存在なのだ……」

「なるほど……それもそうデスね。雑魚を集めても仕方ないデス。さすがはご主人! 聡明デス!」


 発想がいつも極端なんだよ。怖ぇよ。


 何がどうなってこんな思考回路に生まれたんだ――って、常識的に考えて昔の僕のせいじゃん。はぁ……過去の僕、恨むぞ……。

 

   ***


 夕焼けチャイムが街に鳴り響いた。階下からは包丁の音と煮物の匂い。いつの間にか外は夕日が沈んで暗くなり始めている。


 そろそろ、この茶番も終わりにしたいところだ。精神がすり減ってきているのを感じる。


「とにかく……まぁ、ご苦労だった。今日のところはもう下がれ。今後の活動については、また後日伝える」


 強引に話を終わらせると、アルシエルは小さく頷いて部屋の隅に立った。出ていくのではなく、部屋の隅で直立不動。

 何してるんだ、こいつは?


「おい……下がれ、というのは後ろに下がれという意味ではなく、帰れという意味なんだが」

「……? ご主人の側こそがアルシエルの帰るべき場所デスが?」


 アルシエルは不思議そうに首を傾げて言った。


「うぇ? あ、ああ……それ、も……そうか。そうだな……」


 考えれてみれば当然のことだった。こいつに帰る場所なんてない。強いていうならば、僕の部屋以外にないだろう。


 しかし、それはつまり……四六時中、中二病を演じなくちゃならないってことで。しかも、バレれば殺されるかもしれないという恐怖の中。

 なんだよそれ……地獄かよ。


 想像するだけてで胃が痛くなってくる。頬がひきつりそうになるのを抑えるのが大変だった。


「だがな……我が家には部屋が足りない。お前のために部屋を用意することはできないわけでな――」

「この体は眠らないデス。ご主人の部屋の隅にでも立たせておけば問題ないデス。寝ずの番としてご主人の役に立てて一石二鳥デス」


 いやいや……死体の少女が常に部屋の隅に立ってるとか、ホラーにもほどがあるだろ。それに、健全な男子高校生のあれやこれやはどうしろってんだ。


「家族にはどう説明する」

「普通に説明すればいいデス」

「そ、組織の手が家族にどう入り込んでいるのかわからない現状では、莫迦正直に話すのはスマートじゃないだろう? 俺の覚醒が家族経由で組織にバレる可能性がある」

「なるほどデス」


 まぁ、そもそも無防備にこんな場所で普通の声量で話をしている時点でガバガバな論理だが、幸いにもそのツッコミはなかった。

 アルシエルが単純な思考回路をしていて助かった――と思った矢先、


「じゃあ、殺してしまえばいいのデス! 死人に口なしデス!」

「いや、いいわけねぇだろ」


 思わず素で突っ込んでしまった。クール設定のアギトには似つかわしくない物言いだったかもしれない。

 やっぱり、単純思考が過ぎるのも考えものだ。常人にはついていけない。


 僕は咄嗟に咳払いをして取り繕うと、無理やりハードボイルドなキメ顔を作り、何か面倒なことを言われる前に言葉を繋げた。


「殺してしまえば、当然その事実は組織にも伝わる。それでは本末転倒だ。違うか?」

「……うー……そうデスか」


 アルシエルがまるで親に叱られた子供のようにしゅんと目を伏せた。

 やっぱり、こいつちょっと可愛いくない? ――いやいや、惑わされるな僕。この子はただの死体、肉の塊!

 

 と、二度目か三度目の精神攻撃に耐えるべく、アルシエルに背を向けたら、


「あら。お取り込み中?」

「……か、母さん……」


 茶菓子を持った母さんがニッコリと笑って立っていた。


 友達が我が家に来るなんて多分小学生のとき以来の出来事だから、母さんとしては気を利かせたつもりなのだろう。だが、マジで今はやめてほしかった。


 とにかく追い返そう――そう思って僕が口を開きかけたその瞬間、僕の背後から飛び出してきたアルシエルが母さんの頭を鷲掴み。例の黒靄触手が母さんの頭に入り込んでいく。


 あまりに突然の出来事に僕は思考停止して固まってしまった。その僅かな一、二秒の間に、


「あっ……あ、あ? う、うう?」


 母さんが痙攣して泡を吹き白目をむいてしまった。

 それを見てようやく我に返った僕は、アルシエルを止めようと彼女の腕に手を伸ばすが時すでに遅し。


 アルシエルは僕に言われる前に黒靄を引いて、母さんの頭から手を離した。それはつまり〝作業〟が完了したということで――。


 どっと吹き出し始める汗。頭が真っ白になって体が硬直する。

 そんな僕に振り返って、アルシエルは汗を拭う仕草をする。もっとも、汗など微塵もかいてはいないが。


「危なかったデスね、ご主人! 都合の良い記憶を植え付ける洗脳をかけておいたデス!」


 人格を消されたわけではないのが不幸中の幸いだろうか。でも、洗脳か……変な後遺症が出ないことを祈るしかない。


 そんな僕の気持ちも露知らず、アルシエルは鼻息をフンスと吐いて満足気。そこはかとなく褒めてほしいオーラが見える。


 当然、そんな彼女を叱る勇気が僕にあるわけもなく――、


「…………さすが、は……俺のアルシエルだな」

「デススススッ! アルシエルは有能なのデス!」


 僕は諦めて現実逃避した。


 アルシエル……頼むから、勝手に洗脳しないでくれ。

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