第10話 兄妹即興寸劇 別れ際のカップル編

「あ、そういやあの人、伊澄のこと言ってくれてなかったのかな?」


 ネコ先生を送って一人になり、帰路につきながら、今更ながら俺はそんなことを考えていた。

 先週ネコ先生に奢らされた時、俺は伊澄のことをネコ先生に説明していた。「彼女なんだろ?」とか言ってきてめんどくさくなつたから、本当のことを言ったのだ。

 親戚なら、先週のこと言ってくれればよかったのに。


「それにしても……旅行かぁ」

 

 ネコ先生との話で、旅行はほとんど確定してしまった。別にそれ自体は構わないのだが、伊澄のお披露目となると、話は変わってくる。

 だってアレだぞ? 美少女×変態×オタクの、「妹に化けただけ」みたいなヤツだぞ? ここまでくると兵器の域だ。しかも、——外面は知らないが——家では怠惰の化身みたいヤツだ。

 それに、絶対に余計なこと言いふらすんだよなぁ。俺にとって不利益になるような情報を……ん? 考えてみれば、子供の頃からずっと、俺ってボロ出してないな。シスコンってことは、なぜかもうバレてるわけだし。


「へいへいそこの兄ちゃん! よければ一緒にお茶しなーい?」

「伊澄か。お前も今帰りか?」

「おっとー、まさかの無視?」


 俺は自然とアオバ似のぬいぐるみを伊澄に渡した。伊澄はそれを胸に抱いただけなのに、兄からの視点でも絵になることがわかった。高校生大好きなSNSに載せれば、かなりの好評になるのではないだろうか。

 伊澄は自分の友達を見かけて、俺を放って遊びに行ったはずだ。

 俺の知ってる伊澄の友達は一人だけで、相手はその子じゃなかった。だから、なんとなく泊まりになるような気がしていた。

 だが、案外早い時間に帰ってたな。まぁ、門限として六時には帰ってくるように言っていたから、約束は守っているのだ。疑うのも悪いか。


「夏休みの後半に旅行に行くことになったんだが、お前も来るか?」

「別にどっちでもいいけど、どうせ暇になると思うし行く」


 自由なヤツだな。てか、人見知りの心配はないの? 俺以外は全員知らない人なのに、まるで不安を感じられない。強い子に育ってくれて、お兄ちゃん嬉しいよ。

 

「あ、ゲーセン寄らない?」

「戻ることになんだろうが」


 しかも三回目なんだよ、俺は。一日に三回もゲーセン行って景品取りまくってたら、いつか出禁にされるわ。


「てかさ、今まで何してたの?」

「んー……デート?」

「はっはっはっ、おいおいマイブラザー? お前にはデートするような相手いないだろ? 逆ナンされてついていくようなタイプでもないよな? ……それじゃ、一体誰とデートしてたんだよ!」

「冗談だよ、本気にすんな。たまたま友達にあったから遊んでたんだよ」

「……女?」


 おっと? こいつの中のめんどくさい彼女が出てきたか? てか、兄貴の恋愛事情とか知りたいもんかね? 気持ち悪くない? 俺は伊澄の知りたいけどさ。


「お前、ヤンデレキャラ似合わないからな」

「え、マジ? 結構似合ってると思ってたんだけどなぁ。それじゃ……お兄たん、女の子と遊ぶの、メッ!」


 うわイッテー。今時、ロリ系妹でもそんなベタなこと言わねーよ。


「……キモ」

「本気のキモはマジやめて!」


 仕方ねーだろ、さっきのはマジキモだったんだから。


「てか、さっきから知らないみたいに言ってるけど……お前、俺たちが歩いてるとこ写真撮ったんだろ?」

「……え?」


 そりゃ、わざわざ俺の死角から撮るようなヤツなんだから、俺のことを知り尽くしてるということなのだろう。しかも、俺のことを知ってて写真を撮るなんて、普通は誰もできない。美人教師とイケメン高校生のペアなんて、見ちゃいけないの代表みたいなもんだ。


「バレてたのか〜、上手くやれたと思ったんだけどなぁ」


 伊澄は、悔しそうにそう言った。

 念を入れすぎだったな。俺から見られないようにしすぎてネコ先生に見られたんだから、どっちにしろ

 

「それで、あれ誰? 旅行行くって、あの人と一緒なんでしょ?」

「部活の顧問」


 俺がそういうと、伊澄は大きく息を吸って、後ろに振り返りながら叫んだ。


「お兄ちゃんが寝取られたぁぁーー!!」

「やめろバカ!」


 俺たち兄妹だよね? 兄妹の仲で出る言葉じゃないんだけど?


「だってガチデートじゃん!」

「俺の話聞いてた?」


 相手は教師っつったよね? どういう解釈したらガチデートだと思うんだよ! 頭の中お花畑ってか?


「それじゃ、今まで何してたか言ってみてよ! デートなんだろ、どうせ!」


 あんなのデートですよ! ゲーセンデートでしたよ! しかもプリクラまで撮っちまいましたよ! 匂わせの極みみたいなプリクラが完成しちまいましたよ!


「そうだよ!」

「このクソビッチがっ!」

「誰に対してだ、それは? そして何もしてない!」

「はっ! 男子高校生の言葉なんて信じられるわけねーだろ! どうせ勢いのままヤッたんだろ!」

「ヤッてねー!」


 なんて疑いしやがる! 俺ほど誠実な男、かなり珍しいぞ! 

 ベタベタしてくる妹への欲情を抑えているだけでも充分すごいのに、それに加えて、今日はかっこカワイイ先生とデートまでした。……好きな人から避けられた直後にだぞ? ほとんど罰ゲームだ。


「これ以上はマジでやめろ」

「はぁ……すっきりしたぁ」


 感想それか? ごめんから始めようぜ。


「お前、さっき撮った写真は消しとけよ? 広められると困るし」

「広めないから消さない」

「ふざけんな」

「そーれーなーらー、一回スマホ交換しない? 写真消していいから」


 なんでそんなめんどくさいことを……なるほど、そういうことか。最近変なところばかり見ていたから忘れていたが、そういえば俺の妹は天才だったな。

 こいつは、俺のスマホの中にある写真を確認するつもりなのだろう。そしてその中には……伊澄にとって新ヒロインである、青柳青葉とのツーショットがある。


 せっかくだし、伊澄の天才っぷりを説明してやろう。

 進学校なのにテストは常にトップ、入学式で入学生代表挨拶をしたほどらしい。運動神経に関しても、中学までは俺の隣にいたから目立ってなかっただけで、初めてやるスポーツでも経験者ほどにはできる。ちなみに俺は、初めてのスポーツでもプロ並みにできる。

 そして、こいつは俺のことを知り尽くしていて、しかも俺に容赦ないから、俺の唯一の天敵でもある。

 

「ダメだ、無条件で消せ」

「それじゃカバンでいいからさ。貸ーして」


 今日ばかりは、そっちもダメなんだよなぁ。何たって、バカップルも驚きのプリクラがあるわけだし。

 あんなの見て疑わない方がおかしい、と俺は断言できる。猫耳とハートはギリセーフだと思うが、『愛してる』『ゲーセンデート』の文字はヤバいだろ。

 しかも、事実として俺がやりたいと言ったのだ。好きじゃんあの人、ってなるから言えない。


「兄妹の仲で隠し事だなんて……私たちってそんな仲だったの?」


 当たり前だろ? 兄妹でこんなに仲良いの、異常とも言えるレベルだからな? 普通は兄貴の裸を見ようとしないし、毎週のように一緒にゲーセン行かないし、友達に彼氏だって説明しないし。

 こう振り返ると、かなりなことやってるな。いや、やってくれてるな。今度やり返してやろうか?


「そんな仲だよね?」

「ひどい! 私とはそれだけの仲だったの! 他に女がいただなんて!」


 伊澄はその場に立ち止まり、俺は振り返る姿勢でそれを聞いた。


「おー、声デッカいなぁ。その通りではあるんだけど、周りからの視線が痛くなるからやめようね?」

「だって……あなたが私とは一発だけの関係だって言うからじゃない!」


 おっと? 俺への視線が、ついに俺を貫通しちゃったぞ? 雪見くん穴だらけになっちゃったよ。もうちょいで死んじゃうよ。

 しかも、俺そんなこと言ってないよね? 一発だけの関係だなんて、どう間違えたって兄妹間で出ないよね。もしかしたら、さっきの寝取られた発言よりもレアだぞ?


「よーし、わかった! 連絡履歴もアルバムもカバンの中も、全部見ていいから! もうやめよう!」


 カップルの喧嘩だと思われたかもしれないが、一方的に俺が悪役になっちゃったところで、俺は折れてやった。

 だが大丈夫だ。青柳さんと連絡はしてないから履歴はないし、あの写真だってラインの公式に貼っているからバレることはないだろう。先生との匂わせプリクラだって、思い出してみれば俺のポケットだ。

 だから、普通に考えれば大丈夫なのだ。


「パソコンとポケットも、ね?」

 

 普通じゃない相手に、これは通用しない。まぁ、パソコンの方には、見られて困るものはないからいいんだが。

 だが、そんなことは今はどうでもいい! 二つの写真をどう隠すか、これを考えなければいけない。

 プリクラならそこら辺に捨てるという手もあるが……そんなことしたところで、伊澄に見られないだけなのだ。もし同じ学校のヤツに拾われれば、伊澄よりも厄介になるかもしれない。

 スマホの写真に関してだって、伊澄なら、連絡履歴を確認するときに公式の中身も見るだろう。

 はぁ……公式のトーク画面に貼るのは良い案だと思ったが、こいつには効かないか。

 となると、俺に残された案は——やり返すくらいのことしかない。


「そっか……お前は俺のこと、信じてないんだよな。ごめんな、焦らせて」


 さっきまでの伊澄の芝居を、俺も共演してやることにした。


「え? あ、いや、そうじゃなくて——」

「いいんだよ、俺だって疑われてるのは気分悪いし……なぁ、俺たち別れないか?」

「ん⁉︎」


 周りの人が俺と伊澄をカップルだと思っている以上、俺対しても伊澄に対しても、この手が一番効くのだ。

 用は終わっているのに、俺たちの話が気になって立ち止まっている人もいるから、その人たちが最初に話していたことを広めてくれるだろう。特に主婦の方々は、驚異的な速さで拡散してくれる。


「俺たち、きっと合わなかったんだよ。俺から告白したのに悪いな。でもごめん、俺たち別れよう」


 そう言って俺は、誰が見ても悲しく感じるような笑顔をつくった。

 周りからの視線は、今まで以上に集まる。

 どうだ伊澄! これで俺の勝ちだ! お前が拒めばその時点でお前は悪者、了承すればバラバラに帰ることになる。伊澄が帰ってくるまでの時間で、全ての証拠を隠してやる!

 これぞ俺の、完璧計画パーフェクトプラン! ……伊澄がいつもこんなこと言ってるけど、かなり恥ずかしいなこれ。


「そっか……ごめんね。でもさ、最後に一個だけ、お願いしてもいいかな?」


 ピキッと、音が聞こえた気がした。

 その音は、俺の完璧計画パーフェクトプランを壊された時の、いわば崩壊音だった。


「帰るまでは、まだ恋人でいてくれない?」


 伊澄は、泣き笑いで悲劇のヒロインが完成した状態で、そう言った。

 これは! 反則的な、もう少しだけ恋人でリミットラバーじゃねーか! 

 ここでもし俺が断れば、さっきまでの立場は逆転し、俺が悪役になってしまう。だからと言って、了承してしまえば一緒に帰ることになる。……振り出しに戻ってしまった。

 いや、俺の自信満々だった最強の策を潰され、その上考える時間もなくなったから、逆に不利になっただろう。

 まさか嘘泣きまでしてくるとは……伊澄、なかなかやるじゃねーか。


「伊澄……勘違いしないでくれ。俺は、お前のことがまだ好きだ」

「だったら——」

「だから、なんだよ。これ以上一緒にいると、もっと好きになって、別れたくないって思っちゃいそうなんだ。でもそんなことしたら、伊澄が傷つくことになる。だからそれは……ごめん」


 どうだ伊澄! 俺の秘策、路線変更ルートチェンジ! 今までは重めのルートだったのに、さっきの俺の言葉で、それは完全なる感動ルートに変化された。


「そっか……私のわがままに、そんなに真剣に考えてくれてありがとう」

「謝るのは俺の方だ。自分勝手な理由どころか、別れたくないとも思ってるんだ。責められても、文句を言う資格はないよ」

「それじゃ、ちょっとだけ責めるね」


 まさか……まだ諦めないのか? 俺は完全に勝利を確信していた。既に二度負けているこの状況から立ち直すなんて、考えるだけでも頭が痛くなるはずだぞ?

 一体、どんな策を——


「ずっと好きで居続けるから! 何年経っても忘れてあげないから! いつかきっと、『俺と付き合ってくれないか』って、言わせてみせるから!」

 

 あ、これ大丈夫なやつだな。

 さっきは感心しちゃったけど、こいつは既に諦めていたようだ。こいつがしたかったのは、自分の利益にならないこと。俺たちの話を聞いていた人たちが望む、最高のラストを作りあげることなのだ。


「それじゃあね。またいつかどこかで、私のことを忘れたキミに、きっと会えることを夢見てるよ」

「じゃあな。その時は、一生忘れたくないと思っていた人を忘れた俺に、一発ぶん殴ってやってくれ」


 そんな別れの言葉を告げ、伊澄は家とは逆の方向に歩いて行った。

 周りの人たちからの評価はよかったようで、俺たちに感情移入してくれたのか、涙を拭う人の姿もあった。


 ……うん、違うよね?

 もともとこれは、俺が伊澄よりも先に帰るために始めたことであって、周りの人たちを泣かせるためにやったわけじゃない。

 そりゃ、かなりの演技力だったから、俺も途中から役になり切ってしまったけど。伊澄の意図に気づいて、協力してやろうと思ったけど。

 ……違うよね! やっぱり違うよね!

 これ、どうしようか? 今からダッシュで帰れば、せっかく伊澄が作った感動のラストを台無しにすることになる。

 こういう時のラブコメ主人公の行動は、大体二つに分けられる。 

 一つは、悲しみで泣いてしまうこと。もう一つは、伊澄の背中を見送って、その後に俺も帰る。

 はっきり言って後者の方が簡単だが、伊澄ならきっと、こっちから見えなくなったことを確認した後、ダッシュで帰るだろう。伊澄が帰ったルートは、ウチの裏口から出ることができる道だ。 

 伊澄に負けじと俺がここでダッシュすれば、マジで場の空気が重くなる。恥ずかしいどころか、気まずくなる。

 ……最初から俺の負けじゃねーか。

 さっきまで落ち込んだ雰囲気をかもし出していたはずの伊澄の背中が、途端に計画通りに進んだのがおもしろくて、笑いを堪えきれなくなった悪役に見えた。


 —— となると、伊澄のことを引き止めるのが最善になるな。

 どうしようかと考えてながら、なんとなくズボンのポケットに手を入れると、プリクラではない、何かの感触があった。

 ……なるほど。これ、使えるな。


「伊澄!」


 さっきまでの俺たちの話を聞いていた人は、この俺の一言で、また世界へと入ってきた。

 伊澄の背中は、驚いたようにビクッとした後、ゆっくりと振り向いた。

 伊澄、第二ラウンドと行こうじゃないか。

 

「……どうしたの?」

「これ、やるよ」


 俺は、伊澄に小さいを投げた。

 誰もが知っていて、誰が見ても特定の意味があるとわかる、そんなものを。


「……これ」


 一瞬、伊澄は目を見開いた。

 俺が投げたのは、ゲーセンで取ったハートの形をしたキーホルダー。ネコ先生に渡し忘れていたもので、はっきり言ってダサいが、こういう場合には使えるアイテムだ。

 案の定、周りの人たちは目を輝かしながら伊澄の手にあるキーホルダーを見る。距離はあるが、しっかりと見えてはいるようだ。


「どういうつもり?」

「思い出の共有だ。こういうのジャマになるからって言って、貰ってくれなかっただろ? だから、これを思い出にしてくれ」


 この場合、ヒロインポジションである伊澄が取る行動は……いや、行動は、もう一度泣くことだけだ。

 泣き崩れて、俺がこの場を後にする。その未来が容易に想像できる。


「そっか、ありがとう——」


「——雪見くん」


 んっ!

 俺のことを雪見と下の名前で呼ぶことは、伊澄でも少ない。そして俺は、そう呼ばれることに慣れていない。さらにはこの状況だ。カップルを演じている今だからこそ、俺はその言葉が本気だと思ってしまう。

 さて、ここで問題だ。いつもは呼ばれない自分の名前を、妹に本気で言われたら、兄はどうなるだろうか? 備考として、その兄は重度のシスコンである。


「あ、えーと……」 

 

 正解は、『全然動揺を隠せなくなる』だ。きっと、こんな状況じゃなければ、こうなることはなかっただろう。さっき言った条件が全て揃ったからこうなっただけで、一つでも足りてなかったら大丈夫だっただろう。

 ……全く、なんて運が悪いんだ。

 顔が赤くなるのがわかり、どんどんと熱を帯びていく。今俺の顔を触れば火傷する、と言い切れるくらい熱くなっている。

 俺は……正常に考えられなくなった。


「伊澄、大好きだよ」

「え⁉︎」


 正常に考えられなくなったなら、考えていたらできないことをすればいいのだ。今の俺は、言うなれば、羞恥心のない人間なのだ。いつもならできないことだって、今ならすることができる。

 俺たちを見ている人も、伊澄と同じように声を出して驚いていた。


「愛してるよ」

「おに、雪見くん……」


 その言葉で、さらに頭がおかしくなる。

 伊澄の顔は、俺と同じように赤くなっている。ブラコンだから、他の誰かに言われるよりも、俺に言われる方がこいつは堪えるのだ。

 俺も伊澄もこれで裸だ。あ、いや、肉体的な意味ではなく、精神的に、どっちも守るものがなくなったという意味だ。


「やっぱり、家まで送っていいか?」

「……うん」


 同じ家だがな。

 周りの人たちは、どういう目で見ているのだろうか? さっきと言ってることが真逆だから情緒不安定と思われたか? それとも、別れを告げた相手を送る最低なヤツと思われたか? もしかしたら、そろそろこれが寸劇だとバレたかもしれないな。

 それでも別にどうでもいい。俺は今、伊澄へ気持ちを伝えたいと思っている。羞恥心が壊れたせいで、理性エゴと言う名のバーもぶっ壊れてしまっている。

 

「帰ろう」

「うん」



 

 自宅、リビングのソファーにて。俺と伊澄は膝枕状態になっている。もちろん俺が枕の方で、伊澄の頭を撫でながら話している。


「伊澄、いつも我慢させてごめんな」

「別にしてないんだけど」

「父さんと母さん、最後に会ったのって去年の年末だよな? そろそろ会いたくなったよな。ごめんな」

「いや別に」

「たまには外でジャンクフードでも食べたいよな。でも、健康に過ごすためだから、月一くらいにしような」

「毎日お兄ちゃんので良いけどね」

「さっきはごめんな。スマホにもカバンにも、少し見られたくないものがあったんだ。でも、お前が言うなら見せるから」

「まぁ、別にそこまで気になってるわけじゃないけど」

「お前、俺のこと大好きなのに、振るようなこと言ってごめんな」

「それは結構傷ついたけど……てか! そろそろ飽きた! ごめんごめんうっせーんだよ! 悲劇キャラ狙ってんじゃねーぞ!」


 そう言った伊澄は、俺を思いっきりぶん殴ってきた。俺は伊澄の顔を覗き込む姿勢だったから、顔面だった。

 いつもなら避けることも受け止めることも可能なのだが……今の俺は通常じゃない。

 鼻を殴られたから、自然と涙が出る。痛みが遅れてやってきて、鼻血が垂れているのがわかった。


「治ったぁ」


 この表現方法が正しいのかはわからないが、さっきの痛みで俺は正常に戻っていた。

 ……それと同時に、俺がさっきまで言ってしまってたことを思い出し、羞恥心が込み上げてきた。だが、俺は表情を変えずに、あくまで冷静を装った。


「……で?」

「でじゃねーよ! お兄ちゃんは、一体何がしたかったの? あんな状態で一緒に帰るのとか、めちゃ恥ずかしかったんだけど」


 その時俺は羞恥心を失っていたから、思い出さなければ、さほど問題でもない。


「そりゃ悪かったな」

「まぁいいけどね! みんなの前で愛してるとか言ったお兄ちゃんよりは、多分恥ずかしくないと思うから!」

  

 伊澄が俺のことを『雪見くん』と言った後からは全て本心のことであり、演技は一度もしていない。というか、できていない。

 だから余計に恥ずかしいのだ。伊澄にそう思っていることを知られた。幸いと言うべきなのは、俺が言ったことを本心だとは思っていないことだ。流石の伊澄でも、さっき俺が言ったことを全て信じるほどブラコンでも……いや、ブラコンだな、そういえば。

 多分、違うと思っていながらも、「なんかさっきの、本気みたいなんだよなぁ」みたいに疑っているのだろう。全く、我が妹ながら勘の鋭いヤツめ。


「まぁ、楽しかったからよかったけど」

「楽しかったって……即興寸劇そっきょうすんげきか?」

「うん! 本気の頭脳戦みたいで、本気で頭使って楽しかったぁ! やっぱ、全力で勝負するのって楽しい!」


 最後のだけ聞くと、どっかの戦闘狂みたいだな。全力で勝負って……俺たちがやったのは、「カップルの演技をして、どっちが最初に家に帰れるか」という、単純そうに見えた鬼むずゲームだ。

 まぁ、こういう頭脳戦じゃないとほとんど俺が勝つ。スポーツはもちろんだが、ボードゲームやトランプだとイカサマ大会になって勝負が決まらない。つまり、勉強以外で俺が伊澄に負けることはない。


「それはよかったな」

「また即興寸劇勝負しようぜ!」

「……またいつか、な」



 

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