第3話 興奮してただけだ!

「各務原くんにはいろいろと言いたいことがあるけど、今は一つでいいや」


 コンビニから帰ってる途中、三枝が言ってきた。一体何のことだろう。Mだと誤解されたことか、それとも二人分奢らせたことか。


「何でそのチョコ食べないの? 『好きな子から貰ったから食べれない』なんて、各務原くんらしくないからさ」


 そういうことか。それなら単純なことだ。もちろん、三枝が言ったように青柳さんから貰ったのが理由ではない。


「俺、チョコ食べれないんだよ」

「いや、休み時間食べてるじゃん」

「チロルチョコぐらいの大きさなら食べれるけど、あれより大きいのだと、鼻血が出て混乱する」

「えぇ、なにその特徴。変すぎでしょ」


 キットカットは、チロルチョコよりも完全に大きい。多分アウトだし、青柳さんがくれたんだから、断ることもできなかった。


「それなら、何でチロルチョコは食べてるの? 休み時間に食べてそうなっちゃったら、どうするつもりなの?」


 それは子供の頃に好きだった子が、チョコを好きだったから……なのだが、そんなことを三枝に言ったら笑われるだろう。俺も恥ずかしいから、そんなことは言わない。


「混乱したとしても、チョコは好きなんだ。もし鼻血で貧血になっても、俺はチョコを食べ続けると思う」

「へぇ。各務原くんはそんなにチョコが好きなのに、チョコは各務原くんのことが嫌いなんだね」


 上手いこと言ったつもりなのか、三枝の顔からはドヤッ! という効果音が聞こえてきそうだった。


「それじゃ、そのチョコどうするの? 流石に捨てることはできないでしょ?」

「だからと言って、お前に渡すのもしゃくだからな」


 少し考えて、考えて……数秒経った頃には、何を考えていたか忘れた。


「ま、久しぶりに食べてみるか」


 俺はいつもチロルチョコを食べているが、チロルチョコ以上の大きさのチョコを最後に食べたのは、小学生の頃だ。もしかしたら、日が経って大丈夫になってるかもしれない。


「あ、これヤバいかも」


 いざと思ってキットカットを口の中に入れてみたが、顔がどんどん熱くなっていった。心臓の音が聞こえてきて、鼻から何かが滴る感覚があった。


「各務原くん、鼻血!」

「ちょっと行ってくる!」


 俺は既にバカになっている。行ってくるとは言ったが、俺が向かったのは家ではなく、その逆。つまりは、青柳さんが帰って行った方向だ。

 青柳さんと別れてからまだ五分というところだろう。青柳さんの歩行速度でコンビニから五分歩いても、きっと駅には着かないだろう。


「おーい!」


 久しぶりに本気で走っていたら、青柳さんの背中を見つけた。後ろから三枝もついてきているようだが、俺よりも遅い。ここに着くまで俺の体感で一分くらいだろう。


「各務原くん、どうしたの?」

「チョコを食べたんだ!」

「……それで?」

 

 俺は何を言いにきたんだったか。たしか、何か言わなきゃいけないことがあるような気がして、気がつけばダッシュしていた。


「っていうか、各務原くん、大丈夫なの? ずっと鼻血出てるけど」


 走ってくる途中も、地面に血が垂れているのが見えた。きっと、一度落ち着くまでは止まらないだろう。


「大丈夫だ! そうだ、写真撮らないか? いや、撮ろう!」


 ティッシュで鼻血を拭いて、俺は青柳さんの肩に右手を回して、ポケットから取り出したスマホを内カメにした。

 俺は右手でピースを作り、青柳さんも顔を赤くして戸惑いながらも、右手でピースしてくれた。恥ずかしがりながらやってくれる、こういうところが好きなんだ。


「はいチーズ!」

「……うん」


 写真を撮り終わったら、やっと三枝が到着した。

 そして俺は……意識を失った。




 三枝曰く、俺は立ったまま気を失っていたらしい。近くの公園のベンチに俺を放置した後、三枝は近くに立っていてくれたらしい。俺が一人で寝てると、誰かに襲われることもあるからな。


「……三枝、悪かった」

「あ、各務原くんやっと起きた〜。十分くらい寝てたけど、気分はどうだい?」


 いつもと対して変わらない。若干貧血気味だったりするが、これくらいは許容範囲内だ。動ければ問題ない。


「大丈夫だ。それで……どうなった?」


 問題は、俺が気を失った後。

 むりやり写真を撮ったことは覚えてる。というか、それ以外は覚えていない。


「写真を撮った後、青柳さんは顔を赤くして帰って行ったよ。顔を赤くして、ね!」

「まぁ、そうだろうな」


 俺だって、キットカット一つであそこまでなるほど、チョコに弱くはない。気絶するのは、大体チョコボール一箱分くらいでだ。

 俺が気絶したのは、青柳さんに近づいて、その上触れてしまったからだろう。触れるというよりも、ほとんど抱きついていたからな。ヤバい、思い出すと——


「……マジ恥ずかしい」

「いや、いきなりだった青柳さんの方が、充分恥ずかしかったと思うよ? ポーカーフェイスで有名なあの青柳さんが、顔を赤くして帰ったんだよ?」

「それはそうなんだが……俺はほとんど無意識だったんだよ」


 開放的になってしまった。チョコは、俺にとって興奮剤みたいなものだ。周りが見えなくなって、したいと思ったことをしてしまう。欲望があまりなかったのが幸いだった。

 もし俺がウィスキーボンボンとか食べたら、きっとダメになる。今回はまだ抑えれたが、次どうなるかはわからない。休み時間のチロルチョコ以外は食べないようにしよう。


「各務原くん、携帯鳴ってない?」


 三枝に言われて、ズボンのポケットに入っているスマホが振動していることに気づいた。

 自慢ではないが、俺のスマホに入ってる連絡先はたった四人だけだ。両親、妹、三枝。両親はいつも仕事でいないし、妹は休み時間に充電がなくなったと言っていた。三枝は俺の目の前。

 それじゃ、一体誰なんだ?


「……え?」


 驚いた。

 スマホに表示されている名前は、『青柳青葉あおば』。青柳さんだった。


「お前、何した?」

「いやぁ、さっき青柳さんが帰る時心配してたから、安心されるために各務原くんの連絡先教えたんだよ。僕、各務原くんの暗証番号知ってるし」


 よし、後で番号変えとくか。

 なんて考えていたが、俺は青柳さんの名前が表示されたスマホを見る。電話に出るべきなのだろうが……気まずいな。


「もう、焦ったいなぁ。えい」


 三枝は、俺が手に持っていたスマホを取り上げて『応答』をタップした。そして、電話を受けたスマホを俺に投げ渡してきた。


『……もしもし、各務原くん?』

「あぁ、そうだ。……さっきは悪かったな」

『別にいいよ。それより、鼻血大丈夫? ポタポタ垂れ続けてたけど』

「それは大丈夫だ」


 そして……沈黙が流れた。俺は家族以外では三枝としか電話しないし、青柳さんは一人もいないだろう。何を話せばいいのかわからない。


『えっと、何であんなに鼻血出てたの?』


 沈黙を破ったのは、青柳さんの方だった。俺も何か話そうと考えていたが、考えるのは俺よりも青柳さんの方が早かったようだ。

 だが、チョコのせいだとも言えない。青柳さんからチョコを貰ったわけだし、罪悪感を持って欲しくはない。


「いや、その……興奮してただけだ!」

『…………』


 咄嗟に思いついた俺の言い訳が苦しかったのか、変態だと思われたのか、スマホから聞こえる音は、青柳さんの声と呼吸音から、ツーツーという電子音に変わった。『興奮して鼻血出して抱きついて写真撮りました』って言われれば、そうなるのも無理はないか。


「青柳さんの声は聞こえなかったけど、あれはバカだね」


 言われなくても知ってるよ! 


「元はと言えば、お前が俺の連絡先教えたのが問題だろ」

「ひどいなぁ。これで、いつでも青柳さんと電話できるようになったのに」

「……マジか」


 マジだよ、と三枝は言う。

 思えば、たしかにそうだ。いつでも電話ができるようになった……でも、だからなんだという話だ。どうせ青柳さんはかけてこないだろうし、俺もかけるつもりはない。どっちかがかけたとしても、今日と同じで話すことがない。


「意味ねーよ」

「ま、そうだよねぇ。各務原くんだもんねぇ」

「なぁ、青柳さんの名前、青葉って言うんだな。お前、知ってたか?」

「文脈がおかしいことになってるね⁉︎ そんなに僕のこと嫌い?」


 まぁいいや、と三枝は言う。


「知ってるに決まってんじゃん。学校の有名人の名前なんだから。でも、無理もないかもね。青柳さんのことを『青葉さん』って言う人はいないからね」

「そうか。……なんかムカつく。学校の有名人の名前なら、俺の名前も知ってるか?」


 俺のことを下の名前で呼ぶのは妹ぐらいだし、スマホも『各務原』で登録している。俺の名前を知る方法は、ほとんどない。


「知ってるよ、雪見ゆきみくんでしょ?」

「知ってんのかよ!」

「いや、入部届だしたの僕だし」

 

 あ、そうだった。入部届はフルネームじゃないと受理されないから、知ってるのは当然なのか。クソ、なんかムカつくな。


「よし、そろそろ帰るか」

「いきなりだね、どうかした?」


 特にどうもしない。

 ただ、帰りたいだけだ。俺だって人間だ。そろそろ精神的に限界がきた。体自体に問題はないが、『青柳さんに謝らないと』という焦りや、『……やらかした』という不安とかが積もってきた。このままだと、明日は体調を崩しかねない。


「別に。でも、家まで送ってくれ。倒れるかもしれないから」

「平気そうな顔で言ってるけど、結構すごいこと言ってるからね? まぁ、送るけど」




「送ってくれてありがとよ」

「うん。……それにしても、初めて来たけど大きい家だね。お金持ちなの?」

「そんなところだ。そんじゃな」

「うん、バイバーイ」


 家に着いて三枝と別れた。

 ヤバい。本当にヤバい。下手すると、明日からヤンデレ化するかもしれない。

 俺が玄関のドアを開けると、細い黒猫が出迎えてくれた。ニャー、と言いながら尻尾をぶんぶん振っている。俺は動物が嫌いだが、こいつは俺が好きなようだ。


「なぁ、あいつは帰ってるか?」


 ウチの猫の名前はアオバ。俺は今日知ったわけだが、青柳さんの下の名前と全く同じなのだ。名付けたのは俺じゃないが、さっきは本当に驚いた。

 アオバは、ニャーと言いながら、俺の足元を尻尾で指した。そこには妹の靴がある。

 こういう頭のいいところは、こいつの好きなところだ。多分だが、こいつとの会話なら成立するだろう。


「そうか。部屋にいるのか?」


 アオバは首を横に振る。今思うと、かなりすごくね? こいつ天才じゃね?


「ありがとう」


 俺はアオバを撫でる。なんだかんだ言っているが、俺もこいつのことを好きになり始めているのだろう。こいつに対する嫌悪感は、ほとんどなくなっている。



伊澄いずみー、いるかー?」

「いますよお兄様」

「なんだその喋り方。とうとうバカになったのか?」

「普通、妹にお嬢様属性が付与されたら興奮するのが、世の中のお兄ちゃんってものだから! 興奮もしないし、ましてや襲わないなんて、お兄ちゃんじゃないから!」


 嫌だろ、お嬢様属性が付与された妹を襲うとか。どうせ「お兄様なら……いいですよ?」とか言いたいんだろ? でも、俺が襲うことはないから、その言葉を使うことも、一生ないだろうよ。


「悪いな、完璧なお兄ちゃんじゃなくて」

「なんか……弱ってる?」

「キットカット食ってな」

「おいおい、何やってんだよ? どうせ暴走とかしたんだろ? どうする、寝る?」


 こいつは俺のことを完全に理解している。俺の身体的特徴を把握している。

 運動能力がチート、チョコを食べたら混乱する、好き嫌いがない……などなど。俺のことを一番知っているのは伊澄だろう。


「部屋に睡眠薬持ってきてくれ。飯は……今日は自分で作ってくれ」

「えぇ、私、料理とか無理なのに。……あ、お兄ちゃんの看病でもしようっと。溜まった欲望を私にぶちまかしてくれていいぜ!」

「しねーよ」


 お前、本当に妹だよね? 俺のことが好きなヤンデレ娘とかじゃないよね? ただの、オタクで変態な妹ちゃんなんだよね?


「部屋行ってな、後から薬持ってくから」


 俺は素直に部屋に向かう。なぜかアオバも俺についてきたが、こいつは本当に賢い。俺が嫌がることを理解しているのか、一切鳴かない。鳴いたら追い出そうと思っていたが、そんな考えも無意味だったようだ。


「アオバ、体温計持ってきてくれ」


 ニャーと返事をしたアオバは、ドアを器用に開けて、廊下に出て行った。しかも、丁寧にドアを閉めてから。


「……あいつ、中身人間じゃないよな?」


 俺も体温計の場所はわからないが、ずっと家にいるアオバなら知ってるだろう。


「ん? アオバ、どうしたの?」


 廊下からそんな声が聞こえてきた。伊澄が上がってきたようだ。


「お兄ちゃん、薬持ってきたよー」


 その言い方でとろけきった顔をしていると、危ない薬っぽいなぁ。


「あぁ、サンキュー」


 伊澄が持っているおぼんの上には、薬と水が用意されていた。

 ニャーと言って、閉められたドアを開けて入ってきたアオバは、尻尾に体温計を巻き付けていた。

 おい、流石としか言いようがないぞ。こいつは、俺が猫の匂いを嫌いだから、口で咥えなかったのだろう。


「アオバ、よくやった。後で猫缶買ってやるからな」


 アオバを撫でると、くすぐったそうに体をよじった。

 だが、この部屋には、それがおもしろくないヤツがいるようだ。


「ニャー」

「おいどうした? 日本語忘れちゃったか?お兄ちゃんとして、がっかりだ」

「ニャー、ニャー」


 

 それからは地獄だった。

 薬を飲んで、俺はベッドに横になったのだが、伊澄は俺にまたがり、本当の猫のように行動した。

 お手を要求してきたり、猫設定なのに首輪を自分でつけたり、俺の頬を舐めてきたり……これ、兄妹の仲じゃなくない?

 しかも、同時に看病もされてたから、本当にシュールだった。

 ペットプレイと看病プレイの同時進行で、相手は妹。誰得だよ?





 

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