諜報日誌①

 「好きな男ができた?」


 「はい」



 桜吹雪が春の訪れを知らす頃、私は上司に一世一代の相談を持ち掛けた。



 「分かった。身辺洗うから、分かる情報を挙げておけ」


 「承知しました」



 電話の相手は所属分隊の隊長であり、忍としての技術を仕込んでくれた恩師であり、身寄りのなかった私の育ての親でもある上司だ。


 本来、私のような末端の忍は本意気の恋にうつつを抜かすのが許される立場にはない。色恋は演じて利用するための手段だ。一くノ一が恋煩いなどしようものなら殺処分もそう珍しくはない程度にはご法度の部類である。

 自分の立場も理屈も分かっている。それだけに我ながら馬鹿だなぁとは思う。


 だが、寝ても醒めても顔が浮かぶ異性が心に巣食って夜毎苦しい。そんな体たらくもらしくて、馬鹿らしくて仕方がない。

 

 そんな自分への戒めも込め、親であり恩師であり隊長である上司に、最悪のケースも覚悟した上で進退を問う一報。それでも親に初恋を相談する女子よりは気を揉んでいないと思う。そういう教育を受けてきたからだ。


 ……じゃあ、ちょっと優しくしてくれただけのたかだか一男子高校生にこんなにも心を乱されるかっての。馬鹿な女。



 上司は上司で、報告に対してまず上司としてテンプレの応対に留まった。それ以外を期待したわけでもないけど。





 「まぁ問題ないだろう。弁えて励むように」



 一週間後、挙げた情報を基にありとあらゆる身辺調査がされ尽くしたであろう本件につき、上司からあっさりとゴーサインが出された。

 色々な可能性を考えてはいたが、釘を刺すあたり私の忍としての首の皮は繋がったらしい。

 加えて、上司が直々に「問題ない」と判断したことには正直心底安堵した。忍の相手方としてだけでなく、上司が親として見た場合も無論含まれているだろうからだ。

 仮にここで「問題あり」と判断された場合、咎が彼にまで及ぶ場合も考えられた。制裁としてよくある手である。

 まぁ個人的な事前調査—――技術的にも倫理的にも深刻にヤバめのストーキングにより素性に問題がないことは予め確認済みだが。


 

 「彩には幸せになってほしいからな。厳しく見たつもりだ」



 不意に続いた、母の温もりに思わず鼻がツンとなる。



 「お前次第だ。ヘマをしないように」


 「はい」



 言うは易いが、ゴーサインが出たことでヘマの幅は多岐に広がった。

 落とすだけで終わる話ではない。明かすにしても隠し通すにしても課題が多い。さっと見通しても、しんどい部類の忍務よりしんどい思いをしそうだ。


 考えれば考えるほど割りに合わない。でもそうまでして、彼とどうにかなりたいと思っている自分もいる。救いようのない馬鹿だ。



 「はぁ……」


 「一丁前に恋煩いしているじゃないか」


 「っふ……ご迷惑おかけします」


 「ほどほどにしてくれよ」



 今このにやけ顔も、電話越しでも上司には筒抜けなんだろうな。


 あぁ、こんなに自分の感情がコントロールできないことも久しぶりだ。



 「水原……」



 彼が貸してくれたハンカチをぎゅっと握りしめ、締め付けられるような温かいような初めての情緒に充てられながら、私は季節に見合わず暑くて眠れない夜を過ごした。

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