Another File1: 傍迷惑な迷子(全3話)

第11話 葵の世界

 榊本さかきもとあおいの世界は、いつだって普通ではなかった。

 そのことを、葵は誰よりもよく理解していて、常に慎重に生きている。異なものは排除されるのだと、身に染みて分かっていたから。


「――だというのに、智輝ともきはやっぱり面白い」


 書き直し要求をされた原稿を仕上げながら、葵は込み上げる喜びに笑みを漏らした。

 こうして言葉に出すことで、今頃、警視庁で智輝がくしゃみでもしているかもしれない。

 そんなことを考えると、より笑みは深まるのだ。


 ――ブーッ、ブーッ。

「おや、噂をすれば影……」


 デスクに転がしたスマホに、智輝の名前が示される。電話ではなくショートメールだ。

 智輝は木宮きのみやと違って葵に配慮をしてくれる。葵が電話を好んでいないのを、すぐに察してくれた。

 電話はあまりに情報量が多く、自身の感覚を制御して聞き取るのが大変なのだ。プライベートな空間に、我が物顔で踏み込んでくるように感じられるのも理由である。


「繋がった先が、本当にこの世であるなんて、信じていられる人は幸せだよね――」


 葵以外の多くの人が当たり前に享受している幸せに、誰もが気づいていないのを皮肉に思いながら、葵はスマホを手に取った。


「……相談? 勇二ゆうじくんから?」


 メールには、佐々木ささき勇二から相談があり、葵の意見を聞きたい、と書かれていた。

 いつものことながら簡潔な内容だ。大切なことは直接会って話すことを、智輝はモットーにしているらしい。


「僕の意見を聞きたいってことは、おかしなことでもあったのかな?」


 返信を打ち込みながら首を傾げる。

 勇二はアパートの騒音問題を調査した際に出会った大学生の青年だ。

 苦学生らしく、勉学やアルバイトで忙しい彼が、つい最近アパートを引っ越したことを、葵は本人から聞いている。引っ越し祝いにご飯を奢ろうと言ったら、「予定が空いてないっす」と申し訳なさそうに断られたのも記憶に新しい。


「あの子、結構あやかしものに好かれるタイプみたいだしなぁ」


 葵だけが気づいているだろう事実を呟きながら、メールを送信した。智輝の予定が合えば、明日の午後にでも葵の家に来るはずだ。


「さて、そうとなれば今日中に終わらせよう」


 あと少しになった原稿の確認のために、葵は気合いを入れ直してパソコンに向き合った。



 ◇◆◇



 平日の昼下がり。気だるい空気も漂いそうな時間だが、葵の部屋は優雅な雰囲気だった。

 紅茶とクッキーがローテーブルに並ぶ。茶器やプレートはウェッジウッドで統一され、洗練されて美しい。

 葵はそれを目で楽しみながら、ほどよい温度の紅茶を口にした。ほのかな渋みと豊かな香り。智輝が淹れる紅茶は、自身が淹れるものとは全く違うように感じられる。


「――なにが違うのかな。茶葉も茶器もうちのなのに」

「なんか言ったか?」

「いや、なんでもない。……それで、相談って?」


 智輝は、紅茶とクッキーを準備した後、持ち込んだバッグを探っていた。葵はその姿をじっと観察する。

 今日も智輝は余計な思念を纏わせず、まっさらな雰囲気だ。感情の波がないわけではなさそうだが、どうにも強く残らないタイプらしい。

 思念を感じ取る体質の葵にとっては、とても付き合いやすい特殊な男だ。


「資料に纏めるほどではないと思ったんだが、仕事として調書をとらないといけなくてな――」


 葵の返事に首を傾げながら、智輝がファイルを取り出した。


「佐々木くんからの相談は、引っ越し先に、どうも誰かが一緒に住んでいるのではないか、ということらしい」

「……一緒に住んでいる? 同棲している彼女とかじゃなく?」


 智輝が言ったことが理解できず、葵はクッキーを手に取りながら疑問を呟いた。

 肩をすくめた智輝が、軽く頷いて肯定する。その仕草には疲れが滲んでいて、どうやら仕事を溜め込んでいるらしいと悟る。

 そんな忙しい中でも勇二の相談に真摯に向き合うのだから、智輝は優しいというか、不器用というか――。


「佐々木くんに彼女はいない。家族は地方に住んでいて、訪ねてくることもない。だが、家に帰ってみると、いつも物が動いた形跡があるらしい。寝て起きたときも違和感があると言っていたな」

「ストーカー?」


 真っ先に頭に浮かんだことを呟くと、智輝が同感と言いたげに頷く。だが、思念を探った限り、その可能性はないようだ。


「俺もその可能性を考えて、周辺のカメラを確認したんだが……」

「姿はなかったんだ?」

「ああ。それに部屋の鍵が抉じ開けられた形跡もないんだ。合鍵はないから、侵入は難しいはず」


 悩ましげに腕を組む智輝を見つめる。

 美容室に行っていないのか、前髪が伸びて目にかかっているのが邪魔そうだ。だが、それ以外の身形はきっちりしていて、全体的に硬質な印象で真面目さが漂っている。


「――葵さん、ちゃんと考えてくれているか?」

「考えているよ」


 ジトリと睨まれて笑みを返す。誤魔化しだと分かっていても、ため息ひとつで流してくれるのだから、優しい男だ。

 だが、余所事を考えるのはここまでにして、真剣に相談内容について考えた。相談者の勇二も葵のお気に入りなのだ。


「……とりあえず、勇二くんに会おうか。どうして僕に直接相談してくれなかったのか分からないけど」


 勇二は葵が霊能力を持っていることを知っている。だから、智輝を通さずとも連絡をくれればよかったのだ。

 不満を込めて呟くと、智輝が苦笑した。


「それこそストーカーの可能性を考えたんだろう。その場合、葵さんじゃ頼りにならなそうだから」


 智輝の目が体を見たのが分かって、葵は更にむくれた。

 学生の頃から剣道をして、今でも警察官として鍛えているらしい智輝と比べないでほしいものだ。

 不満は残るが、話が進まないので、ため息と共に飲み込む。


「……勇二くん忙しいらしいけど、時間あるのかな」

「予定は聞いてる。ちょうど今日の二十三時頃が空いてるらしいが――」


 視線を向けてきた智輝に頷く。

 原稿は昨日終わらせた。編集から連絡が来なければ問題ないはずだ。


「じゃあ、今夜は勇二くんちに遊びに行こう」

「遊びじゃない」


 固いことを言う智輝に肩をすくめ、葵は智輝の手土産のクッキーを楽しんだ。

 次の相談をしようとしていた智輝が呆れたように見ていても、一切気にしない。甘いものは葵の好物なのだ。


「はぁ……ついでに違う案件も相談したいんだが――」


 智輝の話に耳を傾けながら、僅かに覗いた思念に目を細めた。

 どうやら木宮に厄介ごとを押し付けられたらしい。木宮は智輝をいいように使いすぎだ。最近は、智輝を介せば葵がこれまでよりも使いやすくなると学んだようで、しれっとした様子で無茶振りをしてくる。


「一度、釘を刺しておかないとな――」

「葵さん、聞いてるか?」

「聞いているよ」

「はぁ……」


 この部屋に来て何度目のため息か。やはり木宮は懲らしめなければならない。

 そう考えた葵は、取るべき手段を考えてにんまりと笑った。

 ちなみに、自身が智輝の疲労の一部を担っていることには気づいている。それは付き合う上で仕方ないことだと、智輝には諦めてもらいたい。

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