第5話 出張前日

 駅に向かうと、ホーム前で俺を待っている良子ちゃん。

 朝の通勤ラッシュも、良子ちゃんと一緒が当たり前になっている。一時恐れていた通報もなく、無難な日々を過ごしていた。

 たった四駅進むだけの短い時間。それでも、彼女の負った傷は大きく俺がいなくてもという選択をまだ持っていないようだ。

 最初の頃の比べて、電車の中でも緊張の表情はなくいつの間にか他愛もないやり取りに笑顔も見せていた。


 しかし、今日に限って彼女から話しかけてくることはなかった。こちらから話しかけてみたものの曖昧な返答を返さる。次の駅に着くと「あ」と声を漏らしたり、急に首を振ったりと挙動不審極まりない。そんな良子ちゃんを見て、何かあったのかと心配していた。


「どうしたの? 気分悪い?」


「大丈夫です。です、元気です」


 この反応を信じていいのだろうか?

 普段の様子や、働いている涼子ちゃんと比べてあからさまに何かおかしい。

 良子ちゃんが下車する駅に着くと、俺はそのまま腕を引かれ一緒に降ろされる。


「いや、本当にどうしたの?」


「あの、えっと……こ、これ作ってきました」


 そう言って、顔を真っ赤にして可愛らしい布に包まれた物を差し出していた。それが何なのか、考えるまでもなかった。

 高校生の女の子が、おっさんに近い俺にこんな物を渡そうとするのだからそりゃ緊張もするか。


「最初から全部一人で作りましたので、美味しくなかったらその……」


 あの店主に色々と教えてもらい、一人で頑張って作ったのだろう。

 偶然知り合っただけなのに、こんなことまでしてくれる。あの時のお礼、ボディガードさせていることを気にしているのだろう。

 良子ちゃんにとって、未だに心苦しいに違いない。


「大丈夫、次の電車でも間に合うからね。気にすること無いから」


「でも、すみません」


 さっさと受け取らなかったことで、電車が出発してしまい良子ちゃんが申し訳無さそうな顔をする。もう少し遅くてもいいぐらいなので、そんなに気落ちされても……むしろ俺の方がこんなことをされて悪い気がしているのだけど。


「ありがとう。でも、ごめんね」


「あ……その、すみません」


 悲しそうな顔をして、鞄に仕舞おうとするので奪い取るような形でお弁当を受け取った。

 どうやら俺の言葉を悪い方向に捉えられてしまった。


「ちがうちがう。言い方が悪かったね。急に決まってさ、仕事の都合で明日から出張なんだ。だから、夜には立ち寄れないしお弁当を返すのが遅くなるからさ。それに、明日一人になってしまうけど大丈夫?」


「そうなんですか……明日は遠山さん。いないんですね」


「本当にごめんね」


 今は俺がいるからある程度慣れてきたものの、いざ一人になると不安に感じるよな。

 とはいえ、いつまでも一緒に過ごせるはずもない。時間通りに登校できなくても、学校の対応に任せる他無い。

 完全な部外者である俺が首を突っ込んでいい話でもないから。俺がいない日でも問題なく登校できる日が来るといいのだけど。


「私、行きます」


「うん、行ってらっしゃい」


 小走りに学校へと向かう背中を見て、頭の中で【いつまで】と思ってしまう。助けた手前ということもあるし、必要にならなくなるまで面倒見るしか無いのか?



   * * *



「遠山さん、今日は珍しくお弁当なんですね」


 昼食は普段コンビニ弁当や、近くで済ませる。だからこんな物を持ってきたのが珍しいのだろう。

 部署にいる女性陣からは、根掘り葉掘り質問攻めにあっている。そのため独り身の俺がこんな物を持ってきたことに興味があるようだ。

 余計なことを言われるかもしれないが……想定内だ。


「ええ。知り合いの子が料理の勉強していて、言わば実験台ですよ」


「ふーん。でも、いいじゃないですか。SNSにはアップしないので写真、とってもいいですか?」


「それならいいですよ」


 お弁当をのフタを開けると、女子社員は可愛いって何度も言っていた。

 俺としては、海苔で書かれた『がんばって』という文字に口元がほころぶ。

 写真を取り終え、満足したところで改めて良子ちゃんが作ってくれた弁当に向き合う。


 女性陣も去り、ようやく良子ちゃんの作ってくれた弁当を食べることができる。まずは定番の卵焼きからと箸を伸ばすところで、部署のドアが勢いよく開いた。


「ふー、ふー、ふー」


 荒い息をする先輩が、ものすごい剣幕で俺の所にやってきた。

 デスクを叩きつけ、部署内の大きな音が響き渡る。

 俺は平社員で、相手は会社の社長。場合によってはパワハラになりますよ?


「一体何があったのですか?」


「お前が! お前が! あの、アレをだな」


「何言っているかさっぱりですよ」


 仕事のことではなさそうだったので、箸に刺さっていた卵焼きを頬張る。良子ちゃん、塩入れ忘れたのかな? まあ、うまく焼けているとは思う。

 さっきまで怒っていたはずの先輩は、突然項垂れるように座り込んでいる。


「な、何をしてるんですか。それで俺に何のようなんです?」


「この薄情者!」


 立ち上がったかと思えば、先輩はそう言い放って部署から出ていった。一体先輩は何の用があって? というか、薄情って何に対して?

 よくわからないことで怒っていたけど、明日の出張先輩と一緒なんだけど、大丈夫かな?

 一瞬心配したものの、ああいうのは以前にも何度かあった。だから、明日になれば普段どおりの先輩になっているだろうし。

 気を取り直して食事を再開していると……後ろの方でヒソヒソと内緒話が聴こえてくる。


「うわっ、サイテー。あんなのどう見てもわかるでしょ」


「俺モテてるアピールとか? 最悪よね。あんな分かりやすい態度なのに……」


「ほんとよね、なんであんなのがいいのかしら。そりゃ仕事はちゃんとしてるけどさ」


 俺のことでないことを祈りたいのだけど……冷たい視線を向けられている気がしてならない。

 せっかく作ってくれた弁当を味わうこともなく、口いっぱいに入れお茶で流し込んでいく。

 綺麗に平らげてから、部署から逃げだした。



  * * *



 駅で待ち合わせになっていたのだけど……フラフラとした足取りでやってきた先輩。

 俺を見るなり、大きなため息をつかれてしまう。


「先輩、おはようございます」


「ああ、うん。おはよう」


「大丈夫ですか?」


 おかしい。何があったのかわからないけど、今日の先輩は目が死んでいる。

 寝不足ってことじゃなくて、昨日のアレが原因なのか?

 家で先輩が怒っていた原因を色々と考えてみたものの全くわからない。


「はぁ……はああぁぁぁぁ」

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