第11話「酒を樽から出したのなら、飲まなくてはならない」

 散らかった部屋で、わたし達は殴り合うようにして愛し合った。

 わたしは彼の首を絞め、彼はわたしを乱暴に求めた。


「愛してる」


 抱き合ったまま、絞り出すように言う。


「愛してる……っ!」


 もう一度繰り返し、彼の背に爪を立てる。

 わたしがあなたに伝えたいのは、たったそれだけ。どれだけ飾り立てても何かが違う。あなたの心の、ずっと、ずうっと奥底まで届けたい。

 ……わたしがあなたを、こんなにも愛しているんだ、って。


「……あ……」


 触れ合った体温が離れる。

 嫌よ。もっとそばにいて。……わたしを愛して。

 何もかも足りないの。あなたはいつも与える振りだけして、それ以上を奪って去っていく。


「……ねぇ、『愛してる』って……どれだけの男に、言ってきたの」


 ようやく、彼の口から言葉が紡がれる。

 震える声音は、泣いているようにも聞こえた。


「僕には君が分からない」


 ようやく気が付いた。

 彼は、わたしを信じられていない。わたしが過去にばらまいたニセモノの愛が、疑念となって彼の心を蝕んでいる。


「……純潔だった方が良かった? そういえば、洗礼名も持ってるんだったわね。思ったより敬虔けいけんなのかしら」

「それは、父さんが……。……別に、僕は神とか悪魔とか信じてないし、そういうことじゃなくてさ」

「そう。神も悪魔も……わたしも信じられないってことね」


 わたしの返答に、カミーユはぐっと言葉を詰まらせ、それきり黙り込んだ。

 わたしだって同じよ。わたしだってあなたを信じられない。いつもいつも、あなたは別のことばかり……わたしのことじゃなく、芸術じぶんのことばかり気にしている。

 あなたはいつだって、わたしを見ていない。


「あなたは、わたしを知ろうともしないくせにね」


 思わず呟いた。息を飲む音が上から降ってくる。


「……。そ、れは……」


 振り向くことができない。……彼が今、どんな顔をしているのか、確かめられない。


「君だって、そうでしょ」


 嘲笑の混じった答え。彼の温度が、静かにわたしのそばから離れていく。

 どれだけの時間が流れただろう。衣服を整え、ぼんやりと思案する。

 もし、彼がわたしを疑わず、ホンモノのわたしを見てくれたとして……それでも、わたしは彼のトクベツにはなれない。


 愛し合うには、あまりに遠すぎる。


 それでも、

 それでも、わたしは、あなたを愛している。愛してしまったの。


「……愛してる……愛してる、のに……」


 床にへたりこんだまま、誰に届けるでもない言葉が溢れ出る。


 いつまで待ったらいいの。

 あなたはわたしを見ないし、わたしはあなたのトクベツにはなれない。

 フラフラと立ち上がり、玄関のほうへと向かう。カミーユはキャンバスの前に戻り、再び絵筆を手に取っていた。


「……ねぇ」


 呼びかけても、返事は帰ってこない。


「帰っていいの?」


 その言葉に、一瞬、筆が止まる。

 何かをためらうような吐息。……返事が来るまでが、気の遠くなるほどの時間に感じた。


「好きにしたらいいよ」


 その言葉を聞くか聞かないかのうちに、わたしはその場から逃げ出していた。

 これ以上そばにいたら、本当に、気が狂ってしまいそうだった。




 ***


 


 息を乱したまま、自分のアパルトマンへと帰る。カバンを放り投げ、書棚に並んだ画集を手に取った。

 芸術なんて興味なかったのに、色々と勉強したのよ。……だって、あなたが好きなモノだから。あなたがあれだけ夢中になるコトだから。


「……ッ、自業自得だって、言うの……」


 書棚の上のアクセサリーが目に入る。今まで付き合ってきたカレから貰った、まだ売っていないコレクションたち。……そういえば、さっき放り投げたカバンも、どこかの男からのプレゼントだったはず。

 ……そう、自業自得。元はと言えば、わたしがばらまいたニセモノの「愛」のせいね。だからホンモノすらチープに成り下がってしまった。


 思えばずっと、トクベツな誰かを探していたのかもしれない。そして、その人に愛されたかった。

 生まれも育ちも特筆すべきことなんてなくて、在り来りで、つまらなくて……何も持たないわたしに、あなたは望んでいたトクベツを与えてくれた。そのうえ、わたしを愛してくれた。……だけど……今、わたしの心は虚しさでいっぱいになっている。


 書棚からノートを取り出す。

 カミーユに出会ってから綴り始めた愛憎を、今回も紙面にぶつける。文才も何も無い、ただの怨嗟がペン先から紡がれていく。カミーユの絵画たましいとは違い、わたしの指先から生み出されるナニカは、醜く歪んでいる。


「ふ、ふふふ……あ、はは……あははは……っ、ははははははっ」


 わたしは、こんなふうに憎みたかったわけじゃないのに。愛されたかっただけなのに。

 どうして、こうなってしまったの?

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