第5話 いいえ、もう手遅れだった。

「別れるって……どういうことだよ」

「もっとイイ人を見つけたの」


 今まで付き合ってきたカレシたちは、みんな「遊び」だってわかってる。……そう、思ってた。


「まだ2週間で……? ウソだろ、だってあんなに素敵だって……運命の人かもしれないって! 俺を騙したのか!?」


 確かに、そんなことも言ったかもしれない。

 でも、そんなの場を盛り上げるためのお約束みたいなものだし、目の前のカレだって同じはず。……わたしはそう思っていたけど、違ったらしい。


「そんなにピュアな人だったなんて、知らなかった」

「はぁ!? そっちが不誠実なんだろう!」


 どうしてそんなに怒っているのか、その時のわたしにはわからなかった。

 だって、恋愛は遊びのひとつだし。……まだ、そう思っていたから。思えていたから。


「もういい! 好きにしろあばずれ女ユンヌ・サロップ!」

「……酷い言いよう。頭が足りないのねナンポート・コワ。とっとと消えて」

「言われなくても……!」


 肩をいからせて去っていく男を見送って、思わず舌打ちしてしまった。そこまでの暴言を吐かれるようなことはしたつもりがない。カミーユの方が魅力的だった。ただそれだけのこと。


 ──君は……


 ふと、脳裏に浮かんだ声はカミーユのものだった。


 ──君は、怖いひとだね


 あの言葉は、どういう意味だったのだろう。




 ***




 カミーユと待ち合わせした喫茶店に向かう。

 相変わらずシンプルな服装で、コーヒーをすすりながらスケッチブックに向かっていた。


「お待たせ」


 声をかけても、手元に夢中になっていて一向に気付かない。


「……お待たせ」


 少し強めに言ってみても、本人は真剣になりすぎて顔を上げない。

 ……でも、スケッチブックに向く横顔は、つい見とれるほど素敵だった。

 形のいい鼻に、引き結ばれた薄い唇。この男の指先からあの芸術が紡がれている、という事実が既に美しい。


「……あ。ご、ごめん! 気付かなくて……!」


 気が付くのに10分以上かかっていた気がするけど、美しいものを堪能できたからそこまで気にならなかった。


「前のカレには殴られてくれた?」

「……え。本当にそういう別れ方したの?」

「殴られるのも悪くないって言ってたでしょ?」

「言ったけどさ……」


 眉根を寄せ、カミーユはため息をつく。


「わたしのために殴られるのは不服?」

「……その言い方は、ずるいよ」


 わたしの何気ない言葉で、白い頬がうっすら赤く染まった。


「君が殴られたらどうするのさ」

「構わないわ、あなたが手に入るなら」

「……そ、そう……。……ホントに?」

「あら、殴られて傷ついた顔じゃ愛せない?」


 ずい、と顔を近づけると、カミーユはさらに赤くなって「顔で好きになったわけじゃないから」と目を逸らした。


「じゃあ、いいじゃない。何も問題ないわ」

「……そうかなぁ……」


 首を捻りつつ、カミーユは底に残ったコーヒーを飲み干した。

 何気ない仕草だったけれど、それすら美しく見えるのは私の贔屓目ひいきめだろうか。


「恋は麻薬だって、ポールも言ってたね。中毒性があるから痛い目を見ても止められないんだ……って」

「そうかしら。楽しいから恋をするんじゃないの?」


 ポールも確か、付き合った女性は数え切れないと言っていた。

 恋の刺激が好きなんだ……って、そんな話を聞いたこともある。


「…………。恋ってさ、『する』ものだっけ?」


 どこか躊躇うように、カミーユは聞いてくる。


「どういう意味?」

「いや……『してしまう』の方かなって、思ってさ」


 恋って、そんなにネガティブなものだったかしら。……少なくともわたしはそうじゃなかった。

 そうじゃなかった、はずだったのに。




 ***




「エレーヌ、また違う相手と付き合ってるの?」

「そうだけど、それが? いつものことじゃない」


 わたしも、よく話す同期も、座学の講義を真面目に聞く学生じゃない。

 呆れたように相手は肩を竦め、「楽しそうで何より」と苦笑した。


「……そういえば……ノエルが怖いって話、覚えてる?」


 ファッションショーの時に振られた話題を掘り返す。

 彼女の語った「冷たい瞳」を、わたしも実際に見た。あれは、言われた通り気のせいなんかじゃない。


「ごめんなさい、わたし、あの時は──」

「その話、やめて」


 けれど、彼女はさあっと青ざめ、わたしの謝罪を遮った。


「……話題振っておいてごめん。でも……触らない方がいいよ。エレーヌみたいな人は尚更……」

「わたしみたいな人は……? どういうこと、余計に気になる」

「本当に……本当に悪いと思ってるよ。思ってるけど……私、もうノエルには関わりたくない……」


 気になりはしたけれど、それ以上踏み込める気はしなかった。

 彼女の真っ青な表情が、ことの深刻さを告げている気がしたから。


「……今のカレシね。カミーユって言うの。知ってる? 天才だって呼ばれてるみたい」


 話題を変え、ポールから聞いた評価を交えてカミーユのことを伝えてみる。


「ノエルと仲良くしてる人……?」


 返ってきた言葉に、今度はこっちが息を飲んだ。

 知り合いなの? わたし、そんなの聞いてない。

 仲良くしてる? ノエルは男性だけど、中身は女性じゃない。


 あれ?

 どうしてわたし、こんなに動揺しているの?


 恋人に女友達がいたって気にしたことなんかない。

 いつもそうだったのに。どうして、こんなに……こんなに、嫌な気持ちになるの?


「仲、良いの?」

「そうみたい。2人とも変な人だし、波長が合うのかもね」


 何、それ。……ずるい。


「……どうしたの、エレーヌ」

「なんでもない」


 ええ、そうね。きっと、わたしは恋をのね。

 だから……だから、あなたに狂わされた。あなたにすべて奪われた。


 この時なら、まだ引き返せたのかしら。

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