第30話 蝶は誰のために舞うのか

三月十三日。

これって『沙十美』って読めなくもないな。

というわけで今回は、千堂沙十美が主役のお話をお届けいたします。

お楽しみいただけますように。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 



 ――あの子が呼んでいる。


 幼い私の姿をした少女の気持ちに答えようと、私はもたれていたソファーの背面から立ち上がる。


「室、ちょっと出かけてくるわ。……ってあら、めずらしい」


 私の宿主であるその男。

 むろ映士えいじは、ソファーで眠ってしまっている。

 彼は少し前に『対象者たいしょうしゃ』という大きな仕事を終えたばかりだ。


『対象者』

 彼の所属する組織である『落月らくげつ』による忌まわしき行為。

 表向きの目的は、組織の発動者達の能力の底上げとその実力を試すため。

 だが実際は一人の人間の命を、複数の参加者によって奪おうとする残忍なものだった。


 一週間、昼夜を問わず室はたった一人で、組織の人間達から命を狙われ続けた。

 一日の間に、安全でいられる時間は三十分のみ。

 そんな厳しい条件でありながら、彼は見事にこの仕事をやり遂げてみせたのだ。


 成功報酬として、室はしばらくの間、仕事を免除されることになっている。 

 だが、いくら仕事を行わなくていいとはいえ、声掛けにすら目を覚まさないでいるとは。

 パートナーとしては心配すべき場面だろうか、あいにく私はそこまで素直な性格ではない。


「もう! もし命を狙う奴が近くにいたらどうするつもりよ。あっという間に殺されちゃうじゃない」


 それでも彼が起きないようにと、小声になってしまう自分がいる。


 ……やはり私は、素直ではない。


 そんな天邪鬼あまのじゃくな自分にため息をつき、クローゼットへと足を進めていく。

 扉を開けるときも、音が鳴らないようにと慎重に。

 そっと覗き込み、中にあったブランケットへと手を伸ばした。

 足音を立てぬよう、ゆっくりと室の元へと向かう。


 それにしても、ここまで眠りが深いとは。

 普段にない姿ということもあり、つい顔を覗き込んでしまう。

 男性に対して、美しいという言葉を掛けるのはおかしい。

 だが、伏せられた長いまつげや鼻筋の通った顔立ち。

 そこから感じるのは、色香と呼んでいいものだ。

 ならば彼に、そんな感情を抱くのも仕方がないのではなかろうか。

 

 見惚れる、まではいかない。

 だが短い時間とはいえ、視線を奪われたのは事実だ。

 その彼は仕事でないこともあり、今は下ろした艶やかな黒髪が、さらりと肩先にかかっている。

 一筋の髪がまぶたにかかっているのに気づき、誘われるかのように私の指先が伸びていく。

 触れる直前で我に返り、自分の行おうとしていたことに激しく動揺する。


 私は今、何をしようとした……?


 とてつもない羞恥心しゅうちしんが、芽生えてくる。

 彼から数歩さがり、ブランケットを強く握りしめていく。

 本当は、肩からそっと掛けてあげるつもりだったのだ。

 それなのにこみ上げてくる恥ずかしいという気持ちが、素直にその行動を出来なくしてしまっている。

 気が付けば私は、思い切りブランケットを室の頭上へと投げ付けてしまっていた。


 だが彼は、それが来るのがわかっていたようだ。

 目を閉じているにもかかわらず、片手で難なくそれをつかみ取ってみせる。

 けだるそうに目を開き、ゆるりと立ち上がると、ブランケットを私へとつき出してきた。

 

「優しく起こしてくれというつもりはない。だが、もう少し他にも方法はあるはずなんだがな」


 淡々と語るその声に、怒りは含まれていない。

 そのことに安堵をしながら、私の口から出てくるのは素直ではない言葉だ。


「何よ、私の声にちっとも反応しなかったくせに。いくら休養中だからといって、あんた気を抜きすぎなんじゃないの? 私が刺客だったら、今ごろ死んでいたわよ」


 先程の反応や普段の行動からみても、そうやすやすと不覚を取る男ではない。

 十分にそれは分かっているのだ。

 けれども、自分が起こした行動をごまかすかのように、つい厳しい口調になってしまう。

 意地悪な言い方をする私に、彼が動ずる様子はない。

 こちらに背を向けると、ブランケットをソファーの背もたれへと掛けていく。


「お前は俺のパートナーなんだろう。ならば、お前がそばにいる限りは気を張る必要はあるまい」


 全く予想をしていなかった室からの言葉は、私の心を揺さぶるには十分なものだ。

 その言葉を。

 その意味を理解した途端、私の顔が信じられない位に熱を放ち始める。


 彼がこちらを見ていなくてよかった。

 心からそう思いながら、自分もつい背中を向けてしまう。


「なっ、何を都合のいいこと言っているのよ!」

「今のはお前が、さんざん俺に言ってきた言葉なんだが」


 確かにその通りだ。

 けれども、自分が言うのと相手に言われるのとでは、受け止める気持ちが全く違う。


「ば、ばっ、バカじゃないの! 私は今から小さな私の所に行くから! ちょっとの間、いなくなるんだから、その間は、……気をつけなさいよ」


 これ以上、声が上ずらないように。

 必死で感情を堪えながら、私は目を閉じ朧へ向かう準備をする。

 万が一にも、この男が気を抜くことはない。

 分かってはいるのだが、私は手のひらから自身の分身である蝶を呼び出していく。


「い、一応この子達を置いていくわ。だからちょっと! ちょっとの間だけならば、ゆっくり休んでもいいかもしれないわ! じゃあね!」


 背中を向けているので、顔を見られることはない。

 勝手に口元に浮かんでしまう笑みを抑えずに、私は彼の言葉をもう一度かみしめていく。


 もしも、帰った時に彼がまた眠っていたら。

 私は、優しく起こしてあげることが出来るだろうか。

 

 ……いや、私の性格ではそれは難しい。


 それならば、せめて。


 今度はそっと優しく、ブランケットを掛けてあげよう。

 踊るように飛ぶ蝶たちへ、そして私自身へとささやかな約束をする。


 まだ頬に熱が残る体に、満ちていくのは温かな気持ち。

 それを感じながら、私は静かに微笑み、朧へと向かうのだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 お読みいただきありがとうございます。

 こちらのお話は綿雲様のイラストから書かせていただきました。


 近況ノートにイラストを掲載させてもらっております!↓


 https://kakuyomu.jp/users/toha108/news/16818093073584341311


 こちらの作品を綿雲様へ、捧げつつ感謝を申し上げます。


 いつもと同じような、ちょっぴり乙女な彼女を楽しんでいただけていたら嬉しく思います。

 本編の方も、あわせてお楽しみくださいませ。


 お読みいただきありがとうございました!

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