第33話 プログラム



 2040年12月18日、ロスアラモス空港ロビーのコーヒースタンドでは数人が朝の便を待っていた。


 バリー・マクファーレン博士は、剃り跡を確かめるようにあごを撫でながらエスプレッソをすすっていたが、その眼はロビーの壁面テレビに向けられていた。テレビからは離れていたため、音声はよく聞き取れなかったがテロップを読むことができた。


 過去10年間における全米農作物生産量の減少のグラフが示されていたが、誰の目にもその深刻さは歴然としていた。その後、ニュースのテーマは大統領選に移った。11月の一般投票の結果、32万票という僅差で事実上、民主党のマイク・オーウェンが再選されることとなった。 しかしながら、エレノア・ハンセン共和党候補の支持者の存在も無視はできず、今後は保護貿易的傾向が強まると予想されていた。また対中国政策に軌道修正があるかどうかにも注目が集まっていた。


 オーウェンを支持していた彼はアメリカの将来について希望を失わずに済んだとひとまず心が安らいだ。


 10日間近く、マシンQ上でチャン博士失踪の手がかりを探していたバリーはほとんど成果が得られないまま、休暇をかねて学会に足を運ぼうとしていた。もしかすると年末の休暇は取れなくなるかもしれなかった。


 シアトルで昼過ぎから始まる今年のアメリカ人工知能学会(AAAI)では、ここ10年近くいっさいの発表がなく沈黙を保っていた中国のウ・チェンインとインドのニリーマ・アムリット (彼女はインドにおける女性の教育機会向上にも精力的に取り組んでいたという)も招かれ、国家間大学連合における人工知能プロジェクトの成果について報告するという。


 そして、今年はいったい誰が「サイモン・ニューカム賞」を受賞するのだろうか。研究者だけでなく、企業や行政、軍事分野の専門家らもオブザーバーとして多数参加し、研究者や学生のヘッドハンティングも(非公式に)行われる独特の雰囲気がある学会である。



 コーヒーの最後のひとくちをと思ったそのとき、突然、左腕のエニグマ(携帯端末)が振動し、彼はコートと鞄を持って席を離れた。


 周囲に人がいないことを確認して、エニグマの非表示ボタンを解除した。「文字メッセージ.要認証」というメッセージに指紋認証を行うと、今度は「タクシー乗車場。ホルト」と表示された。



 ロビーを横断したバリーは、タクシー乗り場に通じる自動ドアに近づいていった。その向こうには、12月とは思えぬ美しい青空が広がっていた。 今年も雪の量は異常に少なく、昨日降っていた雪も夜にはやんでいた。朝の日差しが照りつけるにつれ、雪に覆われていた路面も徐々に現れ始めていた。


 ドアが開き、彼の姿が屋外に出るとホルトのメタリック車が近づいてきた。バリーはそれに気づくと、さりげなく車に寄っていき扉を開けて乗り込んだ。


「緊急の要件でしょうね。シアトルの学会行きをキャンセルすることになりますよ」助手席のバリーが聞いた。


 ホルトはしばらく黙ったまま、自動運転に切り換えるようすもなく車を出した。


「エニグマをしばらく切ってくれ」ホルトが口を開いた。


「わかりました」



「これを読んでみてくれ」ホルトはそう言いながら、ダッシュボード上に置かれていた大型封筒をバリーに手渡した。


「何です、これは」


「今朝届いたNSA局長からの書留だ。名義は別人だが」


「なぜわざわざ郵便を?」


「まぁ、読んでみたまえ」



 やがて、研究所に向かう途中のキャニオン・ブリッジにさしかかった。このあたり一面はまだかなり雪が残っている。1951年に完成したこの橋は全長250m。橋の中央から谷底までは55mもある。全面的な改修工事が間近に迫った12月5日、ここで事故が起きた。


 バリーと同じ、ロスアラモス国立研究所のコンピューター設計グループのレナード・モリスが先週の水曜、研究所側の橋のすぐ手前で、谷底に車もろとも落下した。車体の詳細な検査が一昨日から始まっており、原因はまだ不明。命は取り留めたもののモリスの意識はまだ戻っていない。


 だが、手紙を読みにつれ、バリーには事故原因の見当がついてきた。そしてホルトが手動運転をしている理由も。


「あなたがこの手紙を私に見せたということは、すでに裏付けがとれている、ということなのですね」

バリーは読み終わるとそうホルトに聞いた。


「皮肉なものだが、いまやわれわれ自身が「スバイダー」(大規模通信傍受ネットワーク)によって完全に監視されている。下手に身動きがとれない状況だ。 外部とのやりとりは直接相手と会って話すか、信頼できる人間を介すか、あるいは手紙しかない。

しかも、人の動きが確実に読まれている。一般市民を含め、すでに220人以上が犠牲になっている。少なくとも今のところ、民間人名義の発信人を装って書留郵便を使うのが最も安全だ。

その中身だが、15日、レベッカ・コクランに会って確認したところだ。いきなり行ったものだから先方も驚いていたが。

BTAにいたタチアナ・キリーヴァという学生の録画も見せてもらった」



「この『ヴァルカノイド』というのは天体ですね」


「この資料も見てくれ。

今世紀に入って発見されはじめた新種の小惑星だ。コクランから聞いたのだが、興味深い話だった。20世紀まで、太陽と水星軌道の間の空間にはなにも天体が発見されなかったんだ」


「太陽のそばですから観測も難しい?」


「そのとおりだ。ところが20世紀も終わりに近づいた頃に... 」


ホルトはバックミラーを見た。尾行車両がないのを確認し、話を続けた。



「太陽と水星軌道の間に...小惑星が安定して存在できる領域が見つかったそうだ」


「それは理論的に?」


「そう。そこにある小惑星の総称がヴァルカノイドだ。19世紀、水星軌道内にあるとされた惑星「ヴァルカン」から採られた名だ」


「実際に発見されたんですね。思い出しました。何かでその名前を読んだような気がします」


「2018年5月、NASAの航空機が薄明後、成層圏から撮影を行ったんだ。

大気の散乱光を減らしての観測だ。

その年、3度目の観測だったそうだが、ついにヴァルカノイドが発見された。翌日も確認観測が行われ、位置が移動していることがわかった。

その資料に入っていたはずだが、当時はニュースになった」


「ああ、この記事ですね... 」


「月に設置されたコロナグラフから、今も発見が続いている。

先月の時点で63個も見つかっているそうだ 」



 道路のはるか先に研究所の建物が点のように見えてきた。



「ヴァルカノイド同士の衝突が起きたり、水星との接近が何度も起こると軌道が変わり、金星や地球に接近するようなものもでるそうだ」


「タチアナが気づいた欠落画像に写っていたのは、地球衝突コースに転じたヴァルカノイドだった... 可能性がある、ということですね」

バリーは資料から顔を上げて言った。



「まず間違いない。恐れていた『コズミック・テロ』が仕組まれたわけだ」


「思い出します。2029年を」




 天体との衝突から地球を守るため、2004年のクリスマス、休暇やパーティを返上して天体の動きを追跡しなければならなかった天文学者らがいた。直径340mほどの小山ほどの小惑星が発見され、半年の間になされた観測によれば、2つのサイコロが同時に6を出すような確率で、2029年4月13日に地球に衝突するという計算結果だった。


 さいわい、2004年3月にも同一天体が観測されていたことが判明し、これらのデータを組み込んだ精度の高い軌道からの計算では、2029年の地球衝突は免れることになった。



 2029年4月13日、宵闇が消えていくにつれロンドン市民は次々に屋外に出、南西の地平線から45度ほどに見える3等級の天体を見つけていた。40分ほどの間に西のほうに移動していったその天体は、21時45分頃に最も地球に接近し、静止衛星の軌道よりも地球に近いところを通過していった。


 アフリカ北部では、有史以来初めてという「肉眼小惑星」を一目見ようと、多くの人々やツアー客が押し寄せていた。小惑星に、エジプト神話の「闇と混沌の神」を起源とする「アポフィス」という固有名が付けられたことも人々の関心をひく一因であった。


 地球の重力で軌道が変わったその小惑星は公転周期が323日から428日に変化していた。その正確な周期は、どれだけ地球に接近するかに依存していた。


 もしも(12000分の1の可能性だった)426.125日の周期になれば7年後に再び同じ軌道上の場所で出くわすことになる。そして衝突が起こるはずだった。


 太平洋上に衝突した場合の津波被害、それも物的被害だけで4千万ドルと試算された。この事実が明らかになると、人々の不安をあおる噂が流れ始めた。テロリストたちが「重力牽引機」を小惑星「アポフィス」に接近させ、軌道を意図的に変えるのではないかという...


 地球に接近する小惑星の一部については、地球から月に向かうよりも少ないエネルギーで到達できる。 地球周回低軌道からは秒速6km以下。小惑星から地球に戻る軌道へは秒速1~2kmで足りるものもある。


 小惑星に着陸も物理的接触もせず、小惑星近傍の「浮遊位置」を保ちながら、探査機体の微弱な重力で小惑星を牽引し続ける「重力牽引」の実験は、ヨーロッパ宇宙機関によって2014年4月に実施され、成功を収めた。直径280mの小惑星「2011VD20」に接近した探査機「ドルシネア」は、小惑星の質量中心から240mだけ離れた状態で21日間飛行した。その間0.053ニュートンという、葉書の重さ程度の微重力が小惑星を牽引していたため、秒速100万分の2mという速度変化が小惑星に生じたのである。


 小惑星の軌道をわずかにそらすこうした実験の成功は、地球の危機を救う手段として歓迎すべきものであったが、いっぽうで大規模大量破壊兵器を生み出す可能性もはらんでいた。


 人工衛星や弾道ミサイルの監視を行っていたアメリカ国防総省のスペースコマンドが、2010年代後半に入り、地球接近天体の監視態勢に本格的に乗り出したのにはそうした事情があった。


 結果的には、小惑星に向けた「正体不明の物体」などの打ち上げは確認されず、7年後の衝突も起きなかった。


 しかし、「コズミック・テロ」の不安は完全に払拭されたわけではなかったのだ。





「ヴァルカノイドの地球衝突を妨げるようなアクションがどこかで起こると、マシンQのプログラムによって妨害されるらしい。

人の行動が監視され、すでに何人もが犠牲になっている」


「レナードの事故も関係があるのかもしれません」


「そう。彼の意識が戻らないので具体的なことがまだわからないが。

いずれにせよ、十分警戒しながら、マシンQの問題箇所を突き止めよう。

あと、23分ほどでロシアのテレビが偽情報を流す。

マシンQ上のいずれかのプログラムが何らかの動きを示すはずだ」


 車は研究所北西側駐車場に着いた。ここから「フェンス」と呼ばれている領域の建物へは徒歩で向かう。


 雪がほとんど溶け、枯れた芝が屋根付き通路の両側に広がっていた。


 異様な金属光沢の壁面をもつ建物の入り口に来ると、2人は自分のIDカードをそれぞれ端末に差し込んだ。このIDカードは、持ち主のDNA識別機能を持っており、本人以外が所持しても全く機能しないようになっている。


 地上1階地下10階のこの建物は、全体が電磁シールドを施され、巨大な耐震基部の上に建てられている。その地下9階スペースのほとんどを占めているのが、分厚い耐火扉の向こうに広がる「マシンQ」という呼ばれる世界最速、最高性能のスーパーコンピューターであった。


 各階には銃をもつ複数の兵士が常駐し、各種の防犯センサーが機能していた。物理的な侵入はもちろん、IPsec37に準拠した強固な監視機能付きのルーターを通じてのネットワークからの侵入も事実上不可能だった。


 厚さ20cmもある耐火扉がゆっくりと開くと、正面にピラミッドのようなマシンQ本体が見え始めた。周囲に置かれた記憶装置類も含めると発熱量は1時間に25000キロジュールに昇っていた。



 バリー・マクファーレンは、部屋のすみに置かれた操作卓から管理者モードでマシンQに入った。


 あと8分ほどでロシア国内のテレビが、「コーカサスの旅客機墜落事件の唯一の生存者が現場近くの村で見つかり、モスクワの病院に収容されている」 という偽情報を流すはずだ。これはロシア共和国保安部テロ対策局局長、アンドレイ・ペシチャストノフ中佐のアイデアだった。


 コンソールの表示画面には、マシンQ上で今の瞬間に動いている全てのプロセスが優先処理順にリストされていた。


 あとは、放送を待つだけだ。


「念のため、あのカメラの電源を切っておこう」ホルトが言った。


マシンQ上のプログラムがこの室内まで監視している可能性があるためだ。


あと4分。やけに時間が長く感じられた。

ホルトはおちつきなく室内を歩き回っていた。


「いまも小惑星が地球に接近しつつあると思うといい気持ちにはならないな」


「間に合えばいいのですが...あと1分です」



放送時間になった。予定通りならいま頃、偽情報が流れているはずだ。

1分が過ぎた。変化はない。


2分が過ぎた。まだ変化はない。

どうしたのだろうか。放送されなかったのだろうか。


「だめだったか...」

あきらめた表情のホルトがそういいかけたとき、画面上に変化が現れた。


いままで画面に表示されていなかったプロセス3つが、ぐんぐん上位に上がってきたのだ。プロセス番号から、どのプログラムがそのプロセスを起動しているのかが検索された。


「これは...これはいずれもCAP という... そうだ! 

 これはワシントンの科学補佐官が使用しているプログラムですよ!」


「はやく、そのCAPというプログラムと実行プロセスを削除してくれ」


「わかりました」



そのとき、急に天井のスピーカーから警報が鳴り響き、次いで機械音声が流れ始めた。


「火災発生、火災発生。室内にいるかたは直ちに避難をしてください。

 30秒後に消火ガスを放出します。繰り返します...火災発生、火災発生...」



「プロセスとプログラムをいま削除しました!」


「よし、早く部屋の外へ!」


2人は重い耐火扉を開けるボタンを何度も押すがまるで反応がない。



「消火ガスを放出します」アナウンスが終わると、天井の四隅から白い気体が勢いよく放出され、その一部は壁をつたって降りてきた。やがて、床が白くなり徐々にガスが占める体積が増していった。


「コンソールの電話は2台とも通じないぞ!」


「たしか記憶装置の横に酸素マスクがあるはずです!」バリーが探し始めた。



「あったぞ!ここだ」

ホルトが、記憶装置の側面に取り付けられたプラスチックカバーに4つの酸素マスクが入っているのを見つけた。


酸素マスクを装着した2人は、残る2つのマスクも取り出し、コンソール上に置いた。


「この小さなボンベでは2つあっても長くはもたないでしょう」


空調の給排気口も小さすぎて、とても人は通れない。



「閉じこめられたことをなんとか外部に伝えないと」



ホルトは工具ケースを見つけ、取り出したハンマーで扉を叩き始めた。


「コンピューターを使ってみます」


バリーは再びコンソールから、なんとか防火制御システムに入れないか探し始めた。


室内は白い気体で充満していく。離れたところにいる2人は、次第に互いの姿が見えなくなっていった。


ついに、スケジュール管理プログラムから、防火制御システムに実行命令が行っていることがわかった。


「もうすこしで止められそうです」


「向こうから誰かが叩いている音がしている! 気づいてくれたようだ」


「モールス信号なら伝わるかもしれません」


「やってみよう。だがもう、マスクを交換したほうがいい!息苦しくなってきた」


2分後には、気体放出がやみ、室外に気体を放出するモーターが作動し始めた。しかし、酸素マスクをはずすのはまだ危険だった。



さらに5分後、ようやくマシンルームの大きな扉が開く音がした。向こう側には保安チーム6人とスタッフ・サイエンティストのレビン、そしてハロルド所長の姿が見えた。



「ふたりとも無事か!」


「早速で恐縮ですが所長、クロフォード補佐官とNASAのインガソル長官、それから英王立統合軍事研究所のコクラン部長に至急連絡をとりたいんです!」 ホルトが言った。








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