第8話


 朝、早い時間に僕は目を覚ました。まだ薄暗く、ひんやりとしたやわらかい光陰が研究棟の窓にあたっている。

 ふと、窓の外に何かを見上げる少女が佇んでいた。あどけない顔で思い詰めた様子だった。薄暗さもあったが、赤に彩られた服を着ているようだった。

 少女の視線の先には、研究棟があった。だが、なぜこんな場所に子供がいるのだろう。考えられるとすれば、研究員の中の誰かの子供、ということが即座に出てくる。子供がいることはあまり不思議には感じなかったが、朝早くというのには、すこし奇妙に思った。

 急いで外に出て女の子を探したが、どこに行ったのだろうか、と周囲をくまなく見てまわった。


 遠くから呼びかける声が聞こえてくる。

「……くぅん、……みくーん、龍美くん!」

 見れば、緑色のジャージ姿の紬さんだった。研究員の白衣姿とは、だいぶ印象が違ってみえる。小顔で顔立ちがよくすっとした体型をしている。ランニングをしているのか、タオルを首から下げていた。

「おはよう。早いわね! きょろきょろあたりを見ていたけど、どうかしたの?」

「おはようございます。この辺りに女の子がいませんでした? みた感じ15、6歳ぐらいの女の子が」

「女の子? 子供なら博士のお子さんがいるけど、本当に15、6歳の子だったの?」

「部屋の窓から見たので、はっきりした歳は分かりませんけど……」

「寝ぼけていたんじゃないの。あるいは、この辺は、研究員が朝の散歩をすることがあるから、見間違えたのかもしれないわ」

「そうなのかな……。ところで、シライ博士って結婚していたんですか?」

 彼女は、不思議がる様子もなく澄まして説明した。この世界線のモトフジ博士に子供がいたなんて驚いた。

「意外そうな顔ね。ここは、職場結婚が多いから式場もあるのよ!」

 彼女の指差す方向に、教会らしき三角型の屋根がみえる。

「そうなんだ、この時代にはもう……」

「ん、何か言った?」

「いいえ、なんでもないです」

 僕の時代にもチャペルらしきものはあった。なんども修繕が行われていた形跡があったが、20年以上もあったとは気づかなかった。

 僕らは歩きながら宿舎を目指した。彼女は、日頃から研究に没頭することが多いということもあり、時間がある限り運動を心がけているということだった。別れ間際、彼女はくれぐれも実験には遅れないようにと釘を刺してきた。


 食事を終えた僕は、紬さんに言われたことが気になり、早々と九籐さんの部屋へとむかう。

 彼女は、僕がくるとは想定してなかったらしく、部屋の中からバタバタとした音が聞こえてきた。

 しばらく廊下で待っているとドアが開き、鞄を手に持った気品に満ちた九籐さんがあらわれた。

「お待たせ! さあ、研究所に行くわよ!」

 彼女は毅然きぜんとした態度で声を上げた。

 完璧を追い求めているのか、と彼女の性格が僕は気になった。普段の生活が想像できなかったからだ。比べるわけではないが九籐さんと紬さんとでは、異なる気の強さを感じた。


 実験室には、すでにシライ博士と紬さんが何かを話し合っていた。

「おはようございます! 博士」

 タイミングを見計らい九籐さんが挨拶をした。僕も倣い、つづけて挨拶と会釈をした。

「おはよう! 九籐くん、龍美くん!」

「紬さん、今日の実験のスケジュールは、昨日の打ち合わせ通り粒子テレポート実験でいいのよね?」

「そのことなんだけど、いま、博士と相談して中止にしようかと……」

「中止!? どういうことでしょうか?」

 九籐さんが博士に詰め寄った。

「納得のいく説明をしてもらえますか?」

「うむ、数週間前におこなった動物実験で物質粒子の再結合が行われなくなった件は、君も知っていると思う」

「しかし、その後の検証結果で原因がつかめて、解決したはずでは?」

「それなんだが……」

 博士は深刻な顔の後、黙り込み紬さんをみた。

「研究結果をまとめた実験報告書に、誰かの改ざん跡が見つかったの」

「そんな……そんなことって!」

 信じられない、と言わんばかりの声を彼女は発した。

「でも、九籐さん、落ち着いて聞いて。いまは犯人探しが重要ではないことは理解して。動物の行動なんて制御できるわけじゃないし、誰も予測なんてできなかったことよ。問題は、現状を見つめ直して解決策を考えること。それに……緊急を要する事態を考えてあの装置を」

 一瞬、僕に視線が集まった。九籐さんが博士に詰め寄った。

「博士! ま……まさか?!」

 僕には、彼女の驚きの意味がこの時はわからなかった。ただならぬ不安感がぎった。

「まさか、あの封印したエクスチェンジ装置を使うというの?」


 封印した……?


 紬さんがうなずいた。つづけて、博士が言った。

「やむを得ない事態だ! あの装置なら、一定の空間範囲内で《《交換テレポート》》が可能だ! その間に粒子テレポートの実験を再度検証する。問題は……」


 交換テレポート?


 博士の言葉の補足を紬さんが代弁した。

「問題は、実験として使用する場合、磁力を帯びているから病室に運び込むことはできないし、人の目に触れてしまうところなの。そこで強行手段をとるつもり。幸い、病室は屋上に近い場所だから、病院の階上の一部を一般人が入れないように交渉するわ!」

「きみには、実験の前におこなうインスペクション検証テストの被験者を務めてほしい」

「え!? ぼく?! ……ですか?」

 博士が、両肩に手を置き、

「いまは、きみに頼る以外に方法がない。事態が急変してすまないが、よろしく頼む」

 シライ博士が僕を前に深々と頭を下げた。

 被験者として安全を確保できるなら、やってやれないことはない。

 ただ、僕にはシライ博士の言うに疑念というか不安を感じた。エクスチェンジ、というのはいわゆるを意味する言葉だ。気になったのは、それがなんらかの形で、封印された事態になった、というものだ。

「博士、あの、どういう装置なのでしょうか?」

「ふむ、実はテレポート装置の開発、実験というのは、私の先代の研究技術を引き継いでいることなのだ」

 なんでも、博士の語りによると、先代から少しずつ実験が進んでいたらしい。科学の技術が発展を遂げ、先代の考えていた妄想の産物が現実味を帯びてきたそうだ。【封印した】エクスチェンジ装置というのは、博士の父が、実験に使っていたいわゆるらしい。博士も実際に使った経験があるらしく、博士いわく、だとそっと僕につぶやいた。長年、使ってない、と笑いながら僕に話した。ブラックジョークもいいところだ。

 九籐さんは考え、

「そうなると……軍の方に協力を働きかけて、手筈てはずを整えるわ!」

 そういうと、部屋を飛び出し行ってしまった。

 軍をも動かすほどの大規模な人体エクスチェンジ実験とは、どういうものになるのか、興味がわきはじめていた。





 実験の準備は着々と進んでいるようだった。

 僕は、第九実験場に紬さんと向かった。向かう途中、どこかでみたことあるような球型の壊れたポッド、映画でみた異様な箱型ポッドがみえる実験場のそばを通過することもあり、さまざまな実験が行われていたのだと感じた。

 第九実験場にも、やはり実験場に相応わしいものがあった。透明の筒形の実験装置や医療技術で使われる電磁機器装置が深い眠りについていた。


 紬さんは、その中の透明の筒形の実験装置のコントロールパネルにおもむいた。

 透明の筒型は四つあり、それぞれの筒の内部に天井部からいくつものコードがぶら下がってみえる。よく見ると、一つの筒には、あらかじめデータとして、記録した身体の座標を3D立体化にした蝋人形らしき、精巧に作られた僕そっくりな原寸大の人形があった。

「まさか、あなたの記録した身体の座標が、こんな形で役に立つなんてね」

 実験の内容が、なんとなく掴めた。要は、僕の入るガラスの筒から人形のある筒へお互いの場所が入れ替わる実験なのだ。だからこそ、正確な座標が必要だったのか、と気づいた。

 たしかに、こういう方法もテレポートに入るのだろうか。有機物質と無機物質が遠隔で入れ替わるのだ。

 紬さんのコントロールパネルから装置に息が吹き込まれるように輝き始める。

「準備が整ったわ! まずはぜんぶ服を脱いで……」

「ぜ、ぜんぶ……ですか……?」

「そう、よ!」

 検証実験とはいえ、女性の前で全裸をさらけ出すのには、抵抗があり流石に股間もだまってない。だが、僕は懸命に理性を抑えた。

 頭全体を覆い隠すほどの装置をかぶらされる。そのあと、彼女がコントロールパネルの席に着席すると、僕の全裸を見て、真剣な顔でダメ出しを何度もしてくる。

「そこから、一歩も動かないで! 動いたりしたら、あなたは確実に瀕死状態になることを覚悟して!!」

 おどしとも取れる彼女の怒号たる大声が、実験場に反響した。

「龍美くん、眼をつむって、大きく息を吐いて」

 まるで、身体検査を受けている気分だ。

「それじゃぁ、始めるわよ!」

 僕は、眼を瞑り羞恥心を忘れ、知奈美のお姉さんが無事であることを祈り、紬さんに大きく返事をした。


つづく

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