第5話

 翌年、つまりは僕とセレデリナが出会って10周年の年。

 また彼女は帰ってきた。



「ただいま……ってえええええええ!?」



 セレデリナは山に着いた途端、とても大きな声を挙げて仰天した。

 それは僕が仕掛けたサプライズが原因だ。


 僕は山に新たな畑を作った。家のすぐ側の空いたスペースに。

 そこに植えたのは――半分が僕の手でだけで研究してきた植物。

 そして、もう半分がセレデリナが来てから研究した植物だ。



 ……それらは半々に別れ、ハートの形で描き生えている。




「これが僕にできる最大級の愛情表現だよ」



 当然栄養素を奪い取りかねない『カミクイダケ』は植えていない。中途半端だけど、この精一杯は伝わってくれるはずだ。

 これを前に、セレデリナは一瞬引いた顔になり、やれやれとしながら答えを返す。



「ハハッ、エマって本当に不器用ね。こんなのなくたって、アタシにはこの居場所さえあれば充分なのに」



 どうやら僕のサプライズは大胆に滑ったようだ。

 僕一人の人生と、セレデリナに出会ってからの人生。その両方を繋ぎ合わせた最高の芸術だと思ったのに。


 でも、見せたい人はキミだけだった。なら心に届かなかった時点で僕の負けでしかない。


 僕はやれやれ、と頭を掻きむしりながら少し後ろめたい気持ちで彼女との距離のとり方に困り始める。


 ただ、やっぱり、セレデリナは僕よりも前に出てリードするのだ。



「でもね、そういう不器用なところは大好きなのよ。完璧じゃ面白みなんてないもの」



 そう言いながらセレデリナは目を離した隙には僕の間合いに入ってきて、気付けばハグされていた。

 そんな攻め方をするから、余計に好きになっちゃうんだよ。自分でもわかってるくせに。



「セレデリナはいつもずるい」


「ふふっ。まあ気持ちは伝わったわよ。だから改めてこう返事しましょう。愛してるわ、エマ」



 そうやって今日も今日とて僕を口説き落とす。

 勝てない。彼女には何をやっても勝てない。それを気付かされてしまった。






***


 その日の夜、僕はセレデリナと同じベッドの上で語り合っていた。



「でさ、みんなよりにもよって僕のことを魔女だなんて言うんだよ。信じられないだろ?」


「でもまあ、〈里人種エルフ〉は〈人種ヒューマン〉の10倍以上の時を生きるんだし、もとより魔女みたいなものじゃない? 色々と都合のいい言葉なのよ、きっと」


「なるほど、その考えは僕になかったよ。ありがとう」




 内容は単なる僕の愚痴だった。

 そもそも世界を旅するセレデリナに対して、僕は山にこもりきり。ここ最近は遠出するのは基本仕事だからセレデリナと一緒だし、買い出しも学会に合わせて年に一度行くぐらいだから、僕のレパートリーは皆無だ。


 ただ、相談したいことがあったのを思い出した。今しておこう。



「ねぇセレデリナ、今年の論文発表に付き添ってくれないかい? やっぱり、僕は魔女じゃなく、匿名の協力者であるキミこそが魔女だってみんなに知ってもらいたいんだ」




 急に切り出した話題を振ってしまったのもあってか、30秒ほどセレデリナは無言になる。

 僕が緊張で胸が張り裂けそうになる中、口を開くと、



「嫌よ。その手の名誉はあるだけ無駄だし。欲しいのは世界最強の証明だけ、わかった?」



 否定と同時に僕を問いただした。

 流石にここは食い下がろう。

 僕のわがままを聞いて貰ってばかりになるのも悪いからね。



「そうだ、言い忘れてたんだけど、自慢したいことがあるの」


「へぇ、なんだい?」


「アタシ、ついに魔王と戦ったわ!」


「嘘でしょ!? 世界最強だよ、彼!?」


「アタシだって世界最強よ。それをついに証明する時が来たってだけ」


「まあ。それもそうだね。それで結果は?」


「引き分け。単に世界最強が世界に1人増えただけって結果になっちゃった」


「それは残念……と言いたいところだけど、おめでとう、かな、ここで言うべきは。セレデリナは本当に目的を果たしたんだから」


「ま、実際そうだし、この功績は嬉しい限りよ。ありがとね」



 それからも、2人の長い夜は続いたのだった。






***


 今年もセレデリナと別れる時がやってきた。

 僕は、いつもならここで涙を流さない。

 なのに、今回だけは滝のように涙を流しながら彼女を見送っている。



「んもう。いい加減泣くのはやめなさいって。鼻水出てるわよ」


「だっ、だってぇ〜〜〜〜」



 見送る側なのに1時間は宥められ、まともに送り出せないでいる。

 何故だろう、泣くのをやめられない。理由もわからない。



「この花壇と一緒にキミを待ってるよ」


「ほぼ畑でしょ、それ。花より草の方が多いじゃないの」


「ははっそれもそうだった」



 しばらくすると流石に僕も落ち着き、手を振りながら山を離れていくセレデリナを見送った。

 また長い、何も無い時間が始まる。

 まあいいや、牛でも育てて気長に待てばいいんだし。


 どうせまた会える。だからか、お互いに『さよなら』を言うことは無かった。




 ――これが、僕とセレデリナが交わした最後の言葉だ。






***


 1週間後、僕は次に提出する学会のための論文をまとめていた。

 時刻は夜、牛たちは眠り、僕は静寂に包まれたこの時間に作業するのが大好きだ。そこは自分だけの世界であり、1枚の紙とペンに全神経を集中させられるから。


 だけど今日、その世界も、それ以外のすべても、何もかもが崩れ落ちる。



 ワー! ワー!



 何故か家の外から人の叫び声が聞こえてきた。

 それも大勢。数十人はいる気がする。


 王国の方で何かあったのだろうか、僕は気になって外へ出てみた。

 僕の視界に入ったは、腰に剣を据え西洋甲冑を着込んだ〈人種ヒューマン〉の集団で、皆が皆手に松明を握りしめている。


 彼らは僕を見つけるや否や、とんでもないことを叫び出す。








「いたぞー! 魔女だー!」







 僕のことを称えるためではなく、として“魔女”と呼んだ。



「一体どういうことなんだい!?」


「どうもこうもあるか!」



 リーダーらしき男が叫ぶと、ほかの者も「そうだそうだ!」と呼応していく。

 彼らの双眸そうぼうは殺意に満ちている。


 逃げなければ殺されるだろう。


 なのに、足が動かない。


 ああそうさ、僕は非力さ。魔法も使えない、武術の覚えすらない、運動もぜんぜん出来ない、セレデリナとは全てが真逆の弱い女だ。こういう場で抗う術なんてひとつも持っていない。



「なんだ? この芸術のなり損ないみてぇなのは」



 膝が震え、立ちすくむ僕を見つめる兵士たち。

 そんな彼らのうちの一人が僕のハート畑に向かって松明を投げ入れた。



「あああああぁぁぁぁぁぁあッッッッッ!!!!!!!!」



 当然燃え上がり、ハート畑はほんの一瞬で燃えカスとなりこの世から消え去る。



「セレデリナへの愛の芸術がー! なんてことをしてくれるんだー!」


「恋人の名前か? おめでたい魔女だ。そいつも見つけ次第殺してやる」



 泣き叫ぶ僕を無視して、彼らの破壊行為は続く。


 大事に育ててきた牛たちが剣で斬り殺され、牧場や他の畑。そして僕の家に松明の火を投げ入れられていく。


 僕の人生も、

 セレデリナと出会ってからの人生も、

 その全てが炎に焚べられていく。




「放せ、放せよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」



 彼らは僕の身体を縄で拘束し、山の下へと連れさろうとした。

 力の差は歴然、抗いようがない。


 その中で、山の至る所へと松明が投げ捨てられてゆく様が視界に入った。


 今、僕が築き上げてきた物も、支えてくれた物も全てが炎に焼かれ消えて無くなる。

 僕が僕でなくなっていく。


 苦しい。

 辛い。


 これも全て、魔女と契約した代償なのだろう。

 僕は今、それを払っているだけなんだ。



 ――そんなの嫌だよ!



 自分の中でこうなる未来はいずれ来る。覚悟だって決めていた。


 なのにどうだ? 現実は予想を遥かに超えて残酷だ。

 こんなの耐えられない。嫌だ。嫌だよ。

 

 ……それでも僕は決して、セレデリナに助けを乞うような言葉だけは叫ばなかった。

 今彼女に頼ることこそ、セレデリナという魔女を否定してしまうような気がしてしまったから。

 

 



***


 ショックのあまり少しを気を失ったようで、目を覚ますと僕は……都市の中央で高く磔にされていた。



「これより王の名により、“魔女”エマ・O・ノンナの火刑を行う」


「魔女めがー!」

 

「焼かれて死ねぇ!」


「俺たちを騙しやがってー!」


「消えろー!」



 下を見下ろすとどこか見覚えのある王国の民衆たちが何千と囲み僕を大声で罵っている。

 アレだけ魔女様だとか崇拝してきたクセに、なんて手のひら返しだ。


 確かこの国の王は民から信頼されてこそいるものの、その実、自分の思い通りにならない事が起きると個人をどこまでも追い詰める性格の悪い男だと聞いたことがある。

 そのことを踏まえて推理してみると、僕は彼の宮廷に所属して働く科学者になるのを断ったがばっかりに目をつけられ、王の力を以て『エマは嘘つきの魔女だ』とあの手のこの手で吹聴ふいちょうされ、皆が信じてしまいこうなったんだろうたんだろう。


 証拠に、学会で顔合わせる学者のおっさんどもが中心になって集り、まるで自分たちは被害者を代表していると言わんばかりの態度を示している。



「ざまぁみろ! クソ〈里人種エルフ〉!」


「女の分際で成り上がりおって!」


「俺らの勝ちだ、このクソ魔女が!」



 間違いない、こいつらは王と協力して嘘を伝播したんだ。

 成り上がる僕に嫉妬して、潰せるチャンスに乗じたに違いない。

 多分山から降りてなかった1年の間に、僕の論文は難癖を付けて否定され、事実は最初から誰かの盗作だったことに変わり果て、全て無かったことにされていた。


 わかっちゃったな。今更だけも。

 追い詰め続ける現実。でも、まだまだ苛烈に人々は僕を虐げる。


 しかも、石を投げてくる奴まで現れた。


 痛い、やめてくれ。

 ただでさえ理不尽に殺されるのに、痛いのなんて本当に嫌だよ。


 最後の最後にこれって……受け入れられないよ、こんな人生。








 ――そうか、これも全部セレデリナに出会ってしまったせいだ。







 彼女を拾ってしまったがばっかりに、魔女と禁じられた契約が交わされ、本来得ることの無いはずの結果や実績を得た。

 これはその代償なんだ。



 でも、何でかなぁ。



 全然、セレデリナのことを嫌いになれないや。

 僕は好きなんだよ、彼女のことが、何があっても、



「魔女め、今から焼け死ぬんだぞ。最後に言いたいことはないか?」



 セレデリナのことを考えているうちに、処刑人と思わしき男が松明を手にし、僕に辞世の句を述べろと指示している。

 別に無視してもいい、口にしたところで死ぬ運命は変わらない。


 ……いや、一言だけ言いたいことがある。


 これは今更だし、ここで言う意味が無いのだって分かってる。

 それでも、僕はキミに言い忘れた言葉を送るよ。



「さようなら、セレデリナ――」

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