残響の奏でるレクイエム

我破 レンジ

前編:出撃

 第八分隊が全滅したという知らせが入ったのは、モーツァルトの旋律に身をゆだねている最中だった。厚木基地の待機室でまどろんでいた俺は、脳内で再生していた【交響曲第40番第1楽章】を止めると、急いで出撃準備を整えて垂直離着陸輸送機に乗った。


 輸送機はガタガタと俺たちを戦地へ運んでいく。その揺れはMRCUマルス原動機付戦闘服モータライズコンバットユニフォーム)の中にいる俺にも伝わってきた。今日の天候もご機嫌斜めだ。エアクッションでブクブクの耐衝撃スーツを着込んでいても、振動のパターンで察しが付く。


 そして俺は指揮官であるニシキ中尉からの通信に耳を……いや、神経を傾けた。


『諸君らも把握しているだろうが、今から二時間前、哨戒任務中だった世田谷守備隊所属第八分隊は、世田谷地下居住区へ接近を試みたHFDエイチエフディー人型無人機ヒューマンフォームドローン)を西新宿のオフィス街まで追撃した。これがそのとき第八分隊が送ってきた映像だ』


 閉じておいたまぶたの裏にモニターのイメージが表示された。脳内の視覚野に直接送られてくる映像データを、俺は詳しく見分していく。


 死の灰を蓄えた曇天の下、廃墟となったビル群の合間をHFDが逃走していた。クリーム色のマネキンにハチの頭部をすげ替えたような敵を、第八分隊のMRCUが後方から追いかけているようだ。


 全長三メートルの人型フレームに灰や黒、白のピクセル模様が施された都市迷彩カーボンナノチューブ布をまとい、さらにその上から多重複合装甲を装着したMRCUは、我らが人類軍の開発した市街戦専用オプションだ。ヘルメットを被った戦闘員をそのまま大男にさせたそれは、大小折り重なるがれきの山を二本の足で乗り越え、難なく走破して行く。


 映像は同隊の一人が撮影しているようだ。先頭を行くMRCUが右手首を突き出すと、内蔵されたミニガンが発射された。金属同士の重い衝突音とともに、銃弾がHFDの背面を穴だらけにしていく。汎用性に特化したあのタイプは全長こそ二・五メートルと大柄だが、装甲はさほど厚くないのだ。


 ミニガンは照準器サイトに捕らえた獲物を次々と撃破し、第八分隊が追い付いたときには、四機のHFDはすべて破壊されていた。贓物の代わりにエネルギー伝導チューブが腹から飛び出し、四肢はどれも根元から先がなくなっている。


『先に言ったように、この後彼らは全滅した。不幸にも、第八分隊は知らず知らずのうちに、敵のネストの勢力圏へ侵入してしまっていたのだ。なんとか脱出を試みようとしたが、最後に彼らが出くわしたのはやつ・・だった』


 ニシキ中尉の捕捉が終わると、映像は周囲を取り囲まれた第八分隊の反撃の様子を映し出した。指揮官らしき男の声が、包囲網の薄い箇所から強行突破を図るぞと言った。


 二機のHFDを撃ち倒し、生じた空白を駆け抜けようとした彼らの前に、降ってわいたように大きな人影が現れた。いや、それは影ではない。MRCUより一回り大きな体躯を、漆黒のステルス素材で構成したおぞましいやつ・・


「〈呪う者カースマン〉、か」


 俺は神妙につぶやいた。第八分隊の連中は狂ったように〈カースマン〉へ火砲を集中させた。相手はハエを彷彿とさせる赤い複眼を光らせると、重力をバカにした軽快な身のこなしでかわし、胸からロケット弾を発射した。


 ロケット弾そのものは大した初速ではないから、分隊の連中も余裕でかわした。しかし、発射を許した時点で彼らの命運は決している。


 地面に落ちたロケット弾から、緑色のガスが噴出し始めた。シュウシュウという不快な音とともに、毒々しい気体は同胞たちを包み込み、映像はブラックアウトした。言葉に表せない阿鼻叫喚をあとに残して。


『これでよくわかっただろう。我々が殲滅のために向かうネストには、あの忌まわしき〈カースマン〉がいるのだ。これまでも大勢の戦友がやつに葬られてきた。諸君らは、その〈カースマン〉と対決せねばならない。だが! 調停者コンシレーター軍が密かに潜伏していたネストは、世田谷地下居住区の出入り口ゲートまで一〇キロと離れていないのだ! 守備隊が防衛に専念せねばならぬ以上、速やかにネストを潰しにいけるのは我々厚木基地の戦闘員だけだ! 我々が市民の安全な生活を確保する盾になるのだ! 機械のうじ虫を叩き潰せ! そして愛する家族の元へ生きて帰るんだ! いいな!』


 部下を鼓舞する前口上。俺たちはお決まりの「了解!」の答えを返す。中尉のいう通り、みんなにも家族がいる。居住不可能な地上から隔離され、安全に保たれた場所で暮らす家族たちが。


 俺はまぶたの裏にもう一つのモニターを開き、画像データを展開した。江の島の海をバックに、俺とハルカを写した写真だ。三年目の結婚記念日に撮ったそれは、女として成熟した美しさをたたえていく彼女の魅力を余すところなく捉えている。


 星のように輝く瞳の持ち主。俺はそんな彼女に魅了された。もちろん、今でもだ。


 市民と、そして彼女を守らなければならない。基地の地下シェルターでハルカは俺を待ってくれている。コンシレーターと名付けられながら人類を裏切ったAI、機械の軍団に屈するわけにはいかないんだ。


 俺は中尉に悟られぬよう、脳内にインストールしておいたモーツァルトの【フィガロの結婚 序曲】を再生する。聴覚野に直接音を流し込むので、他の隊員と情報共有リンクしている今でも音量を大きくしなければバレることはない。舞台の始まりを想起させるバイオリンの力強い調べが、俺の気分をたかぶらせていく。


 人間の力を見せてやるのだ。音楽など単なる空気の振動としか感知しない、冷たい虫けらどもに。


『降下、一分前!』


 輸送機のパイロットからアナウンスが入った。俺は神経接続コネクタの状態を示すランプがグリーンになっているのを確認し、左手を閉じては開くイメージを想像した。MRCUはイメージ通りに動き、感覚がフィードバックされるのをはっきりと感じとる。背もたれのコネクタで繋がれたMRCUは、既に俺の身体そのものなのだ。


『降下一〇秒前……八、七、六、五……』


 カウントが進むと同時に、ガコンとMRCUの足裏のロックが外される。


『……三、二、一』


 俺は補助操作ハンドルをぎゅっと握りしめた。


ご武運をグッドラック!』


 そして猛烈なGが背後から襲いかかった。カタパルトによって後ろ向きに急加速し、輸送機の後部ハッチから降下していく。中身を置き去りにされそうになる感覚は何度やっても慣れないものだ。そして空中に躍り出ると、先に降下したやつらと同じく太ももの小型ロケットモータを点火し、着陸態勢に入った。目標降下地点へ必要最小限の燃料を吹かし、比較的がれきが少ない道路へとゆっくり着地する。後続の同僚らも続々と飛び下り、無事全隊員が大地へ足を踏みしめた。ときどき着地でヘマをするやつがいるから、今回はさい先がいい。


 こうして四〇人からなる厚木基地所属第三機兵小隊は、人々の生活を脅かす鋼鉄の害虫を駆除すべく、滅びの聖地となった東京の地表へと降り立ったのだ。



 コンシレーター軍が潜伏しているのは、かつて東京の行政をつかさどった旧東京都庁跡だった。俺たちが降下したのはそこから一〇キロ離れたとある市民公園だ。かつては多くの人々が憩いの時間を過ごしていたであろう灰色の広場を、俺たちはひざと足先に設けられたローラーを設置させ、ちょうど両膝をついた体勢で進んでいく。あまり様になっていないが、平地なら自動車と同じように移動できるのは都合がいい。姿勢も低くできるから、バカでかいボディでもいくらか姿を隠せる。三輪車を蹴散らし、手を繋いで伏した二体の白骨を踏みしめながら、敵のレーダーに感知されないよう這うように進んでいく。


『ケイスケ、重金属と放射線の濃度はどうだ?』


 途中、ニシキ中尉が通信をよこした。俺のMRCUは敵機の索敵、環境測定機能に特化していて、周囲の汚染度を測る各種センサーがバックパックに内蔵されている。MRCUはサイズに見合った分厚い防護服でもあるが、国際条約を批准しないAIがまき散らした大量破壊ABC兵器の使用跡地に長居するのは得策ではない。電子機器だって長時間の放射線の被ばくには耐えられない。


「現在、大気中の重金属の濃度は二〇〇PPM。放射線は三二〇〇ミリシーベルト。想定の範囲内です」


 俺は中尉にそう報告した。


『了解。この一帯もせいぜい四時間が作戦行動の限界だ。各員は迅速、かつ慎重な行動を厳とせよ』


 まったく。これだけ大仰な装備でも、やつらがばらまいた有害物質を完全にシャットダウンできないとは困りものだ。将来的には一〇メートルのサイズにならないと外では戦闘できなくなるんじゃないか。


 機兵小隊は隊列を組み、粛々と目的地へ向かって行く。有害物質を含んだ風がMRCUに吹き、触感センサーを通じて俺にも伝わった。死神の指に撫でられた気がして鳥肌が立ちそうになる。



 崩れた建物の破片を避け、慎重を喫した行進の結果、都庁へ到着したのはそれから一時間後のことだった。現在は核攻撃のせいで中ほどからぽっきり折れているが、かつては堂々たる二つの頂をもっていた東京の象徴は、かろうじてその残滓をとどめている。俺はコンシレーターが犯した暴挙に、改めて憤りを覚えた。


『全員停止。直立体勢に移れ』


 ニシキ中尉の指示に従い、俺たちはMRCUの膝を立て、直立二足歩行形態に戻った。こうなると、このオプションの乗り心地は最低だ。一歩踏みしめるごとに一メートル近くの乱高下を味わわなくてはならない。昔だったら乗り物酔いどころじゃないだろう。本来、こいつは人の形をしていても人が乗るものじゃないのだ。


 俺たちは自らの歩行に激しく揺さぶられながら、敵のネストへと接近していった。耐衝撃スーツがあっても、一歩踏み出すごとにシェイキングされるのはたまったものではない。


 都庁の一部だったがれきが屹立する道路は、三メートルの巨体でも隠せる遮蔽物であふれている。俺たちはがれきの隙間や影に潜み、敵のネストの様子をうかがった。ネストまでの距離、およそ一〇〇メートル。とっくに相手の勢力圏に入っているはずだが、不吉な程に静かだ。


『カトウ、有線偵察機ラットを出せ』


『了解』


 同僚のカトウは、中尉に従い右腕に懸架していたラットを外した。この四輪駆動マシーンは一見ラジコン車のスケールアップ品だが、ジャミングに影響されないよう有線でコントロールされる偵察用機器だ。小さな隙間をぬい、俺たちに代わって敵状を探ってくれる。


 地面にそっと降ろされたラットは、操縦コードを引きずりながらスルスルとがれきの隙間へ潜っていった。先端のカメラからの映像が、全隊員の視覚野にリンクされる。


 ラットは真っ暗闇のトンネルを進んでいき、旧都庁の一〇メートル手前まで接近した。


『敵、いねぇな?』


『第八分隊が来たからもう撤退したんじゃないか?』


 他の隊員たちが各々の見解を述べたが、俺は黙ってラットからの映像を見続けた。というより、意識し続けた。


 結局、ラットが本庁舎の中に入って行っても、そこにはHFDの一体もいなかった。ここに勤めていたであろう職員たちの遺物が、埃やコンクリート片と戯れているばかりだ。


『中尉、コンシレーター軍は既に撤退したのでは?』


 カトウの声は、心なしか戦闘を回避できた安堵感が混じっているようだった。気持ちはわかるが感心しない姿勢だ。


『まだ断定はできん。やつらはシールドマシンで掘削移動できるからな。地下通路がないか探ってみろ』


 ラットはどんどん本庁舎の奥へ分け入っていく。放射線に汚染された空気がかもし出す沈黙が、俺の神経を逆なでする。やつらはいるのか、いないのか。


 コツンと、ラットが一際大きながれきの塊にぶつかった。


『失礼。すぐ迂回して——』


 カトウの言葉が途切れた。そのまま押し黙り、ラットのカメラを前方にズームさせる。


『どうした、カトウ?』


『中尉、その、チラッと見えたような……』


 そして彼は息をのんだ。俺たちも同様にだ。


 がれきのほんの隙間から、鈍い銀色のシリンダーが見えた。そしてクリーム色の装甲に覆われた……HFDのつま先が。

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