人殺しの悪令嬢と世話焼きのメイドさん

石油王

第1話

小鳥遊歩美。有名財閥のご令嬢。都内の金持ちしか行かない私立校に通う高校二年生——。

ある日、彼女は初めて人助けをした。

あれは登校中での出来事だった。公道のど真ん中に突っ立ていた一人のOLさん。そのOLさんが大型トラックに轢かれそうになっていた。その現場にたまたま出くわした歩美は咄嗟の判断で公道に飛び込み、トラックより先にOLさんの背中を両手で突き飛ばした。突き飛ばされたOLさんは歩道の方まで転がっていた。歩美はスレスレでトラックとすれ違い無事、大事故を回避できた。しかし、歩道に転がったOLさんに意識がない。突き飛ばされた先を見るとそこは歩道ではなく、血の付いたガードレールだった。歩美は慌てて救急車を呼んだがOLさんの怪我の状態は酷く、命に別条はなかったものの片目が失明する重症を負った。

OLさんのご両親は子煩悩で目の怪我のことを歩美のせいにして、裁判を起こすと騒ぎ立てた。歩美は必死に自分の無実を主張するが、親族を含め誰も信じてくれる人はいなかった。唯一の救いだったOLさんもあの時の記憶がないの一点張りで歩美の味方になることはなかった。結局、裁判を起こすことはなく何千万の慰謝料で示談になった。

あの一件から両親の歩美に対する当たりが強くなり、肩身が狭い思いで毎日を過ごすことに。歩美をよく慕ってくれた専属メイドたちは次々に辞めていって、彼女はあっという間に孤独となった。

学校に行けば、OLさんを突き飛ばしたことが噂になっていて、いつの間にか『人殺しの悪令嬢』という不名誉なアダ名で呼ばれるようになった。

歩美は次第に人間不信になり、自室で塞ぎ込むようになる。学校に出席する回数も少なくなり、ついには不登校となった。


■■■


不登校になってひと月が経過。OLさんを突き飛ばしてから半年が経ったある日。

新しい専属メイドが付くと父親から知らされる。


「失礼します。お嬢様——」


今日は新しい専属メイドとご対面する日。礼儀正しくドアをノックして歩美の部屋に入る。


「本日より歩美お嬢様の専属メイドとして働かせてもらう瀬尾涼風(せおすずか)と申します。まだ半人前ですが、これからよろしくお願いします」


見てくれから察するに歳はアラサー。女性にしては背が高く、中性的な顔立ちだ。左目の黒い眼帯が印象的である。

歩美は頭を下げ続ける涼風に目もくれず、布団の中に潜り込む。この非礼な態度は貴方とは仲良くなることはないという意思表示だ。暫く沈黙の時間が流れる。


「朝ご飯はどうされますか?」

「要らない」

「学校は?」

「行かない」

「では、本日のご予定は?」

「ここで寝る。以上」

「そう、ですか……」


歩美の一日のサイクルはとっくに崩壊していた。基本的にベッドの上で過ごして、つまらない今日を終える。


「いつまでそこにいる。早く部屋から出ていけ」

「ですが——」

「出ていけ‼」


生意気に引き下がろうとしない涼風に枕を投げつける。涼風は何か言いたげな表情を浮かべていたが、歩美の非常な剣幕に気圧され部屋を飛び出していった。あの様子だと明日か明後日にはメイドを辞めるだろうと慢心し、歩美は静かに眠りにつく。


■■■


正午過ぎ——。


「——お嬢様、起きてください」

「うぅ……」


歩美のぼやけた視界に映るのは汗だくになった涼風の顔。歩美の体を揺らして無理やり夢から覚めさせる


「ご昼食の時間です」

「なによ。いちいち起こさないで」

「ご昼食の時間なので」

「まだお腹空いてない」

「ですが——」

「空いてない‼」


頭から布団を被り、外部の音を遮断する。涼風は困ったように溜息をつく。


「そもそも私に昼食なんてあるはずがないでしょ。ここのコックは私に料理を出さないの」


ここ最近、歩美はストレスで食が細くなり、滅多にご飯を口にしなくなった。専属のコックが用意してくれた料理はほとんど残すか、全く食べないかの二択。とうとう痺れを切らしたコックはいつの日からか晩ご飯のみしか作ってくれなくなった。よって昼食の時間は歩美にはない。


「安心してください。今日はわたくしの手作りです」

「手作り……?」


涼風は胸を張り、部屋の入口に置かれたワゴンを指差す。歩美は布団から恐る恐る顔を出し、彼女が指差す方向を確認する。


「こう見えても料理には自信があるんです。今まで花嫁修業をした甲斐がありました」


ワゴンの上には高級食材を使った新鮮な料理が並ぶ。部屋中に食欲がそそる香りが漂う。見栄えだけで言えば、コックが作った料理を優に超える。値段に万がつきそうなぐらい美味しそうだ。


「せっかく作ったんです。一口どうですか」

「——」


歩美は無言でワゴンに載せられた料理と睨めっこ。食べるか食べないか頭の中で天使と悪魔が葛藤する。


「お嬢様は素直ですね。口元から涎が垂れてますよ」

「——っ⁉」


涼風はポケットから純白のハンカチを取り出し、優しく歩美の涎を拭き取る。歩美は恥ずかしのあまり彼女から視線を外し、小さく唸り声を上げる。

どうやら勝負は天使が勝ったようだ。


「ここで召し上がりますか?」

「——うん」


涼風はワゴンに載せられた料理をベッド横の机に並べていく。歩美はベッドから起き上がり、椅子にちょこんと座る。


「召し上がれ」

「いただきます」


涼風から今までの専属メイドとは違う熱量を感じる。今日会ったばかりの生意気な小娘にわざわざ料理を振る舞ってくれるなんてどんなお人好しなんだ。

この数か月ずっと孤独を感じていた歩美の荒んだ心は涼風の料理によって癒されていく。


「——美味しい!」


期待以上の味に思わず本音が漏れる。見栄えは高級料理だが、味は実に庶民的だった。その庶民的な味がまた今の歩美にとって良い処方箋となる。


「お気に召されたようで良かったです」

「やっぱ不味い」

「フフッ。撤回はなしですよ」


歩美の素っ気ない態度に朗らかに笑って見せる。意外と肝の据わった人物だ。

この人なら信じてもいいのではないかと歩美の心の中に甘えが生じる。でも、まだ初日の段階だ。まだまだ心を許してはいけない。いつ裏切ってくるか分からない。

歩美は緩みそうになった顔を一発平手打ち。気持ちを引き締め、勢いよく立ち上がる。


「こんな恩着せがましいことをして、信頼を得ようとしても無駄よ。私はこれから先一生、人を信じないし、頼らない‼」


歩美強がって箸を机に叩きつける。怒り慣れていない彼女は小動物のように肩を震わせ、涼風を睨み付ける。


「ならば、わたくしはお嬢様から一生、信頼されて頼られる人間になって見せますっ!!」

「はひっ!?」


どういう訳か涼風は大きく両手を広げて、歩美の腰に抱きついてきた。突然の出来事に歩美は気が動転する。


「覚悟してください、お嬢様!!」

「ひひひっ!?」


涼風の紅い目がギラついていて、恐怖と不安を煽る。命の危機を感じた歩美は急いで布団の中に潜り込む。


「へ、へ、部屋から出ていけ!!」


歩美の震えた怒号によって再び、涼風は部屋から追い出されてしまった――。









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