ペット探偵と謎解きカフェ【2023】

片瀬智子

第1話 ペット探偵登場


 私たちがこの世に誕生し、初めてもらうギフトのひとつに名前がある。

 親や家族、親戚、その土地の寺の住職、姓名判断によって……。名付けは人により様々。


 名前を付け、愛でて、いつくしむ。

 この子が幸せになれるように、誰からも愛されるように、苦労をせず済むように。

 愛情のかたまりをその名前に凝縮させる。

 愛する人の想いを受けた名前は、その子に寄り添い、意志を持つかのように運命を共にすることとなるだろう。



 私の名前は、花野はなのふみ。

 姓名鑑定士。二十五歳。

『ふみの』というビジネスネームを使い、ここ湘南の土地で一年前から仕事をしている。

 開業するにあたっては十五歳年上の恋人・西宮真綿にしみやまわたが営むカフェの片隅を拝借し、ウェイトレス兼、留守番兼、姓名鑑定士として、路地を素通りしようとした猫が直感で日向ぼっこを決め込むほど、のんびりとした場所で生活していた。


 湘南らしいスローライフをテーマにした真綿の『コットンカフェ』は東海道線の線路から南側(海側)に位置している。

 海から上がったサーファーの髪が乾かない程度の立地だ。

 カウンター席にテーブル席三つ、ソファー席一つ、テラス席一つ、以上。

 外観も内装も白を基調に統一され、小さく可愛いカフェとして、たまに雑誌に載ったりもしていた。


 ちなみに真綿は、湘南ボーイという枠にくくられると思う。

 私は地元民ではないから詳しいことはわからないが、真綿は生まれてからからずっとこの土地で暮らしてきた。彼の両親も祖父母も先祖も、みんな湘南出身だそうだ。


 しかも、ずっと線路の南側(海側)で暮らしてると何度も言う。

 それがどうしたと地元民でない私は疑問に思ってしまうのだが、湘南七不思議のひとつに「南(海側)と北(山側)、どちらに住んでるの?」というが根強く当たり前に存在していて、南側と答えることがステータスのひとつとなるのだ。(そのくせ、聞いたあとは「あ、そう」で終わる)


 確かに、湘南への移住に憧れた都会っ子や、サーファー、ハワイ風(もしくはコートダジュール風)の自由でお洒落なライフスタイルを求める人々はきまって南側にいた。

 年中日焼け肌、道路を水着のまま自転車に乗ってぶらぶらしていたり、雪の降る日以外常にビーサンを履いていても、ここでは誰も気にとめない。

 そんな土地柄もあり、根っからの自由人気質を持ち合わせた真綿や、その周辺(私も含めて)の人々が織りなすゆるい空気感をここで皆様にご理解頂けたらと思う。



 長身の真綿は日に焼けた肌を持ち、目にかかる茶髪を度々払い、眩しそうな笑顔を見せている。

 程よい筋肉に覆われた丸みのある肩が茶色い熊を連想させなくもない。たぶんきっとテディベアのような、どことなく切なく愛くるしい背中に私は惚れた。

 十五の年の差は意外に広くなかった。それは真綿の若々しい雰囲気のお陰だと思う。

 何というか、少年? いや、真面目に子供っぽい言動……。


「で、結局ノロケてるんでしょ?」

 ダルそうにあくびをして、スマホを片手に星野礼美ほしのれいみは言った。

 もうランチタイム時だというのに、ぶかぶかのスウェット、無造作に結んだ髪の毛、すっぴんメガネ。

 私の親友は、女子力に真っ向から立ち向かっている。しかし、水分の満ち足りた艶のある白肌は隠せない。


 彼女の魅力は夜。男を前にしてのみ、光り輝くのだ。細身にして抜群のスタイルを誇り、端正な顔立ちは和にも洋にも上手にはまる。

 意識的に隙を作らなければ、お高くとまっていると陰口を言われかねない完璧さの持ち主だった。


 ところが美貌と地頭の良さを生まれ持ち、都内の名門お嬢様大学を卒業した礼美はある日突然、人生の虚しさを知ることとなる。

 上へ行き過ぎると、景色を傍観することしか出来ないのだと。精一杯の感情、野心と嫉妬、張り裂けそうな喜び、切実な言葉──。

 それらを使って生きていきたい。せっかくならもっと人間味のある人生を送りたい。

 ……という訳で、礼美は地上に救いの手を差し伸べる女神のごとく、銀座の会員制高級クラブ(キャバクラ)でアクティブに人生を謳歌中なのであった。



「ねぇ、真綿くんにお願いしてた例の件。どうなったのかなぁ?」

 今は唯一女子力の片鱗へんりんをみせる高価な爪で、スマホを触りながらつぶやいた。

 そうだ。礼美には最近、訳のわからない悩みがあるのだ。

 それをコミュニケーション能力だけやたらと高く、あらゆる知り合い関係各社に顔のく真綿に相談を持ち掛けた。

 真綿はひょいと肩をすくめて、「全然力になれるけど」と言っていたではないか。


「礼美ちゃん、ごめんね。真綿ったら、ランチの仕込みが済んだからって海までお散歩に行っちゃったみたい。しかももうお昼なのに帰ってこないね。まあ、お客もさっぱりだけど」

 私は留守番としての勤めを立派にはたしながら、自分の定位置から周りのテーブルをゆっくり見渡した。


「そっか。今日休みだから帰って寝ようかな。それともフェイスエステに行った方がいいと思う?」

 礼美はそう言うとスマホを鏡に持ち替え、どこもいじりがいのない顔を覗き込む。

「あ、でも隣の部屋の前を行き来する人たちが気味悪いんだったー。最近、休みでも全然落ち着かない」


「何それ。じゃあ、マンション引っ越しちゃえば? 礼美ちゃんのマンションとうちが近いのはうれしいよ。でも湘南は湘南でも、もっといい部屋に住めばいいじゃん。貯金はあるんだし」


 私は前々から思っていた。

 銀座高級クラブの人気ホステスである礼美が、何がうれしくて狭いワンルームマンションでこぢんまり暮らしているのか。

 うちのカフェに毎日ランチに来てくれるのはありがたいけど。


「ふみちゃんはわかってないなぁ。私ね、オンオフがキチンとしてないとダメなの。職場が華やかだからいつも着飾るじゃん。だから、オフはこうじゃなきゃバランスが取れないのよ。お部屋も庶民的じゃないと落ち着かないの」


 なるほど。

 私は、礼美が「こうじゃなきゃ」と言ったときの私服アピールに胸を打たれつつ、ユニホーム化した色褪せたグレーのスウェットをあたたかく見つめた。

 そんな立派な理由が、スウェットとマンションにあったとは。

「でも、何だっけ。誰も住んでないはずの隣の空き部屋に、誰かが通ってるんでしょ。しかも毎日。それが本当だとし……」


 突然カランコロンとカウベルが揺れ、店のドアが開いた。

 そして帰ってきた真綿の後ろにいる、見慣れない人物に私は目を奪われた。

「おっと、客がいないねぇ。セーフ」

 店のオーナーがやっと帰ってきたと思えば、彼はとんでもないことを言う。

「そこ、セーフだったらお店やばいでしょ」

「しかも、私、お客だし」

 私と礼美が攻撃すると、真綿がにやりと意味を含んだ顔つきで私たちを見た。

「あ、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ? 礼美ちゃんご要望のさんを連れてきたんだけどなぁ」



 ――探偵。

 生まれてこの方、古典的なミステリ小説をさんざん愛読してきた私なのだが、本物の探偵に出会ったことは一度もなかった。

 そして目の前の探偵さんとやらは、もじゃもじゃ頭でもなければ、パイプもふかしていないし、一度見たら忘れられないひげもない。

 どちらかと言えば草食系に属する、ゆるいくせ毛のトイプードルを先祖に持つような可愛らしい顔立ちの青年だった。



「初めまして、星野礼美といいますぅ。……今日はちょっと仮の姿ですみません」

 我先にとしなを作りながら、礼美が私の前に歩み出た。さすがキャバ嬢。

 だがそのスウェットではどうにもなるまいという、私の心のつぶやきが漏れそうで怖い。

「ほら伊織くん、そこ突っ立ってないで入ってよ。自己紹介、よろしくー」

 真綿は緊張気味の探偵をこちらに促しながら、太陽印の笑顔を見せた。


「あ、はい。あの、名前は加納伊織かのういおりといいます。湘南地区でフリーのペット探偵兼シッターをしています。えっと、二十四歳です。最近、そこの角のアパートに越してきました。真綿さんはアパートの大家さんに紹介されて、今日初めてお会いしました。えっと……これからよろしくお願いします」

 年端のゆかぬ少年のようにぺこりと頭を下げながら、彼は私たち一人一人に名刺を配った。


「ペット……探偵!? ちょっと、真綿くん。ペットってどういうこと?」

 礼美が素早く反応し、食いつく。

「んーとね、犬でしょ。猫、鳥、魚、……爬虫類も専門に入ったっけ?」

 真綿が伊織の顔を覗く。

「いえ、魚と爬虫類は専門外です」

 伊織が神妙な顔で答える。


「あのね、そうじゃなくて。今日真綿くんが探偵を呼んでくれたのって、私の、例の、深刻な、相談のためよね? じゃあ、なんで本物の探偵さんじゃないのかな?」


「礼美ちゃん、伊織くんは本物の探偵さんだよー。ペット専門ってだけで。迷子のペット捜索、全力でしてるよね? とりあえず、彼を信じてあげてよ。大家さんからのお墨付きも貰ってるんだから」

 噛みつき気味の礼美をなだめながら、真綿は伊織にもっと何か喋ってと指で合図した。


「あ、はい。あの、一応、探偵業務は迷子のペット専門なんですが、午前中と夕方は犬の散歩と留守番の世話を任されてやってます。ペットシッターの方も探偵と同じくらいメインの仕事で……」

 ますます深みにはまり伊織の声が細々と消えていく中、礼美の眉がつり上がっていった。その時。



「あれ、ちょっと待って? 私、この人見たことあるかも! ……白と黒の点々の! えー、ほら、ダルタニアン!」

 突然はっとした顔で礼美が伊織を指差し、大声で言った。私と真綿は何事かと目を合わせる。


「はい。あの……ダル、メシアンです。たぶん、三匹散歩してた時ですかね。近所のマンションオーナーの飼い犬を連れてた時だと思います、見て頂いたのは」


「そうよ、そうよ。目立ってたもの。ダル! えー、でもなんかイメージ違う。あれ、夏だったからかな、もっと日焼けしてて、こう、腕とか筋肉が……」


 さすが、礼美。見どころが違う。筋肉フェチなのだ。

「そうそう! 礼美ちゃん、彼、脱いだらすごいんだよー この甘い顔とのギャップがまたいいでしょ。そこらへんで勘弁して、試しに彼に調査を依頼してあげない?」

 真綿がチャンスとばかり、割り込んできた。

 今日会ったばかりで、脱いだの見たことないだろとツッコミを入れたいのを私は必死で抑える。

「伊織くんもさ、お試し料金でさぁ。調査中はうちの珈琲、サービスしちゃうし」

 結局、私からにらまれる真綿だった。



「でも、凶悪事件だったら対応出来るのかしら。犬のお散歩探偵でしょ?」

 礼美は上から目線で凶悪などと口にするが、実は事件かどうかもまだわからない。

 大げさ……と私が真綿に口パクで伝えると、真綿も同感といった様子で頷いた。

「とりあえず座って、みんなで礼美ちゃんの話を聞いてみない? それで、調査出来そうだったら料金の話とかすればいいんだし。ね、ちょうど今、お客さんいないよ。ふみちゃん、いいよね?」

 私は仕方ないなといった態度を取りつつ、珈琲を淹れにキッチンに入った。



「この辺は案外、物騒な殺人事件もあるんですからね。ほら、一か月前にも女子高生が刺されて殺された事件あったじゃない。踏切渡ってすぐ南側の公園のとこで。犯人は、このあたりをウロウロして女子高生を物色してた中年の男性でしたっけ……」


 礼美の声だけ聞こえる。

 私はホット珈琲の香りに包まれ、密かに高揚した気持ちに気づく。実は根っからのミステリファンなのだ。

 ソファー席のテーブルに着くと真綿がカップを配ってくれ、私はソファーに身体をまかせた。

 四人が揃った。



「あのね、確か三か月くらい前だったかな。うちのマンションは九階建てで、私は七階に住んでるの……」

 礼美が話し始める。


「私のの部屋が南東の角部屋なんだけど、そこはずっと空き部屋になってるのね。前にそっちの部屋へ移りたくて管理している不動産屋に聞いたら、そこはオーナーさんの持ち物件だって言われたわけ。でも人は住んでいないから、倉庫代わりにしてるのかと思ってたんだけど。三か月ほど前から、その部屋へ出入りする人の足音が聞こえるようになったのよ。人は住んでないはずなのに。……怖いでしょ」

 礼美はゆっくりと周りを見渡し、珈琲に口をつけた。


「それって、オーナーさんの家族とか友達が用事で通ってるんじゃなくて?」

 私は言った。真綿も隣でうなずく。


「私も、始めの頃はそうなのかなって思ってた。でも、それにしては何かおかしいの。結構、頻繁ひんぱんだもの。平日は夕方頃からよく聞こえるんだけど、休日だったら、昼間から五、六人くらいは出たり入ったりしてる」


「星野さん、すみません。ちょっと気になることがあります。先に質問いいですか?」

 ペット探偵だった。

 


「その五、六人とは毎回全く違う人物ですか?」


「入って行く人を実際ご覧になったことはありますか?」


「あと、出来ればマンションの場所を教えていただきたいのですが?」



「へぇ、一気にいろいろ聞くのね。意外と頭の回転が速くて、本物の探偵みたい。んーそうね、足音はいろいろだけど。実は、何度か出入りする人を見かけたことあるんだ」

「見たことあるの!? 危ないじゃない!」

 礼美の発言に、私と真綿は驚きを隠せない。


「危ない感じはしなかったなぁ。いつも男子学生なの。平日は高校の制服を着てる子ばかりを見るわ。N高校の制服。同じ人の時もあるし、全く初めて見る顔もいた。でも、鍵はたぶんみんな同じものを使ってると思う。キーホルダーが同じだったから。それこそ、ダルメシアン模様の犬型ぬいぐるみ! 男の子が持つには可愛すぎるキーホルダーだなって思った。……あ、言うの忘れてたけど、必ず一人ずつ来て、出て行くの。友達同士ではしゃぎながら来る感じじゃなくて。平日は夕方から、二~三時間おきに一人ずつ部屋に出入りする足音が聞こえる感じ。玄関ドアが閉まる音もね。遅い時は深夜くらいまで。まあ、夜の時間帯は私も仕事でいない時が多いから確実ではないけど。……それとね。オーナーさんに先日ばったりお会いした時に、ちょっとほのめかしたの。学生さんが出入りしてますかって。そしたら不思議そうな顔されて、息子がN高校の学生だから、もしかしたら来てるのかもしれないっておっしゃってた。ただ、友達が遊びに来る感じではないのよね……。あと、マンションはね。ここからすぐ近くのラメール・マンションよ」



 伊織は下を向いたままずっとおとなしく聞いていたが、やっと小さく頷いた。

 私は今のところ、全くもって意味がわからない。どうやら真綿もそのようである。

 実際、N高校はうちからも近いため普段から学生が歩いてる。

 男子も女子も、制服姿のカップルもよく歩いていた。どの子も似たり寄ったりだ。その制服を着ているだけでN高校の生徒と思い込んでしまう。


「ここ最近、特に制服のカップルが多いぞ」

 真綿も見てないようで見てる。みんな同感のようだった。 

 眉をしかめていた伊織は、視線を真綿に向けた。

「真綿さんに質問があります」

「えー、俺に!?」

 のんびり構えていた真綿が当てられた。

 礼美は礼美で、なんで真綿がという顔をしている。



「真綿さん。一年ほど前に、女子高生がこのあたりで殺された事件って覚えてますか? うちの大家さんが、真綿さんがそれを目撃したという話をされてたのですが」

 真綿が左手を顔に持っていく。


「ああ、あったよ! 深夜一時頃かな。その日は辻堂駅北側の居酒屋で友達と飲んでてさ、その後歩いて帰ってたんだよ。そしたら踏切を渡った南側の住宅街の角で、制服着た女の子が倒れてたんだ。もちろん犯人は見てないよ。でも背中にナイフが刺さっててね。あとで包丁だってわかったんだけど。どっきりかと思ったよ。とりあえず、救急車と警察すぐ呼んで。もうすでに亡くなっていたみたいだけどね。……大変だった、あの日は」

 真綿は記憶の糸を辿りながら、最後に「綺麗な子だったな、かわいそうに」とつぶやいた。



「皆さん、ご存知ですか。一年前のその犯人はまだ捕まっていません」

 伊織は唐突に確信を持った声で言った。


「先月殺された女子高生と同じ犯人じゃないの? 通り魔の犯行。確か現場をいつもうろついていた中年男性だっけ? もう捕まってるよね」

 私の中ではそのように処理されている。

 現場も殺害方法もそっくりで、女子高生連続通り魔殺人事件に違いない。

 きっと、一年前に犯した殺人の感触が忘れられず、また先月幼気な女子高生を物色して殺害したのだ。



「いえ、犯人は違います。その中年男性ではない、別人ですよ。先月の事件の容疑者にされた中年の男性は……藤岡さんといいますが、実は一年前に殺害された女子高生のなんです」


 伊織の言葉に、残りの三人はどよめいた。


「お父さんの復讐だったってこと!?」


「いや礼美ちゃん、その人は犯人じゃないって」


「先月の事件に、なんで一年前の事件で被害者の父親が関わってくるの?」


「ていうか何で、ペット探偵がそのおじさんの情報を持ってるわけ?」


「まあいいわ。そんなことよりうちのマンションの謎解きをしてよ」


 私たちがひとしきり騒いでいると、伊織はスマホの時計をちらりと確認する動作を見せた。


「皆さん、すみません。そろそろ謎を解いてもよろしいでしょうか。この後、お散歩の仕事が二件入ってまして、時間が……」



 なんなんだ、この神展開。

 ミステリファンが喉から手が出るほど待ち望んだ謎解きタイムに、スピード解決で突入しようとしている。

 ペット探偵と小バカにしていた礼美の眉がまたつり上がった。


「じ、時間がないなら、早速どうぞ。名探偵さんに、隣の部屋の謎をきっちり解いて頂こうじゃないの」

「あ、はい。そちらは後ほど」

 伊織は顔も上げずスマホを素早い指裁きでタップしながら、礼美の圧をさらりと受け流した。

 案外メンタルは強そうだ。

 真綿は珍しく空気を読んで、おとなしくしていた。



「皆さん、お待たせしました。今やっと、……女子高生連続殺人事件の犯人がわかりました」


 

 えっ、連続殺人?

 えーーー。

 まさかマンションの謎じゃなくて、こっちの大事件の謎解きをしようというの!?

 思わず息を吸う音が各自から聞こえてきた。 

 先程の世間話のような会話から何をどう解釈したら、殺人事件の犯人に行き着くの? まったく理解出来ないが、私のアドレナリンは現在急上昇している!


「皆さんのお話しを伺って、真相がやっとはっきりしました。ありがとうございました」

「お礼とかいいから、はやく先を進めてよ」

 礼儀正しい伊織に対して、礼美がいちいちうるさい。


「実は僕は……藤岡さん、一年前に殺された女子高生のお父さんですが、その家のラブラドール・レトリーバーの散歩も時々頼まれてまして、もともと知り合いだったんです。なので藤岡さんから事件のことについて、少し話を聞いていました。ですから、皆さんより多くの情報を持っていたんです。なんかフェアじゃなくて、すみません」

 伊織が律儀にミステリの作法をびる。



「藤岡さんから聞いた情報と皆さんからの情報をすり合わせると、女子高生殺害の犯人像が浮かび上がってきました。どうやら犯人は、……ラメール・マンションN、オーナーのです」


 礼美が頓狂とんきょうな声をあげた。

 言葉にはなっていなかったのでここに書くことは出来ないが、文字にするとしたら、*?$%&#!!  

 ……こんな感じだろうか。


「ちょっと待って。オーナーの息子が犯人だったら、私の隣の部屋に殺人犯が出入りしてたってことになるじゃない! そんな、なんで、怖すぎるでしょ!?」

 礼美ほど驚きを露わにしないが、私も真綿も真剣に驚いていた。

 なぜ急に礼美の住むマンションオーナーの息子が、そこに登場するのか。

 しかも殺人事件の犯人として。



「はい、いろいろすみません。これから説明させてください。……一年前の女子高生殺人事件と先月の女子高生殺害、この犯人は同一人物で、僕はマンションオーナーの息子が行ったものだと思います。同一人物というのは皆さんも同意見ですよね。犯行現場はそこの踏切を渡ってすぐの、ほぼ同じ場所です。一年前に殺された藤岡さんのお嬢さんを仮にA子さん、先月殺された方をB子さんとしましょう。

──先月、B子さんが殺害された際、藤岡さんが疑われたのはその時間帯に殺害現場をうろついていたのが原因でした。真綿さんが現れる少し前のことです。夜中、そこへ向かう藤岡さんの姿が通り道の防犯カメラにも映っていました。そのことで、未解決だった一年前の娘の殺害まで警察に疑われることとなりました。凶器や殺しの手口が二件ともそっくりでしたので、警察も同一人物の犯行で捜査を進めていたんです。ですが、娘のA子さんの殺害時、実は藤岡さんは海外出張中で完璧なアリバイがありました。一人娘を亡くし、一時はバカバカしくもその容疑までかけられた。死ぬほど落胆した藤岡さんを見て、僕は必ず犯人を見つけ出したいと思うようになったんです」

 伊織は息をついた。唇が少し白い。


「僕は藤岡さんから、いくつかの情報を聞き出していました。B子さんは殺される数時間前、友人に送ったメールの中にというひどく怯えた感じの文章があったそうです。当時は何の鍵かわかりませんでしたが。これは警察が確認したものなので確かです」


「B子さんは落とした鍵を探して夜道を歩いてて、運悪く殺されたってこと?」

 私は聞いた。


「いえ、犯人は興味本位で人殺しをしたわけではありません。この犯人はもっと狡猾こうかつです。あえて言うなら、制裁。見せしめと言ってもいい。B子さんの殺害動機はそれなんです」


「頭が混乱してきた。ね、ペット探偵。あなたはすでに分かってるからいいかもしれないけど、こっちは急に制裁とか見せしめとか言われても何のことだか全然わかんない。もっと、わかりやすくお願い」

 礼美が珍しく素直に言った。本気で混乱してるようだ。


「すみません。では、まず一年前のA子さん殺害について説明させて下さい。藤岡さんのお嬢さんの……」

 伊織の声が沈んだ。

 生前のA子さんを思い出したのかもしれないと思った。例えば、愛犬とたわむれる姿を。



「……A子さんの殺害は、犯人の身勝手で子供っぽい思考の表れです。A子さんは、真綿さんもご存じと思いますがとても美しいお嬢さんでした。性格も優しくほがらかで、僕から見たらそれは天使みたいな人だった。ただ、美しい人には良くも悪くも誘惑が多いものです。A子さんもそれに悩まされていた。藤岡さんも言っていました、ろくでもない男たちが寄ってくると。ですが、A子さんはそういった男らになびくことは絶対になかった。真面目で勉強熱心な彼女は毎日、夜遅くまで塾通いをしていたんです。そして、犯人はいくら誘っても自分になびかないA子さんを、塾帰りの夜道に包丁を使って刺し殺したんだ」

 伊織の重苦しい声色が途切れた。伊織の心情は計り知れなかったし、私たち三人も口を挟む勇気はなかった。



「次は、先月のB子さんの殺害です。B子さんもN高校の生徒で犯人とは同級生でした。……ここからは僕の想像も少し入るのですが、犯人やB子さんたちは仲間内で組織のようなものを形成していたのではないかと思います。未熟で無知な悪の組織。その中でもリーダー的存在だったのが、犯人だったのでしょう。ご両親は不動産業を営むマンションオーナー、裕福で甘やかされた環境で育ったのではと想像出来ます」


「そうよ。オーナーさんが言ってたわ。息子は歳を取ってから生まれた子供だから、わがままに育ててしまったって。その時は謙遜だと思ってたけど」

 礼美が思い出したように言った。


「犯人やB子さんたち組織のメンバーは学校をさぼったり、いじめや万引きなど卑劣な悪ふざけを度々して楽しんでいたのかもしれません。その中の一つが、ラメール・マンションでの一件です」

 伊織が礼美を意識的に見る。礼美は先生にあてられた子供のような顔をした。


「ラメール・マンションは、賃貸のワンルームマンションという触れ込みで物件を貸しています。当然住人の方たちは何も疑わず生活している。しかし貸していたのは全部屋ではなく、星野さんがおっしゃってたようにオーナーの持ち物件で使われていない部屋もありました。そういった部屋がもし他にもいくつかあったとしたら。そして例えば、星野さんの隣の部屋と、その下の部屋が二階続きで繋がっていたとしたら」

「え、えっ?」

 礼美は身を乗り出し、伊織の話を聞き逃すまいと必死の構えを見せた。


「はい。簡単に言うと、星野さんの隣の七階角部屋と下の六階角部屋はいわゆるメゾネットタイプ。室内で繋がっているということです」


「え、ワンルームじゃないってこと? え、なんで?」

 礼美が急いで、聞き返す。

「出入り口を分けて、小規模な二世帯住宅のような感じでしょうか」

 伊織が頭をかきながら言った。


「たぶん、元々はオーナーのご主人が遊び目的で造ったんじゃないかと思います。例えば、趣味の部屋だったり、女性と密会する部屋だったり……。出入り口が階で分かれていれば、女性と一緒に部屋を出入りしなくていいので、デートがばれにくいと思いませんか?」


 一瞬の沈黙が流れた。

「そっかー、そう来たかー。オーナーのおやじがそんな夢のような部屋をー」

 空気の読めない真綿の発言で、場に緊張が走る。もちろん、その緊張は私がかもし出していた。


「で、今は使用していないその部屋を、数ヶ月前から息子が勝手に使っていたんだと思います。もちろん悪だくみにですが」

「悪だくみって嫌な感じ。死体を持ち込んだりしてないでしょうね」

 礼美が露骨ろこつに不満そうな顔をした。


「まさか。そんなことじゃありません。星野さの隣の部屋は……おそらくラブホテル目的で使っていたんでしょう」

「はあ? なにそれ!?」

 礼美と以下二名、同じリアクションと表情。

「ラブホって、どういうつもりよ。高校生のくせに生意気過ぎる! しかも隣の部屋でなんて。あー、すごいやだ 」

 礼美が最高に嫌がり、私たちの失笑を買った。


「犯人はラブホテルの名目で、組織のメンバーに時間交代で部屋を貸していたんだと思います。六階の玄関から女生徒が出入りし、七階の玄関は男子生徒が使う。そう考えると、男子生徒ばかりが七階の通路を利用する意味がわかります。この近隣に制服のカップルが多いのもね。そして、そのレンタルルーム代を犯人が徴収していた……。六階と七階の鍵はダルメシアンのぬいぐるみ型キーホルダーを付け、なくさないようあえて目立つようなものを選ぶ。で、男女のメンバー内でぐるぐると鍵は渡っていったんです」

 伊織が冷えた珈琲を一口飲んだ。


「あ、それなのにB子さんは六階の鍵をなくしてしまったのね。怯えたメールってそのこと? もしかして、それが理由で殺されてしまったの?」

 そんなことで殺されるなんてありえる?


「おそらくそう。犯人は一年前に一度殺人を犯してるんだ。二度目は罪の意識も軽いに違いない。しかも組織のリーダーとして、神に近い立場で采配を振るい勘違いを続けてきた。組織のミスは命取りということをアピールするためにも、恰好かっこうの殺しと思ったんでしょう。バカなやつだ」

 伊織が今日初めて、怒りをあらわにするような強い言葉を使った。


「星野さんが、夏にダルメシアン三匹を散歩させている僕を見かけたと言いましたよね。あのダルメシアンは、実はラメール・マンションのオーナー宅の愛犬だったんです」


「なんだ、そうだったの! そっちの事情にも詳しかったってわけ? 何よ、早く言ってよね」

 礼美の機嫌が途端に悪くなる。偶然にも程があるというように。


「あ、違います。僕は何も知りませんでした。実際、ご主人にも息子にも会ったことはありません。いつも奥さんに時々依頼されて、三匹を散歩をさせてただけです。何の情報も持っていませんでした。星野さんが見たというダルメシアンのキーホルダーで思うところがあってピンときたんです。……犯人は、自分宅の愛犬の形をしたキーホルダーを付けてたんです。そういう人、時々いますよね」

 伊織が口角を上げた。

 確かに猫好きは猫全般が好きだが、犬好きは犬種によって好みがあると聞く。


「ね、伊織くん、正直言いづらいんだけど。もしかして、この謎解き、すべて憶測で片づけられちゃうかもしれないね。例えばさ、証拠を出せとかって言われたら困っちゃうじゃん」


 ぐずる礼美を横に、ここで真綿がまっとうなことを口にした。

 確かに、今までの話は全て伊織の推測に過ぎない。筋は通っているように思うが、根拠が何もなかった。


「……大丈夫だと思います。たぶん必ず、あと少ししたら。この事件はどうしても解決しなければいけないんです。というか」


 突然、伊織の重々しい口調を遮るかのようにメールの着信音が軽やかに響いた。

 伊織は素早くメールを開き小さく頷くと、今までにない自信の表れをその顔に身体にみなぎらせた。私は聞いた。

「というか……?」

「はい、この謎は」

 伊織の勝利を確信した目が、私たちを見渡す。指をふわりと宙に向けた。

 


「――この謎は、今、解明されました。真綿さん、先程、証拠がなければ、ただの憶測に過ぎないとおっしゃいましたね。この事件は未解決に終わるような謎じゃない。もっとおろかで幼稚な事件です」


 真綿も礼美も、伊織の変化についていけてない。写真に撮って送ってあげたいほど、二人ともぽかんとした顔をしていた。


「この事件は、藤岡さんが、僕が、誰もが解決を願ってやまないんだ。皆さんにもご心配をおかけしました。無事、証拠が見つかりました」

 これには私も驚きを隠せなかった。どこに証拠があるというのか。



「実は先程、僕は同業の知り合い達に一斉メールを送りました。N橋付近、土手沿いの草むらにダルメシアンのキーホルダーが落ちてるはずだから、緊急に探してほしいと。B子さんが殺害された先月の夕方、僕はその日もダルメシアン三匹を連れ、土手沿いを散歩していたんです。途中、ダルメシアンの一匹がキーホルダーらしきものを口に入れていました。普段は利口で、何でも口に入れる犬ではないのに。僕が口から取り出したときには、鍵は付いていませんでした。鍵を繋いでいたパーツは、噛み砕いて壊してしまっていたのでしょう。ボロボロになったダルメシアン型のぬいぐるみだけ、僕の手にありました。まさか、それがこの事件の証拠になるなんて夢にも思わず、そこへ置いて帰りました。僕がばかだった。あのぬいぐるみには犯人の匂いが、ちゃんと付いていたんです!」


 私たちはハッと顔を見合わせた。犬は飼い主の匂いにつられて、キーホルダーを口にしたのだ。


「案の定、ボロボロのダルメシアンの近くに、キーホルダーの壊れたパーツと鍵が落ちていたそうです。さっき、近所を散歩中だった同業者が見つけてくれました。これで、やっと犯人を逮捕することが出来るはずです。……マジで鍵見つかってよかった」

 最後の一言を言うと、仕事を終えたマリオネットのように伊織はぐったりと力尽きた。



「伊織くん、君ってすごいねー! 本物の探偵みたいじゃん。ペット専門じゃなくてもいいんじゃない?」

 真綿が心底嬉しそうに伊織にじゃれついた。

 私はおかわりの珈琲を淹れるべく立ち上がる。


「いえ……犯人を見つけることが出来たのは犬たちのお陰ですから」

 真綿のテンションの高い好意に、伊織は困りぎみの笑顔でつぶやいた。


「じゃ、早速警察に電話しちゃおっかー」


「わぁ、警察生まれて初めてー」


 真綿と礼美が元気よく立ち上がり、おのおのスマホを取りに行ったり、メイク道具を取り出したりと慌ただしくなった。


 ただ、私にはもう一つ疑問があった。

「ねぇ。一年前にお嬢さんを亡くされた藤岡さんは、なんで先月B子さんの殺害現場の夜道をウロウロしていたの? 真夜中の踏切辺りなんて、何もないでしょ」


 三人は一瞬動作を止め私を見たが、肝心の伊織も首を横に振っただけだった。

 その時、真綿が口を開いた。

「ふみちゃん、藤岡さんがあの夜道をうろついてたのは、だけじゃないと思うよ」

 真綿が私の好きな優しい声で言った。伊織も礼美も真綿を見つめる。


「藤岡さんはきっとずっと前から、あの夜道を通っていたんだ。……お嬢さんを迎えにね。A子さんは毎日塾通いをしてたんだよね。帰りはいつも夜中だったんじゃないかな。最近の塾って、深夜までやってるとこあるし。一年前、A子さんが殺された夜、藤岡さんはたまたま海外出張で迎えに行けなかった。藤岡さんはそれをずっと後悔してるんだと思う。もう二度と会うことの出来ない、かわいそうな娘を今でも迎えに行ってるんだよ。親なら幽霊だったとしてでも会いたいと思うんじゃないか。……たぶん」


 私は真綿の沈んだ言葉に驚きつつ、胸が苦しくなった。

 被害者家族の辛さを今、感じた気がした。

 真綿は情に厚いところがある。私が気付かない部分を想像出来る人だった。


「では皆さん。すみませんが、今日は仕事があるので帰ります。珈琲、ごちそうさまでした。お先に失礼します!」

 伊織が慌ただしく、小走りぎみに出て行った。

 心なしか空気が澄み、私たちはどこかすっきりとした残り香を感じている。

 それは明日も晴天になりそうな、夏の夕べの穏やかさに少し似ていた。



 真綿と礼美がまた 、 警察、警察と浮かれ出した。

 私は改めて、熱い珈琲を一口飲んだ。

 指で加納伊織と名刺をなぞり、字画を数えていく。


 天格 十五、人格 十六、地格 二十四、外格 二十三、総格 三十九。


 ――現在、二十四歳。

 彼の前途は輝いている。

 子供の頃から恵まれ幸せに暮らしてきたのだろう。

 これからは今まで培った豊かな感性・創造性を活かし、リーダーとして慕われ、周りの人を引き連れていく立場となる。

 仕事運はこれからますます発展していき、中年以降成功を収める。

 しいて言えば、家庭運が気になる字画。

 社会運も仕事を盛り立てる力強い運を持っているだけに、結婚生活で悩みが付きまとうタイプか。


 私は職業病に近い癖で、姓名鑑定をしてしまう。頭の中で数字を人生の流れに当てはめ、その人の生き方を観る。

 一人遊びのように想像の中で、私は伊織を分析した。


 彼は頭脳明晰で、環境に恵まれ、慕われ、前途を切り開く。

 大海原へ放り出されたとしても、自分の機転と行動力で難題を次々と解決していくに違いない。

「名探偵の資質を兼ね備えている」

 私は納得し、小さく独りごちた。 


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