第3話 推し、三次元に降臨する

「……っ」


流れる沈黙。

天川さんは息を詰め、妹さんらしき人も、大きな瞳をさらに大きく開いて硬直している。


……俺はというと。

俺は興奮しながらも息を吸いこみ、


「突然すみません天ちゃんにめちゃくちゃ似てるんですけどまさかほんものなんてことありま」

「かっ、加屋さあん!?」



俺の勢いに押されたのか、天川さんが口をぱくぱくとさせる。

と、ちらりと妹さんの方を見たかと思うと、喉を上から下へと撫でるジェスチャーをした。


「??」


俺が首を傾げていると、妹さんはマスクをぐいっと持ち上げ、少し慌てたようにして視線を彷徨わせる。


「あ……こ、こほん、ごほんっ、あー、あーあー」

「……!?」


カワボじゃ……ないっ!?!

天ちゃんの最大のポイント、カワボ。それとはかけ離れた低い声に、俺はただ固まる。

でも、さっきのただいまの声は、天ちゃん似……いやどうなってるんだ!?

妹さんは姿を隠すようにして、両手で体を抱きしめた。


「あ……っ、と、人違いじゃ……ないですか?」


完璧に違う声だ。天ちゃんは、こんなに低い声じゃない……!!


「そ、そうだよ加屋さん! 私の妹が、人気アイドル超天使な、あの天ノ川あまのがわあめなわけないじゃーん! 人違いだよー」


やけに棒読みなのはなんなんだ?? それに……愛称だけならともかく、フルネームを知ってるのには、なにか理由があるのだろうか??


とにかく、俺は諦める気にならず、妹さんを凝視する。



くりっとした瞳を囲うシルバーのラメ。スタイル抜群、愛らしさ溢れるツインテール、身長は……大体158センチとみた。ちなみに天ちゃんは158.35センチだ。


「えっと、お、お風呂! 入ってくるね……」


と、俺の熱い視線から逃れようとしたのか、天ちゃ……いや、妹さんは、足早にその場を去っていった。

その場に残される二人。


「なあなあ」

「違ああうっ、天ちゃんじゃない! 妹は違うのっ、違う!!」

「ひぃ」


少し話しかけただけなのに、天川さんは半泣きになってそう叫ぶ。近所迷惑が……いや、周りに誰も住んでいないのか……。


「な、なら、確かめてもいいか? 天ちゃんは、俺の最大の推し!! 一目見たら死んでもいい!! だから確かめさ……」

「い、いや、声も違うし、マスクとかしたただの怪しい妹だし! 絶対に天ちゃんなんかじゃない!! だから……もう帰って! ばいばいっ!!」

「わわ、押すな押すな!! ちょっと待ったああ!」


俺は慌てて振り返り、天川がこれ以上反撃できないように、少し迷ってから壁に押し付けた。


「……っ、な、なんですか……」


怯えた顔をする天川さんに、俺は高揚する気持ちを抑え、なんとか冷静な声をつくる。


「本物ではないと言い切れるのなら……確かめてもいいってことだよな?!」

「ひう……っ」


俺は追い打ちをかけるようにして、天川の恐怖で縮んだ瞳を直視する。


「俺は、天ちゃんのほくろの位置、胸のサイズ、まつげの本数まできっちり覚えているんだ。一度、顔をマスクなしで見たら、百パーセントわかる!」

「き、きも……」

「きもい言うな!! それに……天川さんは、俺に借りがある、よな!?」

「ひ……」


俺は大きく息を吸い、最終手段に乗り切る。


「見ていた動画の拡散を止め、さらにノートを届けた。どうだ、妹さんを、十秒……いや、五秒間!! 五秒だけ、見させてくれないか?? そしたら、全てチャラにする!!」


最低な奴だと自分でも分かっているが……それくらい、俺は推しに会いたくてしょうがないのだ! 

とにかく確かめたくてしょうがない。推しのライブに行く時の何十倍も何百倍も、心臓がばくばくと高鳴っている。


「そ、それって! もし見せなかったら、動画見てたことばらすとか……って、その笑みはなに!! 拡散する気満々じゃん!!」

「まあまあ……それは、天川さんにかかってるよね」

「酷い、酷いっ!! 最低!!」


じたばたと天川さんは反撃しようとする。が、俺は微動だにせず、天川さんをじいいっと見つめた。

頭の中は、もちろん天ちゃんでいっぱいだ。今すぐにでも確かめにいきたい。

というか、本人でなくても、ドタイプなのだ。とにかく、五秒も堪能出来たら最高。最高すぎる。


「……」


天川さんはしばらく、じっと考え込む。


「たった、五秒だから!! それ以上はねだらない!!」

「い、いや……」

「頼むっ、一生のお願い!!」

「うぅ、でも!」

「やましいことはないんだろ!? ただ見るだけ!! そしたら全て、チャラ!! 秘密も守る!」


天川さんを押しつぶさんばかりに壁に追い詰めると、天川さんは顔を真っ赤に染め、ぶんぶんと首を縦に振った。


「くっ、うぅ……っわ、わかりましたよ!! 今から、たった五秒間だけ……って、わ、待って!!!」


天川さんの許可が下りた瞬間、俺は家の中を猛ダッシュ、物音が聞こえる方へと駆け出す。


「ご、五秒だけですからね!?! ……あの子、マスクしてるかな……今どこに……って、はっ!!」


天川さんの息を呑む声と重なった時、俺は、ある部屋の扉を開けていた。




「……あ」



扉を開けた瞬間、湯気が俺を包み込み、ぬくもりが漏れ出てきた。なにかおかしい、と思う暇もなく、俺は湯気の中、じっと目を凝らす。



「え」




もわもわと上がる湯気。ひた、と響く、素足が地面に触れる音。


そして――、薄いバスタオルを身に巻き、こちらを振り返る妹さんと、目が合った。



ぽた、ぽた、とおろした髪、そして顎から水が滴る。

そして、大きな、柔らかそうに揺れる胸。薄いバスタオルでは、その魅力を隠しきれていない。

そして、ほんのり桃色になった、なめらかな肌。



『たった、五秒だから!!』



その魅惑にぽかんとしていると、俺の先程の言葉が反芻し、慌ててほくろを探す。

左鎖骨に一つ、胸の上部に、一つ。

妹さんが動き出す前に俺は、妹さんの艶やかな肌を眺めまわす。

鎖骨……あった。そして、胸……。


「うん、鎖骨に一つ、胸に一つっ!! あったあああああ!!!! これは、これは……天ちゃんに、間違いないぞおおおおおおおおおっ!!!!! うわああああ本物だあああああいはああああっ!!!!」

「っ、ひ、ひぇっ……」



バスタオル一枚姿で、頬を真っ赤に染める妹さ……いや、天ちゃん。ようやく硬直から溶けたらしく、ばっと地面にしゃがみ込んだ。


視線を持ち上げると、何億回と見てきた、かわいい顔が視界に飛び込んでくる。顔を隠していたマスクは、もうない。

透き通るような緑色の瞳を縁取る、長いまつげ。甘く艶めく唇。ほんのり赤く染まった頬。整った鼻筋も、並行眉も、全てが重なって、繋がっていく。


……い、いやいや待て待て、でも、こんな簡単に、最最最推しに会えるわけ……!!


俺の脳内が突っ込み、事実をもっと裏付ける証拠を考える。



『みてみてー、ネイル、虹色にしてもらったのー! すんごい時間かかったんだよ! 小指がユニコーンなのが特徴ー! 世界に一つだけのデザイン、アメが考えたのー!』



……そういや、一週間前のライブでは、新しいジェルネイルを施していたっけ。


慌てて妹さんの指を見ると――その小指には、かわいいユニコーンの角がついていた。全ての爪は、幻想的に艶めく虹色に彩られている。



「ほ、んもの、だ……」



認めるしかない。

天川さんの妹さんは……俺の最推し、天ノ川天、なのだ。


これまで二次元でしか見たことのない姿が、今、三次元に降り立ち、目の前にいる。

俺はただ荒い息を繰り返すのみ。尊さに震えながらも、視線をゆるゆるとおろす。


「……っ、ぅぅ……っ」


天ちゃんは小さく震え、目に涙を浮かばせている。ちなみに、五秒は優に経過している。


視線を下げると共に、水分を含み、つやつやときらめく髪が視界に入ってくる。そして、照れるほどなめらかな、真っ白な肌が目に入り……。




……そこでようやく、我に返る。





「だ、ダメーっ!! 加屋さん、ダメです!! 妹は、入浴中で……っ、はっっ」




後から追い付いた天川さんの声も、もう意味がない。



「……っ、おねぇちゃ……っ!!!!!」



天ちゃんは、現れた天川さんの存在に、目を覚ましたようにして顔を上げた。

そして、大きく手を引いたかと思うと、


――バチーンッ!!!



「へ、へんたああいっ!!!」

「かは……っ」


推しに殴られる幸せ……。

変態の域に踏み込んだ俺を置き、天ちゃんは俺を叩くなり、天川さんに思いっきり抱き着いた。



「お、お姉ちゃああんっ、アメ、アイドル失格だよ!! 身バレしちゃったああ、どうしようう!!!」



そして、天ちゃんだと裏付ける、最大の特徴――かわいく透き通るようなで、妹さんはそう叫んだのだった。

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