第35話 証明②
白状してきた鼓の顔は真剣そのもの。
しかし、俺は困惑するしかなかった。
「鼓が……Mクラスの黒幕? ははっ、それはあり得ないだろ。だって――」
「学内掲示板にカースト表が公開された前から、既に『匿名のイケメン』が存在することを知っているからだろ?」
「そうだ。鼓が教えてくれたじゃないか……固定ハンドルネームの仕様について。一度設定したら、変更できないはず……」
俺は当時から存在する7期生のコテハンが何人いたのか知らない。
だが、鼓だけは会話でコテハンの存在を教えてくれた……あの時、掲示板のログを見てすぐに悟ったよ。こいつが鼓だってな。
「ああ、真琴を騙す為のブラフさ。予め自分の手段を封じておいたことで、不可能を演出したことで、真琴は俺を信用したんだろ……全部罠だったんだぜ?」
「どういう意味だ。まるで不可能じゃないような……俺に教えていない仕様があるってことなのか?」
「違うな……他人の端末を借りて書き込んだ。ただそれだけさ」
「なっ……」
あっさりと言われた正解に、言葉を失った。
灯台下暗し……見落としていた真実は、実にシンプルなものだった。
通常なら考察に入らない、常識的な掲示板の仕様……デフォルトネームならばログにある自分の書き込みさえわからない。
鼓が利用したのは固定ハンドルネームではなく、デフォルトネームを使ったトリックだったのだ。
正体を探す者の候補から真っ先に外れるためのアリバイ……マンモス校である京廷学院の生徒人数から考えれば、消去法で捜索するのは厳しく疑うことすらできない。
「正直トリックとかどうでもいいんだ。信じてもらえねぇと、腹を割って話せないから教えただけなんだしな」
「……そうかよ。それで、何が言いたいんだ」
「俺は……お前に勝てなかったってことだ」
「……は?」
「カーストなんて結局人の本質を差すものじゃねぇんだ。そうであってほしいって俺の願望に過ぎなくて、虚無しかなかった」
なんだよ、つまり何だ……目論見は失敗して何も残らんかっただって?
その裏では、虐げられる三軍の立場や日々荒れた上下関係が存在しているっていうのに、それはないだろ。
「ははっ、考えてみれば当たり前じゃないか……何よりも俺自身が真琴の凄さを知っているんだから、わからせられちまったんだからよ。意味なんてなかったんだ」
「……そりゃ、残念だったな」
鼓の黒幕に対する敵意のような感情さえ、自分自身に対するものだった。
だったらこれは、何の為の白状だ?
もしかしてお前が証明したかったのは、最初から自分の劣等感の方じゃないか。
俺が責めることによって正当化しようと考えたんだ。そう考えれば、辻褄が合う。
ならば――。
「結局、鼓は何をしたかったんだ? 俺なんかよりも優れていると証明して……その先に何がある?」
「……決まってるだろ。誰よりも鈴芽の力になれるのは真琴、お前じゃなくて俺なんだって……そう証明したかった」
なるほど、鼓の行動原理はそこへ収束する訳か。
一途に妹を想う気持ちは、まるで恋愛感情のように深い。
もしかすると、以前の俺が詩衣に対して想っていた感情と同じなのかもしれない。
「なぁ……俺は、どうすればよかったって言うんだ……」
彼女は自分と恋人になれない……けど、自分は彼女の幸せを最後まで望んでいる。
きっとそんな気持ちの中で、抑えきれない本性が疼いてしまったのだ。
俺にだって、詩衣を手籠めにしたいという醜悪な本性を持っていた……けど、望まなくて困るものじゃない。夢のままでいい話なのだから、理性的に抑えられる。
けど鼓の場合は、自分の兄としての威厳を他人に奪われたような気がして、それを取り戻したいと考えている……そんなところだろう。
それは発展じゃない。正当な修復に過ぎない。だから理性的に望んでしまったのだ。
同情するよ……それなら俺が責められたって――。
「……ふざけんなよ」
許せるはずないだろ。
同情するからこそ、共感できてしまうからこそ、鼓の考えは許せない。
「俺に対して勝手に劣等感持つのはいいよ。でもさ、お前は知らないじゃないか」
「……何を」
「鈍いのかと思っていたけど、確信した……鈴芽から教えてもらっていないだな。お前は俺のことを何もわかってない」
去年、鈴芽がしつこく俺の過去について訊きたいと問い詰めてきたことがあった。
当時の俺はまだ今みたいに捻くれていなかったし、仲の良い鈴芽になら……と、子役時代の話、そして妹の存在を知った。
「……樫妙花奏、誰か知っているか?」
「勿論知っているさ。けど今、そんな奴関係ねぇだろ」
「あるんだよ。鼓……お前には、言いたくなかったことなんだ」
同じ兄なのに、俺と違って鼓は鈴芽を上手くやっていたから。
だから、これはタイミングを逃したとか関係なく、教えたくなかった秘密。
「だって、あいつは……俺の妹なんだから」
「……は?」
「あいつは誰よりも完璧だった。天才的な演技力と世間はもてはやしたが、それだけじゃない。京廷学院に入学した時から常に主席だったように、あいつは才能に愛されていた」
「それが……どうしたって言うんだよ」
急な妹の自慢話に聞こえてしまったかな。
或いは、信じられないと想っているのだろうか。
褒めているように聞こえながらも、淡々とした言葉には妹への愛情なんて欠片もなかったから。
「俺はさ、あいつが憎かったんだ」
「え?」
「俺は花奏のことが大嫌いだった」
鼓の気持ちに興味を持てなかった理由。俺にとって兄妹愛なんて概念、知りたくもなかったのだから。
「なっ、なんでそうなるんだよ。幾ら凄くたってかけがえのない妹なんだぞ? 憎しみなんて――」
「知っているだろ? 俺の母方の家系が多くの才能を輩出していること」
「前に、お前が話してくれたな」
「ああ、あれは本当の話だ。だから俺は花奏に嫉妬したし憎かった。あいつは俺の……腹違いの妹なんだから」
妹と姓が違うのはそれが理由なのだ。
「……っ! つまり、そういうことかよ……」
これだけの情報だけで理解したのか……察しがいいんだな。
才能を輩出している家系の子孫が、一般家庭の子孫に劣っている。
優劣の証明はいとも簡単に行われてしまった。
親戚たちは当然、俺に懐疑の目を向けた……本当は妹の方が自分達と同じ血を引いているんじゃないかってな。
逆に何の才能もない俺は一体何者なのか、蔑まれているうちにわからなくなってしまった。
それでも、純粋な子供だった俺は頑張って、あいつよりも凄い才能を自分に探した。
クラスメイトと交流を深めて、勉強も運動も頑張って……花奏から与えられた専属カメラマンの立場さえ耐えた。
自律型AIを搭載した最新式カメラを態々俺に扱わせ、あいつは俺に対して嘲笑を浮かべた。兄としての威厳? そんなものはない。そこにあるのは、屈辱感だけだった。
密かに劣等感と屈辱感を募らせた俺は、妹に対して殺意さえ芽生えて初めていたんだ。
逆に言えば、俺は殺意という信念によって生かされていた。
「けどよ、樫妙って今は――」
「留学しているから、今は会わずに済んでいるよ」
「待てよ! 丁度樫妙が留学した後、お前は荒れていたはずだが……それはおかしいんじゃねぇの? 憎かった奴が消えたら、普通はスッキリするはずだろうが」
「いいや、前提が違う……だって、俺の所為で花奏は留学してしまったんだからな」
「……どういう事だよ。いや、腹違いってことはお前、家族を味方に付けたとでもいうのか?」
「もっと単純だよ」
俺に両親を利用するのは不可能だった……あの人達は、平等に俺達を愛してくれたから。
腹違いの妹がいるとなると父親の不義を疑うだろうが、それは違う。
花奏は……俺の母親の余命僅かだった友人の忘れ形見なのだ。つまり、公認不倫で生まれた子という訳だ。
だからなのか花奏もまた期待に応える為に努力を怠らなかった。
段々とそんな温かい家族という形が……嫌いになっていった。
そして間違えた……俺は花奏に言ってはいけない言葉を言ってしまった。
「お前なんか生まれてこなければ良かったのに……そう言った一ヶ月後、花奏は俺に何も言わず留学に行ってしまった」
「そう……だったのか」
そしてあいつが留学した際、俺は何もかもを失ったような気がした。
誰よりも早く消えて欲しかった妹が消えて、残されたのは虚無感だけだった。
その点、本当に鼓の気持ちは理解できる……俺達は殆ど同じ失敗をしているのだから。
あの時の俺はショックを受けた……信念に近しい殺意の行き場がなくなったのもそうだが、よくわからない悲しみがあった。
そこで、俺の中に多少なりともあいつに対する家族愛のような気持ちが存在することを知って……頭がおかしくなりそうだったんだ。
それから、俺は正論マシンガンと呼ばれる程に荒れた。
今の鼓はあの頃の俺にまで辿り着いたんだろう。
「ははっ、なるほど……な。確かに俺は真琴のこと……何もわかっちゃいなかったってことかよ。大事な妹に……お前は最低野郎だぜ、真琴」
「煽っているつもりかよ。自覚くらいあるんだ」
行き場を失った花奏への殺意は、消え去った訳じゃない。
醜悪な本性へと変わり、悪魔のように俺へと囁いてくる。
別人格がある訳じゃない……ただトラウマのように脳裏に欲望が流れ込んでくるのだ。
だから、俺が紛れもない最低な奴だってことは、ずっと前から自覚している。
でも、最近は……自分でも驚くほどに考えが変わり始めているんだ。
この欲望に身を任せていいと思っていたこともあったけど、詩衣と一緒にいるうちに、段々と今の環境が居心地良く思えてきたから。
そして今、鼓に言われてよくわかったよ。
自分の気持ちを書き換える……その大切さにな。
これから目標にすべき指針が見つかった……詩衣を大切にしたいという気持ちこそ、俺の本性なのだと証明するんだ。
「ブレないな。お前の気持ちは理解したよ……んで?」
「んで? って――」
「俺の気持ちが理解できるとでも言いたいのか? それは間違いだぜ。真琴は卑怯な手を使わなかった……その時点で俺の方が劣っているんだよ」
いつまで優劣に拘るなんて、とても言えなかった。
俺も元はそっち側の人間だったのだから。
「だからさ……俺を一発くらい殴る権利が、お前にはあるんだぜ」
「……そうかな」
自分の所業を罰してほしい気持ちは理解した。
けど、言われるほど俺の中に怒りは溜まっていないんだ。
「確かに俺は勝手に二軍へと割り当てられているし、鼓が攻撃したというならそうなんだろ。でも、二軍は意外と悪くなかった……気がする」
幾ら俺が恐れられたとしても、一軍や三軍だったなら、やっかみを買われたり蔑まれたりしたのかもしれない。
しかし、俺の二軍生活は平和そのものだった。偶に磯崎のような物好きに絡まれることもあったが、些細なことだ。
花奏が消えて荒れた心を療養させるために、充分な時間が手に入った……それは寧ろ、感謝すべきことなんじゃないかな。
すると、鼓は気に入らないと言いたげに眉を寄せる。
「だったら、もう少しネタ晴らししてやるよ」
諦めの悪い鼓は、饒舌に語りだす。
「知っているんだぜ? 真琴……図書委員の子と仲良いんだろ」
「なんで、柚木の名前が出てくるんだ」
「彼女はずっと三軍で、しかも容姿が悪くないだけに他の女子から目の上のたん瘤に見られているみたいだな」
「……だから、なんだよ」
「それを見越して彼女を三軍にしたんだぜ。彼女は鈴芽の敵を多くしない為、意図的なスケープゴートだったってことさ!!」
「……っっ!!」
「こういう最低な人間なんだぜ、俺は」
そこでふと、柚木の顔を頭に浮かんだ。
自分自身が陥れられたことまでは、まだ耐えられた……けど、柚木のことは、不思議と胸が痛くなる。あいつは俺にとって大事な友達だ。
俺は……彼女が三軍のままでいれば良かったと思っていた。
けど、柚木自身はどう思っていたんだ? 三軍という環境に、本当は息苦しく思っていたんじゃないのか?
あいつの顔を想像した瞬間、本能的に手が出て、気付けば鼓の胸倉を掴んでいた。
「鼓! てめぇ!!」
一発食らわせる為に腕を引き……しかしそこで拳は止まった。
次第に胸倉を掴む手の力も緩んでいく。
最後まで、鼓は瞬き一つしていなかった。
「まだ殴らないのか?」
「……マゾヒストを殴ったところで、スッキリしないだろ」
「…………その顔、気付いちまったんだな」
拳を固めた時、とある可能性が脳裏に過っていた。
本当カーストの目的が俺と鼓の上下関係による劣等感の証明だったなら、柚木をスケープゴートにした話と矛盾してしまう。後者は明らかに鼓の劣等感とは関係がない。
どちらが嘘なのか……もう答えはわかっている。
責められたいという意図があったって、でっち上げる嘘にしては具体的過ぎる。鈴芽を引き立てる為だなんて根拠まで咄嗟に出てくるのか?
だから鼓は失言……ミスをしたのだ。
もっと根本から違う部分があった……真実が見えているようで、見えていなかった。
そうだ、おかしな点は他にもあったはずだ。
「恐らく真琴の考えている通りだぜ」
「どうして――」
「どうして最初から、本当のことを言わなかったのかって? もうわかるだろ」
なるほど……俺の予測が当たっているなら、鼓の気持ちが裏付けになってしまう。
「けど、不思議と悪い気分じゃねぇな。お前の妹のこと……劣等感を知ったからかもな」
「……そりゃ、良かったな」
「やっぱ真琴はすげぇんだよ。お前自身が思っている以上にな」
本当の動機、本当のトリック、そして本当のMクラスの黒幕……その全ては繋がっていた。
__________
よろしければフォロー・評価をしていただけますと、作者の励みになるかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます