川沿いに建っている家は、ずいぶんと萎びていた。

 古めかしいというよりも、萎びている。庭木は伸びっぱなしで植木屋を入れていないようだったし、家の障子もあちこち破れているように見える。

 木葉はそわそわしながら、風呂敷を抱えて、「すみませーん!」と玄関に声をかけた。


「女中募集のちらしを見てきましたー! 木葉と申しますー!」

「……なんだって?」

「はい」


 トクン……と胸が高鳴るよりも先に、木葉はおろおろと彼を見上げた。

 ボロボロの家屋と同じく、記憶よりも文士の姿は萎びていたのだ。髪はぼさぼさで、もう何ヶ月も髪に鋏を当てていないだろうことは見てわかるし、無精髭まで生えている。おまけに薄くなった着流しを着崩してだらしがない。


「……お体よろしくないんですか?」

「ああ? あー……すまないね。女中を募集したのはいいのだけど、お給金が払えないんだよ」

「はあ……」

「……この間出した原稿を、叩き付けられてしまってね。このところずっと鳴かず飛ばずで、もう文士なのかなんなのかわからなくてね。ちらしを見てきてくれて大変申し訳ないのだけど……」

「わかりました。住み込みでお仕事をすればよろしいのでしょう?」

「君、話を聞いていたかい?」

「わたしは、お給金目当てでお仕事に来たのではありません。文士さんが募集をかけてくださったのが嬉しいのです。わたしのこと、覚えてらっしゃいませんか?」

「あー…………」


 文士は目を細めて、じぃーっと木葉を見る。

 それに木葉は、耳が出てしまわないか、尻尾が出てしまわないか心配した。母は、人間と妖怪のお付き合いは上手くいかないと何度も主張をしていたのだから、木葉も一生懸命化ける方法を学んだのだ。

 でもと気付く。


(尻尾や耳を出さないと、もしかして文士さんは気付いてくれないかしら?)


 出す? 出さない?

 そう考えたところで、文士の検分は終わったようだ。


「あぁ……まあ、君がそれでいいんだったらいいよ。自分は本当になにもできなくてね。小説を書くのに集中するためにも、どうしても人が必要だったんだよ。いいよ、入りたまえよ」

「わあ、ありがとうございます」


 木葉がにこにこ笑いながら頭を下げると、このぼさぼさ頭の文士は、気まずそうに頬を引っ掻いた。


「あぁー……まあ、あれだ。自分のことは馨とでも呼びたまえよ。ご覧の通り、今は文士なのかなんなのかわからないから、文士という通りもあまりよろしくないしね」

「わかりました。よろしくお願いします、馨さん」


 そう言って、木葉はようやく馨の家に入れてもらうことができたのだ。

 しかし。どこを見ても埃は積もっているし、中には蜘蛛の巣が張っている。蜘蛛の巣はよろしくない。つくと毛並みが汚れるのだ。


「ずいぶんと、まあ……」

「すまないね。家事が本当に不得手なんだよ」

「それはわかりますけど、どうしてこうなるまで放っておいたんですか?」

「……原稿に集中していてね」


 それに木葉はよくわからないという顔になった。

 先程原稿は金にならなかったと言っていた。お金のために必死で原稿をやっていて、おろそかになったということだろうか。

 与えられた木葉の部屋は、先程からの部屋と比べると格段綺麗だった。


「台所はあっち、水はあっち。瓦斯は使い方は……」

「わかります! それでは、まずはお掃除からはじめますね」


 頭に三角頭巾をかぶり、着物は前掛けを付けた上でたすき掛けにする。

 まずは部屋のありとあらゆる場所の埃をはたき落とすと、それを箒で掃き、雑巾がけをしていく。

 毛並みを汚す蜘蛛の巣は入念に落として、雑巾できっちりと磨きあげていく。

 一通り綺麗になったら、今度は壊れた障子の張り替えだ。障子を修繕し、紙を貼り直していく。

 窓を開け放って作業を行っていたら、あれだけ萎びていた家……それこそ並木の柳のように下を向いてしまっていた家も、不思議と活力が戻ってきたかのように見えた。

 あとは食事だが。


「……あらまあ」


 米びつは米びつ虫に食い荒らされて、米がほとんどなかった。それでも床下は根野菜があるし、魚の干物も少しはあるが、家が萎びるほどに掃除もせずに原稿をしていたのなら、きっとお腹だってたくさん空いているはずだ。

 木葉は「こんなこともあろうかと」と呟きながら、風呂敷を解いた。

 さすがに木葉も米を買うことはできないが、粟をたくさん持ってきた。粟ならば、買いに行ってもそこまで高くはない。これを米の代わりに炊こう。

 瓦斯台に粟と水を入れた鍋を置くと、マッチで火をつけて粟を炊く。その間に野菜を切り、干しきのこと一緒に水の張った鍋に入れて炊きはじめた。そこに味噌を溶き入れて味噌汁をつくったあと、干物を炙る。

 根菜の味噌汁に粟、干物。母に習った料理は、木葉には少々濃い匂いだが、人間にはおいしいものらしい。

 それらを皿に載せ、お椀に盛り、お膳の上に並べていく。

 それを運んで馨の元へと向かっていった。


「馨さん馨さん、食事ができましたよ」

「ああ……すまないね」

「開けてもよろしいですか?」

「どうぞ」


 通された部屋を見て、木葉は驚いてしまった。

 毛羽だった畳の上には、文机に大量の本。紙束。本棚に入りきれない本は、畳の上にまで積まれて、畳の粉を被っていた。

 そして文机。ここには原稿用紙とペンが広げられ、文面が埋められていた。


「お仕事中だったんですか……」

「そうだね。先日の原稿は没になったけれど、雑誌社がそれでも原稿をくれというのだからね。書かなければならなかったのだよ……食事、そこに置いていってくれたまえ」

「はい、かしこまりました」


 馨にお膳を置くと、そのまま退却させられてしまう。それに木葉はへにゃりとした。隠している耳と尻尾が出ていたら、ぺたんと下を向いていたことだろう。


(馨さん、なにか疲れているみたい……お仕事たくさんしてらっしゃるから? でも……)


 少し考えたが、やっぱりわからない。

 ひとまず木葉は、片付けをして、自分もご飯を食べることにした。

 女中なのだから、これが普通のことと言ってしまえばそれまでだったが。馨の態度がどうにも気にかかる。


(……馨さん、馨さん)


 助けてもらった化け狐です。お礼にお仕事に窺いました。

 そう自己紹介する予定だったのに、すっかりとあてが外れてしまったのだった。

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