第29話 前を向いて
葛谷がナイフを涼華へと突き出した。
銀光りする刃が涼華の華奢な体に突き刺さ――ることなく、蹴り上げられた足によって手から弾き飛ばされた。
ナイフを弾いた右足を地面に下ろし、強く踏ん張りながら体を回転させて左足を葛谷のお腹に叩き込む。
思わぬ反撃をもろに受けた葛谷が顔を青くして蹲った。
「あーあ。おい葛谷。涼華な、実は結構動けるから襲ったりとかしないほうが身のためだぞ」
「そういうこと。こんな危ないもの振り回すんじゃないわよ」
涼華はかかと落としでナイフの刃を根元でへし折る。
そして、靴の様子を眺めてため息を吐いた。
「靴底やっちゃった。後で請求するからね」
「ちっくしょうが……」
結構効いたらしく、お腹と口を押さえてどうにか立ち上がっていた。
涼華の蹴りは冗談抜きで痛いから気持ちはよく分かる。しかも、俺に向けてくるじゃれあいの軽い蹴りじゃない本気の一撃だったからかなりダメージあるだろうな。よく吐かずに我慢してるものだよ。
葛谷はまだ諦めていないようだった。
反対側からもう一本折りたたみナイフを取りだして、今度は切っ先を涼華ではなく俺に向けてくる。
ここで勘違いしないでほしいのは、俺は涼華みたいにナイフを蹴りで弾くなんてできないということ。
つまり、ヤバい。冗談抜きで刺されるかもしれない。
「てめぇさえいなければ……!」
「結翔くん!!」
悲鳴に近い声で瀬利奈に名前を呼ばれた。
涼華の蹴りでずいぶんと遅い動きだったけど、それでもナイフを向けられては普通に怖くて俺の動きも鈍る。
涼華が慌てて俺を庇うようにして、その前に瀬利奈が立ち塞がって――
「もしもしポリスメン?」
そんな場に似合わない軽い口調で電話をかけながら横合いから人影が飛び込んでくる。
その人――吾郎は卓球ラケットの持ち手で葛谷の手を叩いた。衝撃で力が緩んでナイフを落とす。
吾郎が素早くナイフを遠くに蹴り飛ばすと、別の誰かが既に通報していたのか、到着した警察官がナイフを回収していた。
「あ、おまわりさん。こいつナイフ持っていた上に人に向けてましたよ。それに、彼女のこと殴ってますし」
「君、傷害と銃刀法違反容疑で署まで来てもらうよ」
見ると、複数人の警察官とうちの大学の学生課の職員さんが集まっていた。
まぁ、そりゃあ大学近くでこれだけ騒ぎを起こしたら来るよね。しかも警察沙汰になるほどの。
これは逮捕からの退学処分もあり得る。くだらない恨みでこうも転落人生を送るとは哀れすぎる。
「くっそ……ッ! 覚えとけこの野郎……!」
「あ、おい止まれ!」
「こっちでパトカー使って追いかける!」
走れるだけの体力は回復していた葛谷が逃げ出し、警察の人たちが追いかけていった。
緊張が解けてようやく息ができるようになった。瀬利奈も力が抜けて膝を折って座り込もうとしているのを白田先輩が支えている。
「大丈夫か?」
「ああ、どうにか。助かったよ吾郎」
「いいってことよ。にしても、あいつ完全に終わったな」
「だな。まったくバカだよほんとに」
深く呼吸し、気持ちを落ち着けると瀬利奈がいる場所に歩き出す。
「なぁ瀬利奈」
「あ、結翔くん。大丈夫? どこも怪我してない?」
「……ごめんっ! 俺のせいで危ない目に遭わせてしまって。顔も殴られるほど……」
「え? なんでそれが結翔くんのせいなの?」
不思議そうに聞いてくるが、葛谷の話を聞いて少し反省した部分がある。
俺がしっかりと関係性の線引きをしていても、周囲がどう見るかはまったくの別の話だった。瀬利奈がいるのに涼華と親密すぎるように見えたのが葛谷は気に入らなかったのだろう。
今回の件はあいつが完全に悪いけど、きっかけを与えてしまったのは俺かもしれないと思うところがないわけじゃない。
「俺が中途半端にしてたから、そのせいで……」
「それは違うよ」
はっきりとした強い声。
視線を真っ直ぐ向けて瀬利奈が胸の前で拳を作る。
「デートの時、結翔くんは時々岩城さんのことをすごく楽しそうに話してた。私は別にそれが嫌じゃなかったし、楽しそうな結翔くんを見るのが嬉しかった。岩城さんと距離を置いてたら、きっとそれはそれでもっと早くに私たちは終わっていたかもしれない」
「瀬利奈……」
「結翔くんが岩城さんに向けている感情は明らかに友達に向けるものだったんだもん。彼女ができたら女の子の友達とは距離を開けるものかもしれないけど、私はそう思わない。だって……」
俺の胸に指先でそっと触れる。
「私が一番だったんでしょ? なら気にしないよ。結翔くんは結翔くんらしく関係性を築いたらいい」
それだけ言って離れると、今度は視線を涼華に向けた。
「この前はごめんなさい。私、すごく嫌な言い方をしちゃって」
「……私の方こそ。詳しい事情を知らないのに言葉が悪かったわ」
「この前のことで和解はできたけど、ごめんなさい。また嫌な言い方をするね」
瀬利奈が俺の背中にもたれかかる。
服越しに体温が伝わってきて、ふわりと甘い花の香りが漂ってくる。
「私はもう結翔くんの一番じゃなくなっちゃった。けどね、まだ諦めてないから」
「……それを私に言う意味は?」
「今の結翔くんの中で、きっと一番は貴女だもの。だから、一番の座をいつかは返してもらうっていう決意と宣戦布告」
「そっ。いいわ、受けてあげる。別に恋愛感情はないけど、一番を取られるのはなんか嫌だしね」
バチバチゴゴゴと効果音が聞こえてきそうな雰囲気。
服を挟んだすぐそこで激しい牽制が繰り広げられている気がする。
謎の汗が流れる感覚に震えていると、吾郎が肩に手を置く。
「モテる男は罪だねぇ」
「楽しんでないか?」
「結翔の話だけで白飯とお酒がいけるくらいは!」
大笑いしながら吾郎が帰っていった。
入れ替わるように今度は白田先輩が俺の前に立つ。
「結翔くん今日はありがとう。私も瀬利奈ちゃんも助けられちゃった」
「いえいえ。俺の問題も同じなんで、先輩を巻き込んじゃってすみません」
「私よりも瀬利奈ちゃんを労ってあげて。……にしても、結翔くんやっぱり格好よかったね」
ふふっと可愛らしく笑うと、笑顔で睨み合う涼華と瀬利奈を眺めた後に先輩が顔を耳に近づける。
「二人ともすごく頑張りそうだけど、漁夫の利、って言葉があるよね」
「え? 先輩?」
「じゃあね結翔くん。ほら、瀬利奈ちゃん行こう?」
「分かりました。じゃあ、またね結翔くん」
先輩と瀬利奈が離れていって――、
「あ、すみません。詳細を聞きたいので署まで来てもらえますか?」
ずっと待たせていてすみませんおまわりさん!
涼華には先に帰ってもらって、俺たちは警察署で事情聴取を受けることとなった。
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