ナルキッソスとそれから

梶浦ラッと

プレ版

プレ版本編

「その、私の友達がね? 友達の話だからね!」

「はいはい。分かったよ。」

「絶対分かってなーいー!」

 名古屋市の、とある小洒落たカフェで成木なるき草介そうすけは友達の恋愛相談を受けていた。オレンジ色の照明が照らす、木目の効いた壁と道路側に付けられた巨大なガラス窓が囲む店内は、東京の吉祥寺だと言っても百人全員が騙される程に名古屋の『だがね・みゃー』シティーとは程遠い落ち着いた雰囲気だった。だがここが吉祥寺だったら、窓から見える景色も名古屋とは違って街路樹が植えられていたり、はす向かいの服屋も流行りの最先端を行ったアイテムばかりを売っているだろう。が、こんないい雰囲気のカフェは近くに無いので、私立西野御原高校に通っているカップルないしはカップルの芽はもれなくここへと足を運ぶ。そしてそれは付き合っているということを公式発表するも同じだった。だが二人はカップルではない。

「その人がもうすぐ誕生日なんだけど、なにあげたらいいかなーって。」

「なるほど。」

「私の友達がね。」

「分かってるって。」

 成木は少し考える。誕プレか……。プレゼントなんて家族と親友のあいつくらいにしかあげないからな。難しい。

「難しい。」

「そんなこと言わずにさ! なんか好きなものとか無いの!?」

「俺に聞かれても知らないよ。」

 取り敢えずその日は、『心を込めてあげればなんでも喜んでくれるんじゃない?』っていうありきたりな言葉を残して帰った。


「よーよーお前充実してんなぁー!?」

 平良へら心真しんまは肩を組んでくる。彼女は成木の唯一の親友とも言うべき存在で、円形の電子パネルを叩く音ゲーのヒズヒズで高め合う仲だ。背は女子の前から八番目、度のきついコンタクトを両目にはめている。ヒズヒズ用の手袋を忍ばせた右肩の鞄はさらに、課題と再提出が入ってパンパンになっている。成木はいつものごとく荷福を背負い投げし、思い出したように聞き返す。

「充実してるって、そんな相手どこに居んだよ。」

「いや順番逆だろ! 聞いてから背負い投げしろよ。……いやすなよ!」

「すまん反射反応で背負い投げしたわ。」

「このドエスめ。あぁ、そんなことよりお前、昨日荷福さんと一緒にカフェにいただろ!」

 成木は蔑みな『うげっ。』という顔をする。荷福さんーー荷福にふ詠子えいこは、シースルーの前髪に少し大きな耳と、その笑顔の効果が何倍にもなりそうな大きな口、少し膨れた頬骨という、男の中に少数根強い人気を誇る、『喋れる系カワ女子』である。

「お前カフェに人の恋バナ聞きに行くのやめろよ。趣味悪りーぞー。」

「オタクたるものこの学校の関係を把握しなければなりませんので!」

「肩貸せ。」

 背負い投げ!

「そうはさせない! 必殺手首返し!」

 そう言うと平良は成木の手を振り払い、みぞおちめがけて二本指で突いた。『うぐっ。』という声と共に倒れたのは平良だった。成木の腹筋は想像以上に硬かったのだ。

「俺の六十八勝目だな。」

「私は既に百一勝してるけどな。」

 ホームルーム五分前を告げる予鈴が鳴り、二人がいた昇降口も教室に吸われる人の流れができる。その川があまりにもギチギチなので、先生が時間通りに教室に入れないこともしばしば。だが成木のクラスである二年C組の担任、御堂地みどうち音氏ねしは小柄で有名で、その小柄さを活かした、人の川の上を渡る秘技、『ヒトサーフィン』によって一度も遅れたことがない。今日もまた、後ろの扉の上についている小窓から時間ぴったりに入ってくる。

「出席とるぞー。新井ー。」

「へーい。」

「鹿島ー。」

「いーっす。」

「飯田ー。」

「ほーい。」

 御堂地は席順に出席をとり、一時間目の物理が始まる。教科担任はそのままで御堂地だ。チャイムが鳴り、御堂地が授業を始めようと白いチョークを持つと、ぼろっと上半分が床に落ちる。幸いほとんどは砕けなかったので拾おうと屈み、立とうとすると、『あだっ!』。御堂地はチョーク受けに頭をぶつけた。

「先生かーいー。」

 鹿島が皆を煽り立てるように大きな声で言う。

「俺を可愛いって言うな!」

 だが火の着いたオイル達を一吹きで消せるはずもなく、それは酸素供給となる。

「先生モルモットみたーい。」

「あいつらよりかは背が高いですしーだ。」

「そう言うところがかーいーんだよー。」

「お前は評価一だ!」

 わはっはーと教室全体に笑い声が響く。成木は眠気に誘われあくびを二度する。いつもこんな調子で、ろくに授業が進まずに終わる。一昨日なんか、自由落下において物は全て同じ速さで落ちるんだぞ。って言われて、実験動画を見ただけで終わった。

「やっべ。あと時間五分じゃねぇか。まぁいいや。今日はもう終わろう。いいかー、宿題は今日の復習だー。」

 無駄授業の記録更新だ。新井の『どこやりゃいいんだよー!』という声はチャイムに被さり、すでに、御堂地は消えていた。成木はスマホを取り出し、次の授業に備える。

「次イングリッシュトークじゃねぇかよー。」

「俺マイケル苦手なんだよなー。日本語喋れよって思うわ。」

「俺さ。この前職員室でマイケルが教頭に日本語で話しかけてるの見たわ。」

「まじかよー!」

 チャイムが鳴る。


 チャイムが鳴る。

「っかー! やっと学校終わったぜー!」

「カラオケ行こーぜカラオケ。」

「ポテチ持ってくわー。」

「んじゃ俺はポテフ箱で持ってくわ。」つぉ

「アホか。粉末になってまうわ。」

「のびーるのびーるぐぐーんとのびーる。」

「シゴトハカドルゥ-!」

 新井と飯田のバカな会話を背に成木は帰路を急ぐ。ママチャリは僅か八ミリメートルの段差で悲鳴を上げ、ギアチェンジが成功するのはその時のみ。だが帰りの成木とママチャリにはそんなこと関係ない。なぜなら学校から成木の家まで下りの一直線だからだ。最初の大通りさえ越えれば後は閑静な住宅街に入るので、そこからはよほど高速に、不注意に坂をかけ降りなければ車に轢かれる心配もないし、一漕ぎもせずに家に着ける。でも成木だって男子だ。無意味にウィリー、ジャンプやドリフトをしてみたくなるものだ。だが成木だって帰宅部だ。もどきは出来てもその後は舵が明後日の方向へ向く。どんがらがっしゃーん。成木とママチャリはアスファルトに寝転ぶ。幸い回りには誰もおらず、視線の矢は成木に突き刺さらない。成木は、『あーあ、面倒くさいな。』と思いながら片手で持ち上げようとしたせいで重くなったママチャリを立て、黒石による八つ裂きで血まみれになった右手を庇うように左手と右の前腕でママチャリを支えて運ぶ。かろうじで自動販売機が生きている古いタバコ屋から二つ行った所が成木の家だ。

「ただいまー。」

 母は仕事に出掛けているので成木の声はただエコーするのみ。そのまま流動的にスクールバッグを置いて外出用のポーチを掬ってもう一度外に出る。その時間、僅か五秒。

「あぁ。」

 絆創膏を忘れていた。

 再び外に出ると、ちょうど荷福がタバコ屋を通りすぎるところだった。

「あれ、どうしたの荷福さん? 帰りこっちだったっけ?」

 荷福は『あ。』と言わんばかりの顔で少し硬直した後、喋り出す。

「いや、えーと、たまにはいーかなー、なんて……。って、その傷どうしたの!? いたそー。」

「さっき自転車でこけちゃって。でも大丈夫、絆創膏貼ったから。」

「絆創膏はそんなに万能じゃないと思います! はいこれ、傷治しの塗り薬。手出して。」

 荷福はまるで先生に意見するかのように右を挙手しながら言った。成木は言われるがままに右手を出す。すると荷福はその手に塗り薬を出して、両手で包み込むようにしっかりと塗った。

 成木は『ありがと。』と、語尾を短くお礼を言う。

「なんだ照れてもいーのに。」

 夕陽が二人を赤く照らしていた。しばらくして、成木は宇宙から届く光の時報によって本来の目的を思い出して、荷福と別れる。

「あ、ごめん、行くところがあるんだった。」

「こちらこそ、ごめんね引き留めちゃって。」

 成木は上り坂でママチャリを走らせる。


 成木は一般的には不快と呼ばれ、つんざく雷鳴にも似た音を鳴らしながら自転車を急激に横にして止める。成木は慣性でSAGAの壁にぶつかり、微細な凹凸が左肩に容赦なく突き刺さる。しかもカッコつけて最高速度から横向きブレーキを掛けたもんだから、その痛みは想像の十倍にもなる。その苦痛に狼狽しながらも一歩ずつ歩みを進めて店に入る。

「ツイてないな。」

 自動ドアを開けるのに苦戦、三十秒。

 階段にガラ悪大学生が居て迂回、四十五秒。

 エレベーターが止まらなくて待機、三分十五秒。

 やっとの思いでついたと思ったら、清掃直後のつるつるの床に気づかずにアニメのように滑った。その一部始終を、先にヒズヒズをやって待っていた平良がヘラヘラしながら見ていた。

「こんなに遅くなって、やっときたと思ったらこけるって、お前何かあったのか?」

「遅くなってすまん。家を出たら荷福さんとばったり合ったからちょっと喋ってた。」

 すると平良のヘラヘラがゲラゲラに変わる。

「やっぱお前、そーじゃねぇか!」

「だから付き合ってねえし好きでもないから!」

「じゃあいっつもカフェで何を話してんだよ。」

 成木は迷う、荷福の恋バナだからな……と。

「プライバシーだからだめだ。」

「ますます怪しいじゃねぇか。まあ、とりあえずはこれくらいにしといてやろう。そんなことより、お前が遅かったせいで今日の分のペアプレイイベントが出来てねぇんだよ。はよ立て。」

「すまん、腰が抜けて立てん。手貸してくれ。」

 成木は平良の手伝いのおかげて立つことが出来たが、もう一つ重要なことに気づく。それは、自転車を止めた際にぶつけた左肩が、まだ治っていないと言うことだった。音ゲーにおいて片腕不利というのはどうしようもなく致命的である。成木は平良に重ねて詫びたが、平良は、『うるせぇ知るか。』と強引にヒズヒズに百円を入れさせる。成木も、『遅刻したのも怪我をしたのも俺のせいだし、しゃあないか。』となすがままに。ヒズヒズが百円を感知し、『何で遊…ペアプレイ!』と鳴る。時短魔の平良お馴染みだ。隣の成木を見ると、さっきまでとは明らかに雰囲気が違っていた。

「これは、ゾーンに入ったな。」

 平良はいつものごとく『HANSEN! 蓋はプリクラ』を選択し、最高難易度を選ぶ。テンポ百八の四つ打ちの後、曲が流れ始める。そして、ノーツが中心から円周へ様々に流れていく。二人は懸命にそれをタッチしていく。人生の時間を使っているのだから、命を懸けると書いても過言ではないだろう。特に、二人にとっては。


「いやーしかし、さすがに片手が不自由なのはキツかったか。」

 百円分である三曲が終わり、成木が右手首を振りながら言った。

「ログボも手に入れたことだし、今日はこのくらいにしとくか。成木、ちょっと話でもしよう。」

 成木は眉間にシワを寄せ、分かりやすく訝しげに言う。

「どうした、珍しいな。またカップル限定イベントでもあるのか?」

「ちげーよ。分かるだろ、ほら。」

 平良は成木を小突く。だが成木は一層シワを寄せる。

「うーん?」

「分っかんねぇの!? こんなに見せつけておいて!?」

 成木は笑っちゃうほどにさらにシワを寄せて、『答えは?』と無言で聞く。

「お前の恋バナだよ!」

「俺の恋バナ!? だから好きな人なんかいねーんだけど?」

「じゃあなんで荷福さんはよくカフェにお前を誘うんだよ?」

 成木は人差し指と親指に顎を置いて少しの間考える。

「それは……なんでだ?」

「ズバリ言ってやろう、荷福さんはお前好きだからだ!」

 成木は、これ以上何を言おうが結果がこれになるだろうと察して、諦めの一言を放つ。

「はぁ、あのな、荷福さんは俺に『友達の』と称して恋愛相談をしているんだよ。そんな、好きな人に恋愛相談するわけがないだろ。」

「なるほど……それなら違うか……。」

 会話は一瞬途切れたが、それは平良の熟考によるもののようで、一つの疑問によって会話は再開された。

「ちなみに、なんでお前は荷福さんとカフェに行くんだ? ははーん、やっぱ、お前、荷福さんのこと好きなんだろ!」

「ちげーよ。」

「それじゃあ、荷福さんの好きな人のことが好きだ……とか? いや、それはないか、同性だし。」

 平良の絞り出したような問いの後の言葉と共に、成木の唇は微かに、そう、微かに動いた。

 『そうか……。』と。


「成木ー、起きろー。……二、一、渇!!」

「あがっ!!」

 時は購買ダッシュ後、物理基礎の授業。地は西御校。御堂地の私物である、バイブルコーナークラッシュ用のパプリカが、夢の世界へ旅行していた成木を襲う。バイブルコーナークラッシュまでのカウントダウンは回数を増すごとに短くなっていく。きっと、次回はコンマ三秒だろう。それにしても、前回は三日前だと言うのに……こやつ、なかなかの手練れである。キーンコーンカーンコーンと、永遠に聞き慣れた音が授業の終わりを知らせる。

「というわけで、今日はもう終了だ。宿題はやっとけよー。」

 新井はとたんに『マイケル・マイケル・マイコー・フォー!』と歌いながら両手を上げながら後ろのロッカーへと歩く。今日はテンションが高いようだ。と、成木は思う。きっと、次が、ペチャクチャ喋っていてもなにも言わないで有名なマイケルの授業だからだろう。とも。も一つ成木は思う。マイケルは口に出さないだけで、通知表ではしっかりと点を下げている。と。

 机に突っ伏した成木の脇をすれ違い様に平良がくすぐる。

「ひゃっ。」

 平良はこの声に性癖をおぼえるのだ。


 教室が一気に騒がしくなる。どうやら帰りのSTが終わったようだ。

 新井と飯田はまたもバカな会話を。

「シロノワール食べにいこーぜー。」

「そーいやシロノワールって、何が白で何がノワールなん?」

「上のソフトクリームが白で、」

「おん。」

「下のデニッシュがノワール。ノワールはフランス語で黒だ。」

「ほえー。ほんま?」

「ほんま。」

 成木は戦慄する。全くバカでなく、本当の知識を話していることに。

 時計の方に目をやると、廊下にいる荷福さんと目が合った。少し微笑む。きっと、またカフェに誘いに来たのだろう。

 そう思い成木は席を立つが、どうしたことだろう。なんと平良が荷福に話しかけに行ったのだ。荷福は1.2秒驚き顔をして、4.7秒話を聞く。8.9秒考え顔をしてから、3.3秒で微笑みながら平良と共にドア枠の陰に消えた。

 成木は無駄に恥ずかしくなって顔を突っ伏して寝たが、それはそれで恥ずかしく、0.27秒で顔を上げて鞄を肩にかけた。

 ママチャリの走行音は引き笑いを見せて。


 あたたかみに満ちた木の店内。オレンジ色の照明はいつも変わらず、少し大人な甘さを演出している。

「平良さんが私を誘うなんて、珍しいね。私に聞きたいことでもあるの?」

 サラッと左耳にポニーテールのおくれ毛を掛けながら、フレッシュを入れただけのビターなアイスコーヒーを、右手で軽く支えたストローで飲む。その仕草に平良は唾を飲み込みながら思う、『えっろ。』と。そうやって見とれていると、荷福さんはとっくにストローから口を離して、不思議そうにこちらを見ていた。

 平良はあわてながらも、あたかもこの間が無く、ごく自然に会話が続いているようなトーンで話す。

「あぁ、荷福さんはよく、成木とこのカフェにいるでしょ? なんでなのかなー、って思って。」

 みるみるうちに荷福の顔は赤くなってゆく。その時、丁度ストローをまた口に咥えてうつむいていたから、詳細には顔が見えなかった。コーヒーの水面は全く下がっていない。

「いやー、自分でも考えてはみたんだけどさ? 全然分からなくて……。成木に『友達の』って言って恋バナをしてるらしいから、あいつことを好きっていうのはないだろうし……。」

 嘘がバレていたことと、それから必然的に考えられることから全く外れていた言葉に荷福は『ふぇ?』などという、本当にすっとんきょうな声が漏れ出た。それで平良も気の抜けた声が出る。

「え、違うの? あいつことが好きじゃなく……ないってこと? つまり……あっ!」

 また荷福の顔は赤くなる。今度は少し顔を上げていた時で、平良が『ハチャメチャにしたい……!!』と心の底から思うような荷福の紅潮がばっちり拝めた。平良は一生分くらい見舐め回してから、大袈裟に胸を張って、自己利益九割の提案をする。

「だーいじょうぶ、あいつにも誰にも言わないから! この私が荷福さんの本気の恋バナを受け止めてあげましょう!」

 ヒートアップして、ついつい机に身を乗り出した平良に、『お待たせ致しました。』と冷静沈着な声で割り込んだ店員は、メロンクリームソーダを机に置いた。恥ずかしくなって、しばらく机に手を置いたままで硬直していたが、やがてふかふかな椅子に無音で座った。ソーダを飲むと、元気が戻ったようで、またしても身を乗り出してしまった平良を店員が睨み、少し萎縮する。

「それで、あいつのどこが好きなの?」

「優しくて、聞き上手だけど、聞くだけじゃなくて、なんかこう……話してて楽しいんだよね。そういうところかな~。ほんと、なんであんなに優しいんだろうねー。」

「あー、ほんとにほんとに……。んじゃあさ! もし付き合うことになったらあいつとなにをしたいの? キス? やっぱキス!?」

「いやいやー! 清純に……ね? ま、例えばモリコロパークにあるジプリパークとかに行ってみたいかなー。」

「なるほどぉ。んで、夕陽が照らす帰り道で、『ばいばい。』の代わりに『うち、今日親いないから……。』って言うんですね!分かりま、すぅ……。」

 店員は少しわざとらしく大きな声で咳き込む。平良の語勢が竜頭蛇尾となる。

「いや言わないよ!! 清純に……うん。 けどさ、学校終わりに二人でどこか行くっていうの良くない?」

「良いね~。ただ、あいつのことだからな……荷福さんより、もしかしたらヒズヒズをとるかもしれないよ?」

 平良は人差し指を立てて、始めの村の村人Dのように忠告する。

「うーん、やっぱりそう思う? だからさ、成木くんを音ゲーよりも私に夢中になるように頑張るよ!」

 オンラインゲームのラグによるフリーズくらいの、ほんの瞬間、平良は止まっていた。

「えーと、それはつまり、ヒズヒズを辞めさせるってこと?」

「うん。そゆこと。」

「なるほど、ね……。」

 荷福は『あっ!』と唐突に声を出した。目線は、平良の向こうの時計に向いていた。

「塾の時間だ! ごめんこれコーヒーの分!」

 荷福はせかせかとカフェを後にし、机にあるのは金額ぴったりの小銭とメロンクリームソーダのみ。天井に付いていた大径のファンに生ぬるく煽られて溶けたソフトクリームは、コミカルな発色のソーダの底に落ちていく。三次元的な墨流しがファンの影に何回も揺られる。

 俯いて、瞬きを忘れた平良の顔は、一定の影にまみれていた。

 平良は刻々と時間を後にし、脳裏にあるのは成木草介とそれからーー。


 次の日の学校終わり、カフェにいたのは荷福と成木だった。成木は荷福のキャラメルマキアートを見て、『いつも同じで、飽きないのかな。』と思う。成木はコーヒーゼリー、それもフレッシュを多めにかけた課金カスタムを頬張りながら、何か言いたげな荷福の顔を見つめる。

「荷福さん、どこか調子悪かったりする? いつもより無口だけど。」

「あぁ、いや、大丈夫。今日、天気がいいね……。」

「う、うん。そうだね……?」

 それからまた沈黙が流れる。店員はそんな二人を注視する。カランと、誰かがグラスの氷をかき混ぜた音が十分に響くほどにカフェは静かな雰囲気を保っていた。なにかはしていようと、成木はフレッシュの色で牛乳寒天のようになったコーヒーゼリーを一口食べて、無駄に多く咀嚼する。小さく俯き続けていた荷福は、やっと頭を上げて、緊張で朗らかな笑顔がなくなった顔との対比が映える艶々な唇に少し言葉をのせる。

「成木くん。今日は、あなたに伝えたいことがあるの。」

 荷福のただならぬ雰囲気に、成木は唾を飲む。

「伝えたいこと?」

「うん。実は、今まで友達の恋愛相談って言ってたけど、全部私のことなの。」

「うん。」

「それで、友達の……いや、私の好きな人は、成木くんなの!」

「え……えぇ!?」

 一拍置く。

「え……えぇ!?」

 一拍置いても、リアクションはこれだった。全く予想していなかったのだ。こんなかわいい人に好かれていたなんて、頭によぎっても否定していた。でも……。成木は迷う。『俺が好きなのは……荷福さんの好きな人……。』『うれしいけど……、気持ちには答えられない。けど、この関係を終わらせたくない……。』しばらく沈黙が続いた後、成木は決意を決める。『荷福さん……ごめん。』

「ごめん。」

「」

 荷福は文字に起こすのに適さない声を漏らす。二分間、荷福と成木の間には分厚い真空の壁ができていた。その間、店員は笑いを顔に出しながら堪えていた。成木がゼリーも口にできずにいると、荷福は耐えきれずに口を開いた。

「今はまだ友達のままでいいから。」

「うん。」

「今はまだ友達のままでいいから、いつか、答えてね。」

「……はい。」

 二人はカフェを後にし、T字路で別れた。一人帰路につく成木は、あの曖昧な返事を悔やんだ。だが、すぐに『あそこで荷福さんをきっぱり断ったら、俺の好きな人の情報が入ってこなくなってしまう。』と思考を塗り替えで自己擁護した。

 ……ここまでいって、成木ははじめて気づいた。

「俺が好きなのって……俺だ……。」

 成木はスマホを取る。

「いつも見られてるってことだから、まずは見た目を良くしなきゃな。」

 ちょっと高めの散髪屋を予約した。


「やぁやぁ、迷える子羊さん。」

 背後からぬるっと平良にそうささやいたのは、給食を食べ終えたばかりの御堂地だ。御堂地は食べるのが遅いくせに大食いなもんだから、いつも昼放課開始のチャイムと共に片付けを終える。

「へああっ! って、先生? てっきり変質者かと……。」

「誰がかわいいって?」

「言ってません。」

 平良が怖い顔をしたので、御堂地は元々の低身長に加えてさらに萎縮し縮こまる。それでも、御堂地の勘によると、平良の悩みは彼自身にとって相当面白いものらしく、これまた変質者ライクにニヤニヤしながら話を本題へ進める。

「なんですかキモい。」

「どうとでも言いたまえ。通知表で下げとくから。それより平良よ。悩み事があるなら相談しておくれよ。それか、少し喋ろう。」

 平良が『ちょ、下げるって!』と言う間も与えず、御堂地は肩を叩いて消えていった。平良は手に顎をのせて人影が消えた空虚を見つめる。

「どうした平良。無駄にシリアスしちゃって。」

 軽い声で話しかけて来たのは成木で、ちゃっかりサソリ固めに持ち込もうとしている。平良は最小限の力でいなし、脳内の錠前が一つ開けられた音がした。

「何だお前、今日やけに強いな。そうだ、これからシリリアスって呼ぼ。」

「ガブリアスじゃねぇか。」

「今日はすなあらしでも降るんかな。」

「んなもん降ってきてたまるかよ。」

 も一つ錠前が開けられた。

「てか見ろよこれ。お前が荷福さんとどっか行ってた時に、『パンなら、あらドッグス』のリマスターをフルコンしたんだ!」

 またも一つ。

「今度この成木様が教えてやろうじゃあないか。」

 も一つ。

 平良が口を僅かに開き、口角が微妙に上がると、チャイムが鳴った。平良はうつぶせて臨寝体勢に入り、次は口をかっぴらいて、呟く。

「期待しようか。」


 帰りのSTが終わり、続々と生徒らが帰路につく頃、平良はやっと鞄に付箋を貼って返されたノートと手袋を入れ始め、いつもはヒトサーフィンで消える御堂地もなにもせずに突っ立っている。帰る準備が整って、鞄を持ち上げた平良と御堂地は教卓越しに目が合う。御堂地は無駄に含みを持たせた間をおいてから、口を小さく動かす。

「やっぱりな。じゃあ、そこの新井の席にでも座れ。」

 二人は対面して座り、臨時面談が開始される。

「平良よ。これはたまたまだが、昨日カフェに行ったんだ。」

「はい。」

 趣味が悪い。と思ったが、自分も同じようなもんだと思い出して、平良は少し噛み合わない返事をした。

「そこで、偶然、偶然な、おまえと荷福の会話が聞こえてきたんだ。」

 もうわかったから、と平良は本題に進むことを促す。

「あぁ。つまるところ平良は成木を手放したくないんだろ?」

「まあそんなところですね。」

「そんな簡単に肯定されると、調子狂うな。」

 御堂地は平良の瞳孔を今一度見るが、一切の動揺が感じられなかった。また、例えるならば、太陽黒点だと思った。裏声混じりに小さく咳き込んでから、ペテンの薄笑いを顔に張り付けて一大提案を開始する。

「さあ平良よ。時に心理学は嗜むかい?」

「ギャップ効果を使って通知表を上げてますが。」

「それは失敗しているな。で、そんなことより今日はな、一つすごい心理技法を教えてやろうと思っているんだ。それを荷福に教えてやれば、成木は絶対に荷福のやりたいようにはならないだろう。」

 平良はゴクリと唾を飲む。目はいつになく真剣になり。様々な仮定を頭の中で駆け巡らせているよう。

「その心理技法、すごいとはどのように?」

「ミラーリング。相手の言葉をそっくりそのまま返すことで、会話をスムーズにするというものだ。」

 嘘っぱち。でも、これは虚空から作り出したものではなく、真実に虚で塗りたくったものだった。まさに、騙りペテンの手口である。

「考えてみろ。成木がおまえのところから離れて、どんどん消えていって、高め合う仲間も遊ぶ友達もおまえからいなくなる。それでもいいのか?」

「嫌……。」

「そうだろ。ならばやることは一つ。荷福を成木の言葉を反芻するだけの肯定機械にすることだ。」

「いや……。」

「荷福を成木の言葉を反芻する肯定機械にすることだけだ。」

「……。」

 平良に言葉の余地を与えず、マシンガンが容赦なく平良のなにかを穴まみれにしていく。

 次の場面は、二度目のカフェテリア。

 次の仮面は、一回目のハムレット。

「荷福さんをあいつの言葉を反芻する肯定機械にすることだけです。」

 今のところは、ここで幕を下ろしておこう。

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