第9話「ある日森の中」

 

「カク、こっちで合ってる?」


『あぁ、この辺は庭みてぇなもんだ。間違いねぇよ』



 若草芽吹く新緑の時期。

 俺とテルム坊っちゃんは、館からそう離れていない森の中を2人で歩いていた。

 じわじわと暑さを肌で感じる季節になりつつあるが、その猛威はこの環境において振るわれることなど滅多にない。天然の日傘が、所狭しと生い茂っているが故である。

 木々の間を縫うように、緑の香りを孕んだ風が舞い踊っている。そいつが肌を撫でる心地よさといったらない。


 僅かな隙間から入り込んだ木漏れ日は、俺達の視界を照らしてくれるだけではなく、緑で満ちた絨毯を不規則に彩るイルミネーションのようで美しい。

 ただ漠然と生きているだけでは、けして気づけない天然の芸術を目の当たりにして、心なしか俺のテンションも上がっているような気がする。

 まぁ、俺もなんだかんだで元野生動物って事だな。



『この辺はヤベェ魔物もいねぇ筈だし、場所を移してねぇんなら、この辺りだと思うんだがな?』


「う~ん、引っ越してる可能性もあるのかぁ」


『いや、滅多にあるもんじゃねぇから安心していいと思うぞ……っとと、住処にしていた知恵の木だ。このへんで間違いないな』



 やがて到着したのは、茂る森の中でもわずかながらに開けた空間。一本の巨大な樹を中心に広がる、自然が作った広場だった。

 俺と坊っちゃんが、何故こんな所まで足を運んだのか?



『お~い。いるかぁお前ら!』



 その答えが、これである。



『『『は~い!!』』』



 ピョコピョコピョコピョコ! っと、広場を囲む茂みから顔を出し始める奴ら。

 そいつらの耳は長く、額には一本の角を生やしている。

 どっかで見覚えのあるシルエット……なんてまどろっこしい通販みたいな引き伸ばしはしないでおこう。こいつらは、俺がかつて席を置いていた、角兎ホーンラビットの群れである。



『わ~! ボスだボスだ~!』


『もう足はいいの~?』


『痛くない~?』



 俺の呼びかけにハイテンションのまま駆け寄ってきたのは、まだ毛も生え変わってねぇガキ共だ。

 モッコモコしててどこが前足だかどこが鼻だかわかんねぇくらいの毛玉が、俺と坊っちゃんの周りをぴょんぴょんと飛び回る。

 人間としての感性が生えてきたからこそわかる極限の可愛さが、視覚の暴力となって襲いかかってきているかのような光景だ。



「あわわわわわ……はわ、んあーっ……あ、あ、あーっ」



 坊っちゃんが、あまりの愛くるしさに言語中枢を破壊された。

 こうなってしまっては人間オシマイだ。仕方ないので坊っちゃんは捨て置いて、話を進めることにしよう。



『おうお前ら。俺はもうボスじゃねぇって言っただろう?』


『そ~だったね~』


『じゃあなんて呼ぶ~?』


『そこは好きにしてくんな。それより、今のボスはどこだ?』


『んっとね~、あっち~!』



 チビガキ共が短い角を指す方向に目を向ける。

 視線の先には、茂みをかきわけながらチビガキ共に追いつこうとしていた、一匹の角兎がいた。



『ひい、ひい、相変わらずなんて体力してるんだい、子供ってのは……』


『スケ兄ちゃん! スケ兄ちゃん! お客さん~』


『だ、だから、スケ兄ちゃんじゃないって言ってるだろう? 俺ぁ今はボスだって何回言えば……』



 そこまでチビガキ共と話して、そいつは俺と目が合う。

 黒と白のブチ。無駄にでかい体。糸みてぇに細い目。なんも変わってねぇ。



『よう、久しいな。スケぇ』


『……あ、あ、兄貴ぃ!!』



 こいつの名はスケ。

 かつては俺とボスの地位を取り合ったいけ好かないボンボン息子。しかし今は、俺を兄貴と慕う弟分である。





    ◆  ◆  ◆





『兄貴ぃ、あの人間は、あのままでいいんですかぃ?』


『あのままにしといてやんな。幸せなんならぁよ』



 広場の真ん中に視線を向けながら、俺とスケは横に並び座っている。

 視線の先には、毛玉に囲まれた坊っちゃんがいた。好奇心旺盛なガキ共に乗っかられたり、首筋に鼻を擦り付けられたりしていて、全力で幸せそうな顔をしている。


 今、あの状態から奴らを引き離そうとすれば、俺か坊っちゃんのどちらかが死ぬまで止まらない戦争に発展するのは間違いないと見ていい。そんな展開はゴメンなので、しばらくはあのままでいてもらおうではないか。



『しかし、なんだなぁ。しっかりボスやれてんじゃねぇか』


『い、いや、あっしなんざマダまだでさぁ」


『上に立つ者が謙遜なんてすんじゃねぇよ』



 さっき言った通り、俺はこの群れを率いていたボスだった。

 その地位につくまでの間、何かと俺に突っかかってきたのがこのスケである。

 いや、俺はそんなにボスになる気は無かったんだが……やれ俺のが体がデカイ、やれ俺のが力が強いと自慢されては、張り合いたくなるのが野生ってもんだ。


 体がでかけりゃ小回りで翻弄。力が強けりゃ知恵で圧倒。喧嘩をすれば技術で辛勝。

 そんな事を繰り返している内に、いつの間にか俺は周りからボスの器だとはやされて、スケからも兄貴と呼ばれるようになっちまった。

 だが……



『すまねぇな。突然ボスなんて押し付けちまってよ』


『そ、そりゃあビックリしやしたけどねぇ』



 俺を襲った、トラバサミ事件。一時は死の狭間を彷徨ったが、結果として俺の人生を変えたターニングポイント。

 血がにじみ意識朦朧の中、俺は坊っちゃんにここまで運んでもらい、スケにボスの座を明け渡したって訳だ。当時のスケは、取り乱しながらもなんとかそれを了承し、今まで群れを支えてくれたんだな。



『あん時は、兄貴が死んじまうって思って焦ったけど……俺が代わりに群れをまとめろって、言われたとおりにしないとダメって、ミトに言われたんでさぁ。だから……』


『ミトか……ヘヘ、あいつならそう言うだろうなぁ』



 懐かしい名前が出てきやがった。

 そうか。あいつもまた、群れを支えてくれてたんだな。



『……安心したよ』


『俺だって安心しやしたよぉ! 兄貴が戻ってきてくれたんなら、群れは安泰でさぁ!』


『…………』


『兄貴と、俺とで、また群れを支えていきやしょう! あ、も、もちろん兄貴がボスとしてですがねぇ?』



 スケの言葉に目を伏せる。

 確かに、スケからしてみたらそうだろうな。俺が怪我を完治させて戻ってきたんなら、スケは俺をボスに押し上げようとするのはわかっていた。

 だが、そうじゃねぇんだ。



『すまねぇな、スケぇ』


『はぇ……?』


『俺は、ボスには戻らねぇ』



 俺は今日、群れに戻ってこない事を伝えに来た。……お別れを言いに来たんだ。



『あ、兄貴ぃ……!?』


『俺は、一緒にいるべき相手を見つけたからな。あの人を支えていかにゃならん。この群れには戻れねぇ』



 スケは、俺の視線の先にいる坊っちゃんに目を向ける。

 毛玉に囲まれ、抱き上げ、モフり続ける美少年。興奮冷めやらずに思わず耳をハムハムしている姿は、町民にはとても見せられないものであると言える。

 ……俺をあの時助けた理由が、なんとなくわかったわぁ。



『……そう、ですかぃ。兄貴は、新しい居場所を見つけたんですねぇ』


『そうだ。俺の相棒であり、主人だよ』



 納得してもらおうとは思わねぇ。

 けど、どうしても伝えておきたかったんだよなぁ。これも人間としての感性を取り戻したが故か。

 まぁ、自分勝手な言い分って事だな。



『……わかりやした。兄貴の決めた事でしたら、俺も止めやしやせん。群れの事は、任せてください!』


『悪いなぁ、スケよ』


『ただ、ミトにも挨拶して言ってくだせぇよ! 兄貴の無事を祈ってたんですから!』



 ミト、かぁ。

 確かに、あいつには一度会っておかにゃあなんねぇなぁ。

 俺のやってたことがまだ続いてるんなら、あそこにいるんだが……。



『そうだな……ミトは、まだ「ショクジドコロ」にいるのか?』


『へぇ、そこで準備してやすよ!』


『んじゃあ、ちいとばかし行ってきますかねぇ』



 スケとの挨拶は、あっさりと終わった。

 今までの思い出、そして責任。それはもはや過去のものだ。

 野生の世界に感傷はない。いつ誰が死んだっておかしくない。ドロップアウトを宣言する奴に、かける言葉も止める義務もない。


 こうして見送ってくれるだけでも、俺の周りは恵まれていたんだ。

 それをしっかり胸に収めて、俺は歩く。

 目指すは「ショクジドコロ」。広場から少し離れた、枯れ木のうろに作られた保存食生成所である。



(思えば、俺は日本の知識を無意識に使っていたんだなぁ)



 この名称からしてそうだろう。食事処しょくじどころなんて、まんまじゃないか。

 ここは、木の実を蜜に漬け込んだ、冬用の保存食を作る場所だ。

 普通の木の実を2個持ってくる事で、蜜の実1個と交換して食べる事もできる。まさに食事処って事だな。

 俺はボス時代にこの蜜の実を作って、購入制度を作った訳だが……今も機能しているとは、驚きだ。



(あいつが頑張ってくれてたってことかねぇ)



 枯れ木の入り口に立ち、薄く微笑む。

 中を覗いて見てみれば、一匹の角兎がせっせと実の殻を角で砕いているのが見えた。

 相変わらず、いい女だ。毛並みも、角も、他の雌とは頭一つ違う。



『やってるかい』



 俺がそう声をかけると、そいつは申し訳なさそうに声をあげた。



『すみませんねぇ、今準備してるんですよ。日が沈んだらノレン出しますんで、その時、に……』


『…………よぉ』



 視線と視線が、交差する。

 目の前の女……ミトの瞳が揺れ、一瞬だが時が止まったような感覚を覚えた。



『お前さん……』


『その呼び方はやめろって言ったろ? 今はそんな関係じゃあねぇはずだ』


『っ、い、いきなり戻ってきて、またずいぶんな言い方だねぇ。そんなこたぁわかってますよ。幽霊でも出たと思って動揺しただけさっ』


『相変わらず気ぃの強い女だぜ』



 枯れ木の中は、まるでカウンター席のついた飲み屋のようだ。

 女将であるミトの頑張りもあって、夕方には木の実を持った客がここで蜜の実を食っていくシステムが出来上がってるんだろう。

 客が多ければ多いほど、保存用の木の実が増える。我ながら良い制度を作ったもんだ。

 そんな店の、椅子っぽい石に俺は座る。丁度、ミトと目が合う高さだ。



『久しぶりだな、ミトよ』


『死んでなかったんだねぇ。悪運が強いよホント』


『へっ、言ってくれるじゃねぇか。スケの苦労がわかっちまうなぁ』


『もう、あの人には会ったのかい?』


『あぁ、一言二言話してきたところさ』



 この女、ミトは、かつて俺が愛した女だ。

 水場で出会って一目惚れ、押して引いてのアピールもあって、つがいになった事もあった。

 しかし今は、弟分であるスケの女房。……ボスとしては俺が勝ってたが、男としちゃあ、俺はあいつに負けっぱなしだった訳だな。



『……まぁ、回復祝いさ。一個だけ食っていきな』


『へぇ、奢りかい。粋じゃねぇか』


『馬鹿言うんじゃないよ。これから働いて返してもらうに決まってるじゃないのさ』


『…………』


『群れに戻ってきたんでしょう? しっかりあの子を支えておくれよ』



 出された蜜の実を前足で取り、かぶりつく。

 いろんな場所からかき集めたであろうブレンド蜜。それに漬け込む事で、どんな味の実でも美味しく食えるってもんだ。

 前に俺が食った時よりも洗練された、上品とは言えないもののくどくない甘さが口の中に広がっていく。

 素直に美味い。人里でも売れそうなレベルだな。



『悪いが、よ。それはできねぇんだよな』


『なんだって?』


『俺ぁ、群れには戻らねぇ。あん時の坊っちゃんについていく事にしたのさ……今日は、お別れを言いに来たんだよ』


『……そうかい』



 思えば、コイツともすれ違ってばかりだったな。

 ミトを守る為にやる気を出したボスとしての仕事が、結果的にコイツとの時間を無くしちまった。

 寂しがるミトに気づいてやれず、何もしてやれず……それを支えてくれたのが、スケの奴だったんだ。

 ミトが心変わりをするのも無理はねぇ。俺は、雄として最低の事をしていたんだから。



『……もう、決めたことなんだね?』


『……あぁ』


『あの子……スケには、アンタ程のカリスマはないんだけどねぇ。アンタが戻ってきて、あの子を支えてくれたら……』


『そんな事ぁねぇよ。スケは1人でやれるさ』


『はぁ、その様子だと、やっぱり話してないんだねぇ』


『あん?』


『あのね……』



 そこから聞いた話しは、なんとも言えねぇものだった。

 この群れの近くで、大口蛇っつうデカイ蛇が目撃されているらしい。人間にとっては魔物でもないただの動物、さほど強くない相手。

 だが、俺ら角兎にとっては食われかねない天敵だ。

 スケは、この問題があったから子どもたちと一緒にいたんだな。いざという時、守れるように。



『アンタがいれば、知恵を出してくれるのにって、あの子は言ってたんだけどねぇ』


『……俺がいたとしても、大口蛇は対処なんざしきれねぇよ』



 そう、俺に大口蛇をどうにかしてやれる力はない。群れに戻っても、どうしようもない。



『そうかい、まぁ、そうだろうねぇ。仕方ないか』



 あっさりとしたもんだ。

 コイツらも、野生の掟ってのはわかってる。結果として群れが全滅しても、それで俺を恨むことはないだろう。

 ……そう、俺は決めたのだ。坊っちゃんについていくと。この群れとは、なんの関係もないのである。



「カク~? どこ~?」


『………』


『今のは、例のお坊ちゃんだね』


『あぁ』


『……お呼びだねぇ』



 遠くから聞こえる、坊っちゃんの声。

 どうやら、堪能し終えたようである。



『……また、来ておくれよ?』


『……合わせる顔がねぇよ』


『そんなことないさ』



 実を頬張り、立ち上がる。これ以上喋ったら、罪悪感でどうにかなりそうだった。

 軽く前足を振り、店を出ていく。

 視線は、背中でずっと感じていた。



「あ、こんな所にいたんだね」


「フスッ」



 坊っちゃんの足元に来て、鼻を鳴らす。チビガキ共の毛が付着した状態で、大変満足した様子だ。

 ゆっくりと抱き上げられ、そのまま坊っちゃんの頭に移動する。



「挨拶、済んだ?」


『ん、あぁ』


「ん、じゃあ帰ろうか」



 森を出るために歩き出す。

 このまま進んでいけば、もうあの群れには戻れない。その事に、後悔はない。

 元より、人間としての記憶が、感性が……楽をしようとするのだ。こんな気持では、野生になんて戻れる訳がない。

 だから、これでいい。



『……なぁ、坊っちゃんよ』


「ん?」



 そう、だから……





    ◆  ◆  ◆





『お~い、ミトちゃん!』


『なんだいお前さん』


『聞いてくれよ! 大口蛇が、人間に討伐されたんだってさ!』


『へぇ?』


『人間の縄張りに入り込んで、危険視されて猟師にやられたらしいんだ。これでようやく安心できらぁっ』


『ふふ、そうだねぇ』


『嬉しそうだなぁ、やっぱり一番に伝えてよかった!』


『……ほら、子どもたちにも伝えてきな。他の大人たちにもさっ』


『あぁ! 行ってくらぁ!』


『……ふふ……ホント、あの人は素直じゃないねぇ』

 

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