第38話 彼氏と友達

 新学期が始まって1週間ほど経った日曜日のこと。

 石上は部活のバスケが忙しく、詩は来週に最後のピアノコンクールを控え、和音二人になかなかゆっくりと会えない日を過ごしていた。外はまだまだ夏の名残りでもうしばらくは暑い日が続くようだ。

 父は仕事場の人たちとゴルフに出掛けて夕方まで帰ってこないはずだ。和音は暑すぎて外に出る気も起きず、母と二人で家にいた日のことだった。


 玄関のインターホンが鳴ったのは10時ごろだっただろう。母がパタパタと玄関に行き小さな荷物を持って帰ってきた。

「和音、小包が来てたけど受け取ってよかったかな?」

「知らないよ? どこから来たの?」

「えっとねえ、『ピーター&ウェンディ』って知ってる? ……東京の銀座のお店見たいね。そんなとこで何を買ったのよ」

 母が訝しげに荷物に貼られた伝票を眺めていた。

 ピーター&ウェンディって——

「ああ、確か銀座のお店の名前だ。夏休みに友達と行ったんだよ」

「銀座って、そんなとこまで行ったの? じゃあ、そこで買ったもの?」

「違うよ。何も買ってないよ。友達の付き添いだもん」

「じゃあ、怪しいところからの荷物じゃないのね?」

 おそらく「送りつけ詐欺」のような怪しい小包と思っていたらしい。確かに和音が買い物に行くようなところではないので当然か。

「銀座でも古くからあるお店だって言ってたから、大丈夫じゃないかな。それ、貸して」

 和音は母から荷物を受け取った。30センチ四方ぐらいであまり厚みはない。包装紙を止めてあるテープをそっと爪で剥がしながら、貼り付けている伝票をもう一度読むと、お店の名前の最後に「担当;大鳥」と記載してあった。

「あっ、大鳥さんからだ」

 思わずボソッと声を出した。

「知ってる人?」

 母が覗き込んだ。

「ああ、うん。お店の人だよ」

「何それ、行きつけっぽい言い方ねえ。いつから銀座なんかにそんな店を持ってんのよ」

「違うよ。この間、一回行っただけだよ」

 包装紙を外すと、ピンクの花柄をあしらった可愛らしい紙の箱だ。その箱の蓋を両手で開けた。

 中はさらに薄い紙に包んだ本のようなものが入っていて、その上に手紙が置いてあった。

 手紙は達筆の手書きだった。母が隣から覗き込んできたので、一緒に読んでみる。


「上杉 音 様」

 最初に母が声に出して読んで、和音の顔をみた。荷物の宛名は和音宛だったが、この手紙は「音」宛となっている。


 先日は当店へお越しいただき誠にありがとうございました。撮影させていただいたお写真が仕上がりましたので送らせていただきます。

 西園寺様にお許しいただき、同じお写真を数点、当店のウィンドウと併せて当店ホームページにおいても使用させていただいております。ご機会がございましたら、ぜひまた当店までお立ち寄りください。

 これからも、どうか長いお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。


 最後は「敬具 大鳥拝」と墨で書かれていた。

 和音と母は思わず顔を見合わせた。

「お写真って、あなた銀座で何をしてきたの」

 母の質問には答えず、和音は包んでいた薄い紙を開いた。真っ白い表紙の豪華な装丁のアルバムと思しきものが入っている。

 箱からそれを取り出して、そっと表紙を開いてみる。最初のページには先日試着したウェディングドレス姿の和音の写真があった。白い手袋と手にはブーケを持っている。

 母がポカンと口を開けたまま言葉を失ったみたいだった。そして今度は母が手を伸ばして次のページを捲ると和音と詩の二人で並んだ写真だった。和音より背の高い詩の左肘に和音が右手をそっと添えている。

「和音、あなたいつの間にこんな——」

「友達に誘われたんだよ」

「誘われたって……こんな豪華なウェディングドレス、レンタルするだけでもすごく高いものじゃないの? レンタル料って、い、いくらしたの」

 母の声が震えた。あとで請求書でもくることを心配しているみたいだ。

「そんなのタダに決まってるでしょ。友達の家の馴染みの店なんだよ。僕のモデル料込み込みだよ」

 はーっと母が止めていた息を吐いた。

「友達って、この隣の女の子? どこの誰なの、この子」

「西園寺詩ちゃんっていって、同じクラスの子だよ。なんか、家は大きな会社をやってるんだってさ」

「西園寺——確か、うちの大家さんも西園寺さんじゃなかったっけ」

 母が遠い目で何かを思い出そうとしていた。

「ああ、そうそう。このマンションはその子の家のものだって言ってた」

 あっさりと和音が言うと、母が驚いて床にひっくり返ったのだった。


「じゃあ、最近よく友達の家に行くっていってたの、この子の家なの?」

「うん、そうそう」

「じゃあもしかして、この間モールで着てた聖華学園の制服は、この子とシェアしてるの?」

「うん、そうだよ。まあ、詩ちゃんは背が高くなって服のサイズが小さくなったから、今はもう僕専用だけどね」

 母は何かやっと納得した感じだった。母なりに、あの制服はどうしたのか気にしていたらしい。

「じゃあ、この子が和音のお友達で、石上君が——彼氏君ってことでいいの?」

 今度は和音がひっくり返る番だった。母は、石上と出かけるとき和音が女の子の姿で腕を組んでたのを見て、そう思ったのだという。

 こんなおおらかな母でよかった。面白いので、もうしばらく石上とのことは誤解させたままでいようと思った。


 そのあと、二人でピーター&ウェンディのホームページを見た。なんとトップページに和音のウェディングドレスと詩のドレスが貼り付けてあり、特に和音の着たウェディングドレスが1千万を軽く超えていることに、親子でひっくり返った。

 実物を見たい母が言い出し、急いで銀座まで二人で向かうことになった。

 大鳥さんが満面の笑顔で出迎えてくれた日曜日の昼下がりの話だ。

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