第31話 君のバッシュ

 和音の家へ向かう石上の背中を見送りながら、詩は今日のバスケの試合のことを思い出していた。

 床に軋むシューズの音、ドリブルの音、ぶつかり合う体と体育館に響く歓声が詩の頭の中でまだ鳴り止まない。

 そうだ、これを学園祭でやる「しおん」の一曲にしたい。

 急いで部屋に戻りピアノの前に座った。そして耳に残る音のひとつひとつを、ピアノの鍵盤を弾きながら、少しずつメロディに仕上げていった。

 

 よし、できた——

 歌詞がまだ完全ではないが、自分としてはよくできた曲になったと思う。

 壁の時計をみると、思っていたよりもすでに結構な夜中だったが、とりあえずトークアプリへピアノの動画を添付して歌詞を添える。トークのタイトルは「君のバッシュ(仮)」、もちろんバッシュはバスケットシューズの略。

 音ちゃんは寝たかな。送ったら起こしちゃうかな。

 そんなことをチラッと思いながら、だけど、いても立ってもいられずに和音へ向けて「送信」を押した。

 だって最初に聞いてもらいたいのは音ちゃん、やっぱり君なんだ。


 コートの匂いと 赤いユニフォーム

 君の背中に 彼女の祈りが届いたら

 高く弾んで 君の白いバッシュ


 最初のサビは、そんな歌詞だ。


 詩がシャワーを浴びて出てくると、和音から返信が来ていた。もう感想を送ってきたのとワクワクしながらトークを開いた。


 石上君の次の試合、あさっての11時から。一緒にまた行かない?


 和音は全然、さっき送った曲には触れていない。少し拍子抜けしてしまった。

 もう、どういうことよ! 気に入らないならそう言って!

 カチンときて、夜中にもかかわらずトークの通話ボタンを押すと、すぐに和音が出た。

「あのさあ、試合がどうとかのその前に、送った曲はどうだったかぐらい——」

 怒りに任せて文句をいう詩の耳に、和音の囁くような声で聞こえて来たのは間違いなく「君のバッシュ」だった。詩はじっと耳を凝らした。


「僕のファーストテイク、どう? みんな寝てるから大きな声じゃ歌えないけど」

 マイクの前で歌う和音と白い壁のファーストテイクがふっと目に浮かぶ。

「もう覚えてくれたんだ……」

「うん。これってば、石上君の歌でしょ? 僕はすごく好きだよ、この曲。詩ちゃんは天才だと思う」

 やばい。そんなの不意打ちされたら泣きそうじゃん。でもさ。

「違うよ。これは音ちゃんとさんちゃんの恋のメロディよ」

 どうよ。驚いた?

「じゃあ、彼女の祈りが届いたらの彼女って、僕ってこと?」

「うん。今日の音ちゃんが指を組んで祈ってる横顔がすっごい可愛かったんだよね。これは絶対に歌詞にしなきゃって」

 これは本心。

「可愛いいって言われたの今日、2回目」

 電話の向こうで和音がクスリと笑っている。

「えええっ、だ、誰から?」

 はっ? 気が動転する詩に和音が、

「石上君に決まってるじゃん。夕方ね、コンビニの前で。僕は聖華の制服が似合って可愛いって、いきなりそんなこと言ってくるんだもん」

 はっ? だからさんちゃん、あれは冗談だって!

「そ、それで? 音ちゃんはなんて言ったの?」

 平気なフリして、実はドキドキしてた。

「じゃあ、次の試合はもっと可愛くしていくねって約束したよ。で、石上君は何色のリップが好きって聞いたら、夢ランドに行った時のピンクが好きって。だからあさっては詩ちゃんからもらったピンクのリップで行くんだ」

 音ちゃんの声が弾んでいた。

 想定外。冗談から駒、いや、それはひょうたん——

「私も行くから。絶対あさっては私も行くから」

 阻止せねば。ここは体を張ってでも。

「でさ、詩ちゃん。『君のバッシュ』かっこ仮のBメロの歌詞は?」

「まーだ。次の試合を見たら何か浮かぶかも」

「早くフルコーラスで歌いたいからね。楽しみにしてるね」

 私はさんちゃんと君の方が気になる。全然楽しみじゃない。


 ⌘


 試合終了のブザーが鳴った。

 ゴールの下で、一回俯いた石上は唇をかみしめてバスケットを見上げ、ポンと投げたボールはゴールから横に跳ねてコートを転がった。

 音ちゃんは観客席の一番前で静かに涙を流してて。

 私は——あんなに肩を落としたさんちゃんを初めて見た。


「惜しかったね」

 和音が詩にそれだけ言った。まだその視線の先で石上がタオルを頭からかぶってベンチに座っていた。

「きっと、来年はもっと活躍するからさ」

 詩が言うと、「でも」と音が小さな声でいう。

「3年生には今回が最後だから。石上君はいつも全力だから、今はたぶんそれがとても悔しい」

 だって優しい人だから。和音はそう付け加えた。

 

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