1話 帰省


 夜行バスの中での目覚めは最悪だった。固い椅子によって痛めつけられた全身が悲鳴を上げ、眠りも浅かったのか頭がぐらぐらする。


 窓の外に目をやると、空がうっすらと青みがかっている。時計はもうすぐ朝の五時になろうかという時間を指していた。


 朝と夜の間の山間をぼんやりと眺めながら、この前の飲み会での事を思い出す。真治はなぜ僕らを別荘に誘ったのか。その理由を尋ねても、彼は思いで作りとしか言わなかった。


 あの真治の口から「思いで作り」なんて言葉が出た事に、一周回って薄気味悪い物を感じてしまったが、おそらく本心から出た言葉ではないだろう。


 そもそも、本当に思いで作りが目的なら、帰省を避けたスケジューリングをすればいいはずだ。わざわざ帰省に合わせて旅行に誘うなど、まるで僕たちを実家に行かせたくないみたいじゃないか。


 やがて、山肌ばかりだった景色が突然開けて、広々とした盆地の景色が窓に映る。ここが僕の育った故郷の国蒔くにまき市だ。


 国蒔市は××県の南西に位置する、人口約一万人程度の都市だ。決して大都市とは言えないが、地方の町にしては賑わっている方だろう。


 かつては小さな村だったが、黒士電気が土地を格安で買い叩き、工場を乱立させたことで地方都市と呼べる規模にまで成長した。今こうして走っている高速道路も、国蒔市で製造した電子機器を輸送するために、多額の賄賂を国に贈って引かせたという噂だ。


 この黒士電気とは、昭和の産業革命を躍進させた大企業の一つだ。グループ内の総従業員は最も多い時期で十万人を超えており、僕のお父さんたちの世代では、黒士に就職できれば一生安泰だと言われていたらしい。


 もっとも、今では不況の煽りを受けかつての栄光は見る影もない。株価は暴落し、従業員数も随分減らされた。更に、中国やインドなどの単価の安い国に多くの工場を移設させたため、当時建てられた工場のほとんどは廃墟同然で放置されている。今でも町で稼働しているのは、半導体や電子回路の印刷など、小型の精密機器の製造がメインだとお父さんが言っていたような気がする。


 国蒔市に工場を立てる事については、三家を中心とした町の住人から強い反発があったらしい。けれども、結果として多額の金で町全体が潤う事で、反発は次第になりを潜めていった。もしかすると、黒士電気が三家に金を握らせたのかもしれない。


 ここ数十年で怒濤の変化を遂げた田舎町。僕たちの故郷を一言で表すなら、そんな所だろうか。


 バスが国蒔インターを降りて下道へと入る。高架橋の下の暗がりに、何人か子供と思われる人影を見つけ、ため息をつく。きっと夜通し遊び歩いた悪ガキ達だろう。いつから国蒔はこんなに治安が悪くなったのか。


 朝焼けに包まれながらバスは下道を走る。見慣れた風景に、ああ帰ってきたのだという実感が湧く。


 しかし、お正月に帰ってきた時からの変化も見て取れた。建物を取り壊している最中と思われる工事現場や見慣れない看板のテナント。以前、そこには別のお店があったはずだが、それが何だったかを思い出すことができない。


 何か大きなうねりの中で、自分の知らぬうちに変化していく故郷の姿に、どこかのも悲しさを感じる。半年でこれなのだから、もしも何年も帰ってこなければ、かつての面影を残さぬほどの変化が起こってやしないだろうか。


 ふと真治の事を思い出す。今の彼ならば、もはや家に帰る道すら分からないのかもしれない。もしかすると、彼は家に帰りたくないのではなく、家に帰る術が無いのではないだろうか。


 取り留めのない思考を巡らしていると、バスは目的地の国蒔駅へと到着した。在来線への乗り換え駅として、市の中心にあるこの駅周辺は比較的栄えており、ゲームセンターやカラオケボックス、居酒屋など市内の若者の唯一集まるエリアでもある。


 だが、流石に日の出の時間には営業している店はなく、今は人の姿がほとんど見当たらない。この夜行バスの利用者を迎えに来ているのだろうか、ロータリーには乗用車がぽつぽつと停まっているぐらいだ。


 そんな乗用車の中に見知ったナンバーを見つけ、心の中で「あっ」と声を上げる。


 バスが停車すると同時に、運転手のアナウンスを聞き流してバスを降りる。添乗員から預けた荷物を受け取って、見慣れた乗用車に駆け寄る。


「よっ! 長旅お疲れさん」


 運転席に座る父親が、タバコを片手に手を振る。


「別に迎え来て貰わなくても良かったのに。今日も仕事あるんでしょ?」


「朝活ってやつだよ。会社の若い連中に自慢できるネタが欲しくてさ。ほら、乗った乗った!」


 僕はバッグドアを開いて中に荷物を入れ、勢いよく閉める。そのまま助手席へと乗り込む。


 父はこの町の入植者である黒士電気の部長をしている。どんな部署なのかは分からないし、まだ学生の身分である僕にはその地位がいまいちピンとこないのだが、ドラマなどに登場する部長は総じて偉そうなので、きっと父も会社では偉いのだろう。


 ハザードを解除して車は自宅方面に走り出す。


「どうよ、大学は?」


「んー、ぼちぼちかな」


「そろそろ就活始めた方が良いんじゃねえのか? インターンとか選考に関係ないとか表では言ってるが、実際はやっぱり名前控えてるって人事の奴が言ってたぞ?」


「大丈夫だよ。インターンには行かないけど、就職課のガイダンスや模擬面接はやってるし。年明けぐらいからスタートダッシュ決めるからさ」


 当たり障りのない会話で場を持たせつつ、流れゆく町の風景を眺める。新しい建物、取り壊された建物。懐かしさと共に言いようのない違和感を覚える。何かが変わってしまった故郷は、それでも僕の帰る場所であって。


 路上に芽吹き実を付ける鬼灯や交差点に添えられた花束横目に、僕は着々と実家との距離を詰めていく。


 突然、耳障りなクラクションの音と共に急ブレーキがかかる。何事かと前を見ると、車道の真ん中で、小学生ぐらい子供が呆然と立ち尽くしていた。


「おい、危ねえだろうが!!」


 父がサイドガラスから身を乗り出して怒鳴りつける。子供はこちらの車に気付くと、けらけら笑いを上げながら歩道を横切り、建物と建物の間に生まれた路地へと駆けていった。


「ったく、どんな教育受けてやがんだ。最近のガキはどいつもこいつも……」


「最近の子供も皆が皆じゃないと思うけど」


 僕はあまり主語を大きくして、十把一絡げに物事を判断するのが嫌いだった。父の悪態が咄嗟の物言いと思いつつも、反射的に反論してしまう。


 しかし、それからも父はブツブツと文句を垂れ始める。教育機関がどうだとか、少子高齢化が何だとか、挙句の果てには政治がどうのと言い始めて、僕はその話をまともに聞く事をやめた。


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