プロローグー1 テスト終わりの新宿某所にて


「よう、真治。先始めてても良かったのに」


「ふん。時間通り来たのは英司えいじだけか」


 新宿駅西口から歩いて五分も掛からない居酒屋で、既に席について居た指原真治さしはらしんじの向かいに座る。二階の窓側で半個室タイプのテーブルには、まだ酒も料理も運ばれてきておらず、二本の吸い殻がもみ消された灰皿だけが乗っていた。


「まあ、そう言うなよ。健太けんたはバイトが長引いてるらしいし、美麻みまちゃんも遅れるって連絡あったろ」


 僕は信治を窘めつつ席に座る。彼は根はよい人間なのだが、どうにも性格に難があり、周囲からは敬遠されがちだ。


「そう人のいう事を鵜呑みにするな。健太の奴はもともと時間にルーズだし、美麻はどうせ男でもできたんだろ?」


 真治は腕を組みながら三本目の煙草に火をつける。昔から血色が悪く、表情に乏しく、いつも死んだ目をしている真治には、煙草なんて不健康なものはやめて頂きたいというのが幼馴染である僕の率直な気持ちだった。


「どうして真治はそう捻くれた見方をするかなぁ。まあ、健太の事は同意するけど、美麻ちゃんが男と会うのなら、この集まりの後にするんじゃない?」


 正直なところ、美麻に彼氏がいるとは思えないのだが、適当に話を合わせる。彼女は美人ではあるのだが、不思議と他人を寄せ付けない独特な雰囲気を持っていた。地元でも昔馴染みの面々以外と話している所を見た事が無い。


 真治は「それもそうか」と相槌を打って、店員の呼び出しボタンを押す。遅れて来る連中は置いて先に始めてしまおうという事だろう。


 僕は酎ハイ、真治はハイボールを注文し、ついでに軽い食事も頼んでおく。


「期末テストどうだった?」


「余裕」


 そう答えられる辺り、真治の性格は昔から変わらないと思う。例え本当に余裕だったとしても、中々そんな言葉は言えないものだ。何より、真治の通う大学の偏差値を考えれば、それは簡単な事ではない。やはり真治は一種の天才なのだろう。


「英司はどうなのさ」


「うーん……まあ、初めから諦めてた単位以外は取れたかな?」


「ふん。せっかく高い金払って大学に行ってるんだ。履修した科目の単位ぐらい全部取っとけよ?」


「いやいや、正論だけどそれが出来るのは一種の才能だよ。……真治って大学の友達にも、そんな偉そうな態度なの? 僕らなら付き合い長いから流せるけど、人によっては嫌な思いをさせてるんじゃない?」


「安心しろ。大学に友達は居ないから、不快な思いをする奴はお前らだけだ」


 僕は思わず苦笑してしまう。自分の態度が相手を不快にさせている自覚があるというのは意外な話だ。


 頼んだ飲み物と料理が運ばれてくる。本来は〆に用意されているお茶漬けや焼おにぎりを先に食べるのが、僕達の飲み方だった。


「また健太には笑われるんだろうね。お酒の飲み慣れてない飲み方だって」


「先に胃に物を入れておくことで、酔いにくくなるって言ってんだけどな。あいつも弱いんだから、見習えばいいのにさ」


 噂をすれば何とやら。金髪に派手なピアスのアホ面な男が席に近付いてくる。健太だ。


「ういっす。せっかくの打ち上げだってのに、遅れちったよ。なに、また先に〆食ってんのかよ」


 挨拶も早々にドスンと僕の隣に座る。


「バイトお疲れ。ライブハウス関係?」


「いや、単発の倉庫バイト。肩が痛てえよ」


 そう言って健太は肩を回す。彼は僕や真治と同じ上京組だが、大学には通わずフリーターをしている。上京の目的は音楽でビッグになる事だそうだが、実績も技術も伴わない健太は様々なバンドに所属しては脱退を繰り返しており、もはや音楽活動よりもアルバイトの時間の方が長いのではないだろうか。


 唐揚げを運んできた店員に、追加の酒を注文する。


「何にする?」


「んー、焼酎ロック。ダブルで」


「……酒弱いんだからやめとけばいいのに」


 僕の制しは意味をなさず、ほどなくして陶器のグラスになみなみと注がれた無色の酒が運ばれてくる。


 三人でグラスをぶつけ合う。健太の参戦により、ようやく僕は真治の小言から解放される。


「ふん。時間の切り売りで金を稼いでも効率悪いだけだろ。音楽って目的で東京に来たんなら、もっとやるべき事があるんじゃねえのか?」


「ああ? 貧すれば窮するって言うだろ。芸術は人生を楽しんだ分だけ良くなってくんだぜ。その為には先立つものも必要だろ」


「それなら困窮のまま人生を終えた著名な絵画氏の芸術は劣ってるのか?」


「うるせえな、知らねぇよ。酒飲んでるときぐらい、面白い事言えねえのかよ」


 真治の小言をうるせえで終わらせる事のできる健太は、素直に尊敬できた。この二人は犬猿の仲の様に見えるが、本当に仲が悪ければわざわざ定期的に飲んだりしない訳で、実は二人ともこんな掛け合いを楽しんでいるのかもしれない。


「それで、俺たちはテストの打ち上げだけど、お前は何か打ち上がること有るのか?」


 真治の言葉に健太は待ってましたと言わんばかりの笑顔で答える。


「ふっふっふ。聞いて驚け!」


「……見て笑え?」


「変なちゃちゃを入れるな」


 真治に怒られて、僕は小さく「ごめん」と呟く。その間に、気にした様子のない健太は画面の隅が割れたスマホを取り出して、動画サイトのページを表示させる。


「じゃーん! 自作の曲を投稿してみました! やっぱ時代はバンドよりDTMだよな!」


 画面には、どこかのフリー素材のサイトから引っ張ってきたと思われる、都会の風景を空から撮影した写真が表情されている。


 投稿の日付は昨日の夜。再生数は三桁にも届いていないらしい。


「……音楽なんだから、音出せよ」


「おお、悪い」


 公共の場で勝手に音楽を流すことには抵抗があったが、半個室の居酒屋だしまあ良いかと思い直す。


「へえー。凄いじゃん」


 僕は素直な感想を述べる。ドラムの主張が強すぎて、少し浮いている様な気はするが、全体としては音楽として成立している。ボーカルは健太自身の声だが、やはり音楽好きなだけのことはあり、聞き応えのある歌唱だ。


「歌詞も自分で書いたのか?」


「いや、それは前に同じバンドだった女の子に頼んだ」


「お前にしては賢明な判断だな」


「どういう意味だよ!」


 歌詞が気に入ったと真治は言いたいのだろう。口の足らないやつだ。


 僕の携帯端末がポケットの中で震える。取り出して通知の欄を確認すると、二通のメールが着信していた。


 一つは美麻からで、もうすぐ到着するとの事。


 彼女は流行や世間からあえて取り残されようとしている節があり、未だに中学生時代に買って貰ったガラケーを使用していた。


 故に、メッセージのやり取りが行えるSNSアプリを使えず、連絡を取り合う術は前時代的なメールしか持ち合わせていなかった。厳密にはガラケーからでもSNSは使用できるのだが、電子機器に弱い彼女はそんな器用な真似ができないらしい。きっと、無理してSNSをやる必要も無いのだろう。


 そして、もう一つのメールは迷惑メールだろうか。文字化けして、内容を把握する事ができない。リンクを踏ませて誘導する詐欺かと思ったが、肝心のリンクがどこにも見あたらず困惑する。


「どうした?」


 真治が僕を見て言う。そんなに困った表情を浮かべていただろうか?


「いや、昼過ぎに変な迷惑メールが来てて……しゃなくて、美麻ちゃんもうすぐ着くってさ。下に着いたら迎え行ってくるね」


 そう言って返信をしたため、送信する。


「なあ、前々から気になってたんだが、お前は美麻の事を狙ってるのか?」


 やや間をおいて、真治が妙なことを言い出す。一瞬何の話かと思ったが、言葉の意味を理解して、慌てて首を振る。


「そうか。なら良いけど、もしも幼なじみ以上の関係を求めるなら止めておけよ。俺が言うのも変な話だが、あの女はヤバい」


「ヤバいって何が?」


「山に……いや、迷信みたいなものだから気にしないでくれ。ただ、何かあってからじゃ遅いからな」


「なーに訳の分からない事を言ってんだよ。正直に、自分が狙ってるから手を出さないでくれって言えよ」


 健太がちゃちゃを入れて、真治が苦笑する。僕ならば必死で否定するであろう冗談を、軽く流せる心の余裕を羨ましく思う。


「そう言えば美麻ちゃんで山といえば、昔はよく山の人の話してたよね。山のおばさんがどうとか……」


「そうだっけ?」


「……何の話だ?」


 二人は首を傾げる。覚えていないのだろうか?


「ほら、あの廃墟の地下に行ったときにもさ……」


「おい」


 真治が僕を睨み、言葉を制しする。お調子者の健太も不安そうな顔で黙り、彼の携帯から流れる自作の曲だけが、妙な空気の中で空しく流れる。


「ごめん」


「気を付けろよ。どこで誰が聞いてるか分からないんだからな」


 間の悪い事に、女の子が笑いながら僕たちの席の側を通っていく。こんな居酒屋にあんな小さな子供を連れてくる親の神経が理解できないのは、僕の育ちの問題だろうか。


 僕ら三人は首をすくめる。僕らは過去、ある体験を共有した事で子供に関する恐怖心を抱いていた。


「……行ったか?」


「な、なにビビってんだよ。今更になって、何かあるわけじゃあるまいし」


 僕の携帯が震える。


「……着いたって。迎え行ってくるね」


 

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