第十六話

 イーダフェルトがローゼルディア王国へ派兵を始めて六ヶ月。

 まだ夜の明けきらぬ頃、ルディリア方面軍が総司令部を置くルドルフォア空軍基地の臨時作戦室はこれまでにない緊張感に包まれていた。

 方面軍に属する各軍の司令官と幕僚たちも出てもない額の汗をしきりに拭い、用意された冷水を立て続けに呷りどこか落ち着かない様子だった。


『攻撃隊全機、ルドルフォア基地を発進』

『第501爆撃飛行隊、本土アルスヴィズ基地を発進。ETAに変更なし』

『第一空母打撃群、戦闘攻撃飛行隊の発艦を開始』


 オペレーターたちの報告が響く室内で、瞑目する方面軍総司令官エリシャ・アトウェル陸軍大将が目を開けたそのとき――

 彼女の目の前に置かれた統合参謀本部直通の電話機のベルが鳴った。

 室内に詰める全員の視線を一身に浴びたファニングは一呼吸おいて受話器を手に取ると、落ち着いた口調で電話口の相手と話し始める。


「――承知いたしました。ルディリア方面軍は現地時間〇三〇〇をもって行動を開始します」


 受話器を戻したアトウェルは、固唾を飲んで見守っていた各軍司令官や幕僚たちに向き直った。


「総帥閣下からアッシュフォード議長に『フィンブルの冬』発動が下命された。計画の変更はなしだ」


 そう言った瞬間、室内は俄かに騒がしさが増した。


『作戦発動まで十秒前……〇三〇〇今ッ!』

「全隊に達する。王国開放作戦『フィンブルの冬』を発動する。各隊は行動を開始せよ」


 アトウェルが命じると、コンソールに向かうオペレーターたちはそれぞれが受け持つ部隊に作戦発動の暗号コードを伝達する。


「クレイグ中将、攻撃隊で一番最初に攻撃を始めるのはどの隊だったか」

「航空基地「アルファ」に向かっている隊になります」


 尋ねられた方面軍空軍司令官ジェフ・クレイグ空軍中将は、スクリーンに映る航空機を示す輝点の小集団をレーザーポインターで指しながら答える。


「欲を言うなら、どの隊も被害を受けることなく作戦を成功させてもらいたいが……」

「帝国軍にレーダー等を用いた警戒監視網はなく、目標の航空基地には戦闘機を始めとする直掩部隊や拠点防空のための対空火器も存在しません。攻撃は余程のことがない限り、被害を受けることなく成功すると見ていいでしょう」

「そうか……」


 スクリーン上で動く輝点を無言で見つめるアトウェルは、内心で不安や懸念を抱きながら攻撃隊からの作戦成功の報を待つのだった。


   *      *


『シェーファーより攻撃隊全機へ通達。『聖杯を掲げよ』――』


 目標「アルファ」と名づけられた帝国軍航空基地を目指し飛ぶ第503戦闘飛行隊隊長のヴィン・エガート中佐は、操縦するF-15EXイーグルⅡのコックピットで命令を聞くと背後にいる部下たちを見遣る。

 編隊を組みエガート機に追随するのは、彼の操る機体と同じF-15EX十九機。


「全機、我々の仕事は光栄にも敵航空拠点への一番槍だ。遠慮せず思い切り暴れてやれ」

『『『はっ!』』』


 緊張の色が混じってはいるが、威勢のいい部下たちの返事にエガートも思わず笑みを浮かべる。

 正面に向き直り少し上空に視線を移すと、対地装備のエガートたちとは異なり空対空装備を搭載した直掩のF-15CXの一個小隊が万が一の場合に備えていた。


「さて、後は帝国軍がじっとしてくれていればいいが……」


 エガートたち攻撃隊のF-15EXには六発のAGM-65Hマーベリックが搭載されており、航空基地の各施設や停泊する航空艦を地上で撃破することになっていた。


『――敵基地上空まであと三十マイル』


 不意にフライトヘルメットから抑揚の乏しい女性の声が流れる。

 それは大陸東部上空を飛行する「シェーパー」ことE-767AWACSに乗り、空中警戒管制を担当する機上管制官の声だった。


「シェーパー、こちらシェパード1。目標『アルファ』に動きがあるか知りたい」

『シェパード1、目標『アルファ』に依然動きは――』


 そこまで言いかけた次の瞬間、管制官の声音が緊迫したものへと変わる。


『――警告。目標『アルファ』より不明機四機が発進。方位0-2-1。高度五千メートル』

「シェーパー、不明機は我々に対する迎撃と考えていいか」

『詳細は不明。ですが、不明機の動きを見る限り、迎撃のものとは考えらません』

「……了解。不明機は6小隊に対処させる」

『6小隊了解。不明機に対処する。小隊、我に続け』


 指示を受けた直掩を務める第六小隊が増速し、AWACSの指示のもと不明機迎撃に向かう。

 編隊を離れて五分もしないうちに第六小隊からレーダーに敵機を捉えた報告が入り、続けて戦闘を開始する声が流れる。


『シェパード20、一機撃墜』

『シェパード23、敵機の撃墜を確認ッ!』

『シェパード24、二機撃墜を確認』

『当該空域に脅威なし。目標『アルファ』にも新たな動きは見られません』


 シェーパーからの報告に、エガートは意を決した。


「――散開。各小隊は戦闘位置につけ」


 命令一下、編隊を組んでいた二十機のF-15EXは四機ごとに分かれ事前に定めた北側と東側の攻撃位置へ入る。


『目標捕捉……発射ッ!』


 エガートたち北側から攻撃を行う小隊が攻撃位置につくのと同時、すでに攻撃態勢に入っていた第三小隊からマーベリックが発射された。

 後を追うように同じく北側から攻撃する第五小隊からもマーベリックが発射され、離着陸場に停泊していた戦闘型航空艦や輸送型航空艦に命中し炎と黒煙が上がる。


「我々も始めるぞ。中尉、用意はいいか」

『はい。目標捕捉しました』

「――発射ッ!」


 後席に座る兵装システム士官のコネリー中尉の言葉を受け、エガートは発射ボタンを押した。

 放たれたマーベリックは離着陸場に隣接するように建てられた格納庫の壁を突き破ると、そのまま中にいた航空艦に命中した。


『シェパード8、発射ッ!』

『シェパード12、目標を破壊ッ!』


 部下たちも次々とマーヴェリックを発射し、航空基地は瞬く間に炎と黒煙に包まれる。

 ほんの数分前まで多数の航空艦が停泊していた離発着場はスクラップ置き場と化し、格納庫など真新しい施設が建ち並んでいたエリアは瓦礫の山に変わり果てた。


「攻撃を終えた小隊は集合せよ」


 エガートが命じると、全てのマーヴェリックを撃ち尽くした小隊が集まり再び編隊を組み直す。


「各小隊長は被害を報告せよ」

『二小隊、被害なし』

『三小隊、損害ありません』

『四小隊、同じく損害ありません』

『五小隊、被害ありません』


 敵に対空火器が存在しないということは事前のブリーフィングで伝えられていたが、やはり一機も欠けることなく攻撃が成功したことにエガートは安堵の息を吐く。


『シェパード隊、無人偵察機より戦果を確認しました。ご苦労様でした」

「シェーパー、戦果を知りたい。あと、ほかの攻撃隊の状況も……」

『「アルファ」に存在する主要な目標は全て完全破壊したことを確認。ほかの攻撃隊も攻撃に成功し、戦果を上げつつあります。シェパード隊の周辺に脅威は存在しません』


 報告を聞き終えたエガートは今一度溜まっていた息を吐き出すと、部下たちに命令を下す。


「シェパード1より全機へ……これより基地に帰投する。さあ、凱旋するとしよう」


 直掩とも合流を果たし翼を翻したシェパード隊は、AWACSからの指示に従いルドルフォア基地に向け針路をとるのだった。


   *      *


「アッシュフォード統合参謀本部議長、入られます」


 総帥官邸地下の危機管理センター。

 雛壇状に設置されたオペレータールームの最下段に置かれたコの字状テーブルの上座に腰を下ろす蔵人は、副官を伴い入室したアッシュフォードを無感動な表情で迎え入れた。


「――前置きはいい。結果を聞かせてくれるか」


 作戦の一連の経過は国家軍事指揮センターとのデータリンクにより危機管理センター正面の壁に埋め込まれた大型モニターでも確認されていたが、蔵人は敢えてアッシュフォードの口から報告するよう求めた。


「作戦は成功です。帝国軍の航空基地は破壊され、王国西部から中部の制空権は完全に我が軍が掌握いたしました」


 その瞬間、安堵の空気が場を包み込む。

 列席の閣僚たちは互いの肩を叩き攻撃の成功を喜びあっていたが、蔵人やシルヴィアといった一部の人間の表情は晴れないままだった。


「だが、懸念事項も残った。そうだろう?」


 詰問するような口調で蔵人が尋ねると、アッシュフォードは神妙に頷いた。


「帝国軍に新兵器――それも航空兵器が存在したことは想定外でした。兵器の詳細は不明ですが、空対空ミサイルで撃墜出来たことを考慮すると今後の作戦に支障を来すことはないと思われます。勿論、この兵器に関する分析と情報収集は引き続き行います」

「できれば早期に新兵器を鹵獲し分析してもらいたいが……わかった。では、今後の展開について聞かせてくれ」


 アッシュフォードは副官からレーザーポインターを受け取ると、大型モニターに表示された地形図を指す。


「先程も申しましたが、今回の攻撃により王国中部から西部の制空権は我が軍が掌握いたしました。以降は作戦を第二段階へ進め、敵地上軍及び指揮通信網、兵站線の破壊を行います。使用するのは主にJDAMを始めとした精密誘導爆弾及びトマホーク等の巡航ミサイルになります」

「……で、第二段階の進捗はどうなっている?」

「すでに本土を発進したB-1ランサーを擁する第501爆撃飛行隊が中央戦線に向かっています。ほかの戦線につきましてもルドルフォア基地から攻撃隊が順次発進しています。沖合に展開する水上打撃群所属の巡洋艦や駆逐艦からはトマホークの発射が始まっています。また、陸軍は実戦テストをかねて新兵器をルディリアへ持ち込んでいます」


 アッシュフォードはそう言うと、オペレーターに合図を送りモニターの画像を大陸に存在する陣地の映像に切り替えさせる。

 陣地には射撃管制車輌と思われるユニットを搭載したトラックと、離れた位置に直立したコンテナを持つ四台のトラックが間隔をあけて配置されていた。


「そろそろになります。五秒前……発射」


 直立するコンテナからいきなり炎が吹き上がると、各コンテナから一発ずつ合計四発のミサイルが発射され上空で姿勢を変えると事前に入力された方向へ飛び去った。


「今のは?」

「新たに開発された中距離ミサイルシステム『MRCタイフォン』になります。先程発射されたのは、SM-6を改造した巡航ミサイルです」


 アッシュフォードが説明すると、話を聞いていた閣僚たちから感嘆の声が上がる。


「本作戦では実戦テストとして二個中隊を編成し派遣しています。主な攻撃目標は、艦艇から発射されるトマホークと同じく帝国軍指揮所や物資集積所です。第二段階完遂後、第三段階として北部及び南部に展開する第二軍団と第三軍団が進攻を開始します。中央戦線を担う第一軍団も西進を開始しますが、同軍団は積極的な戦闘を極力回避しながら帝国軍を圧迫しつつ包囲網の完成を待つことになります」

「第三段階に移行するまでに必要な日数は?」

「一週間と見込んでおります」


 アッシュフォードの回答に頷いた蔵人は。右側に座る小夜に視線を向けた。


「ルディリアに派遣した総帥軍の進捗はどうなっている?」

「警衛師団を中心とした三個師団がプロヴィル近郊に駐留しています。各師団は地上軍の西進後に移動を開始し、奪還した地域を中心に王国軍と共同で治安維持に当たります」

「王国軍の練度はどうだ?」

「まだなんとも言えません。欲を言えば、あと一年は訓練を積ませたかったのですが……」


 小夜はそう言うと、表情を歪ませる。

 イーダフェルトの提供した兵器と総帥軍から派遣された教官によって現代戦の教育を受けている新生王国軍だったが、面子を気にする一部の王国軍将校の圧力により比較的に練度の高い一個師団が教育修了を待たず反攻作戦に投入されることになっていた。


「王国軍が出しゃばらないといいがな……ほかに懸念事項はあるか?」

「はい。帝国に潜入させている諜報員からの報告ですが、どうやら帝国の中に我々のことを探っている人間がいるようです」

「帝国軍もようやく探り始めたか。まあ、ここまで派手に動けば当然だろう」


 そう言う蔵人に対し、小夜は首を左右に振った。


「いえ、動いているのは帝国皇女個人のようです」

「帝国皇女が? 軍の情報機関ではなく?」

「はい。どうやら信頼する人間を経由して密偵を王国へ送っているようです。プロヴィルや王都周辺だけでもすでに十名以上を捕縛しています」

「軍よりもその皇女の方がよっぽど脅威になりそうだな……帝国に潜入する諜報員には可能な限りその皇女の情報を集めるよう命じろ。それと王国内の防諜対策も万全にな」

「かしこまりました」


 全ての報告を聞き終え会議を解散させた蔵人はシルヴィアを伴い自分の執務室に入ると、倒れ込むように執務室へ掛けた。

 その様子に駆け寄ろうとしたシルヴィアを手で制すと、天井を見つめたまま口を開いた。


「すまないが、紅茶を淹れてくれないか?」

「かしこまりました」


 微笑を湛えたシルヴィアは隣室に控える秘書にティーセットを用意させると、茶葉とお湯を入れたティーポットから磁碗に紅茶を注ぐ。


 「どうぞ」


 差し出された磁碗を手に取った蔵人は、ゆっくりと紅茶を口に含み穏やかな表情を浮かべる。

 蔵人はしばらく紅茶を堪能した後、応接セットのソファで紅茶を飲んでいたシルヴィアの方を見ておもむろに口を開いた。


「ついに始まったな」

「……はい」

「これから俺が下した命令で敵味方問わず何千何万の命が奪われることになる……シルヴィ、君は本当に最後までついてきてくれるか?」


 どこか縋るような眼の蔵人にシルヴィアはソファから立ち上がり目の前まで移動すると、聖母のように慈愛に満ちた表情を浮かべ子供をあやすように話し始める。


「あの日から私の気持ちに変わりはありません。この身果てるまで、主様のお側でお仕えいたします」

「ありがとう」


 そう言ってどこか憑き物が落ちたような表情を浮かべた蔵人は、椅子に座り直し各省庁から提出された書類に目を通し始めるのだった。

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