二次の荒野で俺は舞う
なしごれん
第一章 PhoiniX
第1話
暗闇の荒野に1人の男が立っていた。
「ここは………どこだ」
俺は周りを見渡して小さくそう呟いた。
微かに流れる冷たい風と、足元の湿った葉っぱの青臭さが広がって、俺は忘れてしまった記憶を取り戻そうと、冷えた頭を必死に働かせた。
確か、俺は家にいて、明日までの課題に手をつけていたはずだよなぁ
そう下を向いて考えていると
「さむっ………」
寒風が一段と強まって、俺の肌を突き刺すように刺激する。人気のない、山あいの村落だろうか?その寒さに耐えられなくなった俺は、何か羽織るものはないかと、両目をこれでもかと見開いて、暗闇の草原をさまよった。
ハァ…………ハァ………ハァ………
俺の近くで、生き物の喘鳴(ぜんめい)が聞こえた。
「そこに誰かいるのか?」
俺は音のする方へ顔を向け、目を凝らして暗闇を覗いた。
真っ黒な世界に、微かに色の違う細い線が、人型を描いていた。
「ひと……人がいる……」
俺は両手を前に突き出して、前の見えない闇の世界から何とか脱出しようと、人のいると思われるその場所へゆっくりと足をすすめた。辺りは静謐で、目を凝らさないと状況が把握できないから、なるべく慎重に俺は周りを探った。
静かに聞こえる不規則なリズムの呼吸音と、口から漏れる白い煙だけが、俺が確認できるその生き物の全てだった。
人間だと完全にわかる距離まで近づいた俺は、見下ろすようにしてつぶやいた。
「ここは………ここはどこなんだよ」
「・・・・・」
そのシルエットから、180はあるだろう。大きな上半身は小さく揺れ、男は上を見上げているようだった。
男は黙っていた。
「おーい、寝てるのかぁー」
「・・・・・」
「何か言わねぇとわかんねーよ」
「・・・・・」
「起きてるのなら返事してくれー」
そいつは何も返事を返さなかった。
俺は目を凝らして男の顔を見ようと試みたが、暗闇のせいでまともに表情を読み取ることができず、かといって近づくと何かされるのではないかと恐れていた。しかたなく、俺は耳を澄まして男の返答を待つことにした。
「・・・・・」
「・・・・」
「・・・」
男は質問に答えなかった。しかし、ハァハァという息音が、さっきよりも大きく、不規則なリズムとなって俺の耳に届いた。
「お前………………もしかして動けないのか?」
その段々と大きくなる、乱れた呼吸音に違和感を感じた俺は、男が怪我をしているのではないかと推測し、身を乗り出した。
「待ってろよ、俺が今そっち行って見てやるからさぁ」
俺は男にゆっくりと近づき、身体を見ようとした、その時………
「うわくっっさぁ」
生き物にしては独特な、硫黄のようなが匂いが広がって、俺は慌てて鼻をつまんだ。これはまた、凄まじい熱気だなぁ。男の身体は熱く、汗ばんでいたため、俺は男と距離を置いて話した。
「お前……風呂入ってねぇだろう…」
「・・・・・」
「まあこんな寒さだと、風呂に入るのも面倒だしなぁ」
「・・・・・」
「だからって、こんなところにいつまでも居たら風邪ひいちまうぞ」
「・・・・・」
「そこに横になってろよ、俺が身体を洗える場所に連れて行ってやるからさぁ」
そう言って、俺は男の肩を掴み、動かそうと力を入れた。すると、
「うぁあああ、なんだこれ」
男の首元から流れた液体が、肩をつたって俺の手に落ちた。
手についた汗は銅臭く、赤黒い液体が俺の右手を濡らしていた。
「これ……………血?、血だよなぁ」
俺は真っ赤になった右手を眺め、男に視線を移した。
「・・・・・」
遠くからではわからなかったが、よく見ると男は全身から血を流し、負傷しているようだった。
「お前………怪我してたんだな」
俺は小さくそう呟いて、どこか治療のできる場所へ運ぼうと、もう一度男に手をかけて、背中に担いだ。
「何があったかわからないけど、まだ息はある。急いで病院に運べばあんた助かるよ。それまで少し我慢してくれ」
「・・・・・」
俺は急いで歩き出そうと、足に力を入れ前に進もうとした、
ゴッ。
その時、俺の足に何か硬いものが当たった。
地面に食い込んだ、一際大きい石ころが足に当たったのだろう。
その勢いで、バランスを崩した俺は地面に勢いよく手をついた。
「ってぇーな。なんだよぉ」
どうやら、足元に何かあるらしい。
俺は暗闇の足元を探るようにして、その物体の位置を掴もうと、その場にしゃがみこんだ。
黒闇の中にうっすらと、細長いフォルムが浮かんでいた。
「………………なんだこれ」
そこには一丁の銃が置かれていた。
「ぴーでぃーえー……聞いたことない名前だなぁ」
PDAと彫られているその銃は、ルビーのような真っ赤な鉱石のようでいて、おもちゃにしては重厚感のあるそのフォルムは、闇の中でうっすらと光っていた。
「すっげぇー、超高そうじゃん」
「モデルガン、ってやつだろう?たか兄に見せたらきっと喜ぶなぁ」
そう口にして、俺は唇を噛んだ。
真っ暗な世界に、ひとしきり炎のように燃えているその銃を眺めて、
最初に火を発見した人間も、こんな気持ちだったのだろうかと物思いに耽りながら、俺はその不思議な輝きに、しばらく時間も忘れて見入っていた。
———こんな高価な銃、いったいどんな感触なんだろう
ふと、俺はその銃を触ってみたくなった。
本当は明るいところへ持っていきたいのだが、まずはこの担いでる男を、安全な場所へと移動させなければならない……
いや、やっぱり手にとって構えてみよう。俺は男を床に下ろし、ゆっくりと腕を伸ばし銃に手を近づけた。その時、
キーン
俺の脳内に稲妻のような衝撃と振動が走った。
「ぅあぁぁぁあああ」
今までに感じたどの痛みより強烈なそれは、10秒ほど続き、俺は膝をついて前に倒れた。
「ちくしょう、こんな時に頭痛かよぉ」
俺は痛みが治まるのを待ってから、額から垂れてくる汗をぬぐって、もう一度その銃に手をかけた。
———お前の願いはなんだ
「え?」
脳に直接流れるその声は、目の前の銃から発せられたものだろうか。俺は驚いてその銃を見つめた。
「願い?願いってなんのことだよ」
「・・・・・」
俺は銃にに向かってそう聞くが、銃は何も答えなかった。
———お前の願いはなんだ
再び俺の脳内に、声が流れる。
「お前………だれなんだよ。それに願い願いって、そんなの急に言われてもわっかんねえよ」
俺は怒鳴るようにしてそう言った。
キーン
———お前の願いはなんだ
銃はその後も同じ言葉を俺の脳内に送り続けた。
「あぁもう、わかった。わかったからそれやめろ」
脳に響くその声に、気が荒くなった俺は、頭の中を駆け巡らせ何か願いはないかと考えた。
願い、願い、願いかぁ……
学校のこと、家族のこと、友達のこと、俺は色々な情景を頭に浮かべ必死に考えた。
「願い…………………願いは……………」
「……………………………願いは、ないな」
俺は赤く燃えている銃にそう言った。
「俺は友達もいるし、家族もいる。まだ彼女はいないけど……………それでも今の生活が幸せなんだ。毎日学校に行って、友達と遊んで、家族と飯食って……たまに口うるさくてムカつく時もあるけど、それでも俺は今の生活に満足しているんだ。だから願い事なんてない。願いがないのが俺の願いだ」
そう言うと、俺は満足したような笑みを浮かべ、返答を待った。
キーン
俺の脳内に、またしても稲妻が走る。
「ぅあぁぁぁぁ」
俺は頭を両手で覆った。
———お前の願いはなんだ
「はぁあ?さっき願いはないって、そう言っただろうが」
俺は怒りをあらわにして、強くそう言った。
———お前の願いはなんだ
その幾度となく繰り返される質問にうんざりした俺は、どうせタチの悪い夢だろうと、半分やけになっていた。
「あぁわかった、わかったよ。何か答えないとダメみたいだなぁ」
「なんでもいいんだろう?だったら…………」
俺はゆっくりと息を吸い込んで口を開いた。
「だったら…俺の願いは———
キーン
その瞬間、幾つもの稲妻がいっぺんに俺の頭上に降り注ぎ、真っ暗な世界が一変して白の光に包まれた。
光は強さを増して大きくなり、渦を巻いて俺の全身を飲み込んだ。その光の中では、赤や青など様々な色をした宇宙の星々が、俺の頭を走り抜けていった。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
カーテンの白いレースから差し込んだ陽の光と、軽快な目覚ましのアラームで、俺は目を覚ました。
「おーい、いつまでも寝てると学校に遅刻するよー」
一階から母の声がする。
俺は窓ガラスに反射して、天井の奥まで連なる陽の光を眺めながら、金縛りのような状態になって、上を見上げていた。
今、何時だ?
突然現実に連れ戻されたような、そんな感覚がして、いつもより気だるい体を起こした俺は急いで携帯の画面を見る。
午前7時50分
「やべぇ、一限はハゲの鶴田だ」
携帯をベッドに落とした俺は、素早く制服に着替えると、カバンを持って家を出た。
「いってきまーす」
朝日に照らせれて、まだぼやけて見える街並みをしばたいて眺めながら、俺は駅までの道のりを走った。
あの奇妙な夢は、何だったんだろう。
駅まで続く住宅街の通りを、サラリーマンと思われる男の自転車と並行しながら、俺はまだ痛む頭を手で押さえながら、ひとしきりそのことを考えていた。
*
「マジであいつどうかしてるって、提出日が今日なんて、ひとことも言ってなかっただろう」
4限終わり。昼休みの教室で、後ろの席の寺沢敏生(としき)が俺にそう言った。
「お前が寝てただけでちゃんと言ってたよ」
俺は静かにそう答えた。
「それなら、なんで俺だけ怒られなきゃいけないんだよ。あいつ、女子には何も言わないくせに」
「お前の授業態度が悪かったんじゃないのかぁ?それか、鶴田のこと裏でハゲって言ったのがバレたか」
「うわぁ、それだ、それ。あいつ、噂にだけはホント敏感だよなぁ」
敏生はうんざりしたように顔を机につけると、大きくあくびをした。
「なぁ、としき」
「ん?」
「お前、何か欲しいものあるか?」
「はぁ?」
敏生は困った顔と笑った顔の両方を俺に見せた。
「いきなりどうしたんだよ」
「いいから。お前、何か欲しいものあるだろ」
「ねぇよ」
「いやあるだろ」
「だからねぇって」
敏生は面倒臭そうにそう吐き捨てると、上を向いた。
「欲しいものって言われても………なぁ」
敏生は上を見上げ、しばらく考えていた。
「……………ふみと」
「あぁ?」
「お前、俺の誕生日知ってるか?」
「えぇっと、確か三月の………」
「十五日な」
「あぁ、そうだったな」
「だから、その日になったら欲しいもの、言うわ」
「お前、それじゃあ誕生日にあげれねえじゃねーか」
「あぁ、そっか」
敏生は恥ずかしそうに笑った。
入学して五ヶ月。俺は後ろの席のこいつと昼休みを共に過ごしていた。四階の教室にこぼれる午後の日差しを浴びながら、周りが女子ばかりの商業高校では男と喋ることがこれほどにも安心できるものなのかと、敏生の細く茶色い眉毛を眺めながら、俺はつくづくそう感じていた。
「じゃあさ、願いってあるか?」
俺は敏生にそう問いかけた。
「………はぁ?」
敏生は下を向いてため息をつく。
「お前さぁ、さっきからおかしいぞ」
「いいから、ほら願いだよ、願い。なんでもいいから」
俺は敏生を急かすように目を見開いた。
「そうだなぁ…………」
敏生はそう言うと、視線を教室に移した。
昼休みの教室は閑散としていて、俺たちの周りには女子生徒が固まって談笑していた。
「俺、彼女が欲しい」
「え?」
「彼女が欲しい」
敏生は俺の目を見つめた。
その瞬間、俺は誰かに心臓を掴まれたような、強い不安感に襲われ言葉を出すことができなかった。それでも俺はなんとか平静を保とうと、敏生の目をじっと見つめ返した。
「それって、もしかして…………」
俺は深く息を吸った。
「………………佐々木のことか?」
俺は敏生の目を見つめ、ぐっと唇を噛んだ。
佐々木は俺と敏生と同じクラスの学級委員をしている女子のことだ。教壇から2列目の窓側に姿勢良く座る彼女は、肩までかかった茶色い髪に、眉毛まで届く長いまつ毛、その知的な顔立ちに俺は入学初日から彼女に一目惚れしたのだ。
「ハハ、お前、佐々木のことが好きなのか?」
敏生は人を馬鹿にするように笑みを浮かべた。
「はぁ?ちげぇよ、ちょっといいなって思っただけだからな」
俺は緩んだ顔を敏生に悟られないように、わざと大きな声を出して怒って見せた。
「安心しろ。俺が狙ってるのは佐々木じゃねぇ、あいつだ」
そう言って、敏生は前の席を指差した。
三つの机を並べ、仲良く談笑している三人の女子生徒の中に、一際目を引く長い髪。後ろからでもわかるその艶やかな茶髪はピンク色のシュシュで丁寧に束ねられていた。俺は敏生の思い人が桃川姫野だとわかった。
「あぁ、桃川か」
「桃川かって、お前あいつと喋ったことあるのかよ」
「同じ中学で、クラスも一緒だったからな」
「くぅー 羨ましいぜぇ。なぁ、知り合いなら俺と話すように何か仕向けてくれないか?」
敏生は目を輝かせ、両手を俺の前で合わせた。
「あのな、そういうのは人の手を借りてやるもんじゃねぇんだよ」
俺はそう言って、ペットボトルの蓋を開けた。
「ちぇ、そう言って自分だけ桃川と話そうってんだろう?お前もひどいやつだよなぁ」
「ばーか。俺はあいつのことなんて、好きでも何でもねーよ」
そう敏生の前で威張って見せた俺は、無意識に彼女を目で追った。俺たちの2列前の席で笑いながら友達と話す桃川の、鼻筋の目立つその横顔を、中学時代何度も盗み見たその彼女を、佐々木と同じように他の女子と分けて位置づけしてしまうことに俺はもどかしさを感じながら、彼女の肌理細やかなうなじを見つめていた。
「桃川ってなんか性格きつそうじゃん?顔はかわいいけど目が冷たいっていうか、彫刻みたいで不気味なんだよね」
俺は拳をギュッと握って自分に言い聞かせるようにそう呟くと、残りの水を飲み干した。
「お前……流石にそれは言い過ぎじゃないか」
黙って聞いていた敏生が、声のトーンを落としながらそう言った。
「え?」
気がつくと、周りの女子が俺たちを見ていた。明らかに俺を憎悪していると感じられるその陰湿な視線が、教室に異様な空気を作り出していた。
「じょ………冗談だよ。なぁ? お前もなに本気になってんだよ」
俺はそう言って敏生の肩を叩くと、チラッと桃川を見やった。
桃川は顔を手で覆い、周りの女子に宥められて静かに泣いているようだった。
「いやぁ………これは……その…」
「お前なぁ、何もあんなにはっきりと言わなくたって……」
俺は桃川に謝ろうとして席を立った。その時、
ガラガラガラ
教卓前のドアが勢いよく開かれると、背の高い色白の男が教室に入ってきた。
「だれだぁ?あのイケメン」
敏生が不思議そうに言った。
「校章が青いから先輩なんじゃないか」
男はそのまま机の両脇の道を進んでいき、俺の前で立ち止まった。
「君、秋野史人君だよね?」
男はにこやかにそう言った。
「あ、っはい。えぇっと、先輩は…………」
「俺は霧乃蒼士。そうしって呼んでくれ」
「じゃあ、そうし先輩。俺に何かようですか?」
「いいよ、先輩なんか付けなくても」
190はあるだろうその長身に小さい顔。整った目鼻はどこかの混血だという印象を俺に与えた。その言い知れぬ威圧感から、俺は初め怒られるのではないかと身構えていたのだが、霧乃蒼士というその男の、誰にでも心を開く穏やかな笑顔に見惚れて、悪い話ではなさそうだと内心ホッとした。
「君に話したいことがあってさ、ここは目立つからちょっと外に行かないかい」
そう言って、先輩は俺の腕を掴んだ。
俺は一刻も早く桃川の前から姿を消したかった。そのため、今しがた現れた見知らぬ上級生に内心感謝して、
「わかりました」
と早口でそう答えた。
「おいふみと、なに逃げてんだよ」
後ろから敏生が不満そうに言う。
「君も来るかい? えぇっと、名前は…」
先輩はそう言って敏生の方へ振り向いた。
「寺沢敏生です」
「あぁそう。じゃあとしき君も一緒に来てくれ」
敏生は嬉しそうに笑みを浮かべると、勢い良く「はい」と返事して、先輩に駆け寄った。俺はなるべく早くこの教室を出ようと掴まれた先輩の腕を振り払い、下を向いて足速に教室を出た。
*
先輩は俺たちを人気のない屋上の踊り場へ連れて行くと、両腕を体の脇にピッタリとくっつけ、丁寧にお辞儀した。
「頼む。君のお兄さんを大会に誘ってくれないか?」
「はぁ?」
俺は嘆息とも嘆声とも捉えられる、その中間の声を出して先輩を見つめた。
「あの………大会ってなんのことですか?」
「あれ?聞かされていないのかい?これだよ」
そう言って、先輩はスマートフォンを取り出すと、ひとつのゲームアプリを開いた。
真っ黒な画面に文字が表示される。
『PhoiniX』
「プ…………………フォ……何て読むんですか?」
「ポイニクスだ。ギリシャ語で不死鳥って意味らしい」
「不死鳥って………………あぁそれじゃあフェニックスってことですね」
敏生は楽しそうにそう言う。
「それは英語で元はギリシャ語なんだ」
「それで、このゲームがどうしたんですか?」
俺が先輩にそう尋ねると、先輩は真剣な眼差しを俺に向けた。
「君のお兄さん………秋野高人さんとこのゲームの大会に出たいんだ」
先輩は力強くそう言った。
「俺、ずっと前から高人さんのファンなんだ。プレイヤー名Takatora115 通称、戦場のヘッドクウォーター。19歳の若さにしてクラン[Grand Slam]の初代リーダー兼選手として全国大会で二連覇を果たした日本最強のFPSプレイヤー。その弟がうちの学校にいるって噂を耳にしたんだよ」
先輩は息をするのも忘れ早口でそう俺に言うと、満足そうに笑った。
「あの………………………」
俺は気まずそうに先輩の顔を眺めた。
先輩は尚も話し続けた。
「この大会はアマチュア限定で、優勝チームは10万円貰えるんだ。高人さんは先月に選手を引退したから、大会規定には準じている。それに、まだリリースされてからそう時間は経っていないから、どのチームもあまり差は出ないはずなんだ。だから君のお兄さんが出れば俺のチームは絶対に勝てる。そう踏んだんだ」
「先輩は、どうしてその大会に出たいんですか?」
敏生は不思議そうに尋ねる。
「俺は………」
先輩は喉に上がってきた唾液を飲み込んだ。
「俺はプロのゲーマーになりたいんだ。それも世界一のね。親父がゲーマーだったことから、小さい頃からFPSばかりやらされていてね。それで中学に上がってから本格的にチームを組んで練習するようになったんだ」
「あれは二年前。All Forth One、略して『AFO』 株式会社オータムが出したモバイルのFPSゲームの時だった。君も高人さんから聞いたことがあるだろう?その第三回大会の準決勝で、俺はGrand Slamと当たったんだ」
「お互い2ポイント取った最後のゲーム。Search & Destroyの5ポイントマッチで両者4ー4の最後の局面。2v1で俺のチームが優勢だったんだ」
「GSが設置側だったから、俺たちはなるべく音を立てないように二人で固まって行動した。当時のGSは界隈では有名だったけどこれといって名のある選手のいない無名クランで、俺たちは人数有利だったから安心しきって彼が設置するのを待っていたんだ」
「しかも、俺はARでもう一人はSMG。高人さんはSRだったから、設置を待って挟み込めば必ず勝てる状況だったんだ。それであと少しで決勝に上がれるぞって、仲間同士でそう囁いていたんだ」
「その気が緩んだ一瞬。俺は誤って親指を動かしちまった。その弾みで、俺のキャラが一歩だけ前に進んだ。その微かな音に勘づいた高人さんが壁を抜いて2in1。俺たちは試合に負けた」
先輩は宙を見上げ、懐かしそうにそう話していた。
「あの試合の後俺は思ったんだ。あの設置側の追い詰められた局面で、敵の僅かな音に反応して寸分の狂いもなく壁に打ち込めるあの度胸。俺は何したってこいつには敵わないなってね。その年にGSは初優勝して次の年に二連覇。それからは有名プレイヤーを何人も要する最強クランになって行ったってわけだ」
そこまで口にした先輩は、またぐっと唾を飲み込み、俺の瞳を見つめた。
「だから高人さんが引退するって聞いた時は驚いたよ。やっとあの人とプレイできるってね。俺は何度もGSの試験に落ちてAFOの頃は一度しか高人さんとプレイすることができなかった。でも高人さんが引退した今、俺は偶然にもその弟と同じ学校に居合わせて、新しいFPSゲームがリリースされた。これを運命と言わずして何と言うんだ」
先輩は大きな目をさらに見開いた。
「だからお願いだ。高人さんを俺のチームに誘ってくれ。もちろん賞金なんかいらない、俺は彼と一緒にゲームをして世界一を目指したいだけなんだ」
先輩は拳を強く握りしめると、いつまでも俺の前で頭を下げ続けた。
「おいふみと、どうするんだよ」
敏生は心配そうに俺を見やった。
「あの」
俺はこの人なら話しても大丈夫だと、ホリの深い先輩の鼻筋を見やって心の中で呟いた。
「たか兄は…………………うちの兄は先月に亡くなったんです」
「えっ」
「何も……そんな嘘つかなくたっていいじゃないか。君が嫌なら俺は直接にでも高人さんを誘うつもりなんだから」
「本当のことなんです」
俺は俯いて、下唇を噛んだ。
「先月、大学の帰り道に飛び出してきたトラックに跳ね飛ばされて、たか兄は亡くなりました。それも突然のことだったので身内とスポンサーの一部にしかまだ公表していないんです」
「そんな…………あの、高人さんが………」
先輩は勢いを無くした魚のように下を向くと顔を手で覆った。
俺と敏生は項垂れる先輩を見守りながら、嗚咽と鼻音の響き渡る踊り場に静かに立ち続けていた。
しばらくして、俺は重い口を開いた。
「たか兄は…………うちの兄は引退した時、AFOで対戦した選手全員に感謝してましたよ。俺をここまで育ててくれたのは真摯にゲームと向き合ってくれたプレイヤーひとりひとりの熱い心だって。だからこれまで戦ってきた選手のプレイヤー名とIDは、全てデータとしてGSが保管しているんですよ」
「じゃあその中に俺の名前も…………」
「はい。きっとあると思いますよ」
「そうか。それなら少しは俺も高人さんの力になれたってわけか………。」
先輩はそう言って赤くなった目を擦ると、スマホをギュッと握った。
「それじゃあ俺はこれで…」
俺は先輩に軽く礼をすると、階段をゆっくりと降りた。
「待ってくれ」
先輩は叫んだ。
「君がチームに入ってくれないか?」
「えぇ?」
「君は高人さんの弟だろ?だったらゲームも上手いんじゃないのかい?」
「ちょっと待ってくださいよ。俺はFPSなんて、たか兄と少し遊んだくらいで選手としてやったことなんて一度もないですよ」
「いや、それでもいいんだ」
「どうしてですか?」
先輩は何か考えるように上を向いていたが、やがて口を開いた。
「これも何かの縁だ。俺は高人さんのファンで、君は高人さんの弟だ。
兄を間近で見てきた弟として、俺は君とゲームがしたい」
俺は背の高い先輩の瞳をじっと見つめ、先輩も俺を見つめていた。
その淀みのない、先輩の真っ黒な瞳を見つめながら、俺は自分の身体のうちに、何か秘めたる闘志のようなものが湧き上がってくるのを、ひしひしと感じていた。
「…………………わかりました。でも優勝は保証できないですよ」
「あぁわかってるさ。君の話を聞いて俺も考えたんだ、他人に頼ってばかりじゃダメだってね。だから次の大会のことは俺に任せておけ。必ず勝たせてやるからさぁ」
先輩は笑ってそう言うと、拳を俺に突き出した。
「期待してますよ」
そう言って、俺は前に突き出した拳を先輩に合わせた。
「あのぉー、俺のこと忘れてませんかぁ」
俺の背後から、敏生が気まずそうにそう言う。
「あぁ、君は……………寺島君だっけ?」
「寺沢です」
「僕も中学の頃からFPSはやってました。AFOはエンジョイ勢で、大会は一度も出たことないですけど、力にはなれると思います」
「俺の練習は厳しいけど、ついてこれるか?」
「はい」
「よぉしわかった。それじゃあ今日の放課後に俺がPhoiniXの基礎をお前たちに教えてやる。だからそれまでにこのアプリを入れておいてくれ。それと、これが俺の連絡先だ」
俺たちにQRコードを見せながら、先輩は時間を確認した。
「もうすぐ授業だな、じゃあ俺はこれで失礼するよ。何かあったらここに連絡してくれ」
先輩はそう言うとひとり階段へと進んでいった。
俺は先輩の連絡先を登録すると、スマホに映った連絡先と階段を降りる先輩の後ろ姿を見比べながら、今日初めて出会った兄のファンだという霧乃蒼士という男の、ただならぬ自信と信頼に満ちたその背中を、どこか懐かしく感じていた。
その時、先輩は階段の一番下の段で急に立ち止まると、思い出したかのように、
「ふみと君」
と言った。
「なんですか?」
先輩は俺の顔を見た。
「ありがとう」
俺たちの方を振り返って、先輩は静かにそう言うと、足早に階段を降りていった。
「本当によかったのか?」
連絡先を登録し終えた敏生がそう俺に聞く。
「あぁ。それに悪い人じゃなかったしな」
俺は静かに階段を降りる先輩の、反響して踊り場にこだまし続けるその足音を聞いていた。
「それよりふみと。五限ってなんの授業だっけ?」
「たしか………………世界史だったかな」
「はぁ?マジかよ」
敏生は驚いてそう言うと、俺の方を向いた。
「俺、まだ課題やってねぇんだ」
「あーあ、やっちまったな。前の授業で菊池があれだけ…………」
その時俺は、先週が提出期限の古代ローマについてのレポートが、未だ白紙のままロッカーの奥に入れてあることを思い出した。
「おいどうしたんだよ」
敏生が不思議そうに俺を見る。
「としき」
「なんだよ」
「今日は俺、練習できそうにないわ」
俺と敏生は顔を見合わせて静かに笑った。
屋上から差し込んだ午後の日差しはガラスを通して一筋の白い線となり、まるで俺たちのいく末を暗示しているかのように、暗闇の階段を一直線に照らした。
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