第4話:ご都合主義のゲームチェンジャー

 白い光、見慣れない風景、知らない記憶。その中に少年は、一人の少女の幻影を見た。制服姿の彼女はこちらを振り返る。見たこともない彼女を、少年は何故か愛おしく思った。胸が締め付けられ、抑えきれない激情が溢れ出す。


 今すぐ手を握り、抱きしめてあげなければ――何故?そんなことは分からない。


 ただ、とめどない感情に押され、少年は彼女のもとに走り出した。今すぐ彼女を引き留めなければ、取り返しのつかないことになる。そんな気がして、訳もなく彼は一心不乱に彼女へと手を伸ばす。しかし、


「――騙してごめんね。でも、他に手がなかったんだ」


 彼女は、今にも泣きそうな顔でそう少年に微笑みかけた。直後、世界は崩壊を始め、少年と彼女の間を不可逆的に切り離す。


「ありがとう……大好きだよ、××」


「――っ!!」


 彼女から零れた涙が、伸ばした手に落ちると同時にすり抜けた。絶望、悲しみ、憎しみ、そして怒り――とめどない感情の渦巻く中、少年は密かに決意する。


「――必ず……果たすよ。そして……」


 彼女を奪い、引き離した世界全てを敵に回そうとも――


「――いつかきっと、お前を迎えに行く。待ってろよ、××」


 ▼△▼


「――!!」


 眩い光が闇を照らし、衝撃波が少年を現実に連れ戻す。身体中が痛み、思うように動かない。だが、その痛みは確かに生命の存続を叫んでいた。


 ――い、生きて……る?


 困惑する少年は、ふいに視線を上げる。土煙の中には、新たな影が一つあった。彼は少年と満仲の間に凛として立ち、前髪をかき上げながら振り返る。そして、少年を見て笑みを浮かべた。


「神子様、ご無事で何より。貴方のお蔭で何とか間に合いましたよ」


 少し青味がかった黒髪に長身、白粉おしろいは付けていないのに色白。一言でいうなら美丈夫。見たところ歳は三十手前。だが、老成した上級貴族というような風格。


「仁王丸、犬麻呂。よく耐えましたね。彼相手にこれだけやれれば十分です」


 突然現れた、新たな参戦者。しかし、口ぶりからどうやら味方のようである。少年は安堵の息を漏らした。一方、満仲は目を見開いて冷や汗を流す。


「馬鹿な……」


 これまで殆ど動揺を見せなかった満仲が、男の参戦に明らかに動揺していた。


「宰相、高階師忠たかしなのもろただ……浄御原帝きよみはらていの秘儀を継承する高階家の長……なぜ、貴方がここに……!?」


「おめおめ『再臨の神子』を奪取されるわけにはいきませんしねぇ。諏訪から大急ぎで戻って参りました」


 師忠と呼ばれた男は、穏やかな笑みを浮かべてそう告げると、ぐったりしている佐伯姉弟を痛ましげな目で見やった。そして、再び満仲の方を向く。


「……それに、彼女たちは私の従者。そして、亡き友人の忘れ形見……貴方が罵倒した彼が、私に託した大事な子たちです」


「くっ……これは厄介なことになりましたねぇ……」


 殺意すら感じる師忠の冷たい笑みに、満仲は苦し気な表情で微笑み返す。しかし、撤退するそぶりはない。彼は再び太刀を抜いた。


「ならば!!」


 大地を蹴って跳躍。一瞬で師忠との距離をほんの数メートルまで縮める。師忠は動かない。満仲は大きく身体を捻り、太刀を振りかぶった。


「あぶ……ない!!」


 尋常ではない覇気。間違いなく、次の一撃は満仲が持ちうる中で最高クラスの技だ。いかに師忠が大物であっても、そんなものを至近距離で食らえばどうなるのか想像に難くない。少年は目を覆った。


「契神:『武甕槌命タケミカヅチノミコト』:御業みわざ葦原中国あしはらのなかつくに平定へいてい」!!」


 先ほど放った軍神の力、それの強化版とでもいうべき一閃。想像を絶するその一振りに少年は吹き飛ばされそうになる。しかし――師忠は微笑んだ。


「『護法結界』」


 師忠の短く、それでいて確かな詠唱は世界に染み渡り、満仲との間に絶対的な断絶を生み出す。


「――ッ!?」


 満仲の極技は軌道を逸らして天高く弾かれ、雲を割った。

 師忠が使った術は、仁王丸が使ったのと同じ。だが、彼女のそれとは精度、練度が別次元にある。渾身の一撃を無効化された満仲は、呆然として立ち尽くした。そんな彼を、師忠は柔らかな表情で見つめる。


「さて」


 彼は指で虚空をなぞり、その指を口に当てた後、満仲に向けた。


「『出雲八重垣いずもやえがき』」


 突如、満仲を囲うように光の霧が現れる。否、満仲以外の全てを囲うように霧は現れた。


「これは………!?」


素戔嗚スサノオの結界――出雲の神々が継承してきた秘術の応用ですよ。貴方の刃がこちらに届くことはもう無い」


 師忠は満仲に微笑みかける。


「まだ、やりますか?」


「くっ……」


 あれほどまでに圧倒的だった満仲が、手も足も出ずに無力化された。想像を絶する師忠の強さに少年は息を呑む。満仲も苦しげな笑みを浮かべ、諦めたように一つ溜息をついた。


「いえ、止めておきましょう」


 満仲はそう告げると、どこか満足げな表情をして師忠を見る。


「ふふ、空間術式がお得意だと伺っておりましたが、まさかこれ程までとは。完敗です。次会うときはしっかりと出来るように精進いたしますよ」


「出来ればもう敵としてはお会いしたくありませんね」


「それは上皇陛下の御心次第。ではまたいずれ」


 満仲はくるりと身を翻し、霧のように消え行った。


 再び静寂が支配する平安京。差し込む日の出の陽光とともに、師忠は少年に微笑みかける。ふいに途切れた緊張。少年は、再び意識を手放した。

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