第8話:推しキャラと渋いカフェ

「はあー、大人っぽいお店ですねー……!」


「だな。そっちの世界でもこんな感じか?」


「はい、事務所に行く前にここで本読んだりしてました。知名度が低いアイドルの特権ですね」


 えへへ、とルリは、はにかむ。


音無おとなしカフェ』の正体は、幡ヶ谷はたがや駅の路地裏にある喫茶店だった。


 昭和レトロ感満載の店構えに、種類豊富なコーヒー豆。


 一杯ずつ淹れてくれる上、挽き方やコーヒーフィルターの指定まで出来る。


 コーヒー好き、むしろ漢字での『珈琲コーヒー』が好きの集まりそうなお店だ。


 とはいえ、珈琲好きと言えるほど詳しくない俺は、とりあえず一番上にあったブレンドコーヒーというのを頼んでみて、ルリにはカフェオレを頼んだ。



 店の奥、4人がけのテーブル。


 俺とルリは同じ側に隣り合わせで座って、霜田しもだあかねを待つ。


「霜田さん、来てくれるでしょうか……」


「向こうが呼び出したんだから来るだろ。俺が暗号を読み違えてなきゃな」


 甘利あまりにバイトを代わってもらうのも、結構大変だった。


『今度、スタバ5杯おごってねぇ?』とのこと。時給2時間分くらい値段するもんな……。




 スマホの時計を見ると17時55分。


「あっ……!」


 カランコロンカラン……と、お店のドアについた鈴がお客さんの入店を知らせると、ルリが目を見開いて立ち上がる。


 そして、その視線の先では、


「っ……!」


 マスク姿の霜田茜が胸のあたりを押さえて立っていた。




「えっと……こんにちは。声優の霜田茜、です」


 マスクを外した霜田茜は、席に向かいながら、慣れたように「モカ・マタリ、ブラックでお願いします」と注文してから、俺たちの向かい側に座った。


 赤茶髪のゆるくパーマがかったボブヘアの上にキャスケット帽を被っている。


 普段画面越しに見る溌剌はつらつとした雰囲気とは少し違い、もじもじと緊張した様子を見せていた。


「は、はじめましてっ! わたし、えっと、音無プロ所属の小鳥遊たかなしルリと申しますっ! よろしくお願いします!」


 カフェなのでそれなりに声は落としつつ、それでもはっきりとした滑舌かつぜつでルリはお辞儀する。


「はじめまして、かあ……。確かに、そうだよね。えっと……、それで、そちらは?」


「あー……」


 なんと自己紹介をすればいいだろうか、と少し逡巡した後、


「ルリのトップマネージャーの『あくゆう』です」


 と話した。


「あ、あなたが……!」


 ……伝わって良かった。


「あなたのせいであたしはずっと2位のままだったんですけど……!」


 と思ったら、なんかいきなり「ぐぬぬ……!」みたいな感じで睨まれてる。


 ていうか2位だったんだ。担当声優のかがみだな……。


「マネージャーさん、マネージャーさん」


 すると、ルリが俺の袖を引く。


「トップマネージャー? って、なんですか?」


 こてりと首をかしげるルリ。可愛い。


「『アイプロ』の中に、マネージャー同士で育成ポイントを競うランキングがあってな。各アイドルを育成した時の累計ポイントが一番高いマネージャーをトップマネージャーっていうんだけど、ルリのトップマネージャーが俺だったんだ」


「へえー……!」


 まあ、実質、課金額を争うだけのあまり趣味のいいとは言えないランキングプログラムだけどな。


 俺は霜田茜の方に向き直る。


「本名は阿久津あくつ祐作ゆうさくと言います。今年度21歳……だから、霜田茜さんとも同い年だと思います」


「あ、そうなん……だ。それじゃあ、タメ口でもいい? ていうか、なんでそもそもフルネーム呼び?」


「いや、芸能人だから……」


「ああ……それでずっとフルネームだったんですね」


 横でルリも納得したように頷く。疑問に思われてたのか、恥ずかしいな……。


「駆け出しの声優だから、芸能人ってほど大したものじゃないけどね……。霜田とかでいいよ。あたしも、阿久津……でいい?」


「あ、うん」


 芸能人を前に口ごもるオタクと化してしまった。だめだ、今はそういうことを考えてる場合じゃない。ていうか俺はシモディーじゃないし。


「で、本題。これって、何がどうなってるの?」


「霜田あか……霜田の視点からだと、どうなってるんだ?」


「あたし視点? んーとね……」


 霜田は一つ一つ思い出すように口にする。


「ルリちゃんの誕生日になったから、運営さんの誕生日おめでとうツイートに被せて引用リツイートしようとしたら、元のツイート自体がなくなっちゃってて……。マネージャーさんに『運営さんもう一回ツイートしますかね?』ってラインしたら、『何言ってるの?』って言い返されちゃうし……。色々調べてたら、そもそもルリちゃんの存在自体がなくなっちゃってるし……。あたしのwikipediaからもいなくなってんのとか本当に意味わかんないし……」


「なるほどな……」


「それで、昨日の夜、広い世界には誰か知ってる人とかいないかなって思って、ツイートしてみたら、願いが届いたってわけ。いや、ご本人登場するとは思わなかったけどね?」


「やっぱり本人だって分かるものか? コスプレとかじゃなくて、本人だって」


 俺だけじゃなく、霜田もそう思ってるのかと気になって、質問してみる。


「うん、疑いようがない。その人が『その人自身』なのか『他人の空似』なのかって、見れば分かるもんなのね。ああ、もしかして、あたしが、阿久津のことを、身近な可愛い子にコスプレをさせて近づいてきた不審者だと思ってるんじゃないかって心配してるの?」


「まあ、それもそうだな」


 たしかに、その可能性もあるよな、と言われて気付いたけど乗ってみる。


「ちょっとは考えたけどね。とはいえ、声まで似てて、小鳥遊ルリって名前を知ってて、音無カフェを知ってて……ってところまで突破してたらさすがに疑えないよ」


「そうか」


 とりあえず、そこが信じてもらえてるなら、一安心だ。


「で、そっちは? どういう状況?」


「えっと……」





 そこで、俺は昨日一日で起こったことをかくかくしかじかと隅から隅まで説明する。


「まじかー……」


 霜田は舌を巻く。


「いやー、どう感じればいいんだろ、これ」


 複雑な状況に、心が追いつかないらしく、そんな声を漏らす霜田。


「なんとも言えない話だよね。昨日はすっごく悲しかったし寂しかったし悔しかったけど……でも、こうして自分の担当したキャラに会えるのって、すごく幸せなことだなとも思うし……」


「やっぱり、思い入れの強いキャラクターか?」


「もちろん。だって、初めてもらった名前のあるキャラクターだよ?」


「え、そうなんですか?」


 ルリが驚いたように声をあげる。


「うん。それまであたし、少女BとかクラスメイトDとかでしか出てなかったんだ。ほんと、あの頃泣かず飛ばすで……。そんな中、初めてオーディションで勝ち取った役が、ルリちゃんだったんだよ。ルリちゃんのおかげで、あたしが今こうして生きていられてる」


「はあ、そんなに、ですか……!」


「そんなに、なんてもんじゃないよ。ルリちゃんに会えたら話したいこと、たくさんあったんだから」


 霜田は自分の子供にでも語りかけるように、優しい表情で説明する。


「ルリちゃんを演じてなければ、コーヒー娘だってなかっただろうし、今日みたいなイベントだってやらせてもらえてないはずなのに、そういうところが変わってないから、余計混乱しっぱなしなんだよね。どういうことなんだろ……」


 俺はちょっとした仮説を話してみることにした。


「多分、ルリがいない世界線に来たっていうのとはちょっと違うんだと思うんだよな」


「「どういうこと?」ですか?」


 おお、ハモると同じ声だって分かるな……!

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