23


   ーーー東京 桜田門ーーー


11月にしては珍しい激しい雨が降るこの日、雪乃は直属の上司である田口に話たい事があると告げて時間を割いてもらい、本庁から少し離れた場所にあるカフェで田口の到着を待っていた。

利用者の年齢層が高いこのカフェは佇まいも少々古臭く、昨今流行りの小綺麗なカフェとは少々趣を違えていたが、立地も手伝って平日の利用者はまばらで落ち着いていて話をするにはもってこいであり、尚且つ店内は全面喫煙可能だった為、愛煙家の田口の事を考慮して雪乃はこのカフェを待ち合わせ場所に指定した。


しばらくすると、これもまた時代錯誤な“チリン“というドアベルの音がして傘をバサバサと畳みながら田口が店内に入って来た。


「悪いな、待たせたか?」


「いえ、今きたところです」


田口は挨拶を済ませると店員に【ホット、ブラックでいい】と慣れた様子でオーダーを伝え、雪乃と向き合う形でソファーに腰を下ろす。


「で、何だ話って」


「ええと…」


どこから話そうか…


姉の一件に関する私的捜査を言わば黙認してくれた田口に対して、雪乃は少なからず恩を感じていた。

“姉の死の真相を知りたい“と言う見方によっては不純な動機で警察組織を目指した雪乃にとって、それを知りながら側で支えてくれた田口の存在はとても心強いものだったし、何も言わずに率先して関連がありそうな事件の仕事を割り振ってくれた事にも感謝していた。

だから雪乃は最初から結果がどんな物であろうとも彼には事の顛末を全て話すつもりでいたし、実際に自分の中で一区切りついた今、やはり伝えるべきだと思っていた。




   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




雪乃は彩名に聞いたまりえの死の全貌を可能な限り丁寧に田口に伝えた…

思い出す事に抵抗を感じる様な内容も、認めたく無かった胸の内も、彩名がそうした様に出来るだけ湾曲・脚色しない様気をつけながら言葉を紡ぐ。


田口は言葉を選びながら少しずつ話を続ける彼女の独白を店員が運んで来たコーヒーを啜りながら黙って聞き続けた。


「と言うのが二階堂彩名から聞けた姉の最後です、思う所はありますが私なりに決着がついたので、一応ご報告をと思いまして」


「そうか、で?納得できたのかお前」


「何というか、私は姉の自殺を本人の意志だと認めながら、どこかそこに他人の意思が介入しているのでは無いかと期待していました、姉を死に追いやった【何か】が有ったのではないか…心のどこかでそんな真相を期待していたのかもしれません。認めたくなかったんでしょうね、姉の弱さも、置いて行かれてしまった事実も…結論から言うと私が期待する死の真相の様な物はどこにも有りませんでした、厳密に言えばは無くもなかったんですけれど、それでもやはり姉を病院の屋上から踏み出させたのは姉自身だったんだと思います…期待した結果は得られませんでしたが納得はできました。」


「そうか、良かったじゃねぇか、望んでいた物と結果が全然違う、人生なんて往々にしてそんなもんだ、心に引っかかったモンをどうにかしたいと思ったら、重要なのは結果じゃねぇんだよ、引っかかったモンが取れるまでしっかり向き合えたかどうかが重要なんだ、そう言う意味じゃお前はきちんとやりきれたんじゃねぇか?」


「そうですね、そうかもしれません」


「俺もお前の姉さんに関しては思うところが有ったからな…不思議なもんだよ、間違いなく他人だったんだけどな、成長して部下として配属されたお前は、その姉さんにそっくりだ、何だか彼女の事も他人じゃなかったんじゃねぇかって、そう思えてきちまう」


「そんな物なのかもしれないですね、人と人の縁という物は」


「どうだかな…」


2人は同時にコーヒーに手を伸ばして、しばらく黙っていた、何となくお互いが何を考えているのかがお互いにわかっている様な気がした。


「んでお前、どうすんだ、この先」


「この先?」


「目下の目的は達成しちまったんだろ?続けていけんのか、警官」


田口の言葉に【こういう所、驚くほど鋭いんだよな】と雪乃は改めて感心した、一見ぶっきらぼうで粗野に見える田口だが、彼は人の心の機微に敏感だった。


「辞めようと…考えてます…」


雪乃はタイミングをはかっていたとばかりにカバンから辞表を取り出すと、手を伸ばし机の上を田口の手元まで滑らせた。


「そんな気がしてたよ、お前、本当に変わんねぇよな、初めて会った頃から」


「そうですか?」


「そうだよ、ほんと真面目すぎるんだ、お前は」


「真面目?私辞職しようとしているんですけど…」


「普通しねぇだろこの不景気の中、曲がりなりにも天下御免の公務員だぞ」


「署の外でそう言う事言わないで下さいよ…」


「あいにく、午後から非番だ俺は」


「そう言う事を言ってるんじゃ無いんですけどね…」


「なんでだ?」


「何処で誰が聞いてるかわからないじゃ無いですか…」


「そうじゃねぇよ、なんで辞めようと思った?」


田口が真っ直ぐに雪乃の目を見据えながら問いかける。

少し考えて、雪乃は結局腹を括って話すことにした。


「私は…今回の事で倫理とか法とか、警察官としてブレてはいけない部分に疑問が生じてしまいました」


「どう言う事だそりゃ…」


「二階堂彩名の言葉を借りれば、これは価値観の話になります。私は結局、彼女と言う人間が間違っていると断定出来なかったんですよ、姉を助けてくれなかったと言う感情と、世界中で唯一、忖度なく姉と向き合ってくれたと言う感情が丁度釣り合ってしまったんだと思います…ただ、姉の死や二階堂彩名の行動にどれだけ納得出来ても、それに納得出来てしまった自分自身には納得できなかった…そんな状態で法の番人は続けられない、退職の動機はそんな所です」


「そうか…それこそ良い悪いじゃ語れねぇ話だなそりゃぁ、もう哲学だよ…」


「そうですね、哲学かもしれません…結局いくら悩んでも考えても答えは出ないんです、だからこの先は法律では捌けない物から人を守る方法を探してみようと思います」


「第二第三の小津まりえを救いたいってそう言う事か?」


「少し違いますね、姉さんはきっと救われたはずですから…そうじゃなきゃ、あの人の人生はあんまりにも悲しすぎるじゃないですか…私は私の倫理を確立したいんです、自信を持って良い悪いを判断出来るような倫理を…その為には既存の社会の枠組みから一度外れるしかないと思ったんです、具体的に何をすれば良いのかはまだわかりません…でも探しながら生きてみます」


「本当に不器用だなお前…おそらく大多数の【他人】はお前が何言ってるのかわかんねぇぞ?」


「田口さんにはわかるんですか?」 


「そりゃ他人じゃねぇからな…」


「他人ですよ、他人です」


「わざわざ2回言うなよ…」


2人は互いに少し口元を緩ませた。


「まぁいいんじゃねぇか、好きに生きてみろよ、こっからはようやくお前の人生だ」


「二階堂彩名にも同じような事を言われました、囚われていた自覚はなかったんですけどね…いろいろな人の話を聞いて、その認識も変りました、事実彼女と話をしてから、心なしか気分はスッキリしています」


「曲がりなりにも精神科医だったって事か、つまんねぇオチだなそれは…」


外では先ほどまでの白驟雨が雨脚を徐々に弱めつつ、アスファルトの上を弾むように跳ねながら、傘の中で背中を丸める通行人の足元を黒く染め、行き場を求めて肩を寄せ合い最後の力を振り絞るかの様に側溝に流れ込んでいく様がガラス越しによく見える。


【全部洗い流してしてくれれば良いのに】


雪乃は店員が継ぎ足しにきたコーヒーから立ち上がる湯気を見つめながらそう思った。


「あの…」


「何だ?」


「田口さんは…もしも目の前で大切な人が死のうとしていたらどうしますか?」


「あぁ?止めるに決まってんだろ、そんなの」


雪乃は少し考える様に間を置いて、先ほどまでとは違う不安そうな弱々しい調子で問い直す。


「その人にとって、死ぬことだけが幸せであっても?」


田口は前にもそんな事を誰かに聞かれたなと思いながら頭をボリボリと掻き、


【あのなぁ、そいつが死んで幸せとか不幸せとか関係ねぇよ、大切に思ってる奴が死ぬんだぞ、どう考えても気分悪りぃだろうが】


と吐き捨てる様に答えた。


「あはは、そうですよね、ほんと…その通りです」


余りにも乱暴な物言いに雪乃はどこか救われた気がして、声を出して笑った。

だが、微笑む雪乃の瞳はなぜか涙を浮かべていた。


田口はそれ以上は何も言わず、【吸うか?】とクシャクシャのタバコを背広から取り出して、雪乃に突きつけた。


「結構です、田口さんのタバコ、強烈に臭いですから…」


「これだからガキは…あんま売ってねぇんだぞこれ…」


田口は行き場を失ったタバコを自分で咥えると、火をつけて深いため息と共に煙を吐き出し、机の上の灰皿にそれを立てかける。


力なく縁にもたれ掛かる黒いタバコからは、毒々しいチェリーの香りとゆらゆらと燻る紫煙がいつまでも尾を引いていた。


ふと視界を外に向けると道ゆく人が空を見上げ、差していた傘を閉じているのが目に入った。


気がつけば雨は上がり、弱々しい陽の光が差し込んでいた。

















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