02

「凛くん…」




バイト先に付くとカウンターに背の高い細身の男が立っていた。




彼はイタリアンバル【ヴァローリ】のオーナーシェフをしている戸田 純也とだ じゅんやといい、凛の雇い主にあたる人物だ。




「オーナー、おはようございます」




「あぁおはよう、昨日から大変だったね、今日ぐらい休んでもよかったんだよ…」




「俺は全然、俺に何かあった訳じゃありませんし…」




「それでもなぁ、仲が良かったじゃないか、結城ちゃんと」




「そうですね、ほんと良くしてもらいました、仕事は殆ど結城さんから教わりましたし…」




着ていたジャケットを脱ぎながら、『着替えてきます』と軽く会釈をすると凛は一時会話を打ち切った。


このまま会話を続けていたら、人前で泣いてしまいそうだったのだ。


凛はオーナーから結城ちとせの名前を聞いて、その名を口にする時の苦く重苦しい表情を見て、初めて彼女の死を実感した。




「凛くん、結城ちゃん、どうして死んじやったんだろうね…」




スタッフルームから戻った凜に戸田が問いかける。




「わかりません、でも自分も結城先輩がそんな事をする様な人には思えないんです、あんなに明るくて優しい人なのに…」




「今回の事で心底思ったよ、他人の事なんて、本当にわからないもんなんだってね…うちで働いてくれている子たちとも仕事しながら笑ったり怒ったり、結構意義の有る時間を共有していたって思っていたんだけどなぁ、オーナーなんて管理職の看板背負っていても、存外、人の胸の内は理解してあげられないものなんだって…」




「胸のうちですか…」




「僕はさ、自殺と言うものは、どこか弱い人間がするものだと思っていたんだよ、こんな事を言うと角も立ちそうだけれど、だってそうだろう?何かから逃げ出すためにって言うのかな?上手く言えないけれど…辛いこと、苦しい事、悲しい事と向き合えなくなった人がする最後の選択肢って言うかさ…でも結城ちゃんはそんな気配一切なかったじゃない?大して面白くない事でケラケラ笑って、誰かが誰かを悪く言うと本気で怒って、店に餌を貰いに来てた野良猫が前の道路で死んでた時なんか声を出して泣いて…」




オーナーは時々言葉に詰まりながら、どこか遠くを見つめ、愚痴をこぼす子供の様に話続けた。


「そんな子が突然…前触れもなくあんななことに…」




「…」




「もし、もしもだよ?結城ちゃんが実はとんでもなく大きな悩みを抱えていて、それでもを演じていたんだとしたら…、そう考えたら僕は、もうやるせなくて、悔しくて…」




「オーナー…」




「悪いねぇ凛くん、本当は君が出勤してきたら慰めてやろうって思っていたんだけどね…歳なんてとるもんじゃないね、涙腺が緩でしまうよ…」




凛から見た戸田の結城ちとせへの評価は正しい、凜も彼と同じように彼女の事を捉えていたし、ヴァローリで働く多くの人間もまた、同じ事を言うと思う。




「オーナー、不謹慎な質問かもしれませんけど、結城さんって、以前なにかに悩んだりだり、悲しんだりって素振りなかったんですか?」




「いやぁどうだろうなぁ、本当に明るい子って印象だったから…君だってそうだろう?」




「ええ、そうです、そうなんですけど…」




「そういえば、結城ちゃんがうちに入って少しした頃、あんまりにも元気に仕事を頑張ってくれるから『明るくていい子が入ってくれて助かる』みたいな話したことがあったんだよ、そうしたら突然、母親が生まれたばかりの子供見るみたいな優しい顔して、『先生のおかげかな』ってぼそっとこぼしたんだよね、その時はまぁ別に特段気にもかけていなかったし、結城ちゃんもすぐ次のオーダー取りに行ってしまったから、詳しくは分からないけど、今思えばあれはなんだったんだろう、少し彼女らしくなかった気もする…」




「先生…ですか…」




「まぁ彼女、司法浪人生だったろう?ロースクールとか、大学の時のゼミの教授だとか、影響を受けた人が居たのかもね…」




「なるほど…」




凛は少し考えて、今考えても答えは出ないだろうなと結論づけ、じきに開店を迎える店の準備を急ぐ事にした。




たとえ店にとってどんな一日であっても、開店すれば客は来るし、昨日までと同じ仕事をこなさなければならない、世界・社会とはそう言う物で、それは至極当たり前の事ではあるが、そんな当たり前の事がこの日ヴァローリで働く従業員達にとって、何処か僅かな救いになっている様に感じられた。











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