誓いの雪起花(八)

 娘は大事そうに抱えたそれを、そっと卓上に置いて座り直した。

 それは短剣だった。

 娘がずっと撫でさすっていた形見の無骨なそれとは異なり、こちらは鞘や柄に豪華な宝飾が施されたきらびやかなものだった。

「お父様が、先代の王様から拝領したものだそうです。うちのアザミの紋も入れたんですけど、何か困ったことがあればこれを売れと、わたしに持たせてくれました」

 突然そんな話をされたことの意味を、リュシアンは解りかねた。娘が言うような親馬鹿でなくても、そういう行為はあるだろう。

「お父様は、わたしにこの二振りの短剣しか贈ってくれなかった」

 ポツリと漏れる娘の言葉に、詩人は卓上に置かれた二本の短剣を交互に眺めた。

「親馬鹿なくせに、年頃の娘に宝飾品すら贈れなかった、無粋で不器用なお父様でした」

 メリザンドは恨み言を口にしたが、そこに非難の色は無く、溢れんばかりの情愛だけが感じ取られた。娘のご機嫌取りは下手くそな父親だったのだろう。戦場では決して見せることのなかった、そんなエルドレッドの姿を想像した詩人は笑って同意した。

「でも、エルドレッド様らしいですよ」

「そうよね」

 ふたり、顔を見合わせて笑った。

「アラン人の襲撃が激しくなった数年前、わたしは一時、ベオルニアの女子神殿に入れられました。ご自分の身に何かあっても、神殿であれば無事だろうとお父様はお考えになられたのでしょう」

 突然、メリザンドは口調を固くして身の上を語り始めたので、リュシアンは黙って耳を傾けることにした。

「でも南部地域でアラン人が神殿をも襲い、神官たちは惨殺され女神官たちも陵辱の末に殺されたと聞き、お父様はわたしを学院ここに移しました。それが三年ほど前。アデルの港で別れたのが、お父様との最後になってしまいました」

「……」

「呼び戻すときには良い婿でも見つけておこう、そんなことを言ってわたしを送り出したのに……」

 遠い目をして娘は力無く笑う。

「そんな約束も破ってしまわれた」

 その言葉に詩人は深入りすべきではないと考えたが、この女性ひとはこれからどう生きていこうとしているのだろうという思いが湧き上がる。だから少しだけ真意をずらして聞いてみた。

「ご領地のタインはどうなりますか?」

 エルドレッド亡き後、詩人がその地を出立するまではエルドレッドの代官が管理していた。ベオルニアはシフィア王国など大陸の諸邦とは異なり、一時的であっても女性に相続権はない。

「国王に接収されて、従兄殿にでも渡されるのでしょうね」

 他人事のようにさらりとメリザンドは言う。その言葉に滲み出る冷たさに、リュシアンは少しだけたじろいだ。

「その方に、貴女自身の保護をお願いされますか? 案内あるいは書面を届けることはできますが……」

「ありがとうございます。でも……お父様とその従兄殿は歳も近いのですが、関係は良くありませんでした。先方もエルドレッドの娘など迷惑でしょうし、わたしも関わりを持ちたいとは思いません」

 きっぱりとメリザンドは詩人の提案を却下した。だがこの先、庇護者もなく彼女はどう過ごしていくのだろうか。立ち入るべきではない、だが縁浅からぬエルドレッドの娘がこれ以上の不運に見舞われるのは忌避したいと、詩人は食い下がってみた。

「ですが……」

「リュシアン殿、わたしの従兄殿の名はご存知? 」

「いいえ……」

「お父様の歳の離れた姉君、わたしの伯母にあたる方の嫁ぎ先の子で……」

 メリザンドは一度キュッと口を真一文字に閉じ、組んだ両手に力を入れて硬く握りしめると呻くようにひとつの名前を絞り出した。

「ノーシーのゴドリック殿、それが従兄です」

 その言葉に詩人は息を飲み、鸚鵡返しに小さくその名を呟いた。

「ノーシーの……」

「そうです。巧言で王に取り入ってダンバーやスーロウ、その他様々な城主領を蹂躙し滅ぼしたノーシー。勢力盛んながらアラン人に対しては追従の姿勢で臨むノーシー。その首長エアルルゴドリック殿。恥ずかしながら、それがわたしの従兄です」

 言葉を失い固まった詩人を見て、メリザンドはたたみかけた。

「リュシアン殿、ダンバーの出であるあなたなら、従兄殿の評判もお分かりかと存じます」

「……ええ。酷い領主です。実家も……その横暴に……困っておりましたから……」

 慎重に詩人は言葉を選んで返した。

「不快な名を口に出して申し訳ありません。でも、これでお解りでしょう?」

「ダンバーを離れて長く経ちますが、失礼ながらあの領主の良い噂は聞いたことがありません」

「その通りです、リュシアン殿。従兄殿が如何なる方かをお知りになった上で、もう一度だけお尋ねします。それでもわたしの身を従兄殿に委ねたいとお考えですか?」

「……できません」

 力なくリュシアンは否定の言葉を口にした。隣接地域の蹂躙や領民に対する横暴など、挙げればきりがないほど、その素行においてノーシーの領主はリュシアンの知る限り最低の領主だった。そんな男のもとにこの娘を届けようものなら、手籠めにされ弄ばれた後、厄介払いによくて政略の道具、悪ければ殺されかねない。

「そう言うことですよ。父のいない、ましてや従兄殿に接収されるタインには戻れません」

「ならば、どうなされるおつもりですか?」

「できるなら、ずっとここで過ごしたいわ。ここは避難所アジールだから従兄殿の手も及ばないし。しばらくは蓄えがあるとして、でも働かなくてはねぇ。お針子なり、写字生なり、それで食べていけるかしら」

「ご結婚は? 婚約者はいらっしゃらないのですか?」

「ベオルニアに戻ってからだと思っていたから何も。そもそも、先ほど言ったとおり、わたしの婚約についてはお父様に考えがあったようですから」

 そう言って笑って見せたメリザンドだったが、その表情はすぐに引き締まった。冷静に話そうと努めていたが、目の奥に浮かぶ不安は消せるものではない。

 娘は父親の庇護の下で、その導きのままに生きてきた。父の喪失に伴い、娘は初めて自分で生き方を選択する必要に迫られていた。

 自嘲気味に女は言葉を吐き出した。

「貴族の世界で、父もなく領地も失くした行き遅れ女に、価値があるとお思いですか? たとえ庶民の世界だとしても、働いたこともない娘など穀潰しでしかないでしょう?」

 詩人は同意も否定もすることができなかった。

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