第7話

 天井にある黒ずんだ白熱電球がチカチカと点灯している。僕は木製の扉のドアノブに手をかける。鍵はかけられておらずあっさりと開く。奥側には木の机が一つ。上には分厚い本が置かれている。左右にはラベンダーが生けられた花瓶。壁一面には分厚い書籍が並べられていた。

 ふと、机の引き出しからわずかに飛び出している白い紙を見る。アンジェルにしては珍しい。綺麗にしまってないところが無性に気になった。近寄って無作法だと理解した上で、引き出しを開け紙を取り出す。ちらりと紙の内容が目に入った。

 綺麗に四列に並べられた枠の中に多種多様な言語の文字。意味と発音だけが監獄を覆う翻訳魔術のせいで理解できる。その最左端には日付、その三列目にはチェックマーク。二列目には静永、山田。見慣れた名前の列。最後の行に「鈴音努」。右側にはチェックマークはない。日付は明日を含めて四日後。改めて見るとほぼ四日ごとに区切られている。たまにずれている時がある。最右端には綺麗な文字で書かれたメモ。自殺、刺殺、転落死、etc。

 僕は紙を引き出しに入れずに、覚えている限り精確に元の状況を再現した。ちょっとだけ白い紙がぺろりと引き出しから覗いている。

「はあー、疲れました」

 ガチャリと扉を開くと音が聞こえ、アンジェルはため息をつきながら部屋に入ってくる。

「どうしたんですか?」

 僕の物憂げな顔を見てアンジェルが心配そうに言う。

「何でもありません」

 僕は何事もなかったかのようにさらりと言った。考えなくては、考えなくては。




「今日は特に疲れてますね」

「そうなんですよ。看守長会議がありました。言う事言う事、反論されてしまいました」

 アンジェルは子供のように頬を膨らませ机に突っ伏す。僕は適当に部屋を歩き本を手に取る。

「なぜ、レイラさんはあれだけ私を嫌うのでしょうか? 監獄長も監獄長です。変な剣を趣味で入手してましたし」

「変な剣?」

「ええ、ええ。とても変な剣です。変じゃないことが変です。ただの高そうなレイピア何ですが……監護長は随分気に入っていました。もう少し合理的だと評価していたのですが。主はおっしゃいました。『理性的で合理的なものこそが真の人間たると』」

「ああ、理性的と言えば。第一収容棟で獣を見つけましたよ」

「それはとても、残念です。何匹ですか?」

「三匹、名前は――」

 僕はサラを襲っていた男たちの名前を順に言う。アンジェルは万年筆で白い紙に名前を写す。

「ふーむ、第二収容棟からの移転者ですね。二、三年前でしょうか。随分とまあ、長い間大人しくしてたものです。ありがとうございます」

「なんともつまらないことに女が目的だったらしいですよ」

「男とはなんとも難儀なものです。この監獄は自慰行為を禁止はしてませんし、罰則もありません。やりたかったら勝手に一人でやったらいいというのに」

 アンジェルは椅子から立ち上がる。突然、僕の背中に柔らかな二つの双丘が押し当てられる。

「理性的で合理的ですか……」

「私はとても理性的で合理的ですよ。ムンデ教の教えでは姦淫は禁止されています。配偶者以外との淫らな行為はいけないことです。けど、ムンデ教の神の化身は子供との交わりを行なっています。子供は古来より大人とは似て非なる者であり神性なものです。当然意思を尊重され、愛される権利を有しています。そう……愛される権利」

 生暖かい舌が僕の首筋を這う。アンジェルは更に体を押し付けてきた。柔らかい肢体。白い肌。吸い込まれそうなアメジストの瞳が僕を見つめる。背中を撫でられる。

「古傷。やっぱりずっと消えないのでしょうか?」

「僕もなんであるのか分かりません」

 背中に十字架状に五つの傷。アンジェルは愛おしそうに背中を柔らかに撫でる。

「私は愛し、努君は愛される。愛し愛される。神が奨励する行為です」

 愛、愛、愛。この世界も、元居たあの世界も愛に満ちていた。無慈悲な愛、理不尽な愛。愛は愛。アンジェルは喘ぐように息を荒げながら僕を抱きしめる。

「私ほど敬虔な信徒は居ませんよ。ねぇ、努君。私の可愛い努君」

 囁くように、誘うように。この監獄の溺れていくような、緩やかに死んでいくような愛はどうにも心地良い。

「はい、アンジェル――」

 言い終わる前にぷっくりと膨らんだ朱色の唇に僕の唇は塞がれた。脳髄を溶かすような甘い唾液。ゴクリと喉を鳴らし、僕はそれを飲み込んだ。

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