「気持ち悪い」。なんと祝福に満ちた言葉か

男子も女子も変わっていく。体が変わっていけば精神も自然とそれに引きずられる。男と女、性差というものを勝手に感じ始める。それは成長の証であり、逃れられない苦痛だ。
変わっていくことへの嫌悪。男らしさ、女らしさという区分けへの拒絶。
性を感じたくない。友達のような、きょうだいのような、幼なじみの「好き」のままでいたい。ヨウスケの裸に興奮して、自分の裸に興奮される、そんな「ぼく」は嫌だ。気持ち悪い。けれどその気持ちすらいつか成長と共に薄れていく。
自分の中から無くなっていく「ぼく」と、これから待っている「わたし」への困惑と諦観と反発と、祝福に満ちた作品だ。
社会のカテゴライズが間違ってるわけでも、自分の自認がおかしいわけでもない。ただ。成長の途上でそうなるだけの、蛹の中でドロドロになったような、「あわい」にいる状態。蝶はキレイだけれども、芋虫でいた時で幸せだったのに変わらなくちゃいけないのか。
この醜さと、心と体が不安定になって伸ばした手が他者の手を握った時間こそが、青春と呼ばれるものなのだ。