第22話 遥か彼方を目指すもの
そこは、酷く鬱蒼とした場所だった。
不気味に捩くれた木々が生い茂り、深い霧が立ち込める奇怪な森林。そこかしこから明らかに動物のものとは異なる唸り声が聞こえてくる。
魔界第四層北西部・嘆きの森。
アンデッドたちの棲まいし広大な森である。
そして、その森の更に奥まった空間に、まるで隠れ潜むように小さな城があった。
屋根もほとんど壊れており、控え目に言って廃墟と言っても差し支えないものだが、整理整頓は妙に行き届いていて生活感がある。
そんな城のエントランスホールに、唐突に青い炎が燃え広がったかと思うと、一人の少年がその中から吐き出された。
名を破滅のジュリアスというその白髪の少年は、この魔界において知らぬ者などいない十三貴族の一角である。
片腕が吹き飛び、全身血だらけの散々な有り様だが、それでもこの森の亡者たちの支配者であることには変わりない。
その証拠に、弱っている獲物から確実に捕食しようとするアンデッドたちが、物陰に隠れて様子を窺いつつもまるで出てこようとしないのだ。
されど、そんな些末事など気にも止めないジュリアスは床に寝転がりつつ、エントランスの奥にある大階段の踊り場に鋭い眼光を向けて言った。
「……ったくよぉ。ご主人様をお出迎えすんならもうちょい丁寧にやれやラヴィ。あんまり調子こいてっと下っ端の餌にすんぞ」
「いやあ、咄嗟にしちゃ割と上手くやったもんでしょ。ウチが助け船出してなかったらご主人、アンタ今頃あのグラサンにボッコボコにされてたッスよ?」
視線の先。
踊り場にいたのは、およそ十代後半から二十代前半と思われる、まだ少女の雰囲気を色濃く残した若い女性だった。
煤けた茶髪を短めに切り揃え、パーカーにショートパンツというラフな格好をしたその女性━━ラヴィは、悪びれもしない笑顔でジュリアスを見下ろしている。
ジュリアスは苛立ち混じりに舌打ちをするも、やがて諦めたように息を吐いた。
ラヴィが軽いステップを踏んで階段を降りてくる。
「しっかしこりゃまた、えらいやられっぷりスねえ。ご主人がこんなゴミクズみたいにされてるとこ見たの初めてかもしんないッス。レアレア」
「お前マジでいい加減口の利き方どうにかしろやぁ」
「えー、そんなの今さらじゃないッスか。もう十年来の付き合いっしょ? そっちこそいい加減慣れてくださいって感じッスよ」
「百年経とうがお前のウザさは慣れねえんだよぉ」
「ドイヒー」
軽口を叩き合いながら、パーカーの女性は白髪の少年に肩を貸して立たせる。
半ば引き摺られるようなラヴィの介助を受けつつ、ジュリアスは覚束ない足取りで歩き始めた。
「ゲドの調子は?」
「とりあえず峠は越えたッスね。完全修復にはまだ時間がかかるッスけど、まあ大丈夫ッスよ」
「そいつは何よりだなぁ。あんなんでも有象無象よりかは役に立つ駒だ、まだ保ってくれねえと困る」
言って、ジュリアスは口角を吊り上げて笑う。
その様子をラヴィは横目で眺めながら、素朴な疑問を投げた。
「何か機嫌良いッスねご主人。良いことでもあったんスか?」
「あぁ? お前出歯亀してたんじゃねえのかよぉ?」
「ウチのゴーレムの出来じゃ音声まで拾えないんで」
「ケッ」
ジュリアスは吐き捨てると、壊れた天井から覗く紅い月を見上げて、心底愉快そうに口を開いた。
「何のことはねえ。ただ、面白そうな獲物を見つけてなぁ」
「あの魔剣士クンのことッスか? 確かにあの魔剣の威力は半端なかったッスけど」
「当然そいつもだが、竜宮寺のメスの方もなかなか美味そうでなぁ。ありゃ順調に育てば、かなり喰い甲斐のある上等な魔術師に育つぜぇ」
「ちょっとちょっとー、女の子に向かって美味そうとかセクハラ案件なんでやめてもらっていースか?」
「お前一回ガチで喉かっ捌くぞ」
「サーセン」
話の腰を折るラヴィに対して、極めて冷淡な反応を示すジュリアス。仕切り直すように言葉を続けた。
「とにかく、あいつら二匹はもう俺様のもんだぁ。他の誰にも奪わせねえ。必ずこの俺様自らの手で、ぶち殺して喰ってやる」
もし右腕があったなら、きっと頭上に手を伸ばしていたことだろう。
禍々しい月光に照らし込まれる破滅のジュリアスの姿は、まさしく魔王の如き凄味を発していた。
「……ま、どっちにしろしばらくは治療に専念してくださいッス。具体的に言うと、向こう半年は絶対安静ッスからね」
ラヴィはそんな主の姿を呆れ半分、微笑ましさ半分で見つめながら、そう促した。
ジュリアスは嫌そうに表情を顰めるも、従者の進言に渋々頷く。
「わーってるっての。さすがにずっと腕がねえままってのは何かと不便だからなぁ。生えてくるまでは大人しく寝てるわ」
「よろしい。その間ウチはバイトしに行くんで、ご主人はここで悠々とヒモ暮らしに興じてくださいッス」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよぉ」
そうして一組の主従は、城の奥へと消えていく。
いずれ再び歯車が回り始めるまでの、束の間の幕間を過ごすために。
***
夜空に大輪の花が咲く。
ドパンドパンと大きな音を立てて、次々と花火が打ち上げられる。
そんな様子を切臣と蓮華は竜宮寺邸の中庭で、据え付けられたテラスに座りながら眺めていた。
「おお、今のはかなりデカかったな。今日の目玉なんじゃね?」
「いやいや。まだ始まったばかりだし、これからもっと凄いの上がるって」
和気藹々といった風情で、花火の感想を言い合う二人。
その様子はとても魔術師の卵とは思えないほどに無邪気で、ともすれば子供の頃に戻ったようだった。
「それにしても、まさかこんな特等席で花火を見られるなんてなあ。修行を早めに終わらせてくれた竜宮寺先生に感謝しねえとだな」
「そうだねえ。……どうせなら、丸々休みにしてくれたらもっと良かったんだけど」
「ははは……」
純粋に笑う切臣とは対照的に、蓮華は少し険のある口調だった。
ジュリアスとの戦いから早くも一週間が経過し、暦の月も新たに十月になった頃。
今日は町内で花火大会があるということで、気を利かせた厳志郎が早めに修行を切り上げてくれたので、こうして悠々と見物しているというわけである。
ちなみに今日の修行は厳志郎との模擬戦で、それはもうひたすら転がされてしまった。
「ほんと、お爺ちゃんももうちょい手加減してくれればいいのに。ただでさえ切臣は病み上がりなんだから。あんなに本気でボコボコにしてこなくてもいいじゃんね?」
プンスカと可愛らしく頬を膨らませながら、蓮華は同意を求めるように言う。
どうやらいくら修行とはいえ、厳志郎が切臣をさんざん打ちのめしたのがよっぽど気に入らないらしい。
明らかに苛立っている隣のプラチナブロンドに、切臣は苦く笑って応じる。
「まあ、怪我はもう余裕で完治してるしな。変に気を使われて手加減とかされたらそれこそ修行になんねえし、あれくらいがちょうど良いよ」
「でも……」
「それに、ただでさえ俺はジュリアスの野郎に負けちまってんだ。次はあんなことにならねえように、もっとビシバシ鍛えて強くならねえと」
切臣は意気込みながら握り拳を作る。
途端、蓮華は更に表情を顰めて、
「切臣は負けてない」
「いや、負けたって。めちゃくちゃ血まみれにされたしよ」
「その後きっちりやり返したじゃん。あいつの右手吹っ飛ばしてやったじゃん。切臣の勝ちだよ」
「でも倒しきれなかった。竜宮寺先生が助けてくれなかったら、今頃俺ら全員あいつの腹の中だ。そんなんじゃとても勝ったなんて言えねえよ」
「…………」
言い返すことができなくなったのか、蓮華は黙り込む。
しかしその顔は苦虫を嚙み潰したみたいで、到底納得した様子ではなかった。
「俺さ、もっと強くなりたいんだ」
そんな蓮華に対して切臣は、打ち上がる花火を眺めながら言う。
「今回のことではっきり分かった。俺はまだまだ弱い。せっかく魔剣士の力があっても、それを全然使いこなせてねえ。だからもっと使いこなせるようになりたい。そんで、竜宮寺先生みたいに強くなるんだ」
「お爺ちゃん、みたいに? それってまさか……」
蓮華が言いかけた言葉を受け継ぐように、切臣は静かに頷いた。
「ああ。俺は、
はっきりと、そう宣言する。
それら六段階から成り立つ魔術師の階級の、その更に上に位置する最強の証━━
現在たった八人しかいないその座に辿り着くと、魔剣士の少年は告げているのだ。
「
まっすぐに蓮華を見つめて切臣は言う。
その瞳はやはり、あの時と同じ金色に染まっていた。
蓮華は思わず、そんな切臣から目を逸らしてぼそぼそと口を開く。
「……切臣さ、目の色変わっちゃったよね」
「ん? ああ、夜叉綱の能力を発動させた時からな。多分俺がいよいよ、完全に魔剣士になったってことなんだと思う」
「これ以上魔剣士の力を使ったら、本当に魔族そのものになっちゃうかもしれないよ? それでもいいの?」
「別に気にしねえよ、今更だし。まあジュリアスとか、あのトンネルにいたトロールみたいなのにだけはならねえように気をつけるけどさ」
それに、と続けて、
「たとえそうなりそうになっても、蓮華がちゃんと止めてくれるだろ」
屈託のない笑顔を浮かべた。
同時に、夜空にまたしても大輪の花が咲き誇る。
「切臣……」
そんな切臣を、蓮華はどこか熱っぽい目で見る。
少年もまたプラチナブロンドの少女の方へと向き直った。
交わる視線。
切臣の目は自然と、蓮華の艶めかしい唇の方へと吸い寄せられていき━━
「全く、少し目を離しただけでこれですか。救いようのない万年発情期ぶりですね山猿」
だがそこで小さな乱入者が一人。
突如として飛んできた声に、切臣と蓮華は弾かれたようにそちらへと振り返る。
「う、うづき!?」
「チビウサギ! お前いつからそこにいたんだよ!?」
その正体は言わずもがな、木津うづきである。
相変わらずのジトッとした目付きで、切臣のことをまるで宿敵のように睨んでいた。
「たった今来たばかりですが。お嬢様にお飲み物をお持ちしようとしたところ、貴方がお嬢様に不埒な真似を働こうとしているのが遠目に見えたので、急いで駆けつけた次第です」
そう語るうづきの手には確かに、ドリンクが乗せられたトレーがあった。
「それにしても、本当に油断も隙もあったものではありませんねこの山猿は。ところ構わずお嬢様に欲情して何とおぞましい。やはり去勢も念頭に入れるべきでしょうか」
「だから、発想が怖いんだよお前はいちいちよ! てか不埒な真似なんてしてねえし!」
「どうだか。性犯罪者とは得てしてそのように申し開きするものですし、何の確証にもなりませんよ」
「お前よぉ……!」
「ああもう二人とも、喧嘩はやめなってば! ほらうづき、飲み物持ってきてくれたんでしょ? ありがとう、早くちょうだい?」
例によって口論がヒートアップしそうになった二人を、すかさず蓮華が仲裁する。
ここ最近、もうすっかりお馴染みになった光景だ。
「申し訳ありませんお嬢様。私としたことがこの変態に気を取られてしまい、失念しておりました。こちら特製レモネードになります。どうぞお召し上がりください」
「あ、ありがと……」
「誰が変態だ誰が」
「うるさいですね。貴方には水道水を持ってきてあげたので、適当に飲んでください」
「そろそろマジで一回泣かすぞお前……」
蓮華に極めて丁寧な振る舞いでレモネードを渡しつつ、切臣には雑に水道水を押し付けるうづき。
魔剣士の少年はそんなウサミミメイドの舐めた態度に、わなわなと身体を震わせている。
蓮華はやれやれと頭を振った。
そんな三人の頭上では、引き続き色鮮やかな花火が打ち上がっていた。
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